今日の朝日新聞に、今人気の公立中高一貫校の「先取り学習」の中身が載っていました。「先取り学習」ということばは、いかにも先を争って自分だけが抜け駆けをしているようなイメージがあるので、今は「前倒し学習」ということばが使われています。今さら驚きはしませんが、あまりにひどい内容なので、少しだけ触れておきます。
以下は鹿児島の公立中高一貫校の英語の授業です。その記事を引用します。
―「『私は2年間鹿児島に住んでいます』は、『I have lived in Kagoshima for two years』。じゃあ、昔住んでいた人はどう表現するのかな」と先生が生徒に呼びかけると「I had lived!」と声が上がった。「正解。過去完了って言います」
同校では、中1の秋から高校の学習内容を教え始める。過去完了は学習指導要領では高校で学ぶ内容だが、現在完了を教える中2の授業で触れている。「関連付けて頭に入れる方が効率的。理解もしやすい」と先生。生徒も「流れに沿った説明で分かりやすい」と話した。―(引用終わり)
開いた口がふさがらないとはこのことです。「じゃあ、昔住んでいた人はどう表現するのかな」「I had lived!」「正解。過去完了って言います」とのやり取りを読んで、私は一瞬めまいがしたほどです。これはテレビで芸人が学校の授業を面白おかしく茶化しているシーンかと思ったほどです。
どこが「流れに沿った説明で分かりやすい」のでしょうか。この生徒は過去完了を理解したつもりになっているだけです。これは授業内容の一部を取り上げただけだ、との言い訳が聞こえてきそうです。それはちがいます。神は細部に宿るのです。
この先生が英語の体系を理解していないことは歴然としています。おそらく過去形と現在完了形の区別もついていないと思います。現在完了を「完了」「結果」「継続」「経験」に分けるという、お決まりの古臭い発想で教えているのが目に浮かびます。現在完了と「関連付けて頭に入れ」なければならないのは過去形であり、過去完了形ではありません。テンスとアスペクトの違いを理解させればよいのです。それこそが「前倒し学習」の名に値することです。
あることばを学習する際に欠かすことのできないものがあります。そのことばが使われている「状況」と、具体的で豊富な「例文」です。おそらくこの先生の授業を受けた生徒は、「こどものころ、東京に住んでいたことがあるよ」という日本語を、I have lived in Tokyo when I was a child.と書くでしょう。そしてその間違いに気付きません。
学習進度ばかりを気にする、中途半端な「前倒し学習」よりも、地に足のついた本質的な学習の方が重要です。そもそも、なぜ「前倒し学習」なのでしょうか。「大学受験に有利だから」というのが答えだとすれば、それはこどもたちを、条件反射的な動物に育てることを意味します。こどもたちを、目の前にぶら下げられたニンジンを欲しがるだけの馬にしてはなりません。
英語の体系の中で「流れに沿った説明」をしようとすれば、現在完了形は過去形と対比しなければなりません。私の授業を一部ですが紹介してみます。ポイントがどこにあるかお分かりになると思います。
まず以下の4コマ漫画を見てください。
コボちゃんの動きに注目してください。同じような経験をしたことがあると思います。なくても、「状況」は一目で理解できます。コボちゃんのセリフは「しょうじはいちゃった、ハハハハ」だけです。英語は「I’ve put the paper screen on ! Ha-ha-ha」となっていますね。レレレとか言いながら、止まることができず、生々しい結果(笑)が残っていますね。こういうときに英語では I’ve put つまり have + put を使います。過去形で I put ということは生理的にできないのです。
ではなぜ have を使うのでしょうか。私たちは毎日の生活の中で、いろいろなものを持ったり(所有)、経験したりしますね。have は、自分の生活圏・領域の中で所有したり経験したりすることをあらわすのです。
例えば、
I have a sister.
Do you have this dress in a different color ? (このドレス違う色はありますか?)
のhave は「所有」を表しますね。
I had a walk around the lake this morning.(今朝、湖のまわりを散歩した)
Did you have a good time ? (楽しかった?)
のhave は「経験」を表していると言えます。今、have の意味をおおまかにつかんでいるところです。
コボちゃんのセリフは「I’ve put the paper screen on !」でしたね。この中で使われている have もおなじです。「しょうじをはく」経験を、今したところだ、と言っているのです。その結果、障子がやぶれている、ヤバイ!というわけです。意識はあくまで現在にあります。過去を回想している場合ではないのです。
あるいは、あなたのかわいい弟の太郎君がまたおねしょしたとしましょう。今その生々しい「地図」がシーツの上に残っています。英語では、Taro has wet his bed again ! と言います。つまり、現在完了では視点が常に現在に置かれているのです。
現在完了にするか過去形にするかは、出来事をどう感じるか、視点がどこにあるかという意識の問題なのです。もう一つ会話を見てみましょう。
兄:げ!台所の窓が壊れている!
弟:えーと、僕がサッカーボールでやったんだよ。
兄:Oh no ! Somebody has broken the kitchen window !
弟:Er・・・I broke it with my soccer ball.
もうお分かりでしょう。兄は今この瞬間、割れた窓ガラスを見て発言しています。意識は目の前にあります。一方弟は、同じ出来事を思い出しています。意識は過去にあります。だから過去形、というわけです。
さて、「こどものころ、東京に住んでいたことがあるよ」という日本語を、I have lived in Tokyo when I was a child.と書くのがなぜ間違っているか分かりましたか。「こどものころ」とあるのですから、視点は過去にあります。「〜したことがある」という日本語につられて現在完了形にしてはなりません。I lived in Tokyo when I was a child. が正解です。
最初に戻って「じゃあ、昔住んでいた人はどう表現するのかな」「I had lived!」「正解。過去完了って言います」は、ギャグです。「昔住んでいた人は」I lived と言うしかありません。
過去完了はどうなるのか、ですって?どうでもいいです。この場合、過去完了は「流れに沿った説明」でも何でもありません。あなたが将来小説家になりたければ、そして英米の作家の小説を村上春樹氏のように読みたければしっかり勉強して下さい。いつかブログでも取り上げます。暇があったら。
最後に一言。普通の公立中学であれ、公立中高一貫校であれ、私立のそれであれ、優れた教師と学習意欲にあふれた生徒がいれば、どんな環境でも教育は成り立つというのが私の考えです。あたりまえですね。
公立中高一貫校の教師たちは、中身よりもどれだけ「前倒し学習」の実績を挙げるかだけが問われるようになってくるでしょう。上の記事で見たように、現にそうなっています。
「公立中高一貫校では、中1の秋から高校の学習内容を教え始めるんだ」と知って「教育熱心」な親は焦るでしょうね。自分の子が「前倒し学習」の犠牲になり、やる気をなくすことなど想像できないのです。中身のないバカげたブランド志向はもはや完全に時代遅れなのだということを肝に銘じるべきです。