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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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安倍晋三と稲田朋美は保守を名乗る「パヨク」である。
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    今日は6月30日。あっという間に今年も半分が終わりました。ただひたすら劣化の道をたどる日本の政治と政治家。そのトップに君臨し続けているのが、アヘ・ジョンウンこと、安倍晋三とコスプレ・網タイツ防衛相として一躍世界中に名をはせたイヤダ・トモピーこと、稲田朋美です。

     

     

    この二人はサヨク、いや、ネトウヨが使う言葉で言えばパヨクです。パヨクとはパーのサヨクという意味なんでしょうね。だとすればこれほどこの言葉が似合う人物は、世界広しといえども、この二人を置いて他にいないでしょう。

     

     

    明確な憲法違反を何度も繰り返し、防衛大臣にあるまじき違法行為に及んでも、トモピーを次期総裁候補と持ち上げ、彼女をひたすら守り続けるのがアヘ・ジョンウンの生き方であり、趣味なのです。

     

     

    極めつきが昨日のブログでも書いた、27日、東京・板橋区で行われた都議選の自民党候補の応援で「防衛省・自衛隊・防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」との発言です。これは自衛隊を保守を名乗る「パヨク」(これは語義矛盾ですが、これほど実態を表す言葉は他に思いつきません)を守るための私兵だと考えていることを告白したもので、「誤解」でも何でもありません。

     

     

    自分の発言から都合の悪い部分「防衛省・自衛隊・防衛大臣」を削除して、「誤解」だと言い張っているだけです。こんな人物とその背後でうごめいている日本会議が、好き勝手に歴史を捏造し、でっちあげた歴史観がどれほどグロテスクなものか推して知るべしです。

     

     

    「ハゲ〜!お前なんで生きてるの!死んだら?」の豊田真由子ちゃんとレベル的にはいい勝負です。しかし、トモピーの発言は安倍チルドレンの真由子ちゃんの罵詈雑言に比べても、はるかに深刻かつ影響が大きいのです。こんな人間を閣僚に任命したアヘ・ジョンウンの責任は地球よりも重い。フツウならとっくに内閣はつぶれているはずです。でも、フツウじゃない人が彼を取り囲んでいるので、本来起こるべきことが起こりません。

     

     

    トモピーは自衛隊を名ばかり保守(実態は「パヨク」)の私兵と思い込んでいます。どうしたらそんな厚顔無恥な認識に至りつくことができるのでしょうか。自衛隊は自民党と保守を名乗る「パヨク」のための軍隊ではありません。

     


    この発想というか論理は、自衛隊を中国共産党一党のための軍隊、すなわち人民解放軍と同一視しています。忘れてならないのは、自衛隊は国民を守るための組織であり、人民解放軍は中国共産党一党を守るための軍隊であるということです。

     

     

    疑う人は天安門事件を思い出して下さい。人民解放軍は、中国人の若者が民主化を求めて天安門広場に集結したとき、共産党一党を守るために、国民の敵となって、若者を戦車でひき殺しました。

     

     

     

     

    トモピーは自衛隊と人民解放軍を一緒にしてしまったのです。自衛隊は自民党を守る私兵だと考えているからこそ、上記のような発言ができるのです。歴代の防衛大臣のだれ一人として、これほど自衛隊を侮辱する発言をした人物はいません。

     

     

    産経新聞や自称保守やネトウヨは、「アカ」「シナ」「サヨク」と呼んで目の敵にしている中国共産党とアヘ・ジョンウンやイヤダ・トモピーが類友になっていることに気づきもせず、依然として彼らを庇い賛美しています。私が彼らを保守を名乗る「パヨク」と名付けた所以です。

     

     

    ところで、自称保守「パヨク」を量産し続ける産経新聞によると、日本維新の会の松井一郎代表は30日、稲田朋美防衛相に対し「早く辞めるべきだ」と語ったそうです。アレレ、昨日は辞任の必要はないとトモピーを庇っていたのに、どうしたのでしょう。「潔く(辞任)するのかと思ったら全くしないから、言わせてもらった」のだそうです。はあ〜?もはやこの連中の使う日本語は理解不能です。

     

     

    さて、いよいよ暑い夏がやってきます。秋風が吹き始めるころまでには、この国の低知能の集団が台風とともに雲散霧消していることを願うばかりです。

     

    | 政治 | 23:55 | comments(0) | - |
    Give Peace a Chance ! 平和にチャンスを!
    0

      時間とは恐ろしいものです。人間であれ建物であれ、出会った時の印象を薄れさせ、時の経過とともにその本質を露呈させるのですから。私は第2次安倍政権が発足して以来、それにたかる「ハイエナ」も、消極的支持派も含めて批判してきました。

       

       

      他者を批判するのは結構疲れます。見返りがないどころか、自分が賢くなることもありません。にもかかわらず、こうしてブログを書き続けてきたのは、信念があるからではなく、生きにくい世の中を何とか生き延びるための工夫の一つだからです。それは三十年以上にわたり、潜在的失業者である塾教師という仕事を続ける中で身につけた精神の衛生学だと言ってもいいでしょう。

       

       

      他人を啓蒙しようする試みなど、そう続くものではありません。結局のところ「どーだ、オレはすごいだろう」というナルシシズムに裏打ちされた言動に耐えられるのは、よほどのおバカさんでない限り無理です。しかも、感情を劣化させたネトウヨだけではなく、自己愛を肥大化させた人間があまりにも目につくということが、私の気持ちを暗くさせます。

       

       

      私は、「オレは分かっているがオマエは分かっていない」という立場からはモノを言わないようにしています。常に、「自分が考えるくらいの事は、誰でも考えているだろう」ということを前提にしてモノを言っているつもりです。

       

       

      つまり「理想の審判者」を信じているのです。そうでなければ、ブログはおろか、人生そのものも投げ出していたかもしれません。このことは2年ほど前にすでに書いています。よろしければ、お読みください。

       

       

      『私たちは理想の審判者を信じることができるのか。』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=48

       

       

      そして、ようやくというべきか、時の経過とともに、マスメディアよりも無名の個人の批判が集積することで安倍政権の本質が否応なく露呈するところまで来ました。

       

       

      安倍ジョンウンは、病膏肓に入るというか、もはや真っ当な判断を下すことができないところまで追い込まれています。残されているのは、総理大臣の地位に「恋々としがみつき」、虚勢を張ることだけです。それを証明する事例には事欠かなくなりました。

       

       

       

      先日、神戸市の講演会で安倍首相は「全国に獣医学部を新設する」と表明しました。加計学園だけを通すために(京産大はカヤの外にはじき出されました)岩盤にドリルで穴をあけたことがもはや隠せなくなったと見るや、この発言です。

       

       

       

      しかも、日本テレビの「バンキシャ」が首相にインタビューをしたところ、「あまりにも批判が続くから、頭に来て言ったんだ」とコメントしたそうです。具体的な戦略や目的があったわけではなく、「頭に来た」という理由で全国に獣医学部の新設を決断したのです。

       

       

       

      昔からいましたね。将棋を指していて、自分が追い詰められ、不利になると将棋盤をひっくり返すような子供が。安倍首相は29連勝中の藤井四段の爪の垢でも飲んではどうか。

       

       

      さらに、唖然とするニュースが飛び込んできました。

       

       

      「稲田防衛相は27日、東京・板橋区で行われた都議選の自民党候補の応援で「防衛省・自衛隊・防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と述べて投票を依頼した。」とのニュースです。(日本テレビ系(NNN) 6/28(水) 5:55配信)

       

       

      これは憲法15条、公職選挙法136の2、自衛隊法61条に明確に違反する違法行為です。「近くに練馬駐屯地もございますので、大変応援をいただいていることに感謝をしておりますという趣旨で演説を行ったわけでありますが、その中で誤解を招きかねない発言があったことに関しまして、撤回をいたしたい」とのことです。

      撤回したことを理由に、違法行為をした防衛大臣を庇う総理大臣と官房長官。彼らに「法の支配」を云々(うんぬんと読みます)する資格はありません。

       

       

       

      政治家はよく「誤解を招きかねない発言であった」と言って発言を撤回します。これは「理解力がない有権者が誤解するといけないので、自分の発言は間違っていないけれど、一応撤回しておきます」という意味です。これほど国民を侮辱している発言もありません。まあ、侮辱されたと感じている国民が少ないのでしょうけど・・・。

       

       

       

      出世のために安倍ジョンウンの顔色をうかがっている防衛省の一部幹部はともかく、末端の自衛隊員は、安倍ジョンウンや稲田トモピーが所属する自民党という特定の政治集団から、私兵のような扱いをされて平気なのでしょうか。一見すると自衛隊に好意的な政治集団ですが、彼らの歴史観を見ればその意図は明らかです。

       

       

       

      そんなこんなですから、かの内閣府が次のような CM を4億円の税金を投じて垂れ流したとしても、驚きません。

       

       

       

       

       

      ただ、安倍ジョンウン様の戦争ごっこと戦意高揚のために4億円を投じる民間企業があったら知りたいですね。美容整形高須クリニック、DHCくらいしか思いつきません。彼らは歴史に学ぶ能力を根底から欠いているので、「竹やりでB29を撃墜」の発想のままです。

       

       

       

      そもそも「弾道ミサイル避難訓練」に国民の命を守ろうという意図があるなら、なぜ弾道ミサイルの標的になる可能性が高い東京都心部や在日米軍基地周辺、原発周辺で行わないのでしょうか。加計問題の目くらましにしても、ここまで幼稚なやり方で危機感を煽れば、そのうち論理的な整合性を重んじる海外メディアからは相手にされなくなるでしょう。

       

       

       

      そんなことを考えていると、27日の朝日新聞の地方版で、大分市の大在小学校で来月7月14日にミサイルの飛来を想定した避難訓練をするとの記事を目にしました。県防災危機管理課によると広瀬勝貞知事は19日の県議会一般質問で「近く日程を決めて市町村と実施する」と述べたそうです。しかも同課は「ほかの自治体にも広めたい」と話しているそうです。コメントする気にもなりません。

       

       

       

      政府がやると言ったら、末端の地方自治体の首長も、教育委員会も、大在小学校の校長先生も、右へ倣えとばかりに、まじめで深刻な顔をして実施するのでしょうか。そもそも子供たちに何と説明するのでしょうか。私には理解できないことだらけです。いや、ひきつった笑いを浮かべることならできるかもしれません。そういうわけで、公職、特に教職に就かなかったのは私に先見の明があったと思わざるを得ません。

       

       

       

      最後に今回のタイトル、ジョン・レノンの「Give Peace a Chance」をアップしておきます。もちろん、青春時代によく聴いた曲です。

       

       

      | 政治 | 18:51 | comments(0) | - |
      高校生のための英文法−その3
      0

        高校生の皆さん、こんにちは。

         

        前回の続きです。残っていた重要部分の解説をします。英文は以下に挙げておきます。

         

        Creating curricula that help children do what they feel like is necessary in their lives while still teaching them how to reason and communicate and do mathematics that is needed in their lives are important.

         

        もう2〜30回は音読したでしょうか。短文なので覚えてしまったことでしょう。間違いの箇所は2か所でした。likeは不要、are is に訂正します。小石のような単語ですが、発音したとき違和感がありましたか。そうなるまで読み込むことが何より大事です。

         

         

        今回は that help children do の後ろの what they feel like is necessary in their lives like がなぜ不要なのか解説します。

         

         

        基礎の基礎から説明してみましょう。まず次の文を見て下さい。

         

        1.What color do you like?

        2.What did it look like?

         

        この二つの文の like の違いはわかりますね。1は動詞、2は前置詞です。「働きが違えば意味も違う!」でしたね。1は「何色が好き(何色好むか)」2は「それはどんなものだったの(どんなふうに見えた、何似ていた)」という意味です。2は友達が「昨夜、UFOを見たよ!」と言った時のあなたのセリフです。

         

         

        では、この2文の共通点は何でしょうか。2つの like がともに目的語を取るということです。1の like は他動詞で what color を、2の like は前置詞で what を目的語にとります。目的語ですからそれぞれに「を」「に」を付けます。2は It looked like a cigar.(葉巻みたいだったよ)のように答えます。日本語では「何色好き?」と言いますが、これは「〜を好き?」というのが不自然に聞こえるという日本語の都合です。英語の発想では、「何色好むか?」になります。

         

         

        つまり、目的語は「他動詞の目的語」か「前置詞の目的語」を意味します。しつこいようですが、1の what color  は「他動詞の目的語」、2の what は「前置詞の目的語」になっているということです。

         

         

        他動詞とか前置詞とか目的語とか聞いただけで頭が痛くなる人は、英語の上達は望めません。一生、ブロークンイングリッシュで旅行や買い物を楽しんで下さい。そういう人には、「聞き流すだけで英語が話せるようになる」教材が準備されています。それに、ブログでも紹介しましたが、人工知能による携帯自動翻訳機がスタンバイしています。

         

         

        さて、以上のことを押さえて、do what they feel like is necessary in their lives の中の like の働きを考えてみましょう。feel が動詞なので like は動詞ではなく前置詞です。では「前置詞の目的語」はどれでしょうか。 whatでしょうか。その可能性もありますね。

         

         

        しかし、その場合は、What do they feel like?「やつらは何を飲みたがっているんだ?」の意味になります。 They feel like wine.「ワインを飲みたがっているのさ」というような答えになりますね。文脈から考えてこれはありません。「子供たちが人生において飲みたいと思っているものをすることが必要だ」などと、わけのわからない訳を考えてパニックになるのが落ちでしょう。

         

         

        要するに、like には目的語がないのです。だから like は削除するしかありません。

         

         

        では、like を削除した後の、do what they feel is necessary in their lives はどんな意味になるのでしょうか。頭が痛くなってきたですって?ここは大学入試英語の重要ポイントです。なるべく簡単に説明します。

         

         

        君は自分が正しいと思うことをやれ」を英語で言うとどうなるでしょうか。

         

        1.Do what you think is right.ですね。

         

        これは You think (that) X is right.「君はXが正しいと考えている」という文中のXを先行詞を含んだ関係代名詞 whatにして文頭に出し、残りを修飾構造にしたものです。こうして what you think is right. というカタマリが出来上がります。つまり「君はXが正しいと考えている」を「君が正しいと考えていること」という抽象的な言い回しにしたのです。

         

        でもこれは英語ではふつうのことです。I bought the CD at the shop.「ぼくはその店でCDを買った」が the CD I bought at the shop.「ぼくがその店で買ったCD」になるのと同じ理屈です。

         

        難しいですか? よく考えて下さい。

        一つ練習してみましょう。

         

        僕が起こると考えていたことが本当に起こった」を英語にしましょう。

         

        2.What I thought would happen really did.

         

        となります。もちろん最後の did happened の代動詞です。

         

        ここで注意しておくことがあります。whatには2つの「働き」があります。「外の働き」と「内の働き」です。

         

        1.「外の働き」とは名詞のカタマリを作ることです。すなわち文中で主語、目的語、補語になる。

        2.「内の働き」とは what を含むカタマリの内部で主語、目的語、補語のどれかの「働き」をする。

         

        上記1の例文を見て下さい。

         

        Do what you think is right.

         

        この what は名詞のカタマリを作って Do の目的語になっています。つまり、「君が正しいと思うことせよ」になる。同時に内部では is の主語になっています。したがってこの what は主格です。

         

        上記2の例文を見て下さい。

         

        What I thought would happen really did.

         

         

        what は名詞のカタマリを作って did の主語になっています。つまり、「僕が起こると考えていたこと起こった」になる。同時に内部では would happen の主語になっています。したがってこの what は主格です。

         

        ふう〜、ややこしいですね。疲れましたか。では最後に

        help children do what they feel is necessary in their lives

        に戻りましょう。

         

         

        下線部が今までと違って見えていることでしょう。この what do の目的語になる名詞のカタマリを作っています。「外の働き」ですね。「内の働き」は is necessary  の主語になっています。『子供たちが人生で必要だと考えていることする』になる理屈がわかったでしょう。

         

        help children do what (they feel) is necessary in their lives のように they feel を括弧でくくるとわかりやすくなります。

         

         

        全文訳をしておきましょう。

         

        「論理的に考えたり、コミュニケーションをしたり、人生で必要な計算をしたりすること教える一方で、子供たち人生で必要だと思うことするの手助けするようなカリキュラムを作ること大切だ」となります。

         

         

        なぜ、「論理的に考えたり、コミュニケーションをしたり、」から訳が始まるのか、わけ分からん、と思っている人もいるでしょうね。僕もそう思います。この日本語訳は「て」「に」「を」「は」によって、かろうじて英語を日本語の論理に変換しているからです。

         

         

        ちなみに、上の全文訳の「て」「に」「を」「は」を変えてみましょう。

         

         

        「論理的に考えたり、コミュニケーションをしたり、人生で必要な計算をしたりすること教える一方で、子供たち人生で必要だと思うことするの手助けするようなカリキュラムを作ること大切だ」

         

         

        どうでしょう。この日本語を英語にすることができるでしょうか。無理ですね。皆さんはこのことから何を学んだでしょうか。長くなったので今日はここまでにします。

         

         

        | 高校生のための英文法 | 22:20 | comments(0) | - |
        高校生のための英文法−その2
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          高校生の皆さん、こんにちは。

           

          「大学入試英文法−その1」の解説です。以下が前回の問題でした。読みながらどこに違和感があるか、その箇所を探す問題です。探すというのは、多少知的な作業ですね。でも僕が「違和感」という言葉を使うのは、学習した様々な文法のルールは「感覚的」「身体的」「無意識的」なものにならなければ、使いものにならないと言いたいからです。

           

           

          Creating curricula that help children do what they feel like is necessary in their lives while still teaching them how to reason and communicate and do mathematics that is needed in their lives are important.

           

           

          まず、Creating curricula that help children do までを視野に入れます。最低でも Creating curricula that help までは視野に入れてください。 Creating curricula だけにアイスパン(視野の幅)を固定すると、Creating が動名詞なのか、現在分詞なのか、はたまた分詞構文なのか迷うからです。

           

           

          それでは先に進めませんし、なにより英文を読むスピードが鈍ります。ある程度の早さで読まなければ内容が理解できないのが英語の特徴です。小説を読む場合でも同じです。

           

           

          英文法力とは、読みながら英文をなるべく大きなカタマリに区切って読める力のことです。したがって、Creating curricula という2単語だけを見つめる人は文法力がないと言われても仕方がありません。これはリスニング力とも関係があるのですが、それはまたいつか。

           

           

          Creating curricula that help children do までが視野に入っていれば、that 以下は Creating curricula の説明ではなく、curricula の説明だと分かります。

          curricula curriculum の複数形でしたね。だから関係代名詞 that の直後の help s がついていません。help は複数の curricula を受けているからです。

           

           

          そんなことを考えなければ英語は読めないのかですって?読めません。当然です。読めると思っているのなら、あなたはまだこの英文を読むレベルに達していません。いますぐ文法の基礎からやり直さなければなりません。

           

           

          続けましょう。Creating curricula(カリキュラムを作ること)がこの文のテーマ(主語)で、that 以下はCreating curricula の説明ではなく、curricula の説明だというところまででした。

           

           

          ここで高校生の多くに共通する弱点があります。それは that 以下の説明(後置の修飾部分)を読み始めた途端に、Creating curricula を受ける述語動詞はどれかという意識が薄れることです。この問題はまさにそこを尋ねているのです。この英文はある難関大学の問題です。どんな力が試されているのかわかりますね。

           

           

          僕が授業で繰り返し言っていることは、英語はつまるところ「S+V感覚」だということです。文法上のS+Vでなくとも、意味上のS+Vがいたるところに隠れているのです。これを NEXUS と言います。この「感覚」を強く持つこと。そのためにはどうすればいいのか、それを説明しましょう。

           

           

          その前に、結論を早く知りたがっている人もいるでしょうから、答えを先に言っておきましょう。この文を読んで最大の「違和感」を持つべきところは、最後から2番目の単語 are です。これは is でなければなりません。なぜなら、Creating curricula という動名詞が is の主語だからです。この「S+V感覚」を狂わせるものこそが、SとVの間に挿入される修飾語なのです。もちろんその中には情報として重要なものが含まれていることは言うまでもありません。

           

           

          最初にもどります。that help children do のところです。実はここに「英文法の基礎」が春先のタケノコのように、あるいは氷山の一角のように顔を出しています。that は(関係)代名詞ですから curricula を代入します。すると curricula help children do という英文ができますね。

           

           

          ここは次のように意味を取らなければなりません。

           

          curricula「は」help する、

          children「が」do すること「を」と。

           

          do の後ろには what they feel(×like is necessary in their lives という名詞のカタマリが来ています。

          したがって、このカタマリ全体が目的語になるので「を」をつけます。

           

          もちろん、このカタマリが what を先頭に名詞の「働き」をしていることが分からなければなりません。前回、文法力とは文中での語またはカタマリの「働き」を理解することだと言いました。

           

           

          さて、忘れてならないのは、Creating curricula を受ける述語動詞はいつ出てくるのか、ということでした。次を見ると接続詞 while で文が続いている。おそらくこの文の後に述語動詞が出てくるのだろうと予測します。次を見ると are important とある。これが Creating curricula を受ける述語動詞なのです。でも動名詞は単数扱いのはずです。したがって、are is に訂正しなければなりません。

           

           

          ここまでを、語順に沿って日本語にしてみましょう。while が導くカタマリは省略します。

           

           

          カリキュラムを作ること「は」

          (それはどんなカリキュラムかというと)、

          それ「は」手助けするのだ、

          子供たち「が」、

          人生で必要だと思うことをすること「を」、

          (だからそういったカリキュラムを作ること「が」、)

          重要なんだ。

           

           

          となります。分かりやすい日本語にすると次のようになります。

           

          子供たち「が」人生で必要だと思うことをするの「を」手助けするようなカリキュラム「を」作ること「が」重要だ。

           

           

          このように日本語では、カリキュラムを修飾する部分がすべて前に置かれています。この日本語の「連体修飾の構造」が英語のどのような表現形式に対応するのかという体系的な知識を身につけることは超重要です。

           

           

          同時にというか、さらに大事なことがあります。英語では名詞(文中で主語・目的語・補語になる)が格を持つということです。簡単に言うと、必ず、名詞または名詞のカタマリに「て」「に」「を」「は」がつくということです。英文を読みながら、瞬間的に僕たちはこの作業を行っています。そうでなければ、日本人には英語が理解できないのです。

           

           

          ちなみに、上の日本語訳の「て」「に」「を」「は」を変えてみましょう。

           

           

          子供たち「に」人生で必要だと思うことをするの「が」手助けするようなカリキュラム「は」作ること「を」重要だ。

           

           

          どうです。瞬時に意味がわかりましたか。無理ですね。この文には説明しなければならない重要な箇所がまだたくさん残っています。説明は次回以降に譲ります。分かりにくい解説をここまで読んでくれてありがとう。

           

          | 高校生のための英文法 | 17:15 | comments(0) | - |
          個人的な、あまりに個人的な・・・
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            私は自分の書いたブログをあまり読み返しません。てにをはの間違いに気付き訂正するくらいです。今日は高校生の顔を思い浮かべながら英文法の解説をしようと思っていました。すると思いもかけず、ある曲のメロディーが脳裏をかすめたのです。そのメロディーは一瞬のうちに私を青春時代に連れもどしました。

             

             

            そこで、今日は日曜日だし、政治の話題に辟易しているので、青春時代によく聴いた曲で精神を浄化することにしました。以下にアップした歌は、一つ一つに忘れられない思い出があります。しかし、それは個人的な、あまりに個人的なものなので、書く気になりません。

             

             

            私は青春時代に帰りたいなどとセンチメンタルな感傷に浸ることはしません。何と言っても、青春時代の思考も感情もすべて今となっては正視に耐えられない恥ずかしいものばかりですから。残された人生を先へ先へと歩むほかないのです。

             

             

             

             

             

             

             

             

            | 人生 | 18:06 | comments(0) | - |
            読売新聞の購読を中止し、NHKの受信料支払いを拒否せよ。
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              「高校生のための大学入試英文法−その1」の解説をする予定でしたが、今回は見送りにします。その前にどうしても記録に残しておきたいことがあるからです。解説は次回必ず行います。私は塾の教師なので、この英文法シリーズの講義は少なくとも50回以上行う予定にしています。

               

               

              今回どうしても記録に残しておきたいのは、昨日行われた、前・文部事務次官の前川喜平氏の記者会見の模様です。この会見の詳細をメディアが一切伝えないことに驚いています。

               

               

              歌舞伎役者の妻が亡くなったことを報じるのに比べれば、ニュースバリューの点では全く比較になりません。テレビをはじめとする大手メディアは、このバランス感覚を完全に欠いています。前川氏が記者会見で言う通りです。

               

               

              私はこのブログでNHK、読売新聞、日本経済新聞等を御用メディアだとして批判してきました。産経新聞に至ってはもはや最低限のファクトチェックすらしない捏造ゴロツキ新聞に堕しています。最初からそうだったのですが。

               

               

              国民は、パンとサーカスを与えられ、それに淫する(度を越して熱中する意)ことで批判精神を完全に失ってしまいました。それを育てるべき教育は、受験のためと称して、オタク的で瑣末な知識を競わせる場になっています。

               

               

              このことは以前からブログで指摘しています。塾の教師だからこそ見えるものがあるのです。文部科学省のトップにいた前川氏がメディアを批判するのも、その点を憂えているのです。文部行政は国家を私物化し首相周辺の人間に金儲けをさせるためにあるのではない、との義憤が背景にあるのです。このことは記者会見を見ていてはっきりと伝わってきました。

               

               

              さて、今回私が言いたいことは以下の二点につきます。いかなる企業も収益源を絶たれることを一番恐れています。一人でも多くの国民が以下のことを実行すれば、確実に状況は変化します。

               

               

              NHKの受信料支払いを拒否することもはやNHKは国民に真実を知らせるという役目を完全に放棄しているからです。すばらしい番組を作るプロデューサーやスタッフを守るためにもぜひ実行しましょう。

               

              読売新聞の購読を中止すること。読売新聞は事実を調べることもせず、官邸の意のままに個人を誹謗中傷する記事を書きました。今は、週刊誌の方がはるかにまともな記事を書いています。ついでに、読売巨人軍(なぜ「軍」がついているのでしょう。政府の「軍」だからでしょうね)のファンをやめる。この新聞社のトップが国家を私物化するのに一役も二役もかっているのですから。

               

              以下の動画は神保氏と宮台氏の総理記者会見と前川氏の記者会見、さらにマスメディアの振る舞いについてのコメントです。価値に対するコミットメントについて言及されています。ブログで何度も言ってきたことです。さらに今の政治状況を理解するためのキーワードが散りばめられています。是非ご覧ください。

               

               

              以下は23日の前川氏の記者会見です。フルバージョンです。

               

               

              | 政治 | 08:55 | comments(0) | - |
              愚かな政権のために、私たちの命は風前の灯である。
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                20176202327分ごろ、豊後水道を震源とするマグニチュード5、最大震度5強の地震が、私が住んでいる大分県を襲いました。風呂から出て、歯を磨いているときにバシッという音とともに、家が大きく揺れました。瞬間的だったので、被害はありませんでした。

                 

                 

                動物の体内時計ではありませんが、私の身体に埋め込まれている時計の針は、次の巨大地震まで残された時間はわずかであることを告げています。愛媛県の伊方原発の目と鼻の先に住んでいるので、地震はもちろんですが、原発が暴発すれば故郷も住む場所も失ってしまいます。もちろん被害は九州や四国ばかりでなく、全国に及び、この国は壊滅するのです。

                 

                 

                にもかかわらず、安倍政権は原発を再稼働させています。これがいかに狂気の沙汰であるか、既にブログで指摘しました。

                 

                『ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民』

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=123

                 

                 

                併せて以下の動画も是非ご覧ください。特に大分県に住んでいる人は必見です。動物は本能的に危険を察知できますが、これから起こることをシミュレーションし、対策を建てることができるのは人間だけです。

                 

                 

                 

                 

                ところで、最悪の破局を避けるために私たち国民にできることは何でしょうか。具体的には次回の選挙で安倍政権・自民党、公明党、日本維新の会に投票しないことです。「代わりになる政党がない」等と、子供じみたことを言っている場合ではありません。

                 

                 

                とにかく安倍政権を倒すことが先決なのです。敵を見誤ってはなりません。それ以外に、あらゆる機会をとらえて安倍政権に異議申し立てをしなければなりません。それを阻止・妨害するために共謀罪の成立を急いだのですから。

                 

                 

                目の前の政治や社会の動きから距離をとり「自分は○○なので発言は控える」という態度をとる人がいます。しかし、音楽家も、料理人も、百姓も、漁師も、スパーで働くオバちゃんも、学生も教授も一市民としての責任を負うのが民主主義社会のはずです。彼らはその責任を放棄して逃げている。

                 

                 

                憲法学者の長谷部恭男氏が二日ほど前の朝日新聞で述べています。「自分の頭でものを考えるか、為政者の言う通りにしておけば間違いないと考えるか。そのせめぎ合いがいま起きているのではないか。右か左かではない。自分で考えて自分で判断をする人は、右であれ左であれ、共謀罪は危ないと思うでしょうし、マフィア政治は良くないと考えるでしょう。」と。まさにその通りです。

                 

                 

                そして次のことも念頭に置いておかなければなりません。

                平時であれば社会から疎まれ敬遠されるような悪意と憎悪に満ちた罵詈雑言を撒き散らしている人間たちが、社会の価値観が変わると一転して、権力者から重用され、その意図を忖度して番犬のごとく走り回るようになること。

                 

                劣化した大衆の感情を救いあげ、一定の方向に誘導することに才能を発揮する政治家が<英雄>として、大手を振って闊歩するようになること。

                 

                日本は着実に、そんな社会へと変化し続けているのです。

                 

                | 中高生の皆さんへ | 13:06 | comments(0) | - |
                公明党(創価学会)の腐敗と堕落
                0

                  公明党は集票マシーンとして機能するだけの利権屋集団に堕してしまいました。それどころか犯罪者集団の一翼を担うことで国民を裏切り続けています。もはや目を覚ますことなど期待できません。宗教団体が権力を持つことのおぞましさを国民は知るべきです。

                   

                   

                  学生時代、それまで暮らしていた六畳のアパートから三畳一間のアパートに引っ越した時のことです。午後8時になると決まって隣の部屋から「ナンミョウホウレンゲキョウ」を唱える声が聞こえてきました。壁が薄いため、その声は筒抜けでした。

                   

                   

                  私は忍耐強い方なので、触らぬ神に祟りなしを決め込むことにしました。生来、どういうわけか宗教を受け付けない体質なのですが、信教の自由は個人の重要な権利だと考えていたので文句を言うことを控えていました。当時、高橋和巳の『憂鬱なる党派』や『邪宗門』を読んでいたことも影響していたのかもしれません。

                   

                   

                  しかし、ある晩のこと、その声はいつにもまして大きくなりました。しかも複数の人間が一斉に経を唱えているようでした。さすがに耐えきれなくなって、隣の部屋をノックしました。そして隣の部屋の住人と初めて対面しました。私は手短に抗議し、部屋へ戻りました。

                   

                   

                  それからというもの、隣人のY君とは、廊下ですれ違った時には挨拶をし、いっしょに銭湯にも行くようになりました。銭湯から帰る道すがら、色々なことを話しました。Y君は私より二歳年下の学生で、出身は東京、親の代からの創価学会の会員だということでした。部屋には立派な仏壇がありました。筋金入りの学会員だったのです。

                   

                   

                  ある夜、ふとしたことで彼と議論するはめになりました。ベトナム戦争が終わった時期で、そのことについて議論になったのです。彼があまりにも社会情勢や世界の成り立ちについて無知だったので、そんなことで生きていると言えるのか、無知の上に築かれた心の平安など何の価値もない、と言ってしまいました。若気の至りと言ってしまえばそれまでですが、これで彼との仲は終わったと思い、彼を傷つけてしまったことを後悔しました。

                   

                   

                  それから一週間、どんな時も欠かすことのなかった午後8時からの読経がピタリと止んだのです。私は不安になりました。Y君が三度の飯を食べるのと同じくらい習慣化していたお勤めをしなくなったのですから。私は謝ろうと思い彼の部屋を訪ねました。

                   

                   

                  そこにいたのは別人かと思えるほど憔悴したY君でした。以前の自信満々で希望に満ちあふれていたY君と同一人物とは思えませんでした。そして私に頼みがあると言いました。数日後、学会員の集まりがあるので、そこにいっしょに行ってほしい、そこでこの前の話をしてほしいというのです。

                   

                   

                  集まりには何人くらいの学会員が来るのか尋ねたら、20人程だということでした。私は気が重かったのですが、Y君のただならぬ様子を見て決心しました。数日後の午後8時、ある学会員の自宅を訪問しました。そこでどんな議論が戦わされたのかは省略します。話し合いが終わったのは午前2時。暗い夜道をY君といっしょにアパートへ戻りました。

                   

                   

                  私は20人の学会員を前に、私の考える社会について、世界の成り立ちについて、理想について話しました。途中反論もされましたが、私は自分の考えを正直に話しました。数の力で圧倒的優位に立っていた彼らが、徐々に心を開いていくようすが手に取るように分かりました。同時に私のかたくなな心もやわらかくなり、最後にはお互いの考えを理解しあえるようになったのです。

                   

                   

                  その後、私は一キロほど離れたアパートに引っ越しました。それからY君が卒業して故郷に戻るまで関係は続きました。別れの日、二人で焼き肉を食べに行きました。

                   

                   

                  当時私の部屋には机がありませんでした。積み上げた本の上に近くの製材所でもらった板を置き、机代わりに使っていたのです。そのことを知っていたY君は、使っていた自分の立派な机を私に譲りたいと言ってくれました。私は思い出の品としてもらうことにしました。お礼を言い、それからY君のアパートに帰り、深夜、1キロの道を、途中何度も休憩しながら二人で机を運びました。最後の言葉は「ありがとう。じゃあ、元気で。」でした。

                   

                   

                  なぜこんなことを書くかというと、当時の創価学会の会員の中には、親の代からの筋金入りの会員ですら、自分の信仰を疑う心と知性を持っていたことを知ってもらいたいからです。

                   

                   

                  創価学会の幹部のことは分かりません。元公明党の委員長をしていた矢野絢也氏の『黒い手帖』も読みました。しかし、私がいつも思うのは、自衛隊であれ、創価学会の会員であれ、利用されて捨てられるしかない末端にいる純粋でお人好しの人間の運命についてです。

                   

                   

                  そんなことを考えている折、今の日本の政権与党である公明党の公式アカウントのツイートを見ました。私はわが目を疑いました。これが治安維持法で創始者が獄死した仏教系宗教団体の作った政党のなれの果てなのでしょうか。そこには次のように書かれていました。

                   

                  http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/21/komei-twitter_n_17238182.html

                   

                  3つのKでわかる 共産党ってどんな党?

                   

                  汚い!実績横取りのハイエナ政党

                  危険!オウムと同じ公安の調査対象 公安調査庁のHPには、共産党は「各地で殺人事件や騒乱事件などを引き起きしました」「暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っています」

                  北朝鮮!「危険ない」と的外れな発言

                   

                   

                   

                   

                  これを読んで、ジョシュア・オッペンハイマー監督の映画『アクト・オブ・キリング』を思い出しました。「あいつは共産主義者だから殺してもいい」という理由で、反政府勢力の100万人もの人々が殺されたのです。もちろん、程度の差はあります。しかし根本的な「思想」は同じです。

                   

                   

                   

                  私はこのことに関し、ブログ感情とは何か 私たちは何を信じて生きるのか。』の中ですでに述べています。よろしければお読みください。

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=86

                   

                  | 政治 | 23:57 | comments(0) | - |
                  高校生のための英文法−その1
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                    英文法を使いこなすことは、並べ替え問題や穴埋め問題を解くためのテクニックを身につけることを意味しません。第二言語として英語を学ぶには、英文法は最大にして最終的な武器になります。大学受験生や高校生なら、1年間はみっちり英文法を勉強すべきです。

                     

                     

                    問題は勉強の仕方です。

                    英文を正確に読解するためには、語の意味だけではなく、その文中での働きを確定しなければなりません。もちろん、語の意味と働きを確定するのは同時進行しています。正確に言えば、語の働きを確定することが意味を決めることより意識の上で少しだけ先行しています。しかし、時間にすればほぼ同時ですね。

                     

                     

                    塾で使用している自作の教材『英文法の核心1』から具体例を引いてみましょう。

                     

                     

                    1:He has thrown so much interesting light upon the subject.

                    2:It’s beginning to get light outside.

                    3:The thief forced the safe open.

                    4:You are safe in believing that the news is true.

                     

                     

                    下線部の単語の意味は、働き(名詞か形容詞か)で意味が異なります。これは高校一年生レベルの英文法の初歩の初歩です。1〜4の英文を読んだ瞬間に意味が確定できなければ、英文法の勉強を最初からやり直さなければなりません。

                     

                     

                    人生の中で最もがむしゃらに英文法を勉強したのは高校生の時だったと後になって振り返ることができるといいですね。そんなチャンスはおそらく二度と訪れないでしょう。したがって、到達目標は高く掲げるべきです。

                     

                     

                    以下の問題は、塾では高校2年生の後半にやります。毎年この種の問題に100問挑戦します。大学入試がどのように変わろうと、本物の英文法の力さえつけていれば大丈夫です。

                     

                     

                    余談はこれくらいにして、本題に入りましょう。以下の英文を何度も音読して、どこが間違っているか考えるのですが、次のような場面を想像しながら挑戦してみてください。

                     

                     

                    ご飯を食べているとき、白米の中に小さな石が入っているのに気付かず、強く噛んでしまいます。ガリッという音がして、違和感を感じます。歯が欠けている可能性もあります。いやな場面ですね。そのまま噛み続ける人はいないでしょう。

                     

                     

                    以下の英文のどこに小さな石が入っているのか、それを感覚的に探し出してもらいたいのです。小石が入っているのにそれに気づかないのはまずいですね。きっと御飯もまずいでしょう。「感覚的に」と言いましたが、これこそが重要です。

                     

                     

                    もっとも、違和感があるのは英文法の体系がある程度身についている人でしょう。高校2年生の段階で、違和感がある人はかなりの実力者です。まともな勉強をしてきたに違いありません。

                     

                     

                    さあ挑戦です。自作の教材『考える英文法100選』の中の1文です。少なくとも10回以上は読んで下さい。ガリッと違和感のある小石はどこにありますか。その語を探して下さい。長くなるので解説は次回以降のブログでします。

                     

                    Creating curricula that help children do what they feel like is necessary in their lives while still teaching them how to reason and communicate and do mathematics that is needed in their lives are important.

                     

                    ※ ヒント:小石は二つ含まれています。一つはlikeですね。もう一つは何でしょう?

                     

                    | 高校生のための英文法 | 16:26 | comments(0) | - |
                    人格が空洞化した塾教師は権力と一体化して承認欲求を満たす。
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                      共謀罪は、一般人の、一般人による、一般人のための監視社会を作る法律です。一般人はこの法律の対象にならないそうですが、一般人が何を意味するかその定義はあいまいです。わざとあいまいにしているのです。権力による恣意的な運用を可能にするためです。

                       

                       

                      しかし、この法律の適用対象をはっきりさせるために、「常に一般人」だと認定され、この法律を適用されない人たちがいます。それはどんな人たちか考えてみましょう。その中身は大きく分けて二種類あります。

                       

                       

                      その1:自民・公明・維新の党、特に安倍政権の熱烈な支持者・腹心の友、安倍政権をヨイショする自称ジャーナリスト・物書き、「自主規制」によって政権に迎合する大手マスメディアの幹部、および警察官僚です。

                       

                       

                      その2:原発再稼働を支持し、安倍晋三・昭恵およびモモクロの熱烈なファンである大分市中春日町にあるY田ゼミ塾長センセイ「のような人たち」。いわゆるネトウヨです。彼らは安倍政権を批判する人間に対して差別的暴言を吐きますが、頭がピーマンなので、同じことしか言えません。

                       

                      たとえば、生活保護の受給者は多くが在日コリアンであるとか、日教組の背後にはコミンテルンがいるとか、朝日新聞は反日であるとか、沖縄県知事は中国に操られているといった類の妄想で頭の中をいっぱいにしているのです。

                       

                       

                      フェイクニュースを垂れ流しているのはこういった人たちです。彼らは安倍政権に飼いならされた家畜です。彼らには選択肢というものがありません。選択肢が一つしかない<生>は道徳的に堕落するのです。つまり、鎖につながれて踊る猿(ニーチェ)なのです。

                       

                       

                      ではさっそく、共謀罪の成立で勢いづくY田ゼミ塾長センセイの「芸」をご覧いただきましょう。氏のツイッタ―より。括弧内は私の最小限の突っ込みです。

                       

                       

                      「結局、文部科学省の組織ぐるみの犯行だったのか!国民から選ばれてるわけでもない文部科学省の役人が、自分たちのやりたいことをやり通そうとしてただけだったのか。」

                       

                       

                      (はあ?今回の件は官邸の組織ぐるみの犯行だったのですが、どうしたらこんな見方ができるのか不思議です。これで、いったい塾の教師が務まるのか他人事ながら心配です。Y田ゼミ塾長センセイは以下の記事を読むべきです。そして、事実のレベルできちっと反論してみよ。)

                       

                      前川前次官が「官邸から内閣府の天下り隠蔽を指示された」と証言! 文科省だけ天下り摘発は加計問題抵抗官僚への報復

                      http://lite-ra.com/2017/06/post-3248.html

                       

                       

                      「絶対に政治の話をしない民進党。政治や経済や国民生活を語らずに、加計学園ばかり質問する民進党。なぜ日本の若者は、民進党を嫌うのか、まだわからんか?」

                       

                       

                      (加計学園の問題が、政治や経済や国民生活と関係ないとでも?すべてが繋がっているのに細かく分けて、あたかも別問題のように論じる。これは要素還元主義の悪弊であり、日本の若者は受験勉強を通じてこの考え方を洗練させているのです。きっとY田ゼミ塾長センセイは、想像したこともないのでしょう。)

                       

                       

                      「共産党の小池晃も、エラそうにしゃべってるな。」

                       

                      「民進党の有田芳生が、また吠えた笑」

                       

                      「本当に日本は、世界でいちばん自由な国だと思う。」

                       

                      「さあ、採決が始まった。楽しみだ。」

                       

                      「また牛歩か。みっともないことするな!」

                       

                      「自民党、公明党、維新の参議院議員のみなさん、こんな時間までお疲れさまでした。」

                       

                      「祝、可決!」

                       

                      「安倍さんの悪口を言うだけで、法案のことを正面から議論したがらなかった民進党。なぜ、日本の若者の60パーセント以上が安倍内閣を支持するか、オマエにわかるか、蓮舫!?オマエらみたいな信用できない野党の国会議員がいるからだよ!ボケ蓮舫!」

                       

                       

                      (「悪口を言うだけ」って、国会での議論を「悪口」としか受けとめられないのは、子どもの喧嘩のレベルですね。Y田ゼミ塾長センセイは金田法相の答弁を聞いていたのでしょうか。「法案のことを正面から議論したがらなかった」、いや、できなかったのは安倍政権と哀れな閣僚たちだったのですよ。)

                       

                       

                      「本気でテロに立ち向かう自民党を強く支持します。自民党じゃないと、日本を守れない。」

                       

                       

                      (共謀罪の立法理由であるパレルモ条約批准のためという大前提が、当の国連関係者に否定されている事実を知らないのでしょうね。基本的な事実です。今回の共謀罪は「テロ等防止」目的では断じてありません。Y田ゼミ塾長センセイ「のような人たち」を元気づけるのが目的なのです。

                       

                       

                      この点に関しては憲法学者の木村草太氏のコメントがすべてを言い表しています。

                       

                      今回、テロの危険と監視社会のどっちを選ぶか、みたいな論点が形成されてたんですが、そもそも今回の共謀罪、テロ対策には使えない、使わないものなわけですから、そういう論点の形成自体が間違っていた。

                       本当の論点というのは、テロ対策という政府の嘘を許すかどうかという論点で、この論点であればもう結論は明らかであるわけですね。

                       やはり政府が国民をごまかしに来た時に、多くのメディアがきちんとそれを見抜き、また、有識者もこれはテロ対策というのは嘘だなということをきちっと見抜かないと、国民が正しい判断ができません。

                       ですから、やはりメディアの側も日頃から優秀な専門家とコミュニケーションを取って欲しいと思いますし、やはり今回、テロ対策だからこの法律に賛成したというふうな有識者の方は、ぜひ、本当に自分が発言する資格があったのかどうか、きちんと考えてほしいと思いますね。」
                      と。見事です。

                       

                       

                      ちなみにY田ゼミ塾長センセイは中央大学の法学部(Y田センセイがバカにする私立大学文系)出身だそうです。実行行為の前の段階で逮捕・処罰できる法律は、これまでの刑法体系を根底から覆すものです。法学部出身者として、意見はないのでしょうか。

                       

                       

                      そういえば、自作自演のなりすまし塾長、大分市田尻の「学習空間L」のK塾長センセイも一橋大学法学部の出身でしたね。彼のブログは相変わらず、自己啓発書によくあるスカスカなフレーズのオンパレードです。見事に政治的意見を封印しています。いや、持っていないのでしょう。やれやれ。)

                       

                       

                      私は人格が空洞化したネトウヨ塾長や政治的に無色透明の「おりこうさん」と違って、フェイクニュースを垂れ流しているのではありません。すべて根拠があります。前にも書きましたが、「事実」に基づかないことを憂さ晴らしや欲求不満のはけ口として書き散らすことはだけはしないようにしています。もし私のブログにそういう箇所があれば指摘していただきたいと思います。

                       

                       

                      さて、Y田ゼミ塾長センセイが反論してくることを楽しみにしているのですが、小心者で無知でヘタレな彼のことです。反論を寄せることなどできないでしょう。万が一反論してくれば、ネトウヨ的心性の象徴として徹底的に再批判するつもりです。私が初めて彼を批判したのは3年前。以下の記事でした。ここからスタートしましょう。

                       

                       

                      災厄の犬 3 - 大分・Y田ゼミ塾長氏 

                      http://www.segmirai.jp/essay_library/essay055.html

                       

                      よろしければ以下の二つの記事もご覧ください。

                       

                      災厄の犬1 - 安倍晋三氏 (2014:12:13)

                      http://www.segmirai.jp/essay_library/essay053.html

                       

                      災厄の犬 2 - 安倍晋三氏 Part2 (2015:1:25)

                      http://www.segmirai.jp/essay_library/essay054.html

                       

                       

                      最後になりましたが感想を一言。おそらく日本の主権者の多くは、国の政治体制がデモクラシーだろうが独裁制だろうが、別にどうでもいいと思っているのですね。だからデモクラシーのルールや理念に反することを安倍政権が行いそれを私たちが批判しても、「へえ、そうなんだ」で終わってしまう。残念だけれど、これが今の国民のレベルなのでしょう。

                       

                       

                      「ずいぶんと上から目線じゃないか!何を威張りくさっているのか!」とお考えの方は、どうぞ実名と所属等を明らかにした上で、議論いたしましょう。ただし、青山繁晴、百田尚樹、櫻井よし子のような歴史を平気で捏造するようなメンタリティーの持ち主はお断りします。議論以前の問題ですからね。それに何と言っても時間の無駄ですから。

                       

                      | 政治 | 11:58 | comments(2) | - |
                      私たちは暫定的な足場をたよりに考えるほかない存在である。
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                        共謀罪をめぐる自・公・維新、それに民進党が演じた茶番劇を見ていると、私たちの国の政治は混乱とか混迷という事態を越えて昏睡状態に近くなっているようです。こうなると個人の言動や社会のありようが今の政治を下支えしているのか、政治が漂流する個人や反社会的な団体を生みだしているのか判然としなくなってきます。いわゆるchicken−and−egg problemです。

                         

                         

                        橋下徹というデマゴーグが「決める政治」を声高に叫び出し、それに大手メディアが唱和し始めたころから、私は今日の状況を予測していました。したがって今さら驚きはしませんが、それでも滅びゆくものに対する哀切の情においては人後に落ちないと思っているので、人並み以上に傷つきます。

                         

                         

                        小池知事の「都民ファースト」も、その政治ショー的なばかばかしさから言って、大阪維新の会の東京版を生みだすだけでしょう。その先に何が待ち受けているのか、それは言わないでおきましょう。評論家ではないのですから。ただ、財政破綻と第二の原発事故によって、この国が崩壊するのは、オタマジャクシがカエルになるのと同じくらい自明なことでしょう。

                         

                         

                        あまりに心暗くなる政治シーンはさておき、今回は基本的で初歩的なことについて確認しておこうと思います。そもそも「決める」とは、誰が、何を根拠に「決める」のかということです。

                         

                         

                        結論から言いましょう。人格が空っぽの人間が、無根拠に決めるのです。決めると言えば、葛藤を乗り越え、さまざまな価値を比較した結果のように聞こえますが、そんなことは断じてありません。決断力のある人と言えば、日常生活では一見頼もしく聞こえますが、政治の世界では単なるお調子者、目立ちたがり屋を意味するだけです。

                         

                         

                        幸か不幸か人生は選択の連続です。選択とはあることに関して価値判断を下すことです。Aという価値判断を下しても、それと対立・矛盾するBという価値判断が控えています。二つの価値を調和・併存させるためには、より上位のCという価値を見つけなければなりません。これはとてもエネルギーのいるつらい作業です。

                         

                         

                        どんな意見も互いに等価であるなどというのは、おふざけにすぎません。そこに優劣があるからこそ、人はより高い価値判断を求めて生きることができるのです。他者の言い分を理解するということは、自分の内部に折り合いのつかないいくつもの意見が併存することを意味します。互いに相反する価値が自分のうちに併存すれば、身動きが取れなくなって、その人の<生>は無気力に沈むしかありません。

                         

                         

                        よりよき<生>を生きるためには価値判断を下さなければなりません。なぜなら、自分が他者や世界を理解するために取入れた様々な観念、言葉の間の優劣の判断を下さなければ自分が何者であるかわからなくなるからです。逆にそうなるのを恐れてたった一つの観念・イデオロギーだけを頼りに生きれば、それが拘束衣となって精神を締め付け硬化させるだけです。

                         

                         

                        絶対的な価値判断などありません。価値判断は常に相対的なものです。それは絶えざる「仮の足場作り」に過ぎません。

                         

                         

                        決断の内実は「空っぽ」です。特に政治的な決断は、「空っぽ」であることを覆い隠すために断定的で、勇ましく聞こえますが、内実に変わりはありません。橋下徹しかり、石原慎太郎しかり、小池百合子しかり、菅官房長官しかり、安倍晋三しかりです。

                         

                         

                        彼らは政治家として最も困難な「暫定的な足場作り」から逃げたのです。しかし、そもそも思考するとは、暫定的な足場作りでしかありません。政治的な決断とは、絶えざる足場作りの結果、暫定的になされるものです。エネルギーのいるつらい作業を途中で放棄し「空っぽ」の人格が下した決断は、国家を破滅に導きます。

                         

                         

                        彼らは、たまたまある人の考え=言葉に出会って、それを絶対化したのです。この国の属国ぶりが何よりもこのことを雄弁に物語っています。その要因は彼らの成育歴にあるのですが、ここでは触れません。つまりお手軽なイデオロギーに人格を乗っ取られたのです。

                         

                         

                        彼らの発する言葉は全く同じ調子の中身のない単なる呪文のようなものになっています。例えば、大阪維新の会のヤクザと見紛うばかりの言葉を見よ。それは、他者への絶対服従を意味します。何度も言うように、言葉こそが、彼らがどのような集団に絶対服従を誓っているのかを示しているのです。

                         

                         

                        彼らにとっては、そういった言葉によって作り上げられた世界観だけがリアルに感じられるのです。その世界観に異議を唱える、別の生き方をする複数の他者は全く存在しなくなります。

                         

                         

                        彼らの言葉は、本質的なところで、財界首脳の言葉と同じです。例えば、「日本の国力」「国益」「日本経済」「毅然として」など。こういった言葉を平気で吐ける人間は、他者の抱く価値観に、実は、何の関心もないのです。だからこそ、彼らの精神は葛藤から無縁でいることができます。葛藤から無縁だということは、単なる駄々っ子にすぎないということです。その言葉を仔細に観察すれば、他者への冷酷な無関心と張り合わせになっていることがわかります。

                         

                         

                        つまり、彼らは仮の足場を基礎に比較や試行錯誤を続けることの価値がわからないのです。気付いてもいません。当然、仮の足場が仮にでも固定する瞬間がくることなど経験したこともないはずです。

                         

                         

                        仮の足場が仮にでも固定する瞬間とは、誰のどういう情報ならば信頼できるかというある程度客観的な基準ができあがることを意味します。私がブログで何度も言ってきたように、その瞬間こそが、自分の存在と世界との新しい関係を手にする瞬間です。信頼に値する他者とは、いつ崩れるかわからない不安定な相互信頼の中で価値の相克に悩みながらも、常に比較と試行錯誤を続けている人です。

                         

                         

                        彼らは決して無根拠に物事を決めたりしません。無根拠であることが最も根拠のあることなんだ、つまり決めたんだから決めたんだ、だからそれに従えという安倍政権の「空っぽ」の決断から最も遠くにいる人間です。

                         

                         

                        そもそも、思想などというものは、生き方として少しずつ分泌されるものであって、外部にある権威ある思想の中から拾ったり捨てたりするものではありません。私にできることは、人間を人間たらしめている言葉すなわち伝統としての言葉の用法を自分が直面する時と所と状況に応じて使い分けることくらいです。

                         

                         

                        その時に唯一支えとなるものが、価値の優劣に関する解釈体系としての道徳なのです。論理それ自体は、自分の意見を少しでも多くの人に納得してもらうために最低限必要なものですが、それを目的にすることも、私たちの存在を支えることもできません。長くなりました。続きはまたいつか。

                         

                        | 政治 | 23:45 | comments(0) | - |
                        <時間>を胚胎する建築
                        0

                          建築における重要な要素は、空間の構成であり、素材であり、思想性だということに異論はありません。しかし、何か重要なものが欠けています。そのためか、東京のありふれた街を歩いたときに感じた違和感はいつまでも私の精神に引っ掻き傷のように残りました。ファッショナブルでアバンギャルドな雰囲気とは逆に、無意識の堕落を誘うようなものが街の風景の中に漂っていて、ここでは暮らせないという思いがこみ上げてきました。

                           

                           

                          同じ大都会でもロンドンやパリ、バルセロナ、ニューヨーク、ボストンといった街では感じない空虚感というか、何かが捏造されているような感じが東京にはあります。まるでアリバイ工作に精を出しているような弛緩した風景の中には、生存のよりどころになるものがないと感じるのです。

                           

                           

                          その大きな理由は、東京がうっすらと放射能に汚染されている(場所によってはかなり高濃度に)こと以外に、もともと生産の場であり生活の場であった場所が、バブル経済を境に投機目的の<土地>という記号に読み換えられていったことにあるような気がします。

                           

                           

                          ヒルズやコートといった空々しい名前の超高層マンションやオフィスが作り出した空間は、私にとっては、人々が記憶を重ね合わせることのできる場所、日常の営みや自らの生存と深くかかわった場所にはなり得ないと直観させたのです。

                           

                           

                          もちろんそこにも人々の生活があることはわかっています。それを否定するつもりなどありません。ただ、場所が<土地>という記号に読み換えられていった結果、その<土地>にはそれにふさわしい種類の人間たちが住むようになったのではないか、というのが私の仮説です。

                           

                           

                          彼らの発想の中心にあるのは「自分に必要のないもの、あるいは自分に理解できないものは、世の中に要らないものだ」という、恐ろしく単純なモノサシのような気がします。それが証拠に、彼らは決して今の政治状況に対して異議申し立てをしません。デモをする学生に「頭の中にウジがわいてるんじゃないの」とか「デモする暇があったらバイトでもしろよ」と言って罵倒しています。

                           

                           

                          エリートだの富裕層だのとおだてられ、自分の考えを疑うこともせず、本まで出版しています。中身はスカスカで、同じ業種の人間ばかりでなく、出版社のトップが宣伝を買って出ています。彼らは、前にも書きましたが、新しい文化の先導者ではありません。自作自演となりすましが生き方そのものになっている「成金」に過ぎません。

                           

                           

                          話がそれました。建築にとって欠かすことのできないもう一つの、いや、最も重要な要素は何か、という問題でした。それは<時間>です。<時間>をめぐっては、このブログで何度も述べてきました。ある<場所>にビデオカメラを据え付けて30年間撮り続けるとします。その後、カメラを取り外して早回しすれば、そこに時間が映っています。物事の<変化>という形で。昔『八月の鯨』という映画を見た時、このことを痛切に感じました。

                           

                           

                          建築行脚を始めてもうずいぶんになりますが、今になって思えば、私が惹きつけられた建築は、生み出されてから今日までの時間の経過を想像させ、なおかつ現在も美しいと思える建築だったのです。素材も空間の構成も、それを際立たせる光の制御も、時間の試練に耐え、時間に洗われて益々美しくなる建築でした。

                           

                           

                          例えば、金沢21世紀美術館が、妹島和世と西沢立衛という二人の建築的才能が生み出したものであることに異論はありません。

                           

                          金沢21世紀美術館

                           

                           

                          しかし、その後に訪れた白川郷・五箇山の合掌作りは、空から宇宙船が舞い降りたような斬新な建築よりもずっと私の琴線に触れるものがありました。そこに積もった時間と土着的な文化の固有性が私を感動させたのです。それは、風土的なその土地固有の建築でした。無名で、自然発生的で、土着的な佇まいを持つ建物の素朴さこそが日本文化の基底部を形作っているのだと確信しました。

                           

                           

                           

                          振り返ると、二十代の中頃から、そういった建築に興味を持つようになりました。宗教には無頓着であるにもかかわらず、数世紀を経た教会や修道院の静謐な佇まいに憧れを抱いていました。その中の一つにフランス中部にあるシトー派修道院建築の一つ、ノアラック修道院があります。後年、ル・コルビュジェのラ・トゥーレット修道院やロンシャンの教会に出会う以前の原体験となった建築です。

                           

                          ノアラック修道院

                           

                           

                          ノアラック修道院の手入れの生き届いた庭

                           

                           

                          最後に是非紹介したいのが、篠原一男の「土間のある家」です。以下の画像は篠原一男の「白の家」ですが、私はむしろ「土間のある家」のほうが好きです。

                           

                           

                          その篠原一男が設計した軽井沢にある「土間のある家」。この古びた佇まいが時間の経過を表しています。森の中の小動物の巣といった風情で、生活に必要なものだけに囲まれて、季節の移ろいを感じながら暮らしたいですね。

                           

                           

                          「土間のある家」の土間部分。何とも言えず懐かしい空間です。

                           

                           

                          右のテーブルに畑で取ってきた野菜を置き、長靴を脱ぎ、簡単な食事もする。疲れたら、一段上がった左の畳敷きの部屋でごろりと横になって昼寝をする。ああ、少年のころ、こんな間取りの家がありましたね。これこそが終の棲家です。私は都会の超高層マンションには生理的に住めません。

                           

                           

                          | 自己救済術としての家作り | 18:05 | comments(0) | - |
                          日本が民主主義国家ですって!?ご冗談でしょう!
                          0

                            日本は戦後一貫してアメリカの属国であり、政治・軍事・経済・教育・文化はすべてアメリカの指示と政府の洗脳政策により、国民が自らの意思で受容したように偽装されてきました。もちろんその中には現に私が恩恵をこうむっていて、今さら手放すことなどできないものもあります。アメリカ由来の物を何でも排斥すれば済むというものではありません。そんなことは土台不可能です。

                             

                             

                            日本が長い下り坂を下っていくときに、私たちが改めて選択し直すべきものがアメリカ文化の中にはあるはずです。私たちは一度立ち止まって、それを慎重に腑わけしていく作業にとりかかるべきです。

                             

                             

                            その前提として、歴史的な事実の検証を100年という歴史的なパースペクティブの中で行わなければなりません。ここでは日本が犯した過ちと正解を一つずつ指摘したいと思います。

                             

                             

                            まず過ちです。それは、アメリカが広島・長崎に原爆を投下して一般市民を無差別大量虐殺したにもかかわらず、国民はアメリカを戦時体制からの「解放者」とみなし、そこに希望を託したことです。あまりに根の深い問題なので今はこれ以上触れません。

                             

                             

                            次に正解です。それは、身を持って戦争の<悲惨さ>を経験した国民が、そのときの感情の正直な発露として現行憲法を受け入れ、積極的に支持したことです。それは310万人の命と引き換えに、国際社会に不戦の誓いを宣言したものでした。惜しむらくは、戦争の<悲惨さ>に目を奪われるあまり、その<本質>を見極めるだけの目を持っていなかったことです。

                             

                             

                            以上のことを念頭において、今のこの国の政治状況を眺めれば、日本が民主主義国家だというのは悪い冗談以外の何ものでもありません。北朝鮮の正式名称が朝鮮民主主義人民共和国」であるのと遜色ありません。

                             

                             

                            疑う人は以下の動画をご覧ください。日本は民主主義国家だと勘違いしていれば腹も立つでしょう。政治家は民主主義を根付かせるべく怒り、告発しなければなりませんが、国民はこの<惨状>をよく見つめ、忘れず、次回の選挙でどのように行動すべきか冷静に判断すれば済むことです。

                             

                            最後になりましたが、もしよろしければ2年前の記事『歴史の暮方・その1』もあわせてお読みください。

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=8

                             

                            以下の二つの動画は、日本の「民主主義」の現状を認識するために必要不可欠なものです。ここで展開されている議論は、これから先の日本を決定的に方向づけるものです。イエスかノーで答えられる簡単な質問をはぐらかし、重要な事実を隠蔽すれば1年と経たずして、この国は崩壊への一歩を踏み出すことでしょう。

                             

                             

                             

                            | 政治 | 12:22 | comments(0) | - |
                            忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は・・・
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                              今朝、散歩の途中で突然浮かんだ歌をタイトルにしました。百人一首の中で最も有名な平兼盛の歌です。これは母が大好きだった歌で、幼少のころからよく聞かされていました。

                               

                               

                              ・ 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

                               

                               

                              (あの人を思う気持ちを、誰にも知られないようにと、じっと包み隠してきましたが、とうとう隠し切れずに顔色に出てしまいました。恋に悩んでいるのですかと、人から聞かれるまでに・・・)

                               

                               

                              なぜこんな歌が突然心中によみがえったのかというと、ブログで<詩的言語>について書いていたからでしょう。前文部事務次官の前川喜平氏に関連して、6月3日のブログで次のように書きました。

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=359

                               

                               

                              「どの世界にもある『こういうときは、こうするものだ』という定型的な発想は仕事の効率を高めてくれますが、上で述べたように、精神が乗っ取られ、硬直化していくことは避けられません。前川氏は官僚のトップに上り詰めたにもかかわらず、そういった言葉に違和感を抱いていたのだと思います。 

                               

                              自分たちの使う言葉は現実から遊離した定型的なものだと自覚しているがゆえに、それを逆手にとって、様々な可能性を開く別の言葉の世界を自分の中で作り上げていったのだと思います。言いかえれば、環境と癒着してしまっている自分の足元を見つめる言葉を探していたのです。それはこれまで築き上げてきた自分を破壊することを意味するのですが・・・。もちろん前川氏は百も承知だったと思います。」と。

                               

                               

                              「様々な可能性を開く別の言葉の世界を自分の中で作り上げていった」ことによって、前川氏は、権力にからめとられない、国民の側に立った自分の生き方を貫くことができたのだと思います。これこそが、現実を祖述するだけの言葉とは違う<詩的言語>の持つ力です。

                               

                               

                              前川氏はインタビューで「面従腹背」という言葉が座右の銘だと述べていました。政治の世界にいる者が、正気を保つために絶対に忘れてはならない言葉です。普段は現実に順応するふりをしていても、いざとなれば、現実を支配する力に決して屈服しない、屈服してはならないという抵抗の姿勢を宣言した言葉です。いわば「仮装された順応主義」「反語的順応主義」のことです。わが国の官僚や政治家に最も欠けているものです。

                               

                               

                              私はこの言葉が前川氏の口から出た時、その知性のみならず政治姿勢に対して快哉を叫んだものです。「忍ぶれど 色に出」るのは、恋心だけではありません。知性もまたその人が話す言葉、選択する語彙、間、声、表情といったものすべてに出るのです。安倍首相や菅官房長官のそれとは次元が違います。

                               

                               

                              読売新聞(ゴミ売り新聞と読みます)が、前川氏の「印象操作」を懸命になってやっているときから、私の前川氏に対する評価は揺らいでいません。この人は信用できると判断したのは、彼の持っているもう一つの言語宇宙のせいです。つまり、現実の奴隷になることから人間を解放する<詩的言語>の世界を持っている人物だと確信できたからです。

                               

                               

                              昨日偶然、前川氏の姪御さんが27歳のときに書いた文章を読みました。今から5年前、2012年の10月に投稿された「キヘイおじ入院」と題する、ユーモラスな文章です。是非お読みください。

                               

                              http://nakasone-family.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08-1

                               

                              その中に次のような記述があります。

                               

                              「結婚する時、(前川氏は)挿絵も自分で描いた詩集(結構良く出来ていると評判)を自費出版し「愛の証」としてプレゼントしたロマンティストぶり。まぁ、妹達は『よくぞ兄の所などに来て下さった』とお嫁さんに大感謝したそうです。

                               

                              ・ 大学で第二外国語はロシア語専攻。留学はイギリスのケンブリッジ大学大学院。海外赴任はフランスのパリへ。語学が堪能。
                              ・ 約30年間、殆ど朝4〜5時に帰宅し、仮眠又は着替えるだけで又出勤。早ければ夜中1〜2時に帰宅できることもあるとか。
                              ・ 足の指を骨折したが、病院に通う時間がなく自然治療。少々の体の不調は黙殺。
                              ・ 自分の信念を曲げない、圧力に負けない強い人。相手が誰であれ、言うべき事は言う。辞表を懐にしまいながら仕事をした。」

                               

                               

                              私はこのくだりを読んだとき、妙にうれしくなりました。予想した通り、やはり前川氏は心中に<詩>を抱いた人だったのです。人を見る目の確かさを誇るつもりなどまったくありません。大学では第二外国語はロシア語を専攻したとのこと。これも私と同じです。きっと、プーシキンの詩やチェーホフの短編集をロシア語で読もうと思ったのでしょう。

                               

                               

                              彼のような人物が官僚のトップにいたことで救われた人もいるのではないでしょうか。私もその一人ですから。

                               

                               

                              | 中高生の皆さんへ | 16:14 | comments(0) | - |
                              君の魂くらい、君自身が救え!
                              0

                                学ぶことは自分を壊すことである、の続きです。でも、これは多くの人が気づいていることですね。だから、学ぶことは怖いのだと。

                                 

                                 

                                僕たちはものを考えるとき、言葉を使います。その言葉は自分で作り出したものではありません。この国の歴史や文化、言ってみれば環境が作り出したものです。つまり、思考は環境に規定されています。ということは、言葉を使って思考する以上、誰も本当には自由ではあり得ない、ということになります。

                                 

                                 

                                それは、限られた材木を使って家を建てるようなものです。鉄骨もコンクリートも使えないとしたら、ずいぶん窮屈な建築になります。素材も量も限られているのですから、壁の面積、梁の長さ、天井高も最大値は決まってしまいます。そうなると空間の構成を考えるしかありません。視線の抜けや、光を制御することで空間に独自性を出す道が残されているだけです。

                                 

                                 

                                考えるということは、本質的に窮屈なのです。たとえば、学校や会社のみならず芸能界やヤクザの世界でも、そこで流通する言葉があり、文法があります。そこで生きていくためには、そこで使われている言葉を覚えなければなりません。

                                 

                                 

                                あなたが今、非常に難しい部位にある脳腫瘍の摘出手術に立ち会っているとします。術式からメスの種類に至るまで、すべてのものに名前があります。その意味が分からなければ、これから何が行われようとしているのか、まったく見当もつかないでしょう。

                                 

                                 

                                普通、学習とはある世界で流通している専門用語を覚えることだと考えられています。もちろんこれ自体とても重要なことです。皆さんの学習の大部分はこのことに費やされているはずです。

                                 

                                 

                                しかし、僕が言いたいことは、そのことではありません。実はもっと深い学習がある。それは自分という存在を温存したままでは決して手に入れることのできないものです。逆に言うと、自分と世界との新しい関係を手にするための学習です。

                                 

                                 

                                それは、現実を記述する言葉ではなく、「言葉そのものの世界」を作ることを意味します。現実に乗っ取られていない言葉の世界だと言ってもいいでしょう。もし僕たちの<生>に独自性があるとしたら、そういった言葉で作られているはずです。

                                 

                                 

                                何を言いたいのかといえば、言葉には現実の世界をなぞったもの、つまり環境の奴隷になることを受け入れる言葉と、現実から距離を取り、現実を俯瞰する言葉があるということです。そして僕たちの学びが本物で深くなるためには、言葉そのものの世界を作る必要があるのです。

                                 

                                 

                                繰り返しになりますが、僕たちは言葉を使って考えます。その言葉は他者というか、社会が作り出したものです。つまり僕たちは他人が作ったリモコンによって動かされているロボットのようなものです。

                                 

                                 

                                個性だと考えられているものですら、実は他者によって作り上げられたものです。遺伝的なものに加えて、好き嫌いや趣味や美意識ですら、成長過程で周囲とかかわり、影響を受ける中で形成されるものです。

                                 

                                 

                                では、一体どうしたら言葉の小宇宙を作ることができるのでしょうか。今回はそのためのヒントを述べてみます。それは、今いる世界(学校や会社など)の中で無意識に使われている言葉に対して違和感を持ち、違う言葉で表現してみようと思うことです。

                                 

                                 

                                そのためには、言葉の小宇宙の中心には、詩的言語と呼ばれるものがあることを理解しなければなりません。それは受験勉強で覚える言葉でもなければ、微分方程式を解く手順を覚えることとも違います。現実には何一つメリットをもたらしませんが、それは人間を人間たらしめているものです。

                                 

                                 

                                具体的に話しましょう。今、僕の前に2冊の詩集があります。2冊とも同じ若い詩人のものです。適当にページをめくって、その中の言葉の一部を書き出してみます。

                                 

                                 

                                  柩(ひつぎ)はしずかで

                                  なにも解さない

                                  雪はふいに降ってきて

                                  人の手に抱きかかえられた遺骨のような冬は

                                  ただ寒々と

                                  そこに転がっている

                                 

                                別の詩の一部分。

                                 

                                  アメンボの

                                  這うすいめんを

                                  わたしは冷たくまなざしている

                                  水草のようにそよいでいるきみの

                                  その深さは

                                  どこへとむかう深さだろうか

                                  夏

                                  毅然として立つきみのシャツは

                                  いつも白い

                                 

                                さらに別の詩の断片。

                                 

                                  夏の小舟は

                                  揺らめきをおびて

                                  わたしをすくう

                                  その揺らめきのなかでわたしは

                                  もうひとつの死へと

                                  予感をかぞえる

                                 

                                  あといくつの夏を経て

                                  山をいだき

                                  わたしは年をかさねるだろう

                                 

                                さらに散文詩の一部。

                                 

                                 

                                どうしてここは、こんなに眩しいのか。太陽ばかりだ。どこもかしこも、光り輝いている。牛がきれいすぎる。自然のように、草にひざまずいて、もう動かない。眩しいなかで、動けなくなる。光り輝いている。空が青い。雲がいくつか浮いている。牛がきれいすぎる。ほんとうは牛が家具になっているのではないかと、ふれて確かめたくなる。

                                 

                                 

                                 

                                こういった詩的言語は、現実の世界に何ももたらしはしません。偏差値が上がるわけでもなければ、合格への意欲を掻き立ててくれるものでもありません。しかし、一瞬、現実の世界を脱色せしめ、その向こうに魂の安らぐ場所を垣間見せてくれます。

                                 

                                 

                                人間は言葉を使う動物です。現実が耐えられないほど過酷であるとは、現実の言葉の呪縛から逃れられないことを意味しています。そんな傷ついた魂を治癒するものこそが、詩的言語の小宇宙なのです。たまには、詩集の一冊でも読んでみてはどうでしょうか。

                                 

                                君の魂くらい、君自身が救え!

                                 

                                 

                                | 中高生の皆さんへ | 12:22 | comments(3) | - |
                                安倍晋三教の信者は、被害妄想と記憶喪失の人間ばかりである。
                                0

                                  今からひと月半ほど前、『偏差値と知性は比例しない。一橋大学が百田尚樹氏の講演会を開く件について』というタイトルでブログを書きました。

                                   

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=338

                                   

                                  今回は前回のブログの続きを書く予定でしたが、上記のブログの内容に関して新しい状況が生まれたので、まずそれについて少しコメントしておきます。

                                   

                                   

                                  百田氏の講演会は中止になったのですが、一橋大学の学生さんの中にはまともな人もいるのだと、安心もし、心強くも思いました。KODAIRA祭実行委員会は中止理由を「KODAIRA祭の理念に沿うものでなくなってしまったこと」としています。

                                   

                                   

                                  それについて百田氏は2日午後11時35分ごろ、「私のところにはまだ講演中止の連絡がないのだが…」と自身のツイッターで投稿し、「中止が本当だとして、サヨクの人たちはそれで満足なのだろうか。自分たちの行ないが、『おぞましい言論弾圧』であり、ファシズムの容認であるということさえ気付いていないとすれば、彼らには『言論の自由』も『正義』も語る資格はない」と続けています。

                                   

                                   

                                  さらに3日、同じく自身のツイッターで「聞くところによると、講演を企画した学生たちは、サヨクの連中から凄まじい脅迫と圧力受け続けていたらしい。ノイローゼになった学生や、泣き出す女子学生までいたらしい」として、左派系団体から嫌がらせがあったと主張し、「おぞましさに吐き気がする」と非難しました。

                                   

                                   

                                  しかも、自分たちで取材することもせず、「らしい」という伝聞を記事にする新聞社まで現れました。もちろん、かの産経新聞社です。

                                   

                                   

                                  それにしても、自民党主催の芸術文化懇和会で「沖縄の二つの新聞はつぶさなあかん」と『おぞましい言論弾圧』をしていた御仁がこの発言です。普通、まともな思考力と記憶力のある人間なら自分の発言が以前の発言と矛盾しているくらいのことには気づくものです。

                                   

                                   

                                  しかし、彼らは単なるデマゴーグなので、論理的な整合性などどうでもよいのです。百田氏の言説は本質的にヘイトスピーチそのものです。一橋大学の学生の皆さんはそのことに気づいたのです。彼のようなバカを講演に呼ぶこと自体が、大学本来のあり方からしておかしいと思うのですが、今は全国津々浦々の大学に、偏差値にかかわりなく、少数のファナティックなネトウヨ学生がゴキブリのごとく湧いているので、仕方ないのかもしれません。

                                   

                                   

                                  今回、この百田氏に同じ穴のゴキブリ・長谷川豊氏がエールを送っています。そうです、あの「透析患者は費用を自己負担せよ!」と叫んだ、元アナウンサーです。次回の選挙で日本維新の会から立候補するそうです。

                                   

                                   

                                  長谷川氏の言っていることは、バカなリバタリアンがいかにも言いそうなことです。彼は社会福祉の本質に関して、小学生でも理解できることを理解できていません。日本維新の会の橋下徹と寸分たがわぬ発想です。類は友を呼ぶとはよく言ったものです。彼のツイッタ―を引用します。

                                   

                                   

                                  「百田さん、どうか一橋大のみんなを許してあげてください。 僕自身も経験しましたが、心底の恐怖を感じるレベルまでの執拗な攻撃をしてくるんです。良ければ今度僕に届いた殺害予告、お見せしますね。 素人さん…ましてや学生さんに耐えられるもんじゃない。 言論弾圧は戦前よりヒドイ状態です。」

                                   

                                   

                                  だそうです。自分たちはヘイトスピーチを撒き散らす側であるにも関わらず、まるで言論弾圧を受けている被害者のようにふるまっています。これこそまさに安倍晋三教の信者の特徴です。日本維新の会や公明党が安倍晋三を教組と崇め、その教義に吸い寄せられるのも理の当然です。このいかがわしい新興宗教は、入信するや否や、思考力も統一的な価値判断を下す人格も喪失させるのです。

                                   

                                   

                                  さて、この二人がいかに事実を捏造しているかは、以下の一橋大学の学生さんのツイートを読めば一目瞭然です。

                                   

                                  「耕平‏ @H2OEARTHMAN 6月2日返信先: @hyakutanaokiさん
                                  百田先生、一点勘違いをされています。反対運動をしたのは「サヨク連中」でも「外部圧力」でもありません。私をふくめた一橋大学の在学生です。在学生の反対署名・抗議コメントを集めて提出しました。学内の反対集会には100名以上が集まりました。今回の反対は一橋内部学生の声によるものです。
                                  225件の返信 1,530件のリツイート 1,163 いいね」

                                   

                                   

                                  橋下徹や日本維新の会の発想は、近いうちにまとめて批判するつもりです。なぜなら、彼らは、隙あらば教組をひきずりおろし、自分たちが「真正バカタリアン党」を立ち上げようと狙っているからです。

                                  ついでに以下の記事も参考までにご覧ください。

                                   

                                  https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/hyakuta-kodaira-fes?utm_term=.kqxKaDkgm#.cmZ95zoG1

                                   

                                  | 政治 | 12:30 | comments(0) | - |
                                  学ぶことは、自分を壊すことである 。
                                  0

                                    高校生の皆さん、こんにちは。

                                     

                                    前回のブログで「自分と世界との新しい関係を手にするということは、人格崩壊のきしみを発するかもしれません。しかしそれは、人間再生の福音なのです。」と書きました。高校生の読者の方から、抽象的でよくわかりません、という批判をいただきました。こういう批判や質問は大歓迎です。

                                     

                                     

                                     

                                    今回から数回に分けて、自分と新しい世界との関係を手にするとはどのようなことか、どうすればそれができるようになるのか、について説明してみたいと思います。でもその前に、それをすでに実践している人物がいます。その人の言動をよく見ればこの二つの問いに答えるヒントになるはずです。

                                     

                                     

                                     

                                    その人物とは、前文部事務次官の前川喜平氏です。時の人ですね。しかし、世の中には前川氏だけではなく、同じようなことをしている人はたくさんいます。ただ僕たちがそういう人の価値に気付いていない、いや、気付かないように教育されているのです。

                                     

                                     

                                     

                                    僕は前川氏の出会い系バー通いに注目しています。いや、積極的に支持しています。彼の発想を実行に移せば当然そうなるはずだと考えるからです。逆に菅官房長官は前川氏を個人攻撃するための格好の材料にしています。

                                     

                                     

                                     

                                    出会い系バーをいかがわしい場所だと考えるのは当然そこで働く人をもいかがわしいと考えていることを意味します。前川氏が菅官房長官と同じ発想の人間であれば、今度の件は明るみに出ることはなかったのです。

                                     

                                     

                                     

                                    人は誰でも、ある立場なり環境の中で生きています。それは、その環境の中で使われている言葉を使うことを意味します。ということは、僕たちの意識は言葉によって規定されているわけですから、知らず知らずのうちにその環境の奴隷になっていると言えます。精神が乗っ取られ、硬直していると言ってもいいでしょう。

                                     

                                     

                                     

                                    官僚であれば、その世界で当然とされている言葉の使い方=コードがあります。簡単に言うと「こういうときは、こうするものだ」という不文律があるわけです。官僚が世間を知らないと言って批判されるのは、彼らの使う言葉が現実から浮いているからです。これは言葉の性質上やむを得ません。大所高所から何らかの青写真を描こうとすれば、言葉は現実から浮かざるを得ないからです。

                                     

                                     

                                     

                                    どの世界にもある「こういうときは、こうするものだ」という定型的な発想は仕事の効率を高めてくれますが、上で述べたように、精神が乗っ取られ、硬直化していくことは避けられません。前川氏は官僚のトップに上り詰めたにもかかわらず、そういった言葉に違和感を抱いていたのだと思います。

                                     

                                     

                                     

                                    自分たちの使う言葉は現実から遊離した定型的なものだと自覚しているがゆえに、それを逆手にとって、様々な可能性を開く別の言葉の世界を自分の中で作り上げていったのだと思います。言いかえれば、環境と癒着してしまっている自分の足元を見つめる言葉を探していたのです。それはこれまで築き上げてきた自分を破壊することを意味するのですが・・・。もちろん前川氏は百も承知だったと思います。

                                     

                                     

                                     

                                    それは次のようなつぶやきとなって現れました。「貧困に苦しんでいる女性は、今の世の中でどんな暮らしをしているのだろうか」と。これは「こういうときは、こうするものだ」という官僚の世界のコードを逸脱するつぶやきです。それは言葉が持っている行動をうながす力そのものです。

                                     

                                     

                                     

                                    前川氏の行動は、既存の環境の奴隷、つまり「こういうときは、こうするものだ」というコード=言葉に乗っ取られている人には理解しがたいものでしょう。前川氏の行動について作家の百田尚樹氏は次のように言っています。

                                    「62歳で風俗店に週4回も通って女の子を持って帰って。その言い訳が調査やてどんだけ恥ずかしいねん」と。いかにも彼らしい。「どんだけ恥ずかしいねん」という言葉をそのままお返ししたいですね。

                                     

                                     

                                     

                                    僕が百田氏のことをパクリ専門の、貧困な想像力しかない売文家だという理由です。こういう作家はつまるところ幻冬舎の見城徹のような人物に支えられて、権力のスポークスマンを務めることで生き延びるしかないのです。共謀罪が成立すれば、この種の人間が跳梁跋扈するようになるのは間違いないでしょう。

                                     

                                     

                                     

                                    最後に、同じ官僚でありながら、前川氏と対照的な人物がいます。言わずと知れた、財務省の佐川宣寿理財局長です。彼は、役人としての自分の立場をわきまえています。その結果、「全体の奉仕者」であることを忘れ、どこまでも政権のイヌとしてふるまっています。彼を支えているのは「こういうときは、こうするものだ」という官僚としての美学でしょう。

                                     

                                     

                                     

                                    おそらく普通の神経の持ち主であれば、あれほど国会で追及されれば、「法令の定めによって適切に処理しておりますでございます」と突き放すことなどできないでしょう。おそらく安倍政権から切り捨てられることも覚悟しているかもしれません。彼の生き方は「美学」に殉じる生き方なのです。ただ、それは政権と癒着してしまってそこから脱出しようにもできない自分を肯定するために考え出された「マゾヒズムの美学」に他なりません。

                                     

                                     

                                     

                                    自分と新しい世界との関係を手にするとはどのようなことか、どうすればそれができるのか、について説明しようとして、少し話がそれましたね。次回は前川氏の例で考えたことをもう少しやさしく、具体的な方法に絞って説明しましょう。それではまたお会いしましょう。

                                     

                                     

                                     

                                    おっと、忘れるところでした。次回までに以下の記事を読んでおいて下さい。

                                     

                                    http://lite-ra.com/2017/06/post-3207.html

                                     

                                     

                                     

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