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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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公立中高一貫校の「前倒し学習」って何?
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    今日の朝日新聞に、今人気の公立中高一貫校の「先取り学習」の中身が載っていました。「先取り学習」ということばは、いかにも先を争って自分だけが抜け駆けをしているようなイメージがあるので、今は「前倒し学習」ということばが使われています。今さら驚きはしませんが、あまりにひどい内容なので、少しだけ触れておきます。

     

     

    以下は鹿児島の公立中高一貫校の英語の授業です。その記事を引用します。

     

     

    ―「『私は2年間鹿児島に住んでいます』は、『I have lived in Kagoshima for two years』。じゃあ、昔住んでいた人はどう表現するのかな」と先生が生徒に呼びかけると「I had lived!」と声が上がった。「正解。過去完了って言います」

     

    同校では、中1の秋から高校の学習内容を教え始める。過去完了は学習指導要領では高校で学ぶ内容だが、現在完了を教える中2の授業で触れている。「関連付けて頭に入れる方が効率的。理解もしやすい」と先生。生徒も「流れに沿った説明で分かりやすい」と話した。―(引用終わり)

     

     

    開いた口がふさがらないとはこのことです。「じゃあ、昔住んでいた人はどう表現するのかな」「I had lived!」「正解。過去完了って言います」とのやり取りを読んで、私は一瞬めまいがしたほどです。これはテレビで芸人が学校の授業を面白おかしく茶化しているシーンかと思ったほどです。

     

     

    どこが「流れに沿った説明で分かりやすい」のでしょうか。この生徒は過去完了を理解したつもりになっているだけです。これは授業内容の一部を取り上げただけだ、との言い訳が聞こえてきそうです。それはちがいます。神は細部に宿るのです。

     

     

    この先生が英語の体系を理解していないことは歴然としています。おそらく過去形と現在完了形の区別もついていないと思います。現在完了を「完了」「結果」「継続」「経験」に分けるという、お決まりの古臭い発想で教えているのが目に浮かびます。現在完了と「関連付けて頭に入れ」なければならないのは過去形であり、過去完了形ではありません。テンスとアスペクトの違いを理解させればよいのです。それこそが「前倒し学習」の名に値することです。

     

     

    あることばを学習する際に欠かすことのできないものがあります。そのことばが使われている「状況」と、具体的で豊富な「例文」です。おそらくこの先生の授業を受けた生徒は、「こどものころ、東京に住んでいたことがあるよ」という日本語を、I have lived in Tokyo when I was a child.と書くでしょう。そしてその間違いに気付きません。

     

     

    学習進度ばかりを気にする、中途半端な「前倒し学習」よりも、地に足のついた本質的な学習の方が重要です。そもそも、なぜ「前倒し学習」なのでしょうか。「大学受験に有利だから」というのが答えだとすれば、それはこどもたちを、条件反射的な動物に育てることを意味します。こどもたちを、目の前にぶら下げられたニンジンを欲しがるだけの馬にしてはなりません。

     

     

    英語の体系の中で「流れに沿った説明」をしようとすれば、現在完了形は過去形と対比しなければなりません。私の授業を一部ですが紹介してみます。ポイントがどこにあるかお分かりになると思います。

     

     

    まず以下の4コマ漫画を見てください。

     

     

    コボちゃんの動きに注目してください。同じような経験をしたことがあると思います。なくても、「状況」は一目で理解できます。コボちゃんのセリフは「しょうじはいちゃった、ハハハハ」だけです。英語は「I’ve put the paper screen on ! Ha-ha-ha」となっていますね。レレレとか言いながら、止まることができず、生々しい結果(笑)が残っていますね。こういうときに英語では I’ve put つまり have + put を使います。過去形で I put ということは生理的にできないのです。

     

     

    ではなぜ have を使うのでしょうか。私たちは毎日の生活の中で、いろいろなものを持ったり(所有)、経験したりしますね。have は、自分の生活圏・領域の中で所有したり経験したりすることをあらわすのです。

     

    例えば、

     

    I have a sister.

    Do you have this dress in a different color ? (このドレス違う色はありますか?)

    のhave は「所有」を表しますね。

     

    I had a walk around the lake this morning.(今朝、湖のまわりを散歩した)

    Did you have a good time ? (楽しかった?)

    のhave は「経験」を表していると言えます。今、have の意味をおおまかにつかんでいるところです。

     

     

    コボちゃんのセリフは「I’ve put the paper screen on !」でしたね。この中で使われている have もおなじです。「しょうじをはく」経験を、今したところだ、と言っているのです。その結果、障子がやぶれている、ヤバイ!というわけです。意識はあくまで現在にあります。過去を回想している場合ではないのです。

     

     

    あるいは、あなたのかわいい弟の太郎君がまたおねしょしたとしましょう。今その生々しい「地図」がシーツの上に残っています。英語では、Taro has wet his bed again ! と言います。つまり、現在完了では視点が常に現在に置かれているのです。

     

     

    現在完了にするか過去形にするかは、出来事をどう感じるか、視点がどこにあるかという意識の問題なのです。もう一つ会話を見てみましょう。

     

    兄:げ!台所の窓が壊れている!

    弟:えーと、僕がサッカーボールでやったんだよ。

     

    兄:Oh no ! Somebody has broken the kitchen window !

    弟:Er・・・I broke it with my soccer ball.

     

    もうお分かりでしょう。兄は今この瞬間、割れた窓ガラスを見て発言しています。意識は目の前にあります。一方弟は、同じ出来事を思い出しています。意識は過去にあります。だから過去形、というわけです。

     

     

    さて、「こどものころ、東京に住んでいたことがあるよ」という日本語を、I have lived in Tokyo when I was a child.と書くのがなぜ間違っているか分かりましたか。「こどものころ」とあるのですから、視点は過去にあります。「〜したことがある」という日本語につられて現在完了形にしてはなりません。I lived in Tokyo when I was a child. が正解です。

     

     

    最初に戻って「じゃあ、昔住んでいた人はどう表現するのかな」「I had lived!」「正解。過去完了って言います」は、ギャグです。「昔住んでいた人は」I lived と言うしかありません。

     

     

    過去完了はどうなるのか、ですって?どうでもいいです。この場合、過去完了は「流れに沿った説明」でも何でもありません。あなたが将来小説家になりたければ、そして英米の作家の小説を村上春樹氏のように読みたければしっかり勉強して下さい。いつかブログでも取り上げます。暇があったら。

     

     

    最後に一言。普通の公立中学であれ、公立中高一貫校であれ、私立のそれであれ、優れた教師と学習意欲にあふれた生徒がいれば、どんな環境でも教育は成り立つというのが私の考えです。あたりまえですね。

     

     

    公立中高一貫校の教師たちは、中身よりもどれだけ「前倒し学習」の実績を挙げるかだけが問われるようになってくるでしょう。上の記事で見たように、現にそうなっています。

     

     

    「公立中高一貫校では、中1の秋から高校の学習内容を教え始めるんだ」と知って「教育熱心」な親は焦るでしょうね。自分の子が「前倒し学習」の犠牲になり、やる気をなくすことなど想像できないのです。中身のないバカげたブランド志向はもはや完全に時代遅れなのだということを肝に銘じるべきです。

    | 中高生の皆さんへ | 11:58 | comments(0) | - |
    建築家−故・林雅子自邸
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      世の中にはいろいろな建築家がいます。あまりに先鋭的・抽象的・前衛芸術的な建築は私の体質に合いません。生活感のないミニマリストが設計した空間もだめです。家の中が乱雑に散らかっていても、それを許容・包容できるだけの空間が望ましいですね。私の興味の対象が美術館や公共建築物ではなく、あくまで住宅に向かうのはそういうところに理由があるのです。

       

       

      ですから、写真雑誌の撮影のためにきれいに片づけられた空間を見ると、肝心の生活はどこに行ったのだろうと思うのです。生活者のための住宅ではなく、建築家の才能(95%はモノマネですが)を開陳する場になっては元も子もありません。そんな建築家の「作品」の中に住むのはご免こうむりたいですね。

       

       

      あるいは、見るからに潤沢な資金力にものを言わせて建てた住宅には、どこか品がありません。これはひがみではありません。私の勝手な印象かもしれませんが、資金不足を何とか創意工夫と建築家の情熱で乗り切った建築には、その格闘の跡が残されていて、全体のたたずまいを上品にしています。人間と同じではないでしょうか。

       

       

      お前の話は抽象的過ぎる、もっと具体的に語るべきだという声が聞こえてきそうです。その通りですね。私の好きな建築家の幾人かについては、これまでブログで述べてきましたが、ピーター・ズントー、アルベルト・カンポ・バエザ、カルロ・スカルパをはじめとして、まだまだ紹介しきれていません。槇文彦や谷口吉生の建築の気品についても同様です。

       

       

      潤沢な資金力にものを言わせて建てた住宅はどこか品がないと言いましたが、もちろんそれは建築家の力量不足が資金力によってカバーされているからです。逆に資金力があってもそれに左右されず、独自の質をともなった住宅を設計できる建築家もいます。その一人が今回紹介する故・林雅子氏です。

       

      故・林雅子氏・自邸

       

       

       

      私は建築雑誌を通じて、氏の設計した住宅を見てきました。数件だけですが実物を見る機会もありました。その中で気に入ったのが、国立にある「ギャラリーをもつ家」であり、なんといっても氏の自邸です。「ギャラリーをもつ家」はバブルがはじけて売りに出されました。それを中古住宅で買ってリフォームしたのが建築史家の村松伸氏です。そのうち「中古住宅に住む」と題してブログに書く予定です。

       

       

       

      今回は、空間の構成の仕方や開口部の取り方、庭のようすをはじめとして、私がさまざまなインスピレーションをもらった林雅子氏の自邸を見てもらうことにします。コメントはしません。百聞は一見にしかず、です。この空間の質はどうやったらできるのか、それについて考えをめぐらせ、感じ取っていただければ幸いです。

       

       

      玄関から入って左手を見ると、この居間と庭が広がる。思わず息をのむ美しさです。

       

       

      居間から食堂を望む。

       

       

       

      | 自己救済術としての家作り | 12:22 | comments(0) | - |
      私の古寺巡礼 2− 奈良・当麻寺
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        世阿弥といえば『風姿花伝』が思い浮かびますが、能の『当麻』も小林秀雄の「美しい『花』がある。『花』の美しさといふ様なものはない」という文句で有名になりました。その『当麻』の舞台となったのが当麻寺です。

         

         

         

         

         

        『当麻』は、能の成立した中世において信仰の対象となっていた、中将姫(ちゅうじょうひめ)にまつわる説話をもとにして書かれた能です。話の大略は以下のようなものです。

         

         

        ― 奈良時代。「横佩(よこはぎ)」とあだ名された右大臣・藤原豊成(ふじわらのとよなり)には、一人の娘がいました。中将姫です。彼女は幼い時に生母と死別し、その後は豊成が迎えた後妻に養われていました。ところが、姫にとって継母(ままはは)にあたるこの後妻は、自分が産んだ子を愛する余り、姫を疎ましく思い、姫が淫乱であるなどと偽って夫に告げ口します。激怒した夫は、都から遠く離れた雲雀山(ひばりやま)の地で姫を処刑するよう家臣に命じるのです。しかし家臣は姫を殺すに忍びなく、主人には殺したと偽って、姫の乳母と協力し、姫を山中に匿います。

         

         

        やがて疑いは晴れ、姫は父のもとへ帰ります。しかし、生来信心深かった上にこのような体験を経て世の無常を悟った姫は、世俗の栄誉に興味を示さず、二上山に草庵を建ててそこに籠もり、『称讃浄土経』を読誦して阿弥陀仏を念じる日々を過ごしていました。

         

         

        そんなある夜、姫のもとに一人の老尼が現れ、「阿弥陀の世界を拝みたければ、たくさんの蓮の茎を集めよ」と言います。姫が茎を集めてくると、尼は茎から蓮の繊維を取り、糸をつむいでゆきます。そうして、尼が井戸を掘り、つむいだ蓮の糸を濯ぐと、糸は自ずと五色に染め上がりました。

         

         

        その日の夕方、今度は一人の女が現れ、その糸を請い受けると、それを機(はた)にかけ、極楽浄土の様子を織り上げてゆくのです。そうして、わずか一晩で光輝くばかりの曼荼羅を織り上げると、女の姿は消えてしまいました。

         

         

        老尼は完成した曼荼羅を姫に与えると、「私は西方浄土の主であり、先刻の女はその侍者である観音菩薩なのだ」と明かし、西の空へと消えていったのです。その後、仏の道を保ち、清らかな行いを貫いた姫は、極楽浄土に往生することができたのでした。―

         

         

        能『当麻』を見た小林は次のように書きます。

         

        「白い袖が翻り、金色の冠がきらめき、中将姫は、未だ眼の前を舞っている様子であった。それは快感の持続というようなものとは、何か全く違ったもののように思われた。あれは一体何だったのだろうか、何と名付けたらよいのだろう、笛の音といっしょにツッツッと動き出したあの二つの真っ白な足袋は。いや、世阿弥は、はっきり当麻と名付けたはずだ。してみると、自分は信じているのかな、世阿弥という人物を、世阿弥という詩魂を。突然浮かんだこの考えは、僕を驚かした。」

         

         

        「中将姫のあでやかな姿が、舞台を縦横に動き出す。それは歴史の泥中から咲き出た花のように見えた。人間の生死に関する思想が、これほど単純な形を取り得るとは。僕は、こういう形が、社会の進歩を黙殺し得た所以を突然合点した様に思った。要するに、皆あの美しい人形の周りをうろつく事が出来ただけなのだ。あの慎重に工夫された仮面の内側に這入り込むことは出来なかったのだ。世阿弥の「花」は秘められている、確かに」

         

        能・『当麻』

         

         

         

        「音楽と踊りと歌との最小限度の形式、音楽は叫び声の様なものとなり、踊りは日常の起居のようなものとなり、歌は祈りの連続のようなものになってしまっている。そして、そういうものが、これでいいのだ、他に何が必要なのか、と僕に絶えず囁いている様であった。音と形との単純な執拗な流れに、僕は次第に説得され征服されて行くように思えた。」

         

         

        ちなみに、この物語に登場する曼荼羅は、現在でも当麻寺の本堂にかけられており、信仰を集めています。(ただし劣化のため、通常は室町時代に作られた模本がかけられています。)

         

         

         

         

        歴史的には、この曼荼羅は中国で制作されたものと考えられ、素材も蓮の糸ではなく錦の綴織(つづれおり)であったことが判明していますが、中世に浄土信仰が盛んになって以来、中将姫のために阿弥陀仏と観音菩薩が作り上げた(あるいは姫自身が作ったとする伝承もあります)、奇跡の曼荼羅として信仰を集めてきました。

         

         

        曼荼羅には、中央に大きく極楽浄土の様子が描かれ、また周縁部には『観無量寿経』の所説に基づいて、浄土を脳裏に思い浮かべるための瞑想法や、この経典が釈迦によって説かれたときのエピソードなどが描かれており、まさしく、一心不乱に浄土を念じるという信仰を体現する構図となっています。この奇跡の曼荼羅の完成にまつわる物語として、『当麻』は描かれているのです。

         

         

        ところで、中将姫が草庵を建てて籠もったのは二上山の麓でした。そう、ブログで紹介したトコちゃんの住んでいるところです。数年前、当麻寺を訪れたとき、もしかするとトコちゃんとすれ違っていたかもしれませんね。縁は異なもの、というのはどうやら本当のようです。

        | 古寺巡礼 | 23:43 | comments(0) | - |
        私の古寺巡礼1− 滋賀・教林坊
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          旅行会社のコマーシャルではありませんが、これから京都、奈良、滋賀へ旅行する計画を立てている方へ、私の個人的なお勧めスポットを紹介します。実際行ってみたけど、お前の紹介したところはちっとも面白くなかった、という感想もあるでしょう。あくまで「個人的な」お勧めスポットだということをご承知ください。

           

           

          でも、もしあなたがかなりの審美眼の持ち主であり、歴史に虚心に向き合うことのできる人なら、気に入るはずだと確信しています。

           

           

          要するに、情報満載の旅行会社の雑誌には載っていない、out of the way spot というわけです。目的地周辺のランチ情報などには関知しません。食べるところがなければ、空腹のままでいいではありませんか。一日一か所か二か所をじっくり見て回ることをお勧めします。私はそうやってここ十年以上してきました。

           

           

          そうは言っても、私が紹介するのは、誰も知らないマイナーな場所ではありません。それどころか一度は名前を聞いたことのある場所です。さすがに、滋賀県の山寺、教林坊(滋賀県近江八幡市安土町にある天台宗の仏教寺院)を訪ねた方は少ないかもしれませんが。いずれにせよ、記憶をたどって、心の向くままに紹介していきます。

           

           

          最初に滋賀県の教林坊を紹介します。その後で、奈良、京都、滋賀の順に巡っていきます。今回は番外編ということで。

           

          教林坊入口

           

           

          教林坊庭園(小堀遠州作)

           

           

           

           

           

          なるほど、京都にも捨てがたい魅力がありますが、個人的には琵琶湖周辺(湖北や湖東)や奈良の方が好きです住むとしたら京都は遠慮したいですね。学生時代に住んでいましたが、夏暑く、冬寒い気候が私には合いません。

           

           

          京都から奈良に行くと、陽光の質も違います。パリから南仏アルルに移り住んだのが転機となって、ゴッホの才能が一気に花開いたのは、南仏のあふれる光と豊かな自然のせいだと私は思っています。「人は死ぬためにこの街へやってくる」と詩人が書いた、パリの陰鬱な空気から解放されたのです。

           

           

          話を元に戻しましょう。教林坊を知ったのは白州正子かくれ里』を読んだからです。「石の寺・教林坊」として紹介されています。近江八幡市から車で30分くらいの山里にあります。道を間違えたのかなと不安になるような場所です。道案内の看板すらありませんでした。ごく普通の人家が点在している中を、細い道をたどってやっと着きました。観光地の喧騒はまったくありません。

           

           

          私はそういう場所が好きなので、電車やバスを利用できません。タクシーを利用するにはお金がかかりすぎます。そういうわけで車ということになります。駐車場に止めてある大分ナンバーの自分の車を見ると、ずいぶん遠くまで来たなあと感心します。モノ好きな人間もいるものだ、と。

           

           

          教林坊駐車場には車が数台ありました。そこから細い道をかなり歩きます。さすがに山寺です。庭園と紅葉のすばらしさは言うまでもありませんが、室町時代作とされている木造釈迦如来坐像を見たとき、私は初めて、心の底から手を合わせたい気持ちになりました。母親が死んで間もなかったからでしょうか。

           

           

          うんざりするほど仏像を見てきましたが、こんな経験は初めてです。この釈迦如来坐像は室町時代の健康な色気さえ漂っているように見えました。写真撮影が禁止されていたので、しっかり記憶にとどめようと、しばらくの間、正対しました。

           

           

          右側の建物に釈迦如来坐像が安置されている。左側の大きな石を回り込むと、下の画像になる。

           

           

          教林坊は、推古十三(605)年に聖徳太子によって創建されました。寺名の『教林』とは太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩と、ご本尊を祀る霊窟が残され、『石の寺』と呼ばれています。ご本尊は太子自作の石仏で、赤川観音と呼ばれています。難産を帝王切開によって助けたという安産守護の言い伝えがあります。

           

           

           

          拝観の後、もう二度と来ることはないだろうと思いながら、登りで疲れた足をひきずって長い坂道を下りました。途中、立ち止まって振り返りました。紅葉した教林坊の裏山は燃えているようでした。その山を背景にして、別れてきた釈迦如来坐像がほほ笑んでいるような気がしたのです。

          | 古寺巡礼 | 00:03 | comments(0) | - |
          『蘇我馬子の墓』から二上山のふもとへ
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            前回のブログで小林秀雄の『蘇我馬子の墓』について触れました。その末尾に出てくる大和三山とは、畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)・天香久山(あめのかぐやま)を指します。万葉集や和歌にも詠われていますね。どれも標高150mから200mに満たない、山というよりも丘陵地と言った方がいいような風情です。

             

             

            大和三山に囲まれた平野部分には、古代の都・藤原京の中心であった藤原宮(ふじわらきゅう)が造営されていました。その際には、大和三山の位置が重要な立地条件になったと考えられています。


            香具山(標高152.4m・藤原宮跡から

             

             

            畝傍山(標高199.2m・藤原宮跡から

             

             

            耳成山(139.7m・藤原宮跡から

             

             


            京都もいいですが、奈良のどこか開けた明るい雰囲気が好きですね。私は昔、奈良県の生駒市で、小学生と中学生の姉妹の家庭教師をしていたことがあります。先月、たまたま私の誕生日に、妹のトコちゃんからメールをいただきました。三十数年ぶりです。四十歳を越えた妙齢の女性に、トコちゃんと呼びかけるのは恥ずかしいのですが、私の記憶の中のトコちゃんは小学生の時のままです。

             

             

            ブログを書き始めたおかげで、うれしいというか、なつかしいというか、こんな再会もあるのだと感慨しきりです。それ以来、十回以上にわたって、トコちゃんとメールのやりとりをしています。芯の強い、それでいてユーモアのあるトコちゃんからのメールが、今では、楽しみになりました。まだ二十代半ばだった私の話を細部まで本当によく覚えていて、こちらが恥ずかしくなります。

             

             

            彼女は今、奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる二上山のふもとに住んでいるそうです。タヌキやイノシシもよく出没するそうです。ネットで検索してみると、素敵な場所です。できたら老後はこんな場所で過ごしたいと思いました。もちろん、斜面に吉村順三の軽井沢山荘のような小屋を建てて。

             

            タヌキの、いや、トコちゃんの住んでいる二上山のふもとこれが日本の原風景ですね。私が住んでいる所もこんな感じです。運命に導かれるようにしてそこへ帰ってきました。

             

             

            軽井沢山荘。私が家作りをする際に、最も参考にした建物です。ルイス・カーンのエシェリック邸と同様に、見事なプロポーションです。いっしょに見に行った妻は、「資材置き場?」と一言。私は取り合わず、写真を撮り続けました。

             

             

            山荘の内部から見た風景。正面に見えるのはもみの木。吉村はこの木を中心にして山荘を設計したそうです。

             

             

             

            そこへトコちゃんが時々差し入れを持ってきてくれます。ワインとピザでランチをして、少しウトウトします。昼寝から覚めて、美味しいコーヒーを淹れます。彼女を見送りながら後ろ姿を追いかけていると、なんとタヌキに変わっているではありませんか。ころころ転げるように坂道を下って行きました。今頃は気持ちのいい穴蔵ですやすや眠っていることでしょう。私は可愛らしいタヌキとランチをしていたのです。

            | 自己救済術としての家作り | 14:55 | comments(0) | - |
            思想とは「好み」のことである
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              私にとって思想とは体系だった理論でもなければ、イデオロギーでもありません。それは年月とともに変化しますが、日々の生活の中で思わず選んでしまう色合いや手触り、独自の質を持つ黙想的な空間、人々の記憶から忘れ去られている人気もまばらな場所、あるいは食材、ようするに私の身体的な記憶と切り離すことのできないものです。

               

               

              今日のわが家の中庭。枯葉が散って、荒涼とした空気感が漂っています。いい季節です。ここで飲む朝のコーヒーは格別です。

               

               

              前庭のはなみずきも色づき始めました。

               

               

              玄関を出て、すぐ右に見えるカツラの巨木。高さ8mはあります。植えた時は私の背丈ほどでしたが、大きくなりました。秋が深まると黄色に染まります。手前はハナカエデ。通称「花の木」と呼ばれています。希少種なので枯れるかなと思ったのですが、もう10年ほどになります。真っ赤に紅葉します。

               

               

              以前ブログでも書きましたが、琵琶湖の北、竹生島が見える辺りの晩秋の荒涼とした風景が好きです。なぜかと言われても、明確に答えることができません。それが「好み」だと答えるしかありません。

               

               

              「好み」はもともと解釈を拒絶しています。説明もできません。たとえば茶道に関して茶人が言ったこと、やったこと、選んだことは、一人の人間から発しているので、人格によって統御されていると思われがちですが、実は支離滅裂なものです。しかし、それを集合化された無意識だと考え、体系化したのが「道」という東洋人が発明した便利なことばだったのかもしれません。

               

               

              普通、「好み」は個人的な趣味の領域だと思われています。しかし、それなら、なぜ秀吉は利休に切腹を命じたのでしょうか。秀吉は一見すると政治とは無縁に見える利休の趣味が、じつは最も政治的なものであることを感知していたからです。切腹や斬首に追い込まれた茶人たちにとって「好み」とは、そのままラディカルな意志であり、命をかけるほどの「思想」だったのです。

               

               

              そもそも日本文化が生み出した「思想」とはどのようなものだったのでしょうか。そのことについて私は以前ブログで触れています。

               

              『私たちはどこへ行こうとしているのか。』

              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=93

               

               

              そんなことを考えていると、突然、小林秀雄の「蘇我馬子の墓」というエッセイを思い出しました。中身は忘れたのですが、そのタイトルから強いインスピレーションを受けていたのでしょう。さっそく全集をひっくり返し、目次をたどると第八巻にありました。そして数十年ぶりに読み返したのです。その末尾を読んで衝撃を受けました。小林はとっくの昔に書いていたのです。しかも私はそこに傍線まで引いています。長い旅をして、ようやく出発点にもどって来たような気がしました。

               

               

              小林秀雄全集第八巻『蘇我馬子の墓』

               

               

              「私は、バスを求めて、田舎道を歩いて行く。大和三山が美しい。それは、どのような歴史の設計図をもってしても、要約のできぬ美しさの様に見える。万葉の歌人等は、あの山の線や色合いや質量に従って、自分たちの感覚や思想を調整したであろう。」

               

               

               

              | 自己救済術としての家作り | 11:58 | comments(0) | - |
              「前置詞+関係代名詞」および世界認識について
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                まず残っていた第7問の解説をします。空欄には前置詞が入ります。

                 

                7:The first name (    ) which a child makes conscious use may be compared to a stick (    ) the aid (    ) which a blind man gropes his way.

                 

                そもそも英語は左から右に読むものです。参考書や学校の授業などで、後ろから前の名詞や動詞に矢印をひっかけている図や板書を見ますが、あれは英語を日本語の発想で読むことを教えているのです。川の水が上流から下流に流れているのを堰止めているようなものです。論理を逆流させているわけです。これを逆茂木(さかもぎ)型の解説といいます。逆茂木とは、敵の侵入を防ぐために、先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べ、結び合わせた柵(さく)のことです。画像をご覧ください。

                 

                 

                 

                日本語の文章は逆茂木型の文章だと言われています。つまり、枝葉末節なことから始まり、最後まで読まなければ何を言いたいのかよくわからないような文章のことです。

                 

                 

                英語は中心となる情報を最初に提示し、その後で補足情報や詳細な情報をつけ加えて行くことばです。いわば話者に立証責任を負わせているのです。逆茂木型の日本語の発想で読めば時間がかかるのは当たり前ですね。これではいつまでたっても英語をスピード豊かに読むことはできません。

                 

                 

                そもそもリスニングは聞こえてくる順番に理解していかなければなりませんね。ということは、英文を読む場合も左から右へ、ドミノ倒しのピースが倒れるようにスピード感をもって読まなければならないのです。

                 

                 

                第7問の文章を見て下さい。 The first name (    ) which a child makes conscious use may be compared to a stick (    ) the aid (    ) which a blind man gropes his way.

                 

                 

                最初に The first name (    ) が目に飛び込んできます。この時点で (    ) に何が入るか分かる人はいません。The first name (    ) which まで読むと(   )には前置詞が入るだろうと予想できます。「予想なんかできるわけないよ」と思っている人は、それは英文を緻密に読むという経験が不足しているからです。能力の問題ではありません。

                 

                 

                次に、The first name (    ) which a child makes conscious use まで読むと、makes conscious use の中に make use of 〜で「〜を利用する、使う」というコロケーションが入っていることに気づきます。そして(   )に of を入れることができるのです。これまで何度も説明してきた文末の熟語型ですね。

                 

                 

                ここまでがこの文の主語です。すなわち名詞のカタマリです。文の主語になれるのは名詞ですからね。「ここまで」が主語だと判断できるのは、次に助動詞を含んだ may be compared があるからです。この部分がこの文の心臓部、すなわち述語動詞だというわけです。

                 

                 

                ここまでの意味は「こどもが意識的に使う最初の名前は、たとえられる」となります。「えっ、いったい何にたとえられるんだ?」と思って次を読むと、to a stick が目に入ります。「はは〜ん、杖にたとえられると言いたいんだな」とわかります。

                 

                 

                次に「どんな杖にたとえられるんだろう」と疑問がわいてきますね。そして次を見ると、(    ) the aid (    ) which a blind man gropes his way. と続いているのを見てパニくるのです。「な、な、なんじゃ〜これは?」などと言って。でも心配ご無用。英語は語順が命のことばです。つまり、語や語のカタマリがどのような順序で並んでいるかを解き明かせばいいのです。そのためには、どこで区切るのか、が重要になってきます。

                 

                 

                 

                例えば「ココデハキモノヲヌイデクダサイ」という文はどこで区切りますか。区切り方によっては「ここで、はきものを脱いで下さい」とも取れますし、「ここでは、着物を脱いで下さい」とも取れるわけです。この区別はどこでするのですか。意味を考えて区別するのですか。違います。この区別は2歳くらいの赤ちゃんの方ができるでしょう。なぜなら、赤ちゃんは「音」で意味を認識しているからです。「ココデハ」の「ハ」と、「ココデ、ハキモノヲ」の「ハ」は音がちがいますね。

                 

                 

                ついでにもう一つ。「いや、よして!」は区切り方によっては「いやよ、して!」ともなります。何だか危なくなってきそうなのでこれでやめておきます。

                 

                 

                つまり、(    ) the aid (    ) which a blind man gropes his way. というカタマリは(    ) the aid (    ) which と a blind man gropes his way.とに分けられる、ということが理解できなければなりません。

                 

                 

                関係代名詞の解説で僕が言ったことを思い出して下さい。関係代名詞は二つの文をつなぐ方法の一つだと教えられてきましたが、それはミスリーディングですね。むしろ代名詞としての働きの方が重要だと言いました。先行詞を代入することを忘れない!ということです。

                 

                 

                そこで、(    ) the aid (    ) which a blind man gropes his way.の部分は「杖」の説明だったことを思い出して下さい。そこで which に a stick を代入します。 (    ) the aid (    ) a stickとなります。同時に a blind man gropes his way.の意味を考えます。意味と形は同時進行!です。「盲目の人が手探りで進む」には「杖の助け」が必要だ。だから「杖の助けによって」の意味だから(by)the aid(of)whichとなるはずだ、と考えればよいのです。

                 

                 

                語順訳は「こどもが意識的に使う最初の名前は、にたとえられる。どんなかというとね、そのの助けによって、盲目の人が手探りで進む時の、あののことだよ」となります。この語順訳の中には「杖」ということばが4回出てきます。これこそが関係代名詞が代名詞たるゆえんなのです。

                 

                 

                前にも言いましたが、感覚的には次のような感じです。ジョギングしている途中、踏切にさしかかり、遮断機が下りてきます。そこで走るのをやめて立ち止まるのではなく、その場で足踏みをします。遮断機が上がると再び走り始めるという、あの感覚です。わかってもらえたでしょうか。

                 

                 

                ところで、「この文章の構造は分かったけれど、なんだか意味がいまいちわからないなあ」「こどもが意識的に使う最初の名前が、盲目の人の杖と一体どんな関係があるんだろう」と考えている人もいるでしょうね。

                 

                 

                それは僕たちが世界をどのように認識していくかということに関係しています。生まれて1年間くらいは、赤ちゃんにとっては、世界は未分化のままです。つまり自分と自分を取り巻く世界の区別がついていません。

                 

                 

                ヘレン・ケラーが「water!」と叫ぶシーンは感動的ですね。それは自分と外の世界が分化された瞬間なのです。つまり、モノに名前をつけることによって、自分と世界が区別され、自分という認識の主体が立ちあがるのです。それは盲目の人が杖によってモノの存在を認識することに似ていますね。これがこの文章の意味です。語学的理解に精神的・文化的理解がともなって初めて、文の意味は確定されるのです。

                 

                 

                最後に、僕は10月7日のブログ、

                「映画『ROOM』・人は世界とどう向き合うのか」の中でこのことに触れています。

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=246

                第7問の解説をしようと思ったときに、この映画を思い出したのです。

                 

                 

                狭い「部屋」に閉じ込められていたこどもが、朝起きると部屋の中にある「モノ」一つ一つの「名前」を呼び、それに「おはよう」とあいさつするシーンでこの映画は始まります。それは世界認識の最初の場面です。

                 

                 

                そして現実の世界に直面したとき、主人公のこどもは「scared!」と叫びます。現実の世界に直面することは、本質的に怖いことなのです。しかし、僕たちはことばの力によって、幽閉された世界から脱出することができます。さらに自分のことばをもつことによって、孤独からも解放されるのです。

                | 英語教育 | 13:16 | comments(0) | - |
                「美しい国」の論理
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                  10月11日の参院予算委員会で、驚くべき論理が使われているのを目にしました。それは論理と呼ぶにはあまりにお粗末なもので、聞いていて恥ずかしくなるほどでした。しかもそれを駆使しているのがわが国の防衛大臣であり、総理大臣なのですから、開いた口がふさがりません。反知性主義などという代物ですらありません。

                   

                   

                  そもそも、国会における質疑は当然のこととして、私たちがなるべく論理的に話そうとするのは、自分の意見を相手に理解してもらおうと考えているからです。したがって、自分たちの意見を相手に強権的に呑み込ませようと考えている人間が論理的に破綻するのは当然です。

                   

                   

                  そこで使われている論理もどきのものをどう呼べばいいのか考えました。そして「『美しい国』の論理」と名づけることにしました。その具体的な使用法を見てみましょう。

                   

                   

                  南スーダンの首都ジュバでは7月、270人以上が死亡する武力衝突が発生し、自衛隊宿営地の隣にあるビルでも銃撃戦が起きています。さらに10月8日、首都ジュバから100キロほど離れた幹線道路で武装グループが市民を乗せたトラック4台を襲撃。21人が死亡、約20人が負傷しています。この政府軍と反政府側の大規模な武力衝突について、民進党の大野元裕氏は「(政府軍と反政府側の)戦闘ではなかったのか」と稲田防衛大臣に質問しました。

                   

                   

                  稲田氏は「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷しまたは物を破壊する行為」とした上で、南スーダンの事例は「こういった意味における戦闘行為ではない。衝突であると認識している」と回答しました。これに対し、大野氏は「戦闘ではなかったのか」と再三にわたって質問、途中、審議が中断する場面もありました。あたりまえですね。

                   

                   

                  私は以前ブログで安倍政権は妄想集団だと述べました。つまり、「ある」ことを「ない」と言い、「ない」ことを「ある」と言うのですから。「戦闘行為」を「衝突」と言い換えて、現実に発生している戦闘行為をないと言っているのです。しかも、稲田氏は現地を訪問した後、このような答弁をしているのです。

                   

                   

                  弁護士や政治家になるには、現実から目をそらし、自分の都合のいいように話をでっち上げる「能力」が必要とされるのでしょう。アメリカでは、最も信用できない職業の第一位が弁護士です。まさに人間は見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞く生き物だと痛感します。

                   

                   

                  どんなに現実を突きつけられようと、稲田防衛大臣にとっては「衝突はあっても、戦闘行為はないのよ!」「戦闘行為は、あってはいけないことになっているの!それを認めたら自衛隊を撤収しなければいけなくなっちゃうじゃないの!国を守るということは、人命を犠牲にして初めてなしとげられることなんだからね!」「どうしても、自衛隊員には犠牲になってもらわなくっちゃ困るの!」「アメリカ様にも約束したし、そのために総理が所信表明演説でスタンディングオベーションを要求したんだから!まるで北朝鮮じゃないの!あっ、これは失言よ。書いちゃ駄目だからね!書いたらどんなことになるか、わかってるわよね!」ということのようです。

                   

                   

                  やれやれ、「『美しい国』の論理」の本領発揮です。そしていよいよ晋打ち(ギャグです)の登場です。いわく「『戦闘』をどう定義するかということに、定義はない。『戦闘行為』はなかったが、武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった。われわれは、いわば一般的な意味として『衝突』という表現を使っている」

                   

                   

                  はあ〜?なぬ〜?ヌルフフフ〜(『暗殺教室』の「殺(ころ)せんせー」の口ぐせです)。私は塾で生徒に英語を教えていますが、「言って間違いは、書いても間違い。書いて間違いは、言っても間違い」と口を酸っぱくして言います。日本語を英語に訳すとき、英語の論理で意味が通るように日本語を翻訳させます。意味の通る英文を書くためには、和文和訳が前提になるのです。

                   

                   

                  ところで、この「晋打ち」さんの日本語を英語に訳すことはできません。日本語の意味が不明だから、適切な日本語に翻訳するという段階でつまずいてしまうのです。

                   

                   

                  自分たちに都合が悪くなると、前提となっているPKO5原則をねじ曲げるために、定義を変更する。これほどヌルフフフ〜で卑怯な脱法行為はありません。いわゆる「白紙領収書」の件でも安倍政権の閣僚たちは同じ手法でごまかしていますね。

                   

                   

                  しかし考えてみれば、安倍政権は、内閣法制局長官の首をすげ替えるなどしてこれまで積み重ねてきた法解釈を強権的・脱法的に変更してきたのです。つまり詐欺師の集団なのです。それを支持し、許し、崇拝さえしているのは誰か?時代の変わり目に権力に迎合した大衆が垣間見せるヌエのような精神文化を見せつけられて、心暗くならない人間がいれば幸いなるかなです。

                   

                   

                  (ヌエ:伝説上の怪獣。頭はサル、手足はトラ、体はタヌキ、尾はヘビの形をし、声はトラツグミの鳴き声に似るという。正体のはっきりしない人物、行動。)

                  | 政治 | 18:28 | comments(0) | - |
                  「総統閣下は意外とまともです!」なんちゃってシリーズ
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                    ※追加記事あり

                     

                    以下の動画は、挙げられている数字も正確で、パロディーとしてよくできています。総統閣下は意外とまともです。特に「白紙領収書」問題に関する総統閣下の認識は、稲田防衛大臣や菅官房長官、高市総務大臣よりもよほどまともですね。いまさら言ったところで手遅れですが、もはやこの国は法治国家の体をなしていません。

                     

                     

                    「白紙領収書」問題をはじめとして、国民の生活や命にかかわる大問題を、NHKを始め、大手メディアはできるだけ報道しない方針を固めています。報道すれば政権に大きなダメージがあると考えて「忖度」しているのでしょう。

                     

                     

                    しかし、それは杞憂というものです。私は5年前に、この国の政治の屋台骨はとっくの昔に折れていたと断言しました。大手メディアがいくら報道したところで、国民の多くはパンとサーカスにしか関心はありません。政権がひっくり返ったりしません。

                     

                     

                     

                     

                     

                    そもそもこの事実を報道しなければという切迫した使命感を持っているメディアやジャーナリストはこの国には存在しなくなりました。彼らにとっては民主主義も法の支配も単なる飯のタネにすぎません。メディアが報道しないことの中に、私たちが知らなければならない情報があるという倒錯的な状況になっています。国民は「絶望する」ということを知らなければなりません。

                     

                    ここから追加記事

                     

                    こんな若者が一人でも多く出てきてほしい。Think outside of the box.「箱」の外で考えてほしい。そして、そこで得た経験を糧にして「箱」の中で生きることは、決して悪いことではありません。

                     

                    http://www.manazooooo.com/entry/2016/10/09/171855

                     

                    一方で、Financial Times は、高橋まつりさんの過労自死にも触れて、次のような見出しをつけています。

                     

                    Japan’s ‘karoshi’ culture still produces dangerously long work hours

                    A fifth of companies admit employees clocking at least 80 hours overtime a month

                     

                     

                    | 政治 | 09:28 | comments(0) | - |
                    映画『ROOM』・人は世界とどう向き合うのか
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                      私は、人生のかなり早い時期から、ある問いを持ち続けています。それは、人間が生まれ、意識とことばを手に入れ、世界と向き合うということはどのようなことか、という問いです。

                       

                       

                      高校時代に小林秀雄に出会い、深い影響を受けました。なぜなら、彼こそが生涯をかけてこの問題に取り組んでいた人間だったからです。そのことは『未来塾通信41』http://www.segmirai.jp/essay_library/essay041.htmlにも書いています。

                       

                       

                      ですから、意識するしないにかかわらず、この問いと向き合うことを避け、ストーリーだけで読ませる小説や映画は私にとっては単なるエンターテインメントで、あまり印象に残りません。SFXを駆使して作られるハリウッド映画は時間がもったいなくて見る気がしません。『シンゴジラ』も安っぽいメタファー以外の何ものでもありませんでした。実に中途半端な終わり方で唖然としたのです。

                       

                       

                      それに比べて、今年の8月、大分のシネマ5で見た映画、『ROOM』はとても面白かったですね。今はDVDで見られます。

                       

                       

                       

                       

                      これはある部屋の話です。5才の男の子がその部屋で目覚めるところから始まります。ジャックという男の子で、女の子と区別がつかないような金髪のかわいい子です。その部屋は10平方メートルぐらいの部屋で、窓がひとつしかありません。しかも天井についている天窓だけです。そこからは、空しか見えません。

                       

                       

                      ジャックは生まれてから5年間、ただの一度もその狭い部屋から出たことがありません。ドアはありますが、重い鉄の扉で、ジャックは開いたところを見たこともありません。母親からは『この部屋の外には何もないんだ』とずっと教えられています。この部屋だけが世界の全てで、外には何もないんだと。

                       

                       

                      ただ、その部屋にはお風呂もあるし、水道も電気もテレビもあります。でも母親は『そこに映っているものは存在しないんだ』と言って聞かせます。一方で、ちゃんとこどもに本を読ませたり字を書かせたりして、熱心に教育をしています。

                       

                       

                      実は、母親のジョイは19才の時にニックという男に誘拐されて、彼が庭に作った小屋に監禁されて7年になるのです。ジャックはその男との間にできたこどもなのです。にもかかわらずこの凄惨な映画が、単なる監禁ものに堕していないのは、すべてが5歳のこどもの視点から描かれているからです。

                       

                       

                      5歳のこどもに感情移入することで、観客に、初めて世界を知っていく過程を、非常にわかりやすく追体験させます。世界が新鮮な、驚きの連続で広がっていきます。『あっ、世界ってこんなに素晴らしかったんだ!』ということを観客に改めて認識させるんですね。

                       

                       

                      ネタバレになるといけないので、ディテールについては割愛します。ただ、部屋から脱出することに成功した後、母親のジョイは世間の好奇の目にさらされて、精神的に追い詰められ自殺未遂を犯します。

                       

                       

                      無理もありません。人生のいちばん大切な19才からの、7年間を失っているのです。これからどうして生きていったらいいのか。世間の人間は皆、敵に見えます。人を本当に愛せるかどうかもわかりません。このあたりの描き方もすばらしい。なんだか切なくなってきますね。

                       

                       

                      こどもの生は未来に向かってどんどん開いていきます。閉じ込められていたため、世界を知らなかった人間が世界に目覚め、世界を知っていく。しかし、母親は部屋を脱出した後も、精神的には「部屋」から抜け出せません。

                       

                       

                      この映画はメタファーとしても成功していると思います。私たちは、社会的なシステム、特に会社や学校という「部屋」に監禁されているのではないのか。その世界がすべてで、その中で自己形成をしなければならなかった人間が、果たしてその「部屋」を相対化し、自由を獲得できるのだろうか、という問いを発しているように思えました。しかもその問いに対するヒントもちゃんと描かれています。

                       

                       

                      ことばと意識の関係など、この映画に触発されて考えたことを書き出せばきりがありません。書きたいことは山ほどあるのですが、長くなるのとネタバレになるのでがまんします。興味のある方は、是非映画をご覧ください。

                       

                      | 読書・映画 | 16:37 | comments(0) | - |
                      前置詞+関係代名詞の解説−その2
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                        前回の続きです。第2問以下の解説をしておきます。

                         

                        2:We were amazed at the rapidity (     ) which he learned to speak Japanese.

                         

                         

                        前半の文、We were amazed at the rapidity は「私たちはその速さに驚いた」という意味ですね。そして、左から読んで「どんな速さかというと」(which はもともと疑問代名詞ですからね。根底には疑問の意味があるのです)「彼が日本語を話せるようになった速さのことだけど」と続けて、rapidity を聞き手(読者)との間で特定しています。もちろんその働きをしているのは the です。

                         

                         

                        ここで注意しなければならないのは、(     ) which は後続の文の中(通常は文末)に入るということです。前半の We were amazed at the rapidity という文は文法的に完結しているので、その文に付け加えたり、文中に入れるわけにはいきません。

                         

                        したがって、he learned to speak Japanese(   )rapidity.となります。彼はその速さを「持って」日本語を話せるようになったということですから、(   )には having の意味を持った前置詞 with が入ります。

                         

                        with+抽象名詞=副詞と覚えている人もいるでしょう。つまり、with rapidity = rapidlyというわけです。まとめると、「私たちはその速さに驚いた。それはどんな速さかというと、彼が日本語を話せるようになった速さのことを言っているんだけどね」という意味になります。

                         

                        3:Nowadays we speak quite easily and naturally of the crisis (      ) which our own civilization is passing.

                         

                        だんだん分かるようになってきたでしょう。which の中に the crisis を入れて、後続の文末にもってきて our own civilization is passing(    )the crisis.とします。pass through で、トンネルの中を通り抜ける感じですね。つまり、危機の中を通過するわけですから、前置詞はthroughになるわけです。これは「文末の熟語」のパターンですね。

                         

                        「今日、われわれはいとも簡単に、しかも当たり前のようにその危機について口にする。それはどんな危機かというと、その(危機の)中を、私たちの文明が通り抜けている、その危機のことを言っているんだけどね」という意味になります。この日本語の中に「危機」ということばが3回出てきますね。このタイミングを是非覚えて下さい。踏切でその場駆け足をし、遮断機が上がるのを待って、また走りだすというあのタイミングです

                         

                         

                        4:What Americans need to be concerned with is the direction (     ) which their culture will go.

                         

                         

                        最初の what は関係代名詞の whatですが、自由英作文をはじめとして極めて使い勝手のいいものです。改めて別立てで解説します。

                         

                        この文も例によって左から意味をとると「アメリカ人が心配しなければならないのは、その方向だ。どんな方向かというと、彼らの文化が進む方向のことを言っているんだけどね」

                         

                        カッコの中に適切な前置詞を入れるためには、direction という単語と前置詞の結びつきを覚えておかなければなりません。その「方向へ」だから to the direction だと思っている人がいるでしょうね。Merriam-Webster を引くと次のような例文が載っています。

                         

                        a:You are headed in the wrong direction.(間違った方向に行っていますよ)

                         

                        b:The car was headed in the direction of the stadium.

                         

                        c:She started walking in my direction.(彼女は私の方へ向って歩き始めた)

                         

                        これで正解は to ではなく in だということがお分かりでしょう。つまり「文末の熟語」のパターンではなく、先行詞 direction から導かれる前置詞だったのです。

                         

                        「なぜ to ではなく in なのか、これだから前置詞はわからない」と思っている人には、The sun rises in the east.(太陽は東から昇る)の in だと言えば分るでしょうか。「東から」だから from the east だと考えるのは日本語を英語に置き換えているからですね。from は「特定の場所から」という、いわば平面的なとらえ方であるのに対して、in は「空間」を指します。東という空間から太陽は昇ると考えるのです。to も具体的な場所、帰着点、相手を必要とします。つまり、direction とは相性が悪いのです。

                         

                         

                        5:Freedom of speech is a condition (     ) which democracy cannot exist.

                         

                        さて、この問題は「文末の熟語」のパターンでもなければ、先行詞から導かれる前置詞でもありません。困りましたね。思考力が試されますね。前半の Freedom of speech is a condition は「言論の自由は、いくつかある条件の中の一つである」と democracy cannot exist.「民主主義は存在できない」をよく考えて、(     ) which でつながなければなりません。そして「言論の自由は、いくつかある条件の中の一つである。どんな条件かというと、その条件なければ、民主主義は存在できないんだよ」という意味になると考えて、前置詞 without を入れるのです。言論の自由と民主主義の関係を考えさせるいい問題ですね。

                         

                         

                        6:All tourists cherish an illusion, (     ) which no amount of experience can ever completely cure them.

                         

                         

                        これは「文末の熟語」のパターンです。文末の cure を見れば cure 人 of somethingで「人から something を取り除く」という意味の熟語を思い浮かべなければなりません。これは必要な知識です。知らなければ困ります。注意しなければならないのは、All tourists cherish an illusion の後にカンマがあります。つまり、illusion を特定する必要はなく(だから an になっていますね)、自分の意見をつけ加えているのです。

                        「旅行者は皆、何らかの幻想を抱いている。その幻想はどんなものかというと、どんなに経験を積んだところで、彼らからその幻想を取り除くことはできないんだけどね」という意味です。

                         

                         

                        難しかったですか。でも僕の解説をよく読んで下さい。きっと得るものがあると思いますよ。

                        後は、第7問

                         

                        The first name (    ) which a child makes conscious use may be compared to a stick (    ) the aid (    ) which a blind man gropes his way.

                         

                         

                        の解説を残すのみとなりました。次回で前置詞+関係代名詞の解説はいったん終わります。まだまだ英語の学習で重要なところはたくさんあります。しかも面白くなります。楽しみにしていて下さい。

                         

                        | 英語教育 | 00:00 | comments(0) | - |
                        前置詞+関係代名詞の解説
                        0

                          私が授業で使う文法用語はごくわずかです。まず基本は以下の3つです。

                           

                          1:名詞の働きは、主語、目的語(他動詞又は前置詞の目的語)、補語になる。

                           

                          2:形容詞の働きは、名詞を修飾するか補語になる。

                           

                          3:副詞の働きは、動詞、形容詞、副詞、文全体を修飾する

                           

                          というものです。

                           

                          単語には「意味」だけではなく、「働き」があります。その働きを見極めるのが文法です。最低限この基本3原則が分かっていないと、英文を読んだり、書いたりすることはできません。要するに、独力で英語の学習ができないのです。塾の生徒にはこれを完璧に暗唱してもらいます。もちろん、文の意味を確定するには、語学的理解だけではなく文化的・精神的な理解も必要ですが、それはまた別の問題です。

                           

                           

                          ところで、9月7日のブログで説明したように、関係代名詞は「代名詞」としてとらえることが重要です。それは感覚的には次のようなものです。あなたがジョギングしているとします。踏切にさしかかったところで遮断機が下りてきます。そこで走るのをやめるのではなく、その場で駆け足をします。やがて遮断機が上がります。また走り始める。そんな感覚ですね。

                           

                           

                          「代名詞」は奥が深いのです。それについては、追々説明していくことにします。とりあえず、今回は前置詞+関係代名詞の解説を「簡単に」しておきます。

                           

                           

                          問題を見てみましょう。次のようなものでした。

                           

                          1:We don’t know the extent (     ) which we depend on others.

                           

                           

                          空欄にはどんな前置詞を入れればいいのでしょうか。まず We don’t know the extent. の意味を考えます。「私たちはその程度を理解していない」という意味です。文法的にはこれで正しいのですが、いきなり the extentといわれても何のことかわかりませんね。肝心な情報がありません。そこで話し手(書き手)にそれを説明する義務が発生します。

                           

                          そして、この(   )の中にどんな前置詞が入るのかと考えます

                           

                          この場合2つのパターンがあります。

                           

                          (a)後続の文(この場合 we depend on others.)が熟語や分離動詞句を作っている場合

                           

                          (b)先行詞との関係で決まる場合

                           

                           

                          (a)の例を挙げます。

                           

                          These are the facts (      ) which his new theory is based.

                           

                          この場合、後続の文 his new theory is based.を見れば、be based on〜が頭に浮かびます。したがって(    )には on が入ります。

                           

                          もう一つやってみましょう。

                           

                          Physics was the subject (      ) which he devoted his mind.

                           

                          これも he devoted his mind.の後には to が続くとわかりますね。devote〜to は知識として知っておかなければなりません。

                           

                          ところが、

                           

                          1:We don’t know the extent (     ) which we depend on others.

                           

                          の場合、we depend on others.をいくら見ても、前置詞が思い浮かびません。この場合は先行詞 extentとの関係で考えなければならないのです。which は代名詞なので、それが指す名詞 the extentを which に「代入」します。すると、(     ) which が、(     ) the extent と変わります。前半の文は文法的に完結しているので、この(     ) the extent は後続の文の文末にもっていくしかありません。つまり、 We depend on others(   )the extent.の(   )に入る前置詞を考えることになります。

                           

                           

                          ちょっと心配になってきました。「前置詞+関係代名詞って、こんなことを考えなきゃいけないの?」と思っている高校生が多そうですね。しかし、文字で書けばこういう説明になります。

                           

                           

                          extentを辞書(Merriam-Webster)で引くと次のような例文が載っています。

                           

                          To what extent can we trust them?(どこまで奴らの言うことを信用できるのか)

                          They’re both right, to some extent.(奴らの言っていることはどちらも当たっている、ある程度はな)

                           

                           

                          ご覧のように extent は前置詞 to と使われるのです。したがって、正解は to ということになります。先行詞との関係で決まる前置詞というわけです。左から右に意味をとると次のようになります。「われわれは、その程度が分かっていないどんな程度かというと、われわれが他人に依存している程度だがね」。この下線部が、その場で駆け足をし、遮断機が上がり、また走り始める、という感覚なのです。

                           

                           

                          2から6までの解説は次回に譲りますが、3と6だけが(a)のパターンです。他はすべて(b)のパターンなので難しかったかもしれません。次回の解説を楽しみにしていて下さい。

                           

                           

                          「そんなもん、だれが楽しみにするかよ!」と思っている君。どんな分野であれ、一度はきちんと向き合い、徹底的に考えることが必要です。買い物英語、旅行英語で満足するのなら、何も苦労して勉強する必要はありません。たぶん。

                           

                          | 英語教育 | 23:59 | comments(0) | - |
                          未知の「方法」と出会うために
                          0

                            大隅良典氏のノーベル生理学・医学賞の受賞は本当にすばらしいですね。記者会見で「人がやらないことをやろうという思いから、酵母の研究を始めた」と述べています。

                             

                             

                            妻の万里子さんは「夫はいいかげんで不思議な人。ずぼらで適当なのに、どうして実験がうまくいくのか、不思議で仕方なかった。私の方がよっぽどきちんとしているのに」と冗談めかしてコメントしています。

                             

                             

                            万里子さんのことばのなかには、私たちが参考にすべき真実が含まれています。もちろん謙遜しているのでしょうが、「いいかげん」「不思議な人」「ずぼら」「適当」というのは学問のみならず、人生で成功する重要な要素です。逆説めいて聞こえるかもしれませんが、「急がば回れ」ということです。

                             

                             

                            特に「不思議な人」というのがいいですね。これは「変な人」とも言い換えられます。文化の成熟度は「不思議な人」「変な人」が次々に出現することで測られるのですが、まだ機が熟さないのでしょうか。「普通の人」がはびこりすぎましたね。

                             

                             

                            政治の世界では、別の意味で「不思議な人」「変な人」がはびこっています。今ほど「普通の人」「まともな思考ができる人」「胆力のある大人」が求められている時代はありません。

                             

                             

                            おそらく大隅氏は肩書や社会的な立場などというものには関心がなかったのだと思います。アイデンティティの確立や確認よりも、幼心にもとづいた逸脱をめざしたのです。こういう人の精神は融通無碍で、だれとでも共闘できます。

                             

                             

                            塾の教師をしていると、「勉強の仕方」を教えてほしいという要望が寄せられます。当たり前ですね。それを教えるのが塾教師の仕事だと考えられているのですから。しかし、それを百も承知で私は生徒に言います。

                             

                             

                            「勉強の仕方」を教えてほしいと言ってきた人で、力をつけた人は一人もいない。はっきり言うけど、すべての人に有効な「勉強の仕方」なんてものはない。例えばノートの取り方一つとっても、これが唯一最高のノートの取り方なんてない。全国の中高生が同じノートの取り方をしているところを想像してごらんよ。気持ち悪いよ。

                             

                             

                            ノートの取り方は思考を現在進行形で書きとめるのか、テスト対策でまとめるのかで全く違ったものになる。断言するけど、「これがノートの取り方だ!」みたいなことを宣伝・吹聴している塾はレベルの低いニセモノの塾だね。

                             

                             

                            混乱すればいいんだよ。うまくいかなくったっていい。なぜ失敗することが悪いことなのか。勉強は「方法」を発見するためにある。「ああ、このやり方でよかったんだ」とわかるのは、必ず勉強が終わってからだ。だから今の勉強方法こそが君そのものなのだ。それが他人から吹きまれたものでも、真似をしただけのものであってもね。知ったかぶりの連中が「そんな勉強方法は間違っているよ」と言っても、あきらめてはいけない。「方法」を発見しようともがいている限り、必ず実りはある。

                             

                             

                            そもそも、勉強は未知の「方法」と出会うためにするものなんだよ。そのためには「無理」「無駄」「ムラ」をなくそうとしたりしないことだ。業者の言う「無理」「無駄」「ムラ」のない勉強なんていうのはうそっぱちだね。

                             

                             

                            何が「無駄」かなんて、現に勉強している人間に分かるわけがない。結局受験に有利に働く効率的な勉強方法があると思わせなければ、業者のもうけにつながらないからね。僕は「無駄」な勉強なんてものはないと思っている。そのときは「無駄」かな、と思っても、後で役立つことはいくらでもある。

                             

                             

                            「ムラ」ということで言えば、好きなものに面と向かって総力をあげる気がなくて、どうして人生の切実さや豊かさに向き合えるというんだい。好きなものがないって?逸脱を怖がっているからだ。人の言うことを聞いてばかりいれば、自分は何が本当に好きなのか分かるわけがない。結局人の噂話ばかりして、空虚な人生を送ることになるんだ。

                             

                             

                            「無理」についていえば、そもそも頭脳や肉体を鍛えるときに「無理」は必要だ。「負荷をかける」といってもいい。「無理」というのは、不得意領域へ挑戦することだ。君たちの年頃では、「無理」だと思われることでも、がむしゃらに取り組むことで、それが「無理」ではなくなってくる。そもそも挑戦してみなければ「無理」かどうかなんてことは分からない。

                             

                             

                            そして、これは言っておきたいけど、「無理」なことはある。やり方しだいでどんなことも可能だ、などというのはウソだ。人間には環境的にも能力的にも限界というものがある。

                             

                             

                            実は「無理」だと思われることに全力で挑戦することの最大の果実は、この限界を知るということなんだ。結果としてそれは自分自身を知ることになる。自分の限界を知っているということが謙虚さということだ。物腰や態度でへりくだることが謙虚さではない。世の中には慇懃無礼な人間があふれている。ほんとうに謙虚な人間は話していて気持ちがいいものだよ。

                             

                            おっと、脱線してしまったね。ちょっと難しかったかな。話し出すと止まらなくなる癖があるからね。汗

                            | 中高生の皆さんへ | 12:04 | comments(0) | - |
                            英語学習・初歩の初歩 −「ことば」か「実物」か?
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                              前回のブログの最後で、次のような問題を出しました。

                               

                              以下の英文で正しいものには○、間違っているものには×をつけよ。

                               

                              1:This is pen.

                              2:These are pen.

                              3:This is a pen.

                              4:This is my pen.

                              5:These are pens.

                               

                              そして、正解は「すべて正しいとも言えるし、すべて間違いだとも言える」と言いました。説明します。

                               

                               

                              「ことばはことば、ものはもの」と言えば、そんなこと当たり前だと思われるでしょう。しかし英語のネイティブスピーカーは、そう思っているだけではなく、話の中で物を指すたびに、そのものが「ことば」か「実物」か、それをはっきり区別しています。これは意識的に区別しているのではなく、英語ということばの仕組みそのものなのです。

                               

                               

                              日本語の場合は「実物」のペンを指しても、「ことば」(カードや黒板に書かれているもの)を指しても「これはペンです」と言います。

                               

                               

                              ところが英語では「実物」のペンを指すときには、名詞の前に a, the, my, this や複数の s をつけて個体情報を伝えます。つまり、話し手が a, the, my, this や複数の s をつけて話せば、聞き手は「あっ、実物のことを言っているんだな」とわかるわけです。

                               

                               

                              逆に「ことば」の pen”を指す場合、「ことば」には個体がないため個体情報は必要ではありません。名詞をそのまま、何もつけずにいわば「裸で」使います。

                               

                               

                              黒板に“pen, pen, pen ”と3つ書かれているのを見ても、three pens とは言わないのです。話し手が pen, apple, cat, student などのことばを「裸のまま」使えば、「あっ、実物じゃなくて、ことばのことを言っているんだな」とわかるわけです。

                               

                               

                              以上のことを頭において、最初の問題を見てみましょう。

                               

                              1:This is pen.  黒板やカードに書かれた「ことば」を見て言うときは正解です。「実物」のペンを指してこう言えば間違いです。

                               

                              2:These are pen. おなじく、複数個の「ことば」(3枚のカードにそれぞれpenと書かれている場合)を見て言うときは正解です。pen s をつける必要はありません。しかし複数の「実物」のペンを指してこう言えば間違いです。

                               

                              3:This is a pen. これは「実物」のペンを指しています。「実物」を指していますから、必ず a をつけます。「ことば」を指していると考えるのは間違いです。

                               

                              4:This is my pen. これも「実物」のペンを指しています。「ことば」を指していると考えるのは間違いです。

                               

                              5:These are pens. これも「実物」のペンを指しています。黒板に“pen, pen, pen ”と3つ書かれているからといって、それを指してこのように表現することはできません。

                               

                               

                              ちなみに、写真や、絵に描かれたペンは「ことば」ではなく「実物」ですから、This is a pen.でいいのです。

                                

                               

                              皆さんは This is pen. という英語を無条件に間違いだと思っていたのではありませんか。「ことば」と「実物」の表し方の違いという本質的なところに気づかないまま、文の表面的な形だけに注目する英語の学習は、初歩の初歩でつまずいているのです。

                               

                               

                              最後に以下の英文を見て下さい。

                               

                              1:車内表示:It is dangerous to get off the train between station.

                               

                              2:卵パックの表示:Freshly delivered egg.

                               

                              2つの英文にある、station, egg ともに「裸のまま」名詞を使っています。もちろん egg を裸で使えば「ほら、シャツに卵がついているわよ」というときの卵になります。卵がまるまる1個シャツについているようなシュールな場面を想像する人はいませんからね。

                               

                               

                              とにかく、現実では「駅」「卵」が「個体2つ以上」なのに、複数の s をつけていないのが間違いです。こういうミスはケアレスミスではありません。書いた人が自分の表わそうとしているもの(実物)をよく見ていないから起こるミスです。

                               

                               

                              学校の授業では、指すもの(「駅」「卵」)を見て、個体の「数」(1つだけか2つ以上か)の情報を相手に伝えるような練習がされていません。実物を見てきちんと伝えることをせず、試験で○をとるためだけの作業を続けていれば、上の間違いのように、日本語の単語「駅」「卵」を英語の単語 station, egg に置き換えるだけになるのです。

                               

                               

                              しかし、ネイティブスピーカーはこのような間違いを絶対にしません。いや、できないのです。ネイティブスピーカーにとって、指している個体が「1つだけ」か「2つ以上」かは、試験で○をもらうための文法ではありません。現実なのです。

                              | 英語教育 | 21:48 | comments(0) | - |
                              日本人は英語学習の第一歩でつまずいている。
                              0

                                前回の続きです。英語では、自分の話している「個体」が、話を聞いている相手が考えている「個体」と一致していることが重要だと述べました。あたりまえですね。

                                 

                                 

                                例えば、「けさ、リンゴを食べた」というときのリンゴと「リンゴ、ありがとうね。おいしかったよ」というときのリンゴは、英語では a や the を使って厳密に区別されるということです。もちろん日本語でも区別しています。そうでなければ、コミュニケーションが成り立ちません。ただその差が、書いても、発音しても表面には現れません。日本語では、どちらも「リンゴ」ですね。

                                 

                                まとめると、以下の二つになります。

                                 

                                1:お互いが考えている個体(リンゴ)は一致していない、どれでもいい場合は a や some などを使う。

                                 

                                 

                                2:お互いが考えている個体(リンゴ)は一致していないと困る、どれでもいいわけではなく、特定されていなければならない場合は、the などを使う。(など、というのは人称代名詞の所有格やthis, that などで特定できるからです)

                                 

                                英語で表せば、

                                 

                                1:I ate an apple this morning.

                                  I ate some apples this morning.

                                 

                                2:Thanks for the apple. It was delicious.

                                  Thanks for the apples. They were delicious.

                                 

                                 

                                となります。ここで重要なことがあります。中高生には、ぜひ理解してもらいたいことです。いま、「特定されていなければならない場合は、the などを使う」と言いましたが、「特定されたか、特定されていないかは相手による」ということです。

                                 

                                 

                                具体例で考えてみましょう。

                                 

                                あなたが(名前をサトシとしましょう)家で勉強しているところに、友人のトムがやってきます。トムはあなたがこの前図書館で本を借りたことや、レポートを書いていることなど知りません。何をしていたのか尋ねられたあなたは、I was reading a book I borrowed from the library the other day. と言うしかありません。お互いの間で、その本は特定されていませんからね。

                                 

                                 

                                そこへ30分ほどしてケイトがやってきます。ケイトは数日前、あなたといっしょに図書館でレポートのための本を探しています。そこで、あなたはI was reading the book I borrowed from the library the other day.と言います。そして、ケイトはあなたに、How’s the report coming, Satoshi? と尋ねます。

                                 

                                 

                                それを聞いたトムは困惑します。なぜなら、ケイトが the report と言ったからです。3人で話しているのに、お互いが考えている(想像している)個体(この場合はreport )は一致していません。そこでトムは、What report is that? と確認を求めないと気が済まないのです。そこであなたはトムにレポートについて説明しなければなりません。仕方ないですね、the report と言ったのですから。関係代名詞を使って詳しく説明してあげて下さい。

                                 

                                 

                                さて、2人が帰り支度を始めたとき、あなたはケイトに言います。I already returned the book to the library. と。これを聞いたトムは、またまたWhat book is that? と聞かずにはいられなくなりました。トムはいつになったら帰ることができるのでしょうか。あなたが the を使うのをやめればいいのです。とまあ、これは冗談ですが・・・。

                                 

                                 

                                さて、念のために復習しましょう。コミュニケーションの場では「特定されたか、特定されていないかは相手による」ということをしっかり理解して下さい。

                                 

                                 

                                な〜んだ、その程度のことか。そんなことは常識じゃん、「日本人は英語学習の第一歩でつまずいている」なんて、タイトル大げさじゃね?と思っているあなた。頼もしいですね。でも今回のブログは前回の復習でした。僕が言いたいのは次のことです。もしかしたら、あなたは以下のように考えているのではありませんか。問題形式で質問しますね。

                                 

                                 

                                以下の英文で正しいものには○、間違っているものには×をつけよ。

                                 

                                1:This is pen.

                                2:These are pen.

                                3:This is a pen.

                                4:This is my pen.

                                5:These are pens.

                                 

                                 

                                ちなみに、こんな問題はテストには絶対出ません。正解は、「すべて正しいとも言えるし、すべて間違いだとも言える」です。ほらほら、そこでひっくり返っている君。だから言ったのです。「日本人は英語学習の第一歩でつまずいている」とね。

                                 

                                 

                                なかなか「前置詞+関係代名詞」の解説にたどり着けませんね。でも関係代名詞もしょせんは名詞を他の名詞と区別したり、後で情報をつけ加えたりするのですね。その名詞が相手との関係で、つまりコミュニケーションにおいて、特定されるかどうかという問題なのです。解説は次回に譲ります。その間、絶望的な政治状況が新たに発生しないことを祈ります。

                                | 英語教育 | 21:11 | comments(0) | - |
                                「戦争で儲けさせてはならない!」(War Crimes Shouldn't Pay)
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                                  ※追加記事あり

                                   

                                  臨時国会の代表質問が28日行われました。その中で共産党の志位和夫委員長は南スーダンの情勢について「内戦の悪化が深刻になっている」と指摘しました。

                                   

                                  首都ジュバでは7月、大統領派と副大統領派による大規模な戦闘が再発しました。このことはブログでもすでに書いています。国連安保理は8月、より積極的な武力行使に踏み切る権限を持つPKO部隊の増派を決定しました。

                                   

                                  『自衛隊員とその家族の皆さんへ』

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=228

                                   

                                   

                                  紛争当事者間の停戦合意の成立など、自衛隊がPKOに参加するために必要な条件である「PKO参加5原則」について、志位氏は「もはや総崩れ」との見方を示し、次期派遣部隊に「駆け付け警護」などの新任務を付与すれば「南スーダンが『殺し、殺される』初めてのケースとなる深刻な危険がある」と警告しました。

                                   

                                   

                                  これに対して安倍首相は「(7月の戦闘を)武力紛争とは考えておらず、現在現地の情勢は比較的落ち着いている。『PKO参加5原則』は一貫して維持されている」と反論し「『殺し、殺される』というおどろおどろしいレッテル貼りは全くの的外れだ」と強調しました

                                   

                                  これから紹介する映像は、米俳優のジョージ・クルーニー氏らが設立したセントリー(見張り)”という調査団体が制作したものです。ジョージ・クルーニー氏についてもすでに紹介しています。

                                   

                                  『勇気ある告発』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=229

                                   

                                   

                                  この動画はIWJが、同団体の許可を得て日本語字幕を付したものです。「殺し、殺される」という表現が、果たして安倍首相の言う「レッテル貼り」かどうか、首相は両目を見開いてこの動画を見るべきです。余計なコメントは不要だと思います。残酷な場面があります。それを承知の上でご覧ください。

                                   

                                   

                                  所信表明演説で安倍首相は「現場では夜を徹して、そして今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっています」と述べ、「彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけ、自ら拍手しました。沖縄も南スーダンも、彼の想像力の及ばない地なのでしょう。これに呼応するように、自民議員らが起立して大きな拍手が沸き起こりました。

                                   

                                   

                                  この先に何が待ち受けているのか、少しでも歴史をひもとけば、よほどのおバカさんでない限り、わかろうというものです。

                                   

                                  ― ここから追加記事 ―

                                   

                                  辻元清美(民進党)vs稲田朋美防衛大臣、安倍総理【衆議院 国会中継】〜平成28930 予算委員会〜

                                   

                                   

                                   

                                  この動画で、辻元清美氏は自衛隊の家族の皆さんが最も聞きたい質問を具体的にしています。安倍首相の答弁は、まったく答弁になっていません。無理もありませんね。安倍政権はすべての政策を、アメリカの意向を受けて、結論ありきで進めているのですから。

                                   

                                  これほど急所を突いた核心的な質問をされて、「駆け付け警護」=「自衛隊員に血を流させる」任務にゴーサインを出すとすれば、この政権は完全にアメリカの傀儡政権であり、日本国民の命などなんとも思っていないのだということが暴露されることになります。

                                   

                                  山本太郎氏の質問と同じく、国会議員の質問の照準が、国民が最も知りたい事実にぴたりと合ってきました。これは、私たち自身の問題であり、将来のこの国のかたちを決める極めて重大な問題です。稲田朋美防衛大臣が泣きだす(小学生じゃあるまいし)シーンはカットされていますが、見るに値する動画です。

                                   

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