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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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おもろうてやがて哀しき政治家稼業
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    ※動画2本追加しました。

     

    政治家稼業というのはつくづく哀れを催すものですね。もちろん、政治は文化の最高形態だと思っています。しかし、現実の政治権力やそれを批判するのが本分であるべきマスメディアのていたらくを見ていると、政治はその国の国民のレベルを表すという、もう一つの命題のほうが正しいと思わざるをえません。

     

     

    民進党は一日も早く解党すべきです。そして、自由党の小沢一郎氏と合流し、原発の廃炉を決断できるグループと、連合のご機嫌をうかがい、自民党の別働隊となっているグループにはっきり分かれるべきです。そうでなければ、民進党は座して死を待つのみです。別に民進党が消滅してもかまいませんが、それによってもたらされる政治的混乱が何を生み出すか考えねばなりません。その混乱に乗じて次をうかがっている人間もいるのです。

     

     

    それにしても、橋下徹の愚かさにはつくづく愛想が尽きました。この男ほど自分が何をしているか分かっていない人間もいません。いや、この男と妙に気の合うバカップルがいました。

     

     

    しかも、バカップルの取り巻き連中のひどさと言ったらありません。その元締めは、ただ「問題ない」と呪文を唱えるだけで、問題がなくなると考えているようですからね。彼らの口から一度でも整合性のある論理的な日本語が発せられたことがあったでしょうか。

     

     

    その中には東大法学部から財務省に入って、国民の富を横流しすることを仕事にしている連中もいます。東大法学部で人間性の一切を破壊される教育を受けた結果でしょう。悪の巣窟どころか、わが国の政治は(塚本)幼稚園の運動会並みになってしまったのです。

     

    これまで何度も述べたように、メディアも同罪です。そもそも、森友学園の闇を表舞台に引きずり出したのは、豊中市議の木村真氏でした。そして『日本会議の研究』の著者、菅野完氏だったのです。大手メディアはこの二人のおかげで飯を食っているわけです。その情けなさについては、言及するのもバカバカしいくらいです。 以下の動画をご覧ください。人格攻撃にさらされ続ける菅野完氏がいかにまともな感覚の持ち主か分かるはずです。

     

     

     

    もう一人まともな国会議員がいました。わずか3分で、今の政治状況を見事にまとめています。それに対して、原発再稼働にいち早く賛成し、官邸側代理人の山口敬之を、がんばれ!などと応援し、産経新聞が垂れ流した民進党・辻本清美氏に関するガセネタをそのまま信じ込み、拡散させる大分市のY田ゼミ塾長氏に代表されるネトウヨの皆さんもいます。彼らはこの国を分断させる輩です。そのことに気づいてもいないでしょうが・・・。

     

     

     

     

    橋下徹の話にもどります。

     

    2015年7月2日のブログ『感情統治とファシズム』の中で私は次のように指摘しました。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=10

     

    「橋下徹というヤクザ政治家を支えている二つの原理があります。一つは「民主主義は感情統治」という彼の信念であり、二つ目は「民主主義は多数決」という小学生並みの認識です。嘘の上に嘘を重ね、前言撤回を何とも思わないその無節操ぶりは、彼の信念と認識からすれば当然の結果です。

     

    橋下・松井の悪役コンビは、反自民ではなく自主憲法制定を悲願とする安倍政権の補佐役として利用されているのです。しかし、ここは利用されるふりをして安倍政権の中枢に食い込み、あわよくば総理大臣の椅子を狙おうとするのが、橋下徹というヤクザ政治家のしたたかさです。2020年、東京オリンピックの時の総理大臣は橋下徹という、誰一人予想すらしないグロテスクな結末を、私の妄想だとして笑い飛ばしてほしいものです。」と。

     

     

    これが私の彼に対する一貫した見方です。そんな折、ツイート魔の彼が珍しく沈黙していると思いきや、米国に飛んで総理大臣になったときの予行演習をしていたのです。

     

     

    2017年3月28日の日本経済新聞の記事を引用します。

     

     

    【ワシントン=川合智之】日本維新の会の法律政策顧問を務める橋下徹前大阪市長は27日、首都ワシントンで講演し、日米同盟強化に向けて日本国民の意識を変えるため「米国に強力な外圧をかけてもらいたい」と述べた。トランプ大統領に「『在日米軍の撤退』を言えば日本人は大慌てだ」と呼びかけ、そうした外圧がなければ防衛費拡大や日本の軍事的貢献の拡大は難しいと説明した。

     

     

     米戦略国際問題研究所(CSIS)での講演で橋下氏は「いまの日本の自衛力、軍事力は非常におそまつだ」と指摘した。その原因は憲法9条による平和教育だとして、外圧による意識改革が必要だとの見方を示した。

     

     

     「日米首脳会談の共同宣言は茶番劇的なところがある」とも強調。日米首脳が沖縄県・尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象だと確認したことについて「あんな小さな島のために米兵の血を流す覚悟をしているのか」と疑問視し、日米が「お互いに血を流し合うという信頼関係」を構築する必要があると主張した。

     

     

     学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題では「わずか数億円の国有地売買を巡って日本の国会は大騒ぎになっている」と述べた。(引用以上)

     

     

    言わずと知れた、米戦略国際問題研究所(CSIS)はジャパンハンドラーズの牙城です。 いったいなぜ今この時期に、この男はワシントンくんだりまで行ってこんな大風呂敷を広げる必要があったのでしょうか。政治の要諦は外交・安全保障だと言いたいのでしょうか。

     

     

    そんなことは彼にとってはどうでもいいのです。いつものことですが、自分にとって不利な問題が持ち上がった時は、思いっきり大状況を語ることによって、「不利な問題」を極小化する作戦に出たに過ぎません。

     

     

    もちろん「不利な問題」とは、森友疑獄で自分を含めて松井一郎以下の関与がバレバレになりつつあることを指します。赤字にしたところが大状況ですが、実は彼が一番言いたかったのは青字の部分です。この作戦はバレバレなのですが、本人にしてみたら総理大臣になって外遊しているつもりなのでしょう。これほどこの男のバカさ加減を表すものはありません。

     

     

    この男は、トランプ大統領にとっても、軍産複合体のジャパンハンドラーズにとっても、双方が納得する理屈を考えて、これ以上ない大風呂敷を広げて見せたのです。そして、ポスト安倍を印象付けようとしたのです。その動機が、森友事件を無かったことにしようというものですから、あきれてものが言えません。

     

     

    しかし、彼が広げた大風呂敷には穴が開いていました。ジャパンハンドラーズから見ると、この男は「日本の独自核武装か、日米双方が血を流す安全保障か」という二者択一的思考の持ち主だと判断され、いいように利用される可能性があるということです。それが何をもたらすのか。「意図せざる結果」と直面させられるのは、私たち国民であることは言うまでもありません。

     

     

    ではどうすればいいのか。解決策は意外と簡単です。彼が何を言っても取り合わず、無視し続けることです。一見論争好きのように見えますが、彼との間では論争は成り立ちません。論争しているように見せかけて、実は大衆の劣情に訴えているのです。この点では、彼の右に出るものはいません。なぜなら「民主主義は感情統治」なのですから。

     

     

    興味のある方は以下の記事も是非お読みください。

     

    『橋下徹は、さっさと政界から引退せよ』 http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=46

    『ヤクザの友情−安倍政権の本質』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=30

     

    | 政治 | 20:29 | comments(0) | - |
    なりすまし塾長 K 氏が第三者をかたって自分の塾を宣伝している話。
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      今回のタイトルを見ていやだなあと感じた人は、まっとうな感覚の持ち主です。このタイトルは『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』というなんとも下品な本のタイトルをまねたものです。この本については

       

      「『ビリギャル本』の詐欺性について」

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=727

       

      すでに批判しています。

       

      それはともかく、大分市田尻にある塾、学習空間Lの、なりすまし塾長 K 氏を批判する動機から述べます。

       

       

      3・11以降、私たちの社会は、つじつま合わせの虚構が大手を振ってまかり通る社会になりました。森友学園の問題は氷山の一角に過ぎません。さらに、愛さえもが等価交換的なつじつま合わせに利用される、救いのない世界になったと多くの人が気づいています。「愛さえも」と書いたのは、愛は自己の存在をかけて戦うことができる最期の保塁だからです。

       

       

      「愛だって?そんなもの金で買えるよ」と言い放つIT長者が続々と社会の表舞台に登場して以来、この傾向はますます加速しています。こういった言説の幼児性は彼らの精神の未発達に由来するのですが、今はそのことには触れません。

       

       

      社会の虚構性に気づいた人は、「自分だけが取り残されるのではないか」という不安を感じているはずです。しかし、それは真実への気付きであり、まっとうな感覚です。なぜなら、それは虚構で成り立っている世界にうまく適応して生きている人を見ると「うらやましい」と思う反面、「こいつはバカなんじゃないか?」という二重性のまなざしを持つことを意味するからです。

       

       

      この二重性のまなざしを持つことができない中途半端に頭のよい人間は、虚構の世界の中で策を弄し、策に溺れるのです。SNSを通じて過剰な情報を発信し、消費者を無理やり振り向かせても、それは虚構の上に虚構を重ねることにしかならない、ということがわからないのです。

       

       

      本題に入りましょう。事実と意見をわけて論じるつもりです。私の意見は青色で書きます。それ以外は事実です。

       

       

      『大分市の塾』というサイトがあります。

      http://oita-juku.hatenablog.jp/entry/2016/08/20/152811

      その中に「大分市に住む管理人がぜひとも子供を入れたいと感じる5つの塾」というページがあります。

      http://oita-juku.hatenablog.jp/entry/2016/08/30/000000

       

      その最初のページは次のように始まります。

       

      「まず、大切なことを申し上げます。管理人は正真正銘の独身であり、子どもはひとりもおりませんし、複雑な事情で養子縁組をしたなどということもありません。あくまで、『こどもがいたとしたら、この塾に入れてみたい』という観点からご紹介します。」

       

      そして、そのページの最後にも、次のようなくだりがあります。

       

      何度も言いますが、管理人はいまだ独身(年齢は30代です笑)であり、子どもはいません。あくまでも、子どもがいたらという観点でご紹介しました。管理人自身がそこそこの規模の学習塾に勤めていたこともあり、なんとなく小さな規模の学習塾や個人塾に魅力を感じてしまいます。管理人が結婚して、無事に子宝に恵まれるその日まで、これらの塾が存続していてほしいです笑」

       

       

      私はこのページを読んだとき、塾を紹介するサイトなのに、なぜここまで管理人が独身であることを強調しているのか不思議でした。その違和感の正体は後で分かることになります。そもそもこういったサイトを立ち上げる動機が私には分かりませんでした。「管理人自身がそこそこの規模の学習塾に勤めていた」というだけで、大分市のほとんどの塾のHPやブログを読みあさり、評価し、紹介する、その情熱はいったいどこから来るのでしょう。そんなことに時間を費やす元塾教師とはどんな人物なのでしょうか。

       

       

      そして驚いたことに、「5つの塾」のトップに未来塾が紹介されていました。管理人が未来塾を評価していることが伝わるものでした。

       

       

      しかし、2に私が批判した Y 田ゼミが挙げられており、しかも「 Y 田ゼミとの間で『ごたごた』があったようで、過去記事が削除されないうちに読んでください」との解説がありました。びっくりしました。Y 田ゼミとの間で「ごたごた」など一切なかったからです。

       

       

      私はこの時点で、管理人にメールして、未来塾に関する内容をすべて削除するよう要求しました。

       

       

      以下は管理人に送った3月16日のメールです。長いので一部割愛しています。

       

       

       「もしお子さんがおられたら、あなたは本当にこの5つの塾に自分の子供を通わせたいと考えますか?それはいかなる価値判断に基づいてのものですか?特に Y 田ゼミや T 睛塾と私の塾は、「塾」という名前がついていることを除けば共通点はありません。にもかかわらず、5つの塾をひとくくりにして紹介していることに私はびっくりしているのです。これは価値判断を下す統一的な人格が未形成だからこそできることです。

       

       

      私が『未来塾通信55』で Y 田ゼミを批判している記事をお読みになりましたか。

      『災厄の犬 3 - 大分・Y田ゼミ塾長氏』

      http://www.segmirai.jp/essay_library/essay055.html

       

       

      未来塾と Y 田ゼミとはエリアが全く違います。したがって、競合もしていません。私は Y 氏を知らないし、会ったことも、メールしたことも、電話で話したこともありません。つまり、彼を個人攻撃する理由がないのです。ある象徴的なもの(安倍政権を支えるネトウヨの心性)の代表として批判したのです。

       

       

      Y 田ゼミ塾長氏は、私に反論せず、電話もメールもなく、自分にとって都合の悪い過去記事はすべて削除しています。さすがに安倍政権のサポーターだけのことはあります。過去記事は営業に差し支えると判断して削除しただけで、もしかしたら私の批判を読んでいないのかもしれません。

       

       

      私は自分が言ったことの責任は取るつもりです。ブログでも「私は安倍政権を終わらせたい。あなたはどうか?」というタイトルで文章を書いています。これを読めば、世間は私のことを、左がかった教師、分をわきまえず政治に口出しする教師だと思うでしょう。集客にはつながらないどころか、マイナスです。それを承知で、生活をかけて書いているのです。

       

       

      あなたのサイトは、5つの塾をひとくくりにすることで、文化(塾も文化です)に対する価値基準のあいまい化を加速させています。つまり、知的なものの優劣を競う土俵を切り崩しているのです。その自覚がおありですか。そもそも、何が目的で、こんな記事を書いているのか理解に苦しみます。あなたは元塾の講師をされていたようですが、そのことで何を学んだのでしょうか。

       

       

      私は、生徒が生きる社会をよりよいものにしたいと考えているので、大人の一人として政治的な発言をしているだけです。あなたは何をしているのですか。人のブログや HP を読んで適当なコメントをしても、何も生み出しません。塾に未練があるのなら、また個人で再開すればいいではないですか。」

       

       

      二日ほどして管理人の「井上」氏から「修正」した旨の返事と謝罪のメールが届きました。この後、事態は急展開します。メールの Original Message の発信元を見て、「井上」は偽名ではないかと感じたので、その旨を問いただしました。

       

       

      「確認したいことがあります。 Original Message の発信元は k・・・になっています。「井上」は偽名ですか? k・・・という名前には心当たりがあるのですが。「大分市の塾」の管理人が k・・・氏であれば、とんだ食わせ者だと判断します。私にとってはかなり重要なことです。返信をお待ちします。」

       

       

      「私にとってはかなり重要なことです。」と書いた理由は、この数日前、塾長K氏のブログを「大分市の塾」経由でたまたま見つけ、20代ながら頑張っているなと感じたので感想をメールで送っていたのです。同業者にメールをしたのは初めてのことです。しかし、その K 氏が「大分市の塾」の管理人と同一人物であれば、話は違ってきます。この仮説は、当初から「大分市の塾」に抱いた違和感の正体を突き止めるのに十分でした。

       

       

      そこで、返信を待たず、「井上」氏に以下のメールを送りました。

       

      「私がここ数日の間に経験したことは、あなたもご存じでしょう。「大分市の塾」の文体がある塾のブログとそっくりだったので、もしや、と思っていました。一つ一つの事実をジグソーパズルのピースのように適切な位置に置けば、そこにはある絵柄が浮かび上がってきます。ある仮説を立てた時、すべてのことが繋がり、ことの本質が見てとれます。私の言わんとすることはもうお分かりですね。あなたは元塾講師ではなく、現塾講師です。あなたのように、中途半端に頭のいい人間は、策に溺れるのです。」

       

       

      その後、三日ほどして、K 氏から事実を認める旨のメールが届きました。K氏は自分で塾をやる一方で「大分市の塾」というサイトを別に立ち上げ、第三者をよそおって自分の塾に注目が集まるように仕向けていたのです。新手のビジネスモデルというわけです。

       

       

      例えば、「大分市の塾」の次のくだり、

       

      >何度も言いますが、管理人はいまだ独身(年齢は30代です笑)であり、子どもはいません。あくまでも、子どもがいたらという観点でご紹介しました。

       

       

      これは、事実ではありません。K氏は28歳で、れっきとした可愛い娘さんがいます。従って、この記述は、自分がどこのだれかを特定されないようにと周到に煙幕を張ったものです。私がなりすましと呼ぶ所以です。

       

       

      >塾長先生が一橋大学出身だそうで、かなりの高学歴。管理人は足元にも及ばない笑 まだ20代らしく、これからが楽しみな学習塾です。

       

       

      K氏は自分が一橋大学出身だということを売りにしたかったのですね。自分の HP やブログで言うだけでは足らず、「管理人は足元にも及ばない笑」と「第三者」に言わせます。姑息な自作自演です。私はこのくだりを読んでK氏に「あなたが今回やったことは、タチというかスジが悪すぎます。」とメールを送りました。しかし、「スジが悪すぎる」というのが分からない、との返事でした。「事実を記載しただけの事」だというのです。

       

       

      K氏の「大分市の塾」における巧妙ななりすましは、普通の倫理観を持っている人間にはできません。それとも、同じようなことをしている塾教師は大勢いるのでしょうか。自分のブログでは、信頼関係がすべてだと言っておきながら、他方では「事実を記載しただけの事」と居直る。これを「スジが悪すぎる」と言ったのです。

       

       

      最新のブログでも、K氏は「自分としてはなんのやましさもないと言えばウソとなりますが、まあ自分のなかで許容範囲といいますか、そこまで大きなことをしたつもりもなかったわけで、そこについて結構なお言葉をちょうだいしました。」と書いています。

       

       

      もう終わりにします。K氏にとっては、今回の件は許容範囲内の小さなことだったのでしょう。しかし、神は細部に宿る、といいます。いったん姑息な手段でスタートすれば、初発の属性はどこまでもついて回ります。人間はそうそう変われるものではありませんからね。以上の指摘に対してK氏からは、「世代と言いますか、価値観の違いなのでしょうね。」という返事をもらいました。

       

       

      そうなのでしょう。今の塾業界には、私のような古株は必要ないのかもしれませんね。しかし、来てくれる子供たちを相手に、地域に埋もれるようにして勉強を教えている個人塾の教師もいるはずです。どんなにSNSが発達しようが、教育の基本は人対人です。K氏もそれを目指していたはずです。どうでもいい記事を、ここまで読んで下さった皆様に御礼申し上げます。

       

       

      尚、この話には後日談があります。興味のある方は以下をお読みください。

       

      『なりすまし塾長 K 氏、自作自演の幕を閉じるの巻』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=334

       

       

      | 塾・学力 | 16:44 | comments(8) | - |
      森友学園・籠池氏に国会で証言してほしいこと。
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        少年のころ、私は昆虫に夢中でした。父に買ってもらった顕微鏡で昆虫の翅や、触覚や体液をプレパラートに挟んでは観察していました。ミクロの世界に感嘆する一方で、宇宙にも興味を持ち、安物の天体望遠鏡で星を飽かず眺めていました。

         

        ブログでも書きましたが、そうやって遭遇した小動物の中に蟻地獄がいました。神社の床下や家の土台の周辺に穴を作り、そこに生息しています。

         

         

        ある時、蟻地獄がアリを捕食しているシーンに出会いました。いったいどんな生き物がこの下にいるのだろうと思い、ガラスの破片で穴を掘ってみました。出てきたのがこれです。

         

         

        実は蟻地獄はウスバカゲロウの幼虫だったのです。

         

         

        なぜこんな話をしているかというと、東京新聞の佐藤正明さんの漫画を見て思い出したのです。

         

         

        明日はいよいよ森友学園の籠池氏が証人喚問される日です。そこで架空の籠池証言を一部だけ私の願望をおりまぜて書いてみます。証言の締めくくりの部分です。

         

         

        ― 私は、正直に事実をウソ偽り無くお話申し上げました。自民党の先生方が偽証だというのなら、ぜひその証拠をお示しいただきたいと存じます。

         

        今回の件で、私なりに考えたことを2点だけ申し上げて終わりにしたいと思います。

         

         

        森友学園問題の本質は、第二次世界大戦を引き起こした戦前日本を礼賛するウルトラ右翼、もちろんその代表は日本国の最高権力者・安倍晋三先生ですが、その生き残りが、年端もいかない子供らを洗脳する教育団体・森友学園の思想に共鳴・賛同し、種々の便宜を図り、国民の財産である国有地をタダ同然で横流ししたことにある、とまあ、これは週刊誌に書かれていたことですが、そのものズバリ、うまいこと言うなあ、と感激しているところでございます。

         

         

        今回の件の全容を解明するためには、迫田英典・国税庁長官を、証人喚問すべきであります。なぜなら国有財産を「合法的に」横流しして、その上がりを巧妙に環流させている元締めが迫田英典氏である疑いが極めて濃いからです。森友学園は利用されたに過ぎません。また、都合が良いことに、学校建設は補助金という形で税金を注ぎ込めます。寄付金というかたちでマネーロンダリングもできるのであります

         

         


        何十億円も優遇された学校法人から、利得の割合に応じて後から還元させれば、税金もアングラマネーも見事に関係者のポケットに収まることになる。つまり、森友疑獄はほんの氷山の一角なのであります。今回の騒動の全体からみれば100万円の寄付など大した問題ではありません。

         

         

         

        さらに、僭越ではありますが、国会議員の先生方、特に自民党や公明党、維新の会の先生方は気づいておられないことがあります。私が心配しておりますのは、今回の件は国際的にみてアウトだということです。

         

         

        考えても見て下さい。例えばドイツのメルケル首相が、仮にナチス礼賛のウルトラ右翼の団体の趣旨に共鳴し、寄付をしたなどと言うことがあれば、メルケル首相は失脚し、国際政治の場から放逐されることは明らかです。その意味で、今回の問題は日本の国際的信用がかかっていると申し上げたいわけです。

         

         

        もう一つ。これは自民党の竹下先生のお言葉ですが、「総理を侮辱したから」という理由で私は国会に証人として喚問されたのですが、そもそも証人喚問は疑獄事件等の真相を解明するために実施されるものではなかったのでしょうか。「総理を侮辱した」と決めつけて、懲罰のために証人を国会に呼び出すなど、まったく納得がいかないのであります。

         

         

        すでに閣議決定されたようですが、テロ等準備罪と言い換えて、安倍政権が推し進める共謀罪が拡大運用されるようになるのも時間の問題でしょう。この種の法律は実際に適用されなくとも、存在するだけで言論を委縮させる効果があります。国民の皆様には、どうかその点をよく考えていただきたい。

         

         

        さて「首相夫人は私人」との閣議決定がされたようですが、私は私人であります。私人であります私が証人喚問されたわけですから、首相夫人もぜひ喚問していただきたい。それが筋というものです。

         

         

        以上、私は、正直に事実をウソ偽り無くお話申し上げました。

         

        つきましては、公正公平を期して頂きたく存じますので、以下に挙げる方たちも証人喚問して頂きたい。これが実現されなければ、今回の件は闇に葬られると、国会の場で断言しておきたいのであります。

         

          財務省理財局長(当時)迫田英典/国税庁長官
          近畿財務局長(当時)武内良樹/財務省国際局長
          近畿財務局・池田/統括国有財産管理官
          近畿財務局・清水/国有財産管理官 
          大阪航空局・高見航空部補償課跡地調整係長 
          
        松井一郎大阪府知事
          橋下徹元維新代表
          私学課・吉本馨課長   
          

        以上の関係各位の皆様にも証人喚問にお出まし願い、事実をお話くださることを切に希望致します。国会議員の皆様方のお力添えで是非実現していただきたく思う所存です。

        | 政治 | 08:42 | comments(0) | - |
        「教育勅語」が果たした歴史的役割について
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          昨日は、健康食品と塾の本質は同じだということを書きました。いや、正確にはそれを求める消費者の心理が同じだということです。

           

          本来なら必要でないものを、必要だと錯覚させるためには、消費者を「夢」や「幻想」にいつまでも縛りつけておく必要があります。縛りつけておくためには外部からの強制力が必要です。

           

          しかし、消費社会では、強制力を露骨に感じさせるような無粋なものであってはなりません。あくまで、ソフトで、おしゃれなものでなければならないのです。加えて、本人が「自分の意思」で選んだのだと納得(錯覚)させる必要があります。

           

          つまり良い商品が手に入ったという客観的事実ばかりでなく、それを選んだことによる主観的満足つまり自分の選択眼の確かさに満足できるように仕向けることが大事なのですね。これは、ブランディングのイロハです。

           

          いずれにせよ、両者とも消費者の欠乏感と自分一人が置いていかれるのではないかという不安感に根ざしているのは昨日述べたとおりです。消費者が、この欠乏感と不安感が何によってもたらされているのか、その原因を考える暇を与えないように、テレビ画面を通じて、ひっきりなしにコマーシャルが流されます。塾もテレビコマーシャルを打ち始めました。

           

           

          しかし、このからくりと消費社会のむなしさに気づく若者が徐々にですが増えています。昨日のブログで福岡伸一先生が言っていますね。もう一度引用します。

           

          ―「コラーゲン配合」の化粧品まで氾濫しているが、コラーゲンが皮膚から吸収されることはありえない。分子生物学者の私としては「コラーゲン配合」と言われても、「だから、どうしたの?」としか応えようがない。もし、コラーゲン配合の化粧品で肌がツルツルになるなら、それはコラーゲンの働きによるものではなく、単に肌の皺をヒアウロン酸や尿素、グリセリンなどの保湿剤(ヌルヌル成分)で埋めたということである。―

           

           

          つまり、正確な知識(情報ではありません。情報はあっという間に古くなり、新しい情報にとって代わられます)を持たなければ、いつまでも「コラーゲン配合」の化粧品を買わされ、精神までがヌルヌル成分で被われて息ができなくなるおそれがあるということです。

           

           

          塾の教師にできることは、極めて限られていますが、メディアリテラシーを鍛えることで、若者がこれから先の社会を生き延びられるように支援したいと考えています。そして、メディアリテラシーを鍛えるために欠くことのできないものがあります。

           

           

          それは、人間はマインドコントロールの実験動物ではなく、歴史的な存在だと気づくことです。でも、これはヨーロッパをはじめとする先進国ではあたりまえのことであって、今さら言うまでもないことです。

           

           

          教育を通じて、歴史に目を閉ざすように仕向ける社会は、必ずや同じ過ちを繰り返し、破局に向かって進みます。そのことを実証する格好の例があります。以下の動画をご覧ください。特に若い人たちは、刮目(かつもく)して見るべきです。これを見れば、日本の教育が今どこを目指しているのかがわかります。最後まで見て下さい。

           

          《教育勅語》横路孝弘・民進党 vs 稲田朋美大臣【国会中継 衆議院 安全保障委員会】平成29年3月16日 

           

           

          稲田防衛大臣の人格が空洞化しているのを、これほど鮮やかに示している例があったでしょうか。歴史に目を閉ざせば、人格は空洞化せざるを得ないのです。自分の考えを持たない人間は、「立場」の奴隷になるしかありません。「立場上お答えすることはできません。」「お答えする立場にはございません。」と壊れた機械のように繰り返すほかないのです。

           

           

          それにしても、塾・学校を問わず、社会科の教師はこの動画を見て何を思っているのでしょうか。イタリアの哲学者・歴史学者であるベネデット・クローチェは、「すべての歴史は現代史である」と言いました。今ほどクローチェの言葉が心に響いてくる時代はありません。

          | 中高生の皆さんへ | 13:40 | comments(0) | - |
          学力幻想と健康幻想
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            たまには塾のことでも書いてみようか、の続きです。その前に、昨日は春期講習の準備の間を縫って、原告として、第3回伊方原発運転差し止め裁判口頭弁論の傍聴に行ってきました。この時期は花粉症で眼も開かなければ、くしゃみ、鼻水で体調は最悪。マスクを2枚重ねて重装備で臨みました。

             

             

            それでもブログリンクしている「疾風−自由日記」の S さん、美人書家(これは御当人からそう書けと厳命されています)の W さん(ともに上高の同級生)と会うことができました。そして、弟の義父である F 先生ともお会いできました。御高齢にもかかわらず、お元気そうで安心しました。

             

             

            以上のように、裁判所は色々な人と出会える場所です。帰り際、玄関でヤクザ風のお兄さんにも会えました。元上高の同級生の皆さん、けっこう楽しいですよ、参加しませんか。原告でなくとも一般傍聴席に抽選で入れます。裁判所前に集合して、すべて終わるまで1時間半くらいです。その後、お茶でもどうですか?原発差し止め裁判の傍聴という「趣味」もいいものですよ。四国電力の弁護団の御尊顔も拝めますし・・・。

             

             

            おっと、塾の話でしたね。この時期、どこの塾も無料の春期講習会を開き、新規の生徒を獲得することに余念がありません。しかし、「無料お試しセット」で何か効果があるのでしょうか。何だかお肌が若返って、ツルツルになった気がする。身体が軽くなった気がする。階段の上り下りが楽になった気がする。視界がはっきりした気がする。果ては、美人になった気がする。頭がよくなった気がする。と続くのでしょうか。

             

             

            しかし、所詮は「気がする」だけです。つまり、それをきっかけに次なる商品を買わされる羽目になるのです。引き返そうにも引き返せない悪循環にはまるのですね。あちゃ〜。

             

             

            ここで分子生物学者の福岡伸一先生の説明を聞きましょう。

             

            ― もし、皮膚がコラーゲンを作りだしたいときは、皮膚の細胞が血液中のアミノ酸を取り込んで必要量を合成するだけ。コラーゲン、あるいはそれを低分子化したものをいくら摂っても、それは体内のコラーゲンを補給することにはなり得ないのである。

             

             

            ― 食べ物として摂取したタンパク質が、身体のどこかに届けられ、そこで不足するタンパク質を補う、という考え方はあまりに素人的な生命観である。

             

             

            ― それは生物をミクロな部品からなるプラモデルのように捉える、ある意味でナイーブすぎる機械論でもある。生命はそのような単純な機械論をはるかに超えた、いわば動的な効果として存在しているのである。

             

             

            ― これと同じ構造の「健康幻想」は、実はいたるところにある。タンパク質に限らず、食べ物が保持していた情報は、消化管内でいったん完膚なきまでに解体されてしまう。

             

             

            ― 関節が痛いからといって、軟骨の構成材であるコンドロイチン硫酸やヒアウロン酸を摂っても、口から入ったものがそのままダイレクトに身体の一部に取って代わることはあり得ない。構成単位にまで分解されるか、ヘタをすれば消化されることもなく排泄されてしまうのである。

             

             

            ― ついでに言うと、巷間(こうかん)には「コラーゲン配合」の化粧品まで氾濫しているが、コラーゲンが皮膚から吸収されることはありえない。分子生物学者の私としては「コラーゲン配合」と言われても、「だから、どうしたの?」としか応えようがない。もし、コラーゲン配合の化粧品で肌がツルツルになるなら、それはコラーゲンの働きによるものではなく、単に肌の皺をヒアウロン酸や尿素、グリセリンなどの保湿剤(ヌルヌル成分)で埋めたということである。

             

             

            ― 私たちがこのような健康幻想に取り憑かれる原因は何だろうか。そこには「身体の調子が悪いのは何か重要な栄養素が不足しているせいだ」という、不足・欠乏に対する脅迫観念があるように思える。

             

             

            ― そして、その背景には、生命をミクロな部品が組み合わさった機械仕掛けととらえる発想が抜き差しがたく私たちの生命観を支配していることが見て取れる。

             

             

            ― 健康を、強迫観念から解放し、等身大のライフ・スタイルとして取り戻すためには、私たちの思考を水路づけしてきた生命観と自然観のパラダイム・シフトが必要なのである。 以上すべて『動的平衡』より。

             

             

            あれれ、塾のことじゃなかったのと思ったあなた。よく読んでください。僕は塾のことを話しているのですよ。「健康幻想」を「学力幻想・学歴幻想」に、「健康食品」を「塾」に置き換えて読んでみてください。福岡先生は「健康幻想に取り憑かれる原因は何だろうか」と、問いかけています。そして、それは「不足・欠乏に対する脅迫観念」だと答えています。福岡先生は分子生物学者として真実を述べています。でもいつの世も、真実を述べる人は疎んじられ、変わりもの扱いされます。

             

             

            そして世の中の多くの人は、新たな健康食品についての情報を探しまわり、大枚をはたいて買いあさります。見てくれを気にし、外見を整えようとします。そして老いていく自分と向き合うことをしません。青年期と同様、老年期はその人の生き方、つまり<思想>が最も問われる時です。「健康幻想」や「学力幻想・学歴幻想」にいつまでもとらわれていると、生命の神秘にも、尊厳ある生き方にも出会えないでしょう。

             

             

            さてではどうすればいいのでしょうか。これまで通り、無料の春期講習を探し回り、結局は年間を通してかなりのお金を払うのでしょうか。春期講習は「撒き餌」ですからね。かみつくのはおなかをすかせたそれなりの「魚」です。昔から言いますよね、タダより高いものはない、と。塾サイドからすれば、無料にしたことの損失は、後でしっかり回収できると踏んでいるわけです。

             

             

            おや、塾の話ではなかっただろう、「健康幻想」の話だったのではないかと叱られそうですね。はい、もちろん「健康幻想」の話ではなく、塾の話でしたね。あれ、なんだか話がごっちゃになって論理的ではない文章を書いているようです。どうしたことでしょうか。「健康幻想」の話のつもりが塾の話になったりして、塾の話をするはずが「健康幻想」の話になって、わけがわからなくなりました。

             

             

            でもこれだけは言えそうです。「健康食品産業」も「塾産業」も、人々の欠乏感・不安感を温床として咲くあだ花である、いやこれは言いすぎですね。言い換えましょう、「あだ花」ではなく「幻想産業」であると。そして幻想に取り憑かれている以上、人は決して幸福にはなれないと。

             

             

            じゃあ、どうすればいいのか、ですって。そんなことは僕にも分かりません。福岡先生と同じように答えるほかありませんね。「私たちの思考を水路づけしてきた生命観(学力観)と自然観(生き方・思想)のパラダイム・シフトが必要なのである。」と。

             

            | 中高生の皆さんへ | 16:45 | comments(0) | - |
            たまには塾のことでも書いてみようか。
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              中高生の皆さん、こんにちは。

               

              「塾のことを書く」というのならわかるけれど、「たまには」と「でも」という言葉がひっかかるなあ、という感想を持つ人もいるでしょうね。もちろん、この言葉に僕は特別な意味を込めています。

               

               

              君たちも「たまには」と「でも」という、どこかいい加減な響きのあるこの言葉を使ってみてはどうでしょう。「たまには」という言葉の裏には、普段は違うことに集中しているという響きがあります。「でも」には、あることにこだわり過ぎない柔軟さというか余裕が感じられますね。

               

               

              だから、君たちにも「たまには勉強でもやってみようか」と言ってもらいたいですね。そうなのです、青春まっただ中の君たちには、勉強以外にやることが山のようにあるはずです。

               

               

              例えば、自分は建築家になると決めてしまうとか。これが若さの特権です。建築家になるのにべつに資格はいりません。自覚というか思い込みというか、それだけです。不安でいっぱいでも、自分は少なくとも個人的には建築家であり、やがていっぱしの、つまり世間も認めてくれる建築家になる、と決めてしまうのです。そのことに微塵も疑いを持ってはいけません。だって信じることは勝手だし、そのように生きることに決めたんだから。

               

               

              食うや食わずを覚悟すれば、誰だって建築家になれます。みんな食うや食わずがいやなだけです。というか、不安なのです。不安というのは未来に対する不安です。なまじっか想像力があるから不安になるのです。これは飼いならすしかありません。野心に不安はつきものです。

               

               

              僕はブログで「夢」が「職業」とダイレクトにつながってしまった、そのことで「夢」の持つ力が、まるでこじゃれたレストランの美味しそうな料理の中から一品を注文するようなものになってしまった、と述べました。背景には商業主義に毒された業界の「夢」を売るプロジェクトが進行しています。

               

               

              だから、誰かに吹き込まれた夢ではなく、本当に自分の内側からあふれ出てくるような夢であれば、僕が上に書いたように、思い込めるというか、すでに建築家が誕生しているのです。もちろん、ある日突然「建築家」という職業が降って湧いてくるはずもありません。君と「建築家」を結ぶきっかけがあり、興味を抱き、本を読み、現物にも接したはずです。

               

               

              こんな言葉を知っていますか。「人間の存在の現実それ自身はつまらない。」詩人の西脇順三郎のことばです。なぜか覚えているのです。その頃、僕自身のつまらなさに気づき、この言葉をかみしめなければならない状況にあったからでしょう。でも、僕が感動したのは次の部分です。「詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)を持って意識させる一つの方法である」。

               

               

              建築という芸術に限らず、一人一人の人生は現実の混沌のさ中に、何かしらある秩序をもたらす行為なのでないか、そうだとすればそれもまた「一種独特の興味」によってもたらされる「不思議な快感」なのではないか、と僕は思い至ったのです。

               

               

              えっ、また小難しいことを言っているですって?う〜ん、仕方ありませんね。でも僕の言っていることを理解できる中高生もいると思います。いや、います。いるでしょう。いるかも・・・。塾のこと「でも」書くのは明日にします。今日のところはこれでおしまいです。

               

               

              | 中高生の皆さんへ | 09:48 | comments(0) | - |
              私は安倍政権を終わらせたい。あなたはどうか?
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                これまでのブログで、自分が書きたいことの百分の一くらいは書いたかなと思います。でもまだまだですね。もちろん、私は誰かと論争するために書いているわけではありません。

                 

                 

                しかし、言葉を使って何かを書く以上、理想的な「審判者」の存在を信じることが必要になります。もちろん理想的な「審判者」は実体として存在しているわけではありません。しかし「理想」はまさに「理想」として存在しているからこそ、問題の決着の可能性を生じさせるのです。そうでなければ、仲間内での褒め殺し、足の引っ張り合いで終わってしまいます。

                 

                 

                政治家もマスメディアにたずさわる人間たちも、この理想の「審判者」をもはや信じてはいません。自分の利益を最大化してくれそうな人間たちに向けて記事を書き、情報を発信しているだけです。したがって、問題の決着は永遠に先送りされるということです。

                 

                 

                昨日、NHKは午後5時半から籠池氏の会見を生中継していました。ところが5時50分に中継は突如打ち切られ、画面は自衛隊の南スーダン撤退に関する安倍首相の会見へ切り替わりました。これはNHKが安倍政権の支持率アップに必死で協力しているということです。

                 

                 

                それはお前のうがった見方に過ぎない、単なる陰謀論だと反論したくなる人もいるかと思います。しかし、今の私には、そこまでお人よしでオツムの弱い人の相手をする暇はありません。ただ、時系列で事実を見れば、おのずとそこにある全体像=pictureが浮かび上がってくる、それをあなたは見たくないだけだ、そこから目を背けることであなたは何を守ろうとしているのか、ただ権力に寄り添うことで安心したいのか、と問いかけてみたいですね。

                 

                 

                菅義偉官房長官は10日夕、記者会見し、南スーダンに派遣した陸上自衛隊の部隊が5月末に活動を終了することについて、治安悪化が理由ではないと語りました。では、なぜ撤退する決断をしたのでしょうか。

                 

                 

                自衛隊に駆け付け警護の任務を付与するに際して、一歩も引かない屁理屈を並べ、数の力で押し切っておきながら、突然の撤収です。しかも、首都ジュバでは治安情勢の悪化は生じておらず、国連平和維持活動(PKO)参加5原則は満たされている、と言い張っているにもかかわらず、です。

                 

                 

                これは自衛隊員の命を救うための撤収ではありません。森友学園の問題で政権の支持率が落ち、弱体化してきたことに対するなりふりかまわぬ対策・謀略です。私はこれまでブログで何度も何度も、自衛隊員の命が失われる前に撤収すべきだと言ってきました。ですから、寝耳に水の自衛隊幹部の当惑とは別に、今回の決定を支持します。しかし、その動機は、安倍政権の延命のためだということを忘れてはなりません。またもや自衛隊員の命は政治的に利用されたのです。


                 

                そうまでして安倍政権が隠したかったのが、何が飛び出すかわからない籠池氏の記者会見だったのです。国会への参考人招致など論外だというのもうなずけます。籠池氏は小学校認可の申請を取り下げることと引き換えに、次のチャンスを付与されたのだと思います。しかし、認可の申請を取り下げようが、理事長を退任しようが、この問題の本質とは関係ありません。

                 

                 

                今回の問題の本質は、日本会議をバックに、園児たちに教育勅語を暗唱させ、安倍政権を称揚させる等、ある特定の思想的背景を持つ人々が、そのイデオロギーを全国に広げるためのモデル校を作ることにあったのです。と同時に、権力や権限を私物化し私腹を肥やそうとして、一石二鳥、濡れ手で粟(ぬれてであわ)を目論んだことにあります。その中心人物が安倍晋三夫妻、麻生財務大臣だということは明々白々です。

                 

                 

                終わりに東京新聞名物、佐藤正明さんの政治まんがを載せておきます。今朝の新作は、「森友」を題材にしています。背景もよくご覧ください。笑いがこみあげてきますね?老婆心ながら、怒りがこみ上げてくる人は、自分の思考と感覚を疑った方がいいと思います。

                 

                 

                | 政治 | 12:44 | comments(0) | - |
                言うべきときに言わないのは罪である。
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                  今日は高校入試の合格発表でした。上野丘、高専、西高をはじめとして全員が無事合格しました。最後の授業で「合格した人は報告しなくてもいい。不合格になった人だけ報告するように。」と言っていました。

                   

                   

                  「試験中熟睡しなければ上野丘高校には100%合格するよ」と言っていたZ君から電話があったときは、まさか、と思いましたが、しっかりした口調で「先生、受かりました」と報告してくれました。西高に合格したKさんも同様です。

                   

                   

                  言いつけを守らず、合格を報告してきた生徒は、私の屈折した反語表現を理解していたということです。「先生はあんなこと言ってるけど、真に受けてはまずいんじゃないかな」という判断は、反語表現を理解できる力がついていることの証明ですね。

                   

                   

                  3・11以降、この国の権力中枢のみならず、財界、メディア等の振る舞いを見て、この国は終わったのだと私は判断しています。それゆえ、社会に対して真正面からの関心を失くしてしまいました。「自業自得」という言葉が絶えず頭の中で反響しているのです。

                   

                   

                  そうなれば、物事を正面からではなく、斜めから、あるいは斜め下から見て、言いたいことを反語で表現するしかありません。私の話がブラックジョークになり、風刺や皮肉のトーンを帯びるのもやむを得ないのです。

                   

                   

                  この期に及んで、野党よりはましだろうと考えて、安倍政権・自民党を支持する人間が私には理解できません。いや十分すぎるほど理解はしているのです。政治の持つ意味合いなど日々の生活の重みに比べればどうでもいいほど軽いのだ、ということも分かっています。

                   

                   

                  しかし、財界人をはじめとしていい大人が、まるで痴呆のように自民党政権を支持している様を見ると、その人間の知性というか意識というか、それらを含めた人格に対していかんともしがたい嫌悪感がわいてくるのです。歴史を忘却し、310万人もの命を犠牲にしたことを反省するでもなく、権力の意向を忖度して金儲けにいそしんできた人間たちは、どのような社会を理想としているのでしょうか。

                   

                   

                  私と同じく戦争体験のない人間たちが、今また戦争を起こそうとしています。彼らは次の戦争がロボットや無人爆撃機(ドローン)や人工知能によって引き起こされ、それがどのような結末を導くのか、想像すらしていません。ただ、呆けたように戦前回帰を指向し、自衛隊や国民を単なるコマのごとく動かすことのできる体制を思い描いているだけです。

                   

                   

                  幸いなことに、私は塾教師として、若い人たちと勉強できる環境にいます。それゆえ、未来に対してかろうじて希望をつなぐことができているのです。高校や大学に合格できるようにアドバイスをするのは、最低限の仕事です。何もおおっぴらに世間に公表することではありません。農家の人たちが、今年は例年になく立派な大根が採れたと言って、それを自慢したり、大げさに宣伝したりするでしょうか。

                   

                   

                  私は先行する世代の一人として、今の社会状況に対して危機感を持っています。今ならまだかろうじて言いたいことが言えます。たとえ一人でも、言うべきときに、言うべきことを言わなければ、後悔するばかりでなく、次の世代に対して罪を犯すことになると考えています。

                   

                   

                  このままだと安倍政権・自民党の二世三世の暗愚の政治家らによって、この国の歴史的・文化的インフラは破壊され、国民の資産は蕩尽されてしまうでしょう。私の言うことが大げさだと思う方は以下の動画をご覧ください。ちなみに以前私が批判した大分市のY田ゼミ塾長氏が尊敬する人たちが、大勢出席しています。

                   

                   

                  この動画を見れば、大の大人たちが、どれほど愚かであるかがわかります。人格の中心が空洞化したために、本来なら高い倫理性で埋めるべきところを、グロテスクでいい加減で無責任な、宗教に名を借りたイデオロギーで埋めざるを得なかった人間たちの顔、顔、顔です。

                   

                  | 政治 | 12:44 | comments(0) | - |
                  エーリック ・ グンナール ・ アスプルンド
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                    2月11日のブログ『若き建築家に幸あれ!』の中で紹介したK君と大分県中津市にある槇文彦設計の「風の丘斎場」を見学に行ったのは、今から7年ほど前のことでした。私の中では槇文彦と谷口吉生は日本の建築家の中では別格です。寛容さと気品の高さでは右に出る者はいないのではないでしょうか。谷口吉生氏については「『普遍的な感情』とは、どのようなものか。」で紹介しています。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=87

                     

                     

                    画像は「風の丘斎場」

                     

                     

                     

                     

                     

                    槇文彦氏の建築からは、ランドスケープデザインの重要性を学びました。

                     

                     

                     

                    この「風の丘斎場」の中に身を置くと、どうしても連想してしまうのが、エーリック・グンナール・アスプルンドの「森の火葬場」です。どちらも甲乙つけがたい完成度です。今回はアスプルンドの建築を紹介します。

                     

                     

                     

                     

                    アスプルンドは、1885スウェーデンストックホルムに生まれました。父は税務署の役人でした。少年時代に画家を志したアスプルンドは、父と絵の教師の反対によりその夢を断念し、ストックホルムにある王立工科大学で建築を学ぶことになります。

                     

                     

                    工科大学卒業後、王立芸術大学に進学しますが、そのボザール流の保守的な教育に反発して中退。仲間とともに私設学校「クララ・スクール」を設立します。

                     

                     

                    1913年から1914年にかけてイタリアへ見学旅行に出かけます。帰国後、友人のシーグルド・レヴェレンツと共同で応募した1915年の「ストックホルム南墓地国際コンペ」で1等を獲得し、メジャーデビューを飾ります。後に「森の墓地」と呼ばれるこの作品に、アスプルンドは生涯をかけて取り組みます。ちなみに「森の墓地」全体が1994年にユネスコ世界遺産に登録されました。これは20世紀以降の建築としては、世界遺産への登録第1号です。

                     

                     

                    1928年には、私の大好きな「ストックホルム市立図書館」など、前半生の代表作が完成します。この図書館は小さな丘の上に建てられていて、利用者はゆっくりとスロープを踏みしめながら近づくことになります。

                     

                    ストックホルム市立図書館

                     

                     

                     

                    この図書館は建物の中心部に直径30メートル、高さ32メートルの巨大な円筒形の大閲覧ホールを配置しています。画像をご覧ください。

                     

                     

                     

                    図書館には機能性や利便性が求められます。つまり、建築としてすべての部位に対して論理的な一貫性と説明が求められるのです。その反面、論理的に構築されていったスケールが身体的なスケールに落とし込まれた時、失われるものが出てきます。それは身体的、皮膚感覚的な居心地のよさです。図書館が大きくなればなるほど、どこか無機質で冷たい感じがしてくるのもこれが原因です。

                     

                     

                    ところが「ストックホルム市立図書館」にはそれがありません。身体感覚の延長としてのあたたかさ、安心感があるのです。大閲覧室の曲面壁の上部に穿たれた二十ヵ所の高窓から降り注ぐ自然光は、この巨大なシリンダーの内部をまるで繭の内部のようなやわらかな光で満たします。

                     

                     

                    この閲覧室の素晴らしい点は、3層構成の書架の上の余白です。書架の高さを抑え、余白の面積を圧倒的に増やしたことで、威圧感や権威的な雰囲気をなくし、本の美しさを強調しています。アスプルンドはおそらくこの上に人間の英知がさらに積み重ねられていくという未来の人間への信頼を表わそうとしたのでしょう。

                     

                     

                    さらに、素晴らしいのは、1階の隅っこにある児童書のスペースです。カーテンで仕切られていて、真ん中に大きな椅子があり、それをとり囲むようにベンチが配置されています。大きな椅子には本を読み聞かせする大人が座ります。子供には大きすぎると思われるベンチは、そこに座ってお噺を聞く子供たちが小人になったような感覚を味わえるようにしているのでしょう。スウェーデンの建築文化が羨ましいですね。これこそが日本が見習うべきお手本なのだと思います。教育、教育と叫ばなくても、子供を大切にする文化が育まれています。

                     

                     

                    ひるがえって、今の日本の教育はどうでしょうか。真ん中の大きな椅子に稲田朋美防衛大臣が座り、その横に安倍昭恵総理大臣夫人が立ち、後ろから安倍晋三日本国総理大臣が稲田氏の肩に手を置いてやさしく笑っています。読んで聞かせるのは、お伽噺ではなく教育勅語です。このイメージはあまりにも滑稽でグロテスクで独善的で反国際的ではないでしょうか。

                     

                     

                    気分が悪くなったので次の建物を紹介します。1930年代に完成した、アスプルンドの「夏の家」です。「夏の家」は住宅建築の中で、私が一番好きな建物です。ルイス・カーンのエシェリック邸で建築に興味を持ち、影響を受けましたが、どの住宅が一番好きか、つまりそこで生活したいか、と問われれば「夏の家」だと答えます。どんなに疲れ、傷ついても、この家を見ると癒されるような、そんな佇まいです。これこそ魂の故郷だと感じさせる名建築です。

                     

                     

                     

                     

                     

                    | 自己救済術としての家作り | 16:28 | comments(0) | - |
                    中3生の皆さん、高校入試はどうでしたか?
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                      中学3年生の皆さん、高校入試はどうでしたか?合格発表までの短い時間を、どのように過ごしているでしょうか?まさか自己採点なんかしていないでしょうね。ある放送局で塾が宣伝を兼ねて、ここぞとばかりに早々と解説していましたが、それを見てがっくりきたり、よっしゃー、と叫んだりして一喜一憂しているのでしょうか。

                       

                       

                      気持ちは分かりますが、こういうときこそ落ち着いて静かに読書などしてはどうでしょう。そんなことできるわけないじゃん、とつぶやいているそこの君、国語の入試問題の3番を覚えていますか。昨日のことですから覚えていますよね。内田樹の『身体に訊く−言葉を伝えるとはどういうことか』からの出題でした。

                       

                       

                      「人間の知性が最も活発に発動しているときのあり方」を述べた文章でした。具体例としてエドガー・アラン・ポーの短編『黄金虫』を取り上げています。そして、読んだことがなければ「ぜひ今から本屋に行って文庫本を買うか、図書館に行って借りてくるかして下さい。」と述べていましたね。

                       

                       

                      この本については、昨年の7月31日のブログ「私の推薦図書、エドガー・アラン・ポーの短編『黄金虫』」

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=212 

                      の中で、僕の経験を交えてすでに述べています。ブログの記事に刺激されて『黄金虫』を実際に読んでいた人は、入試問題を解きながら、「おおっ、読んだことがある、筆者のいうことがよくわかるぞ!」と思ったことでしょう。一見遠回りに見える過程を踏んでこそ、実力はつきます。「あわてる乞食(こじき)はもらいが少ない」のです。

                       

                       

                      高校に入ってからのことを考えて、塾でよく僕が話したことを思い出してください。次のような話でしたね。覚えていますか。

                       

                       

                      無理、無駄、ムラのある勉強を怖がる必要はない。どんなことでも、自分でやろうと思えば誰でも最初は無駄を避けられない。無理だと思うことにも挑戦した方がいい。そして、自分の好きな教科を見つけたら、しばらく他の教科は放っておいて、その教科に没頭するようなムラのある勉強をしてもいい。なぜなら、人間という生き物は、自分の好きなことに没頭するようにできているのだから。これは幸せな人生を生きられるように、人間に与えられた神様からの贈り物です。

                       

                       

                      ところが受験勉強の最大の敵は、無理、無駄、ムラということになっています。なるほどね。僕は塾の教師をしているからよくわかるけど、これは受験産業が垂れ流すイデオロギーなのです。小さいときから教育勅語を暗唱させるのとあまり変わらないですね。そのうちこういった考えを疑うことすらしなくなるのです。

                       

                       

                      その結果、みんな横並びで、同じ内容の授業を、同じ端末を通して「学ぶ」ようになる。そこでは「結果」が出るかどうかだけが問われ、好き嫌いはもとより、自分で学習することは問題にもされなくなる。つまり、与えられたものを、与えられただけ記憶することが学習の目的になるのです。顔をあげると塾の壁には「無理、無駄、ムラをなくせ!」「効率!」「費用対効果を考えろ!(これは生徒向けのキャッチコピーではなく、経営者向けのものでしょう)」と書かれています。こうなると、もはや持って生まれたスペックというか画素数の争いになります。

                       

                       

                      僕は受験勉強そのものを否定しているのではありません。もっと本質的なやり方があるはずだと言いたいのです。生まれ持った能力がそれほど高くなくとも、学習に興味を持ち好きになることで、その質を高めることはできるはずです。その原動力になるのは、子供時代に培われた好奇心や好きなことに集中できる能力です。子供から子供時代を奪いさえしなければ、人間なら誰でもが持っているはずの才能です。

                       

                       

                       

                      子供時代は、その一瞬一瞬のために、その時々の感情を満喫するためにあります。外部の、その時々で変わるモノサシを当てて評価できるようなものではありません。子供時代は、何物にも奉仕しない、子供の全一な成長が約束されている時間でなければならないのです。

                       

                       

                      ところが、世間では子供たちからそういった時間を奪うような指導がされています。大手予備校や塾が、当然のごとく垂れ流しているものです。それは次のようなものです。

                       

                       

                      「君たちは、東大に受かるために、今、何をどうすればいいのか分かっていますか。まず分かっていることから確認していこう。入試の日程は決まっています。だから、そこから逆算して毎日の生活設計をしなければなりません。つまり、この逆算の発想で、今日何をしなければならないかが決まるわけです。入試で培った時間管理の方法は君たちが社会に出てからも役に立ちます。時間管理ができない人は企業では「戦力」になりません。」等々。

                       

                       

                      僕はこういう発想を一概に否定はしません。しかし、ここで言っていることが当てはまるのは、高校3年生か浪人生でしょう。この発想を小中学生に求めるのは間違っています。なぜなら、子供は「大人になるための、あるいは特定の中学や高校に受かるための準備期間」を生きているわけではないからです。あまりに合理的で合目的的な学習は、将来の目標達成のために現在の生活を犠牲にする可能性があります。

                       

                       

                      思うに、文化というものは「無理、無駄、ムラ」の結晶でしょう。それを子供が小さいうちから排除していくのですから、価値の見極めが出来ず、すべてのものがジャンクとして等価になるのも無理はありません。価値の優劣が分からなければ、学ぶ必要はなくなります。なぜなら、学びたいという衝動は、自分より優れた作品や表現があると判断できることを前提にしているのですから。

                       

                       

                      そろそろ終わりにします。受験勉強の致命的なマイナス面を自覚していなければ、子供たちのみならず、親の人格も空洞化していきます。人格が空洞化すれば、何が正しくて何が間違っているかという価値判断ができなくなります。受験勉強の勝利者がろくな価値判断しかできないのはそのせいです。その具体例には事欠かない世の中になっています。

                       

                       

                      いずれにせよ、批判精神を失くした大人は、子供たちを、他者に依存するだけの「特定の思想を入れる容器」として育てることになります。そんな子育てが楽しいでしょうか。しかし、僕たちの社会はそういった傾向を自ら加速しています。子供より前に、親が本当に賢くなければならない世の中になったと思います。

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 14:44 | comments(0) | - |
                      建築から見た、グロテスクな教育と自由な教育
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                        安倍首相や日本会議がめざす教育がどんなものか、それを明るみに出したのが森友学園を取り巻く一連の事件です。その本質は、日本が戦争で負けたことを認めたくない人間たちが、歴史を捏造してまで戦前に回帰しようとする愚かでグロテスクな衝動に支えられたものです。

                         

                         

                        おそらく、安倍首相の支持母体である日本会議は、大衆消費社会・高度情報社会の中で、自分たちの精神的な基盤が切り崩されることに危機感を抱いたのだと思います。その危機感から、家族制度を中心とする戦前の「古き良き」社会に理想を求めたのです。そして、その「古き良き」社会を形作っていた教育制度を復権させようと試みているのでしょう。

                         

                         

                        これはとんでもない思想的怠慢です。なぜなら歴史は不可逆だからです。しかも、戦前の家族制度や教育制度がどんな結末をもたらしたのか、その歴史的な遺産から何も学ぼうとしていません。森友学園で教育勅語を暗唱する幼稚園児を見て、天皇皇后両陛下は何を思っておられるでしょうか。

                         

                         

                        私たちは、大衆消費社会・高度情報社会がもたらした「肥大した自己意識」を抱え、すべての思想・表現が等価で、価値基準が崩壊した社会を生きています。文化に対する価値基準のあいまい化と崩壊こそは、創造の源泉を枯らすものです。価値判断をめぐる正当なせめぎ合いの土俵が失われたことが、私たちの社会を生きにくくしている原因の一つです。

                         

                         

                        日本会議は神社本庁・神道政治連盟を中心とする宗教集団です。その宗教が3万人余りの信者を集めるには、その<信仰>を引き受ける側の必要や、欲望といった心理的要因が加わらなければなりません。それは、どんな社会であれ、人間は理想を求めずにはいられないという普遍的な主題につながっています。

                         

                         

                        しかし、その主題が現実の中で演じられると、滑稽で悲惨な愚行として表れることがあります。それは積極的な宗教思想の表現などというものではなく、無意識的な病理の発露となり、創造的な活力を生み出すだけの余裕のなさと、豊かな文化に対する感覚の欠落を表わすことになるのです。

                         

                        森友学園校舎

                         

                         

                        オウム真理教『第七サティアン』

                         

                         

                        これこそが、私が森友学園の校舎から感じた異様な感覚の原因だったのです。わかりやすく説明する前に、森友学園で講演した人たちの名前をあげておきます。これは後で重要になってくるので記憶しておいて下さい。

                         

                         

                        百田尚樹・曽野綾子・平沼赳夫・青山繁晴・竹田恒泰・渡部昇一・中西輝政・櫻井よしこ・田母神俊雄・中山成彬・米長邦雄の面々です。彼らが理想とする教育がどんなものであるか、それを実践して見せたのが森友学園だったのです。

                         

                         

                        ところで、今やこの国の教育は、戦前回帰を理想とする教育と受験教育の二つに収斂してしまいました。第3の道はないのでしょうか。『100年後の生存戦略−教育』の中でその第3の道を話してみたいのですが、そのためにはある場所を訪れる必要があります。そこを訪れた後、話してみるつもりです。

                         

                         

                        そのヒントになるのが「自由学園」です。まず建物を紹介します。設計したのは天才建築家フランク・ロイド・ライトです。

                         

                        ライトといえばまず落水荘ですね。

                         

                         

                         

                        私は、かねてより学校建築は子どもを自由にするものと、子どもを型にはめるものがあると考えてきました。日本の公教育の学校建築は、少数の例外を除いて、校舎の片方に教室が並び、それが廊下で繋がれています。階段は校舎の両端と中央部にあるだけです。つまり、素早く教室から出て廊下に整列し、階段を駆け下りてグランドに集合できるように設計されています。兵舎を模したものです。

                         

                         

                        塾の脱線話で、私はよく学校建築について図面を描いて説明したものです。それは学校の中心に食堂と図書館を置き、その周りに教室を円形に配置して廊下でつなぐというものでした。授業は原則として午前中で終わります。部活は学校外の活動として個人にまかせます。グランドには土を盛り、野菜や作物をつくるための農園にします。果樹を植え、一年に一度地域の人を呼んで収穫祭を開きます。話を聞いていた生徒の反応は、生き生きとしていました。自由学園はそれを実践していたのです。

                         

                         

                        ここで自由学園の概略を紹介しておきます。

                         

                        「クリスチャンだった女性思想家の羽仁もと子と羽仁吉一の夫婦によって1921年4月15日、キリスト教精神(プロテスタント)に基づいた理想教育を実践しようと東京府北豊島郡高田町(現・豊島区)に設立された。1934年に校舎を東京府北多摩郡久留米町(現・東久留米市)に移転し、現在にいたる。

                        学校名は、新約聖書『ヨハネによる福音書』8章32節「真理はあなたたちを自由にする」からとられている。

                        学生の多くが学園内の寮で生活し、キャンパスの維持管理はとくに危険な仕事を除きすべて生徒の手によって行われている。これは毎日の生活を生徒自身が責任を持って行う自労自治の精神に基づく。文部科学省の学習指導要領にとらわれない独自の教育方法で知られ、たとえば学生による稲作(田植え・収穫)、女子部生徒が学園内農場で野菜を育てる農芸、男子部生徒による酪農(豚・牛を育てる)など、それによって得た給食調理も生徒自身が行っている。」(ウィキペディアより)

                         

                        詳細は是非インタヴュー記事をお読みください。

                        http://riceball.network/archives/566

                         

                        食事をしているこどもたちの顔をご覧ください。

                         

                         

                        建築はその本質を表します。自由学園の建築は教育の自由の美しさを表現しています。また、<生活>が教育の基礎であり目的であることを表現しているので、全校の生徒・学生が食事する食堂が校舎の中心にあり、そこで生徒・学生は当番制で料理し、食器の整理や後片づけもします。食堂では生徒、学生、教師が自由に席に着きます。食後には料理の報告、食費の報告から、学校の問題、個人の問題、社会の問題など、あらゆる問題が話し合われ、外国からの客もこの食堂に招待され、食事をともにし、談話に加わります。要するに、自由学園の建築は生徒・学生の<自治>を表現しているのです。

                         

                        初等科の昼食風景。今日は何を話し合っているのでしょうか。

                         

                         

                        食事は父母の協力を得て自分たちで作ります。

                         

                         

                        自由学園『明日館』

                         

                         

                        結婚式場にもなります。

                         

                         

                         

                        一年に一度開かれるビヤテラス

                         

                         

                         

                        最後に、自由学園で学び、そこを巣立っていった人の名前を一部ですが挙げておきます。森友学園で講演した人たちと比べて下さい。

                         

                        • 蟻川謙太郎(神経行動学、感覚生理学)
                        • いしいしんじ(作家、大阪友の会幼児生活団)
                        • 石垣綾子(評論家)
                        • 伊藤毅(THE STREET BEATS、JUN SKY WALKER(S)、音楽プロデューサー、作曲家)
                        • 梅浦洋一(テレビプロデューサー、映画プロデューサー)
                        • 遠藤楽(建築家)※遠藤新の二男
                        • 應蘭芳(女優)
                        • オノ・ヨーコ(芸術家、幼児生活団卒)
                        • 紙谷一衛(指揮者)
                        • 神谷美恵子(精神科医、作家)※3か月間のみ在学
                        • 川嶋仁(ピアニスト)
                        • 岸田今日子(女優)
                        • 木下良作(学者)
                        • 吉良直(比較教育学、東洋大学教授)
                        • 金原亭世之介(落語家)
                        • 久家道子(手芸家、刺繍作家)
                        • 日下公人(評論家、作家、多摩大学名誉教授)
                        • 久山恵子(指揮者)
                        • 黒田清子(幼児生活団通信グループ)
                        • 小山美秀子(神慈秀明会創始者)
                        • 坂本龍一(作曲家、東京友の会 世田谷幼児生活団)
                        • 生源寺美子(児童文学作家)
                        • 新海百合子(女優)
                        • 坪井明日香(陶芸家)
                        • 蜷川実花(写真家、映画監督、自由学園幼児生活団)
                        • 野依良治(化学者、ノーベル化学賞受賞、神戸友の会幼児生活団)
                        • 萩元晴彦(テレビ制作者、音楽プロデューサー)
                        • 纐纈あや(映画監督)
                        • 羽仁協子(音楽評論家)※羽仁もと子の孫
                        • 羽仁知治(ジャズピアニスト)※羽仁五郎の孫
                        • 羽仁進(映画監督)※羽仁もと子の孫
                        • 羽田澄子(映画監督)
                        • 文仁親王妃紀子(幼児生活団通信グループ)
                        • 古内東子(歌手、幼児生活団中退)
                        • 古屋安雄(神学者、国際基督教大学名誉教授)
                        • 堀江泰子(料理研究家)
                        • 本郷淳(俳優)
                        • 松岡洋子(評論家、翻訳家)
                        • 松原剛(CMディレクター)
                        • 松室哲生(元『週刊ダイヤモンド』編集長)
                        • 三木晴雄(実業家)
                        • 水木楊(市岡揚一郎)(作家)
                        • 宮浦清(音楽家、プロデューサー)
                        • 宮田和弥(JUN SKY WALKER(S)、ジェット機 (バンド))
                        • 三善晃(作曲家、幼児生活団)
                        • 村方千之(指揮者)
                        • 森純太(JUN SKY WALKER(S)、作曲家)
                        • 本橋成一(カメラマン、映画監督)
                        • 山本明(高エネルギー加速器研究機構教授)
                        • 山本直純(指揮者、作曲家)
                        • 山本ふみこ(作家、エッセイスト)

                         

                        | 自己救済術としての家作り | 14:07 | comments(0) | - |
                        「森友学園」に漂う、うす気味悪さについて。
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                          この建物はかの有名な森友学園の校舎です。安倍首相が報道各社のキャップを集めて、懇談会を開催した高級中華の店、「赤坂飯店」ではありません。私はこの校舎を見た時、ある種の異様さを感じました。その異様さがどこから来るのか、その理由は次回のブログに譲ります。

                           

                           

                           

                          とりあえず、今忘れてはならないことは、安倍首相夫妻が共鳴する森友学園の認可設立のために、一丸となって助力した政治家や官僚や報道各社のキャップは、言ってみれば「安倍首相頑張れ!」という宣誓文を唱和していた幼稚園児の成人版だということです。

                           

                           

                          日本会議に言わせると、「森友学園の考えは神道でも保守でもなく、ネトウヨに近い。あれが日本会議の活動と思われるのは心外だ!」とのことです。私は日本会議=ネトウヨそのものだと考えていたので、身内に切り捨てられたネトウヨの皆さんに同情したくなりました。

                           

                           

                          それはともかく、日本会議が「日本会議大阪運営委員」である籠池泰典を批判したのは、目クソが鼻クソを笑う類だなと思いました。これこそが、安倍晋三氏を守るためなら、あの手この手を使う日本会議の正体そのものだと思いました。節操も何もあったものではありません。この際、籠池氏は国会に出て洗いざらい本当のことをぶちまければいいのです。それをされると困るので、政府も自民党も参考人招致に同意しません。

                           

                           

                          安倍首相は「私も妻も一切関与していない。関与していれば議員も総理大臣も辞める」と啖呵を切りました。そこまで自信があるなら、昭恵夫人も含めて関係者すべてを国会に招致し、白黒をはっきりさせればいいと思うのですが、そんなことしたら、やぶへびで、何が出てくるかわかりません。息を吐くようにウソを言う小心者の首相には出来るはずもないのです。

                           

                           

                          これを見ただけで、まともな常識の持ち主であれば、安倍首相がクロだと分かります。しかし、財務省をはじめとする官僚たちがクロをシロと言いくるめるために、形式的な法解釈を盾にとって居直っています。違憲の安保法制を成立させた時もそうでした。共謀罪の必要性の説明もしかりです。

                           

                           

                          それは最初のボタンをかけ違えておきながら、途中のボタンを速く正確に穴に通すというアクロバティックなつじつま合わせをすることになります。論理破綻は目に見えています。しかも、国民に見られているわけですから、冷や汗ものでしょう。

                           

                           

                          ということは、今回のような疑獄事件に発展するかもしれないケースでは、最高権力者の抱いている思想を内面化して、行政に落とし込むことが最も大切な仕事だと思い込めるタイプの官僚でなければ職務を遂行できないということです。

                           

                           

                          とまれ、今度の事件で、私たちが最も注目しなければならないのは、国民全体をあの幼稚園の園児みたいな「思想の容れ物」に変貌させようとする意図です。その意図の体現者が日本会議をバックに旗を振っている安倍晋三氏というわけです。

                           

                           

                          この事件の衝撃度は、中心人物や特定組織の特異体質だけに還元してすませられるものではありません。リーダーがどんなに理解不能な異常者であったとしても、その異常者をリーダーにまでのし上がらせるのは、周囲にいる人間の感応性であり受容性です。その感応性と受容性は、濃淡の差はあれ、私たちの日常生活や、時代の気分の中に裾野を広げています。そしてその質を決めているのは、その時々の社会の条件であり、文化の性格です。

                           

                           

                          森友学園の一連の事件は、カネと引き換えに便宜を供与するといった典型的な贈収賄のケースではありません。国や政府のトップにいる人間たちが、特定の思想を実現するために、無報酬で私立学校法人に便宜を供与し尽力していたのです。この事件に漂っているうす気味悪さは、その本質が、ある意味で戦前的な愛国教育を広める思想運動であるところに発しています。

                           

                           

                          しかし、私たちは日本会議をしょせんはマインドコントロールされた宗教集団だと決めつけることはできません。なぜなら、そういった決めつけは、自分はマインドコントロールされていない自由な理性的な個人であるということを前提にしているからです。

                           

                           

                          戦後いっさいの武力を否定し、反国家としての空白状態を自由だと考えた日本の社会や文化が、もしかするとその中心部に、どうやって埋めればよいのか想像もつかないほどの深い空洞を抱え込んでいるのかもしれません。

                           

                           

                          この地球上に、安心して依存すべき「国」を見失ったとき、その不安を性急に解消しようとして、人は極度に空想的で人工的な「国」を作ってみせるという危険な道に踏み出すことがあります。

                           

                           

                          たとえそれがどんなに時代錯誤でグロテスクな「まがいもの」であったとしても、それは私たちにも無縁ではない潜在的な不安を必死に打ち消そうとする集団心理的なメカニズムかもしれないのです。日本会議を否定するのであれば、現代の日本人自身がいかなる価値の創造者であり得るのかという問いに答えなければなりません。

                           

                          | 政治 | 23:59 | comments(0) | - |
                          S 君、合格おめでとう!
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                            中学3年生の最後の授業が終わった後、生徒が少なくなった教室で、S 君が私のそばに来て小声で合格を報告してくれました。国立高専を志望していたのです。

                             

                             

                            長い塾教師の経験から、私はすべての生徒を、神のごとく平等に扱うことにしています。無理をせずそれができるようになったのは、年齢のせいもあるかもしれません。

                             

                             

                            それでも S 君のことは、心の底から応援していました。だから合格の知らせを聞いたとき、私は本当にうれしかったのです。土砂降りの雨の日は、合羽を着てびしょぬれになり、寒風が吹きすさぶ夜は、顔を真っ赤にして、自転車で1時間近くかけて通ってくれました。

                             

                             

                            塾の授業が始まるころ、窓の外を見ては、こんな天気だから今日はきっと休むだろうと思っていても、7時数分過ぎになると塾の扉が開き、靴箱に靴を入れる音がして、教室の後ろのドアから S 君は入ってきました。S 君は昔の生徒の息子さんです。ちなみに、今年の3年生の中には、昔の生徒の子どもさんが4人いました。世代という大きな時間の歯車が1回転したのです。

                             

                             

                            S 君が1年前にお母さんと塾に来た時、なんていい目をしているのだろうと思いました。最近の中学生にはめずらしい、落ち着いた話ぶりと大人びた風貌をしていました。最後の日、お抹茶を出した妻も、「一番後ろの席にいた、あの男の子はだれ?」と聞いたほどです。

                             

                             

                            入塾の時、私のブログを読んでいると話してくれました。私のブログは、記事が長いのと小難しい理屈を並べているので人気がありません。もちろんそれを承知で書いています。S 君は中学2年生でそれを読んでいたというのですから、驚きました。 Recommend 欄にある『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』も読んだそうです。そればかりか、この本を小遣いをはたいて買い、中学校の社会の先生にプレゼントしたというではありませんか。

                             

                             

                            京都大学原子炉実験所の助教・小出裕章氏が大分に講演に来た時も、聞きに行ったそうです。その当時私はまだブログを書いていませんでした。ただ、小出裕章氏の講演を二人の高校生と聞きに行った時のことは、未来塾通信34『経済合理性という狂気または合理的な愚か者について』の中に書きました。http://www.segmirai.jp/essay_library/essay034.html

                             

                             

                            それにしてもこの講演を S 君が聞いていたとは驚きです。こういう生徒が塾の中に一人でもいると、雰囲気はがらりと変わります。私も下らない冗談が言えなくなります。そこでより洗練された、より風刺が効いた冗談を言うことになりました。1時間に1回は強烈な風刺と皮肉たっぷりのブラックジョークをかますと、クラスは大笑いでした。S 君を見るとやはり笑っています。よし、受けてるな、と思って安心したものです。そういうわけでこのクラスの知的レベルは相当上がったと思います。

                             

                             

                            学習面では、数学の難問を、じっくり時間をかけて解きました。見た瞬間にすぐ解法が思い浮かぶような問題はやっても意味がありません。各単元に1〜2問、その分野の本質が分かっていなければ解けない問題を用意し、それに取り組ませました。たとえば、確率では「同様に確からしい」というキーワードを、例題を用いて、くどいほど説明しました。S 君もかなり苦戦していました。そんなこんなで1年があっという間に過ぎました。

                             

                             

                            今日(3月3日)たまたま、用事があって上野ヶ丘中学の前を車で通りかかりました。正午過ぎのことでした。制服の胸にピンクのコサージュをつけた中学生がたくさん歩いていました。卒業式だったのです。上野ヶ丘中学は私の出身校です。ああ、自分にもあんな時があったのだと思い、卒業式の後の寂しさと空虚さ、何も起こらないことに対する失望感のようなものをまざまざと思い出しました。S 君はもちろん、卒業したばかりの子どもたちに、幸せな未来が待っていることを祈らずにはいられませんでした。

                             

                            | 中高生の皆さんへ | 15:58 | comments(0) | - |
                            贈る言葉 ・ 中学3年生の皆さんへ。
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                              昨日は中学3年生の最後の授業でした。生徒に食べてもらおうと、臼杵の「さかいや」さんに桜餅を予約して、朝一で買いに行きました。

                               

                              午後7時から最後の授業を淡々とこなし、残り30分になったところで、桜餅と妻が立ててくれたお抹茶を出しました。

                               

                              私の塾では、ハチマキを巻き、こぶしを突き上げて、がんばるぞーと雄叫びを上げたりしません。「絶対受かるぞ!という気持ちが最後は勝敗を分けるんだ、分かったな!」などという大げさなアドバイスもしません。

                               

                               

                              私は、万が一失敗してもそこから必ず道は開けるのだ、ということを話します。「僕は大学受験に失敗したから、自分の人生を見つめ直すことができた。もし失敗していなかったら、塾の教師になって君たちと出会うこともなかった。だから失敗は、より幸福になるための次へのステップかもしれない、胸を張って、人生を先へ先へと進もう」と。

                               

                               

                              締めくくりは、毎年そのとき心に浮かんだことを話します。自分に言い聞かせるように、感謝の気持ちを込めて話します。

                               

                              以下は最後の授業で中学3年生にした話です。

                               

                               

                              ― イギリスのEU離脱、トランプ政権の誕生で、世界は新しい局面に入りました。つまりこれまで当然とされていた考え方が揺らぎ始めたのです。僕たちの社会はどちらに転ぶかわからない。アメーバのように、一方に重心が片寄ればそれに引きずられてずるずると、なし崩し的に悪い方へ向かうかもしれません。もちろん人々が立ちあがって逆の方向へ舵を切ることだって考えられます。

                               

                               

                              僕たちは、明日も今日と同じ日が続くと考えますが、それを保証するものは何一つありません。日本はこれから高齢化が進み、人口が減少していきます。これまでの枠組みで考えていては、生き延びることができないかもしれません。僕は君たちになんとか生き延びてほしいのです。だから、学歴よりも手に職をつけることだ、などと言いたいのではありません。学歴も資格も肩書も役に立たない世の中になるでしょう。一体どうすればいいのでしょうか。

                               

                               

                              僕は次のように考えています。現実をしっかり見て、考える人だけが生き残るのだ、と。肩書で仕事をしてきた人は、社会のお荷物になるだけです。世の中の大人は自分にとって都合のいい現実しか見ていません。そして、あり得たかもしれない現実、あるべき社会を考えることができません。立派な肩書を持っている人ほど、ひとりよがりで視野が狭いのです。

                               

                               

                              具体的に話しましょう。世の中には色々な職業がありますね。皆さんはあと数年もすれば、自分で生活の糧を得なければなりません。大変そうですね。でも、君たちは今、曇りのない目で現実をしっかりみつめる能力を持っています。学校の成績とは無関係に、人生で一番正直に、有利か不利かを抜きにして現実を見ることができる時期を生きています。以下のことをしっかり心に刻んで下さい。そうすれば大丈夫です。

                               

                               

                              まず、15歳で、あるいは18歳の段階で、自分が何に向いているかはわからないということ。むしろ、就職する前に、自分の向き不向きを決めつけてしまうことは無謀です。僕は今でも塾の教師という仕事が自分に向いているかどうか分かりません。

                               

                               

                              それは、お前がさえない塾の教師だからそう思うんだろう、という考え方も一理ありますね。世の中には、夢を実現させてそれを職業にしている人もいるではないか、と言いたいのでしょう。わかります。でも僕もそれなりに年をとって、色々な経験を積んできました。だから少しだけ話を聞いて下さい。

                               

                               

                              僕が塾を始めた30年ほど前から、「夢」と「職業」を結びつけて考える傾向が強くなりました。そして、今や「夢」は、「将来就きたい職業」そのものを意味する言葉になってしまいました。

                               

                               

                              たとえば「プロ野球選手になりたい」「世界で活躍するサッカー選手になりたい」「医者になりたい」「弁護士になりたい」「ファッションデザイナーになりたい」というように。

                               

                               

                              それを後押しするように「夢を持ちなさい」「夢のない人生ほど退屈な人生はない」「夢があってこそ人生は輝く」「自分だけの夢に向かって努力しなさい」というキャッチフレーズが叫ばれ、そのことを疑問視する声は聞こえて来ません。

                               

                               

                              子どもの頃の僕の「夢」は、大福もちを腹一杯食べたい、裸になってウエディングケーキに飛び込みたい(甘党でしたから)、鳥になって空を飛びたいというものでした。職業と全く結びついていません。笑わないでください。つまり、職業と結びつかないものこそが夢だったのです。

                               

                               

                              そんなたわいない夢ですから、夢なんかなくても子ども時代は楽しかった。そもそも子どもは、今の一瞬一瞬を生きている、あるがままの存在です。だから、僕に言わせれば、お仕着せの「夢」にとらわれた子どもはかけがえのない今という時間を台無しにしている可能性があるのです。

                               

                               

                               

                              僕は塾の教師をしているので、全科目で優秀な成績を残す生徒もいれば、すべての科目ができない生徒もいるという現実に向き合ってきました。この現実を見ることなく、いつまでも青い鳥を探すように仕向けているのが、塾産業です。その実態は、「学力向上のため」「子どもの将来のため」という一言で、うやむやにされています。

                               

                               

                              勘違いしないで下さい。僕は勉強ができない生徒に「あきらめろ」と言っているのではありません。逆です。人間は色々だ、だからこそ職業や肩書で人間を評価する必要はない、そんなことをしていると人生はやせ細り、いくばくかの金銭と虚栄心を満足させることと引き換えに、むなしい人生だけが残ることになる、と言いたいのです。

                               

                               

                              それだけではありません。職業にもとづく肩書信仰は、特定の職業についている人たちへの差別感情を生みます。だれかを見下し差別することによって、自分のプライドを保つなんて、あまりに悲しいことです。君たちは、そういった人生を歩んではなりません。

                               

                               

                              夢はある仕事について数年して振り返って笑えるようなものの方がいいのです。夢やあこがれは、それに到達することによってではなく、届かないことや、笑い話になることによって人間を成長させるものです。 

                               

                               

                              自分の望む職業につけなかったら自分の人生は失敗だと考えるのは間違いです。次のように考えてみてはどうでしょうか。「職業」や「職種」で考えるのではなく「職場」で考えるのです。自分の気に入った職場で、気の合う仲間といっしょに働くことができれば、与えられた役割をこなすという単純なことでも責任感と達成感をもたらすからです。 

                               

                               

                              最後にこれだけは覚えておいて下さい。職業は君の個性を生かしたり、夢を実現したりするためにあるのではないということです。社会が必要としているからあるのです。

                               

                               

                              たとえば、これは前にも言いましたが、新幹線がストップしている深夜にトンネルの点検をする仕事は社会が必要としているからあるのです。あるいはゴミの収集・処理はどうでしょう。

                               

                               

                              皆さんの中に将来の夢の職業として深夜のトンネル点検やゴミの収集・処理を思い描いた人はいるでしょうか。こういった職業は、それをする人間がいないと社会が成り立たないから職業として存在しているのです。

                               

                               

                              そして世の中の大部分の仕事はそういったものです。地味な仕事です。誰からも注目されず、スポットライトが当たることもありません。新幹線にコンクリートの塊が落ちて大事故になったときに初めて注目されます。そして責任を追及されます。でも一方で、僕たちが安心して新幹線を利用できていたのは、陰で点検している人がいたからだという事実に気づくのです。

                               

                               

                              大人になるということは、こういった気づきを一つ一つ積み上げていくということです。僕が現政権を批判するのは、二世三世の政治家が、こういった人々の生活の重さを理解せず、国民が納めた税金を湯水のごとく自分たちの都合のいいように使っているからです。

                               

                               

                              話が長くなりました。いよいよお別れです。今日の話をもし覚えていてくれたら、僕はうれしいです。長い間、雨の日も、冬の寒い日も最後まで通って来てくれてありがとう。どうか立派な大人になって下さい。さようなら、中学3年生の皆さん。

                               

                              | 中高生の皆さんへ | 23:52 | comments(0) | - |
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