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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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イベント人間は信用できない−映画『パターソン』を観る。
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    イベント人間ほど信用できないものはありません。世間の耳目を集めるために(最終的にはカネ集めなのですが)絶えず何かを企画する人間、その企画に乗せられて落ち着きを失い、それがなければ身がもたなくなった人間をイベント人間と言います。もちろんこれは私の勝手な定義です。今では、SNSがイベント人間の増殖に拍車をかけています。

     

     

    ではなぜ人はイベントを欲するのでしょうか。

     

     

    私たちの日常は、さしたる変化もなく、同じことの繰り返しです。それが家族や親しい友人を中心として、ある場合には数十年にわたって続きます。日常は、長い時間の経過とともに、そして平凡であればある程、その価値が色褪せ、意味を捉えがたくなる宿命を持っています。

     

     

     

    そして、その宿命に忍び寄り、土台を切り崩す最大のものこそが「退屈」です。人間は、それが大事だと分かっていればいるほど、時にはそれに唾をかけ、かなぐり捨てたくなる衝動を持っているやっかいな生きものです。つまり、イベントは退屈から逃れるための手っ取り早い手段なのです。

     

     

     

    もちろん最大のイベントは戦争です。オリンピックをはじめとする大小さまざまなイベントはすべて戦争へと収斂するベクトルを持っています。そんなバカな、と思うでしょうね。しかし、戦後72年間続いてきた平和が今葬り去られようとしています。日本人の多くは平和に「退屈」し始めているのです。2011年の東日本大震災と福島の原発事故すら、退屈を紛らわすのに足りなかったのです。

     

     

     

    戦争はある日突然起こるのではありません。それは日常生活の中で分泌される「退屈」を養分にして徐々に成長していく人類の宿痾のようなものです。今の日本の政治・文化状況を云々するまでもなく、ここまで膨れ上がった大衆の暗い情念を抑えることはほとんど不可能な気がします。

     

     

     

    今はやりの不倫も、退屈を紛らわすために、当人たちが自ら招き寄せたものです。不倫は色あせた日常への忌避感覚がその感情的土台となっています。9月21日のブログでも述べましたが、自分の夫に対する感情を「マザコン」という言葉で固定させ、二人の関係を見直すこともせず、かたくなに目と耳を閉ざし、それを脱出願望にまで高めれば、離婚か不倫に行きつく可能性が大きくなります。

     

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=409

     

     

     

    私は取るに足らない自分の人生を生きる中で気づいたことがあります。それは、夫婦や恋人との関係における倦怠や退屈という感情は一種の「行為」だということです。相手に対してある感情を繰り返し再現してしまうような場合には、そこに、意志的な傾向を認めざるを得ません。つまり、感情的な真実(相手に対する軽蔑感情といったもの)は、それを真実だと思いこむことによって、ますます確実で変更できないものに変わってゆくのですね。

     

     

     

    政治家や芸能人に不倫が多いのは、権力を持ち、有名人の仲間入りを果たしたことで、自分は現実を超越した存在だといううぬぼれに骨がらみとらえられてしまうからです。その結果、すべての現実を、それがただ現実であるということだけで、一括して見下すようになります。夫婦関係こそは退屈な現実の象徴です。それを嫌悪し、そこから逃れるための不倫が、相手の家族やこども、何より相手にどんな犠牲を強いるのかを想像できません。

     

     

     

    しかし、人間は自分だけが現実から抜け出したり、超越的な人格を持ったりすることはできません。私たちの渇望を満たすものは、現実の条件の中にしかないからです。この点を勘違いすると、どこへ行っても、何を選んで見ても、自分を満足させないという感じが残り、その残ってしまった渇望を満たすために、次から次へと情熱を満たす対象や生き方を求めるようになります。こうなればもはや本当に相手との関係を大切にしようとする感覚はマヒしてしまいます。残るのは破滅と疲労感だけです。

     

     

     

    感情は一種の「行為」だといった意味がお分かりいただけたでしょうか。そして、最大のイベントは戦争だといった理由も。

     

     

    今回のブログを書くきっかけになったのは、映画『パターソン』を観たからです。平凡を絵にかいたようなバスの運転手の一週間を追ったものですが、この映画の監督は、おそらく日常の中にある、ありふれたものの価値を再発見することの意味を問うているのだと思います。

     

     

     

     

    ただ一つ、主人公のパターソンには普通でないところがあります。彼は詩を書く人間なのです。普通なら退屈極まりないと思えるような日常の中で、彼は時間を見つけてはノートに詩を書きつけます。何の利益も生み出さない詩を書くことで、彼は何をしていたのでしょうか。

     

     

     

    以前、『たまには塾のことでも書いてみようか。』の中で、詩人の西脇順三郎のことばを引用しました。それは次のようなものです。「人間の存在の現実それ自身はつまらない。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)を持って意識させる一つの方法である。」

     

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=326

     

     

    不倫は不倫であるという不安な状態そのものによって人々のロマン的欲望をかきたてている側面があります。不倫は不倫であることに存在理由があるのです。すでに述べたように、その根底には日常に対する倦怠や退屈、さらには蔑視があります。

     

     

     

    戦争も同じです。国家間に「不安な状態そのもの」を作りだし、それを「国難」ということばで針小棒大に語るバカが、大衆の中に充満する退屈に火をつけ、燃え上がらせようと画策しています。それにロマン的欲望をかきたてられた政治家やマスメディアが協力しています。これほど心暗くなる光景はありません。私たちはこのことに対して自覚的であるべきです。

     

     

     

    それに抵抗する方法は、私たち一人一人がパターソンのような詩人になり、平凡でありきたりな日常が持つ深い恩寵に気づくことです。救いはそこにしかありません。   

     

    | 文学・哲学・思想 | 15:37 | comments(0) | - |
    失われた感情をどうすれば再生できるのか。
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      昨夜『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』を観ました。「ダラス・バイヤーズクラブ」のジャン=マルク・ヴァレ監督が、『ナイトクローラー』でずば抜けた演技力を示したジェイク・ギレンホールを主演に作った映画です。

       

       

      『ナイトクローラー』は素晴らしい映画でした。一昔前なら、才能ある作家が想像力を駆使して描く文学作品のようでした。根底に痛烈なメディア批判があり、現代社会がいかにメディア(特にテレビ)によってコントールされているかをあぶり出す手法は見事でした。

       

       

      さて、『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』ですが、この映画は細部が素晴らしい。登場人物、風景、挙げればきりがありません。

       

       

       

      ウォール街のエリート金融マン、ディヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、誰もが羨む成功した暮らしを送っています。ところが、妻と二人で乗っていた車が交通事故に遭い、妻が死亡します。しかし彼は、その事実をどこか遠い世界の出来事のように感じるだけで、涙も出ず、感情を動かされることもありません。

       

       

      この映画は、その彼が感情を取り戻すまでの過程を描いたものです。いったん失われた感情を取り戻すのは、簡単にできることではありません。それまでの人生を根底から「破壊」せずにはできないことです。この映画の原題が『Demolition(破壊)』となっているゆえんです。

       

       

      映画は「破壊」という派手なシーンを中心に、一見するとわけのわからない話が展開します。しかし、この監督はあちこちに感動的なシーンを織り込み、無秩序に思える話にきっちりとオチをつけ、時代に合ったテーマを忍び込ませます。

       

       

      そのわけのわからない話のひとつが、妻が死亡した日、病院の故障した自動販売機へのクレームを延々と手紙にしたため自販機の会社に送る主人公の行為です。この着想が素晴らしい。この時点で、この映画は成功したと思いました。それがきっかけで知り合ったカスタマーサービスの女性(ナオミ・ワッツ)と子供との奇妙な交流がなければ、主人公が感情を取り戻せたかどうかわかりません。

       

       

      要するに、この映画のメインテーマは、これまでブログで何度も言及してきたものでした。『ROOM』と同じく、人間は、閉ざされた世界からいかにして解放されるのかという視点から描かれているのです。

       

       

      正直に告白すると、いい歳をして最後のシーンで少し涙ぐんでしまいました。「泣かせる映画」にうんざりしていたので、少し救われた気持ちになりました。

      | 読書・映画 | 12:20 | comments(2) | - |
      初秋の安息日にゆっくり本を読む
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        2017年、秋分の日の中庭

         

         

        台風18号の強風にあおられたせいか、例年よりも落葉が早く、風に運ばれるようにしてテラスと塾棟の屋根に降り積もっています。家を建てて21年目の秋を迎えます。この荒涼とした感じが好きなので、あまり掃除もしません。早く寒くならないかな、そうすれば椅子を出して、マフラーを巻いて、コーヒーカップを両手で持って熱いコーヒーを啜ることができるのに、と本格的な秋の訪れを楽しみにしています。

         

         

        以下の本は『ルイス・カーンとはだれか』『建築を愛する人の十二章』の著者、香山壽夫の『建築のポートレート』です。小さな本ですが、氏が50年余りの間に撮りためてきた写真の一部を本にしたものです。私は、休みの日の午前中は、決まってお気に入りの建築家の写真集を眺めたり本を読んだりして過ごします。今回は香山氏の本のおすそわけです。氏の短いエッセイとともにご覧下さい。

         

         

         

         

        ドゥブロヴニク ダルマチア地方、クロアチア/7世紀〜

         

         

         

         

        「これは広場というよりも部屋ではないか。都市の大広間ではないか。隅から隅まで、まるで磨き上げたような滑らかな床が、抜けるような空の光りを受けて輝いている。集まる人を包むように、日陰がくっきりとしたかたまりを作っている。この光輝く床は、長年かけて、行きかう人の靴、おしゃべりする人の声で磨かれて来たのだ。

         

        ドゥブロヴニクは、アドリア海に面した美しい町である。中世初めからの城壁がぐるりと周囲を回っていて、そこを巡りながらも常に広場が見える程の、親しみやすい大きさだ。私が訪れたのは今から半世紀も前、それから国を分ける大きな戦争があって、国名も変わった。この美しい広場は今どうなっているか、と思わなくもないが、大丈夫だろうと信じている。ヨーロッパの都市は、すべて、数重なる戦争を経て生き続けているからだ。都市とは、そのようにして続くものだからだ。」

         

         

        ―サン・ジミニャーノ、トスカーナ州、イタリア、/ 紀元前3世紀〜

         

         

         

         

        「イタリアの古い小さな町には、心安まる平安がある。道は私を抱くように包み、揺れながら続く。道は狭い。しかし、狭すぎもしない。歩くのにちょうどいい広さだ。両側の石の壁は堅牢であり、同時に柔和で明朗である。その道を歩く時、私は迷うことを心配する必要はない。道は必ず、町の中心の明るい広場に導いてくれるからだ。案内人もいらない。考え悩むこともいらない。数世紀にわたって、その町を造り上げてきた大きな力に自分をゆだねて、ただ壁に沿って歩いていけばいいのだ。

         

        ただ時に、町の全体を見てみたくもなる。町の外をのぞいて見たくもなる。その時には、その町のどこかに必ず立っている塔のひとつに登ればいい。そこからは、町の全体が見下され、遠くの平野も見える。ここに住んできた人も、同じことを望んだのだろう。定着の安心を楽しみつつ、異郷への脱出にも憧れる、人間とはそういうものか。」

         

        | 自己救済術としての家作り | 11:22 | comments(0) | - |
        深い迷いの中にいる若い皆さんへ2冊の推薦図書
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          日本は今崖っぷちに立っています。もちろん株価も上昇しているし、経済はうまく回っていて、何も問題ないと考えている人もいるでしょう。この種の根本的に無知で知性を欠いている人のことをとやかく言っても始まりません。彼らは世の中がどうなろうと、自分の子供にせっせと参考書を買い与え、受験に強い「実績」のある塾を物色し、情報収集に奔走することを止めません。

           

           

          ただ今日の朝日新聞の声欄で、18歳で初めて選挙権を持つ高校生が、いったいどの党に投票すればいいのか分からない、という悩みを正直に告白していました。私は心の底から共感しました。

           

           

          今の政権は、公明党の宗教票、財界・原子力村をはじめとする「既得権益層」「富裕層」の票、野党が頼りにならないので「とりあえず自民党」の票、とにかくアへさんガンバレのネトウヨ票を確実に計算できるものと考えています。しかしこの中で「確実に計算できる」ものは宗教がらみの票だけでしょう。

           

           

          思うに、はっきり意識していなくとも、今の政治状況が若い人たち、特に中高生の日々の生き方に影響を与えていないはずがありません。もちろん大人の生き方、考え方に対しても同じです。ただ私は仕事柄若い人たちに接しているので、彼らがまともで、鋭敏であればある程、窓のない部屋に閉じ込められているような閉塞感を感じているはずだと思うのです。

           

           

          そこで、今回は壁に窓を開け、外の空気と光を取り入れるために何をすればよいのか、そのことについて話してみます。

           

           

          以前ブログで私は次のように書きました。「言葉とはすでにあるモノや観念につけられた名前ではなく、名前をつけることでモノや観念が私たちの思考の中に存在するようになるのだということです。その時に話した具体例は、とても重要なので後日再び取り上げます。」と。

           

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/manage/?mode=write&eid=399

           

           

          私たち人間は言語的な存在です。言葉を使って世界を認識し、今自分が立っている位置を確認します。言葉が歪めば世界の像も歪みます。世界の像が歪めば、それにどう対処していいかわからなくなります。精神の危機が訪れるのはまさにこの点に於いてです。

           

           

          具体例を挙げます。

           

          あなたが三十代半ばの既婚女性だとします。夫は公務員で優しい人です。ただ、近くに住んでいる母親に何でも相談して、自分はいつも後回しにされると感じています。ある時、海外旅行に行く話が持ち上がりました。あなたはネットで検索したり、パンフレットを取り寄せたりしてとても楽しみにしていました。

           

           

          ところが思いもかけないことを夫が言いだしたのです。出来たら母親も一緒に連れて行ってあげたい、と。あなたは仰天します。義母と一緒の海外旅行など、想像すらしていなかったのです。それまでたまっていた不満が一挙に爆発します。あなたは夫を異星人でも見るような目で見始めます。

           

           

          たまりかねて、日ごろから仲良くしている大学時代の友人数人に相談することにしました。小洒落たレストランでランチをしながら件の話を切り出したところ、一人が言いだしました。

           

          「それって、○○の旦那、マザコンじゃないの?言いにくいけど、私、とにかくマザコンの男ってもうそれだけでダメ。」

          ほかの女性たちもいっせいに言います。

          「あなたこれから苦労するわよ。何でも後回しにされて、大事なことは事後承諾。ああ、私だったらがまんできないな。海外旅行に母親を連れていくなんて。」

          別の女性いわく「いまどき信じられない旦那ね。家族をどう考えているのかしら。幸い子供もいないんだから、離婚しちゃいなよ。○○がこれから苦労する姿なんて見たくないわ。ねえ、みんなもそう思わない?」

           

           

          友人たちと別れて家に戻ってからも、あなたの頭の中は「マザコン」という言葉で一杯です。「そうか、あの人はやっぱりマザコンだったんだ。私のこれからの人生、どうなるんだろう?」と考え、不安でいっぱいになります。

           

           

          人間は一度ある言葉が頭の中を占領すると、他の考えが入る余地がなくなります。その結果、あなたは夫に対して離婚を切り出し、今は独り身になり自由を謳歌しています。しかし、心の底で将来に対する不安も感じています。経済的なことより、老後を共に過ごす相手がいないことの寂しさ、病気や事故で入院した時、生活を支え身体のめんどうを見てくれる人のいない不安が兆します。

           

           

          そんな時、あなたはある光景を目撃します。別れた夫を街で偶然見かけるのです。そばには年老いた母親がいます。夫は食材の入った重そうな荷物を右手に持ち、左手で母親の手を引いて横断歩道を渡っていました。

           

           

          ただそれだけの光景ですが、どこかひどくあなたの心を打つものがあったのです。家に帰ってもその光景が忘れられません。そして、普段はめったに会うことのない同級生の女友達に電話します。あなたは彼女に対して距離を置いていました。あなたを持ちあげ、おだてるようなところが全くなかったからです。

           

           

          彼女に電話すると、あなたのマンションに行くとの返事がありました。そんな話は洒落たレストランなんかではできないでしょ、と言うのです。

           

          あなたの話をしばらく黙って聞いていた彼女が口を開きました。

           

          「あなたの結婚式に呼ばれた時、旦那さんを見て、ああ、やさしそうないい人だなと思ったわ。○○はいい人を伴侶に選んだなと思ったものよ。だって、自分たちが主人公の結婚式で、絶えず年老いたお母さんを気遣っていたもの。女手一つで育ててくれたお母さんの苦労を忘れるなんて、人間としてダメじゃないかしら。あなたはマザコンという言葉を使うけれど、母親を大事に思う男は皆マザコンなの?しかも、結婚式の時、あなたたちの幸せそうな姿を見て誰よりも喜んでいたのはあのお母さんだったわ。苦労したことを一つ一つ思い出して、しょっちゅうハンカチで涙を拭いていたもの。それに、同居はしない、あなたたちの近くに住めればそれでいいと言っていたそうね。そりゃ、今時の男は自立していて、母親と自分は別だと考え、実のところ母親を捨てている人も多いわね。海外旅行なんてこれから何度でも行くチャンスはあるでしょう。あなたが街で見かけた二人の姿を忘れられないのは、かけがえのないものをあなたが失ったからよ。旦那が母親に対して示していた優しさのせめて半分くらいの優しさをあなたは旦那に対して示せなかったのかしら。旦那の優しさはいずれあなたに対して向けられるのよ。旦那があなたの離婚の申し出を受け入れたのは、あなたより母親を選んだということじゃないと思うわ。あなたの想像力の欠如っていうか、やさしさがないことに気付いたのね。あなたは昔から、周りの意見に流されて、自分の意見なり感じ方を持つことを怖がっていたのよ。つまり、マザコンという手あかのついた言葉で旦那を見て、自分は本当はどう感じているかということをなおざりにしたということね。厳しいようだけど、これが私の考えよ」

           

           

          言葉が歪めば世界が歪むということが分かってもらえたでしょうか。窓のない部屋に閉じ込められているような閉塞感を感じている若い人たちに、世界につながる窓の開け方を教えましょう。

           

           

          でも、窓を開けて入ってくる光は、スポットライトのような強烈な光ではありません。フェルメールの絵に描かれたやわらかな、物の輪郭を際立たせるような光です。つまり自分だけに当てられる光ではなく、部屋全体を、世界全体を照らす優しい光です。

           

           

           

          人間にとって光とは、ことばのことです。あなたがどんな言葉に出会うかによって、世界は全く違って見えます。そればかりではありません。相手が話す言葉によって、その人が世界をどのように見ているかということも分かります。

           

           

          そのための2冊を挙げておきます。将来が見通せない苦しさ、自分が閉じ込められている部屋から脱出できない苦しさを抱えている人には、多少は役立つかもしれません。

           

           

          | 中高生の皆さんへ | 13:25 | comments(1) | - |
          カルト化する受験教育 − 子供4人を東大医学部に合格させた「佐藤ママ」は本当にスゴイのか? 
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            結論から言うと「スゴイ」の一言です。「スゴイ」と言っても、色々な「スゴイ」がありますからね。私が「佐藤ママ」のことを知ったのは、三日前です。朝日新聞の地方欄の片隅に載っていた「佐藤ママが説く難関校合格の道」なる記事で知りました。記事によると「佐藤ママ」の講演会が17日、大分市のホルトホールであり、親子連れら120人が参加したとのことです。

             

            「佐藤ママ」。誰かに似ているのですが、思い出せません。

             

             

             

             

            17日と言えば、大分市は台風18号による暴風雨が吹き荒れていた日です。かつてない猛烈な雨が降り、津久見市や臼杵市では甚大な被害が発生しました。それでも、悪天候をモノともせず、「佐藤ママ」の講演会に行った親子連れら120人の熱意に感心しました。そういった「信者」を作りだすパワーを持っている「佐藤ママ」は、やっぱり「スゴイ」。

             

             

             

            いくら頼まれても私なら講演会には行きません。特殊な宗教団体の集まりには、身体が拒否反応を示すからです。予想では、おそらく、子供を中高一貫校(大分の場合本当にお寒い中身なのですが)に通わせているママとその予備軍の方たち、特に附属小中学校のお母さんたちが多かったのではないでしょうか。

             

             

             

            今回は、「有名」「一流」「難関」大学へ子供を合格させたいと考えている保護者の皆様必見の内容です。長いですが、ぜひ最後までお読みください。

             

             

             

            「佐藤ママ」は大分上野丘高校の出身で津田塾大学に進み、卒業後は大分の私立高校で2年ほど英語教師をした後、弁護士をしていた御主人と結婚し、現在奈良市に住む専業主婦だそうです。彼女のプライバシーについて語りたいわけではありません。本も出し、テレビ出演もして、彼女自身が自分の経歴を語っています。私はネットで彼女に関する記事を読んだだけです。

             

             

             

            彼女の著作に『受験は母親が9割』というのがあります。『人は見た目が9割』というベストセラー本のタイトルをパクったのでしょう。しかし正確には『受験は母親と父親のDNA、すなわち生物学的環境に加えて経済的環境、さらに母親の信仰心の強さが9割』というべきです。

             

             

             

            もちろんそれでは身も蓋もないし、そもそも本が売れません。売れない本は必要ないという極論(幻冬舎のヤクザ社長見城徹氏の言)は、実は私たちの生活が出版資本主義、情報資本主義、文化資本主義によって支配されている事実をまるごと肯定することから出てきます。出版業界に知性は必要ないのです。

             

             

             

            消費者(一般の消費者ではなく、特定の層の消費者をターゲットにしたものですが)の心理を読むプロとマーケティングのプロさえそろえれば、ベストセラー本はかなりの確率で作れるのです。特に合格体験記は、特定のキャッチコピーを散りばめれば、消費者を釣ることなど朝飯前です。ブログでも取り上げた例の『ビリギャル本』と同じです。

             

             

             

            ここで、彼女をある象徴的な存在として批判するのも意味のあることですが、そんなことに人生の貴重な時間を費やしたくありません。ただ、彼女のような人間は苦手というか、敬遠したいタイプですね。和田秀樹氏と同様、人生の終盤にさしかかっていても、いまだに受験ネタで商売をしている人間の幼児性には辟易するしかありません。

             

             

             

            何より、「佐藤ママ」のような、東大一直線教の教祖に群がる一般信者をダシにひともうけをたくらむ出版人に対しては、嫌悪感しか湧いてきません。

             

             

             

             

             

             

            ここで突拍子もない想像をしてみましょう。村上春樹氏なら、終末感が色濃く漂う21世紀の日本の中で「佐藤ママ」と東大一直線教、それを養分にして増殖を続ける出版業界の存在を、どのように描くでしょうか。考えただけでもグロテスクですね。

             

             

            もう一つ。宮崎駿氏が「佐藤ママ」と対談しているシーンを想像してみて下さい。おそらく、コミュニケーションが成り立たないと思います。そもそも宮崎氏がそんな場に出て行くはずもありません。なぜなら、彼のアニメは、この種の親とその発想によって子供たちの魂がどれほど傷つき歪められるのか、そこから恢復するには何が必要かを描いたものだからです。

             

             

            しかし今回は彼女を批判することよりも、その「功績」を評価してみます。ここから先は、子供を東大や難関大学の医学部に合格させたいと考えているお母さん向けの情報です。興味のない方は読む必要はありません。

             

             

            「佐藤ママ」の功績

             

            東大医学部レベルの大学受験は、ある程度優秀な親のDNAを前提にしているものの、それだけでは合格は難しい。学習環境というか受験環境が決定的に重要であること。逆に言えば、受験環境さえ整えてやれば、子供4人を東大の医学部に合格させることは可能であるという事実を明らかにしたことです。ここで言う受験環境の中には、経済的なものも含みます。これはあまり表に出てきませんが、実はこれこそが決定的に重要な要素なのです。

             

             

            以下「佐藤ママ」が4人の子供たち全員に歩ませたルートを紹介します。そうです、「佐藤ママ」の「功績」は、なにより「東大に合格するためには外せないルートがある」ことを明らかにしたことなのです。逆に言えば、このルートを通らなければ、今や東大合格はおぼつかないということです。もちろん時間とお金がかかります。そして何より、母親の決してぶれない、狂気に近い「信仰心」が必要です。

             

             

            それにしても4人の子供の中に1人くらい、東大一直線教に疑問を持つ子供がいてもよさそうなのですが・・・。しかしそれをさせないところが「佐藤ママ」の「スゴイ」ところです。つまるところ、教育は幼少期からのマインドコントロールだということです。4人の子供全員が東大医学部というところに何とも言えない精神的・文化的貧しさを感じてしまうのは、私のひがみ、負け犬の遠吠えでしょうね。

             

             

            1:子供4人をすべて1〜2歳の時に苦悶式、じゃなかった、公文式に入れる。

             

            2:全員にバイオリンとスイミングを習わせる。

             

            3:東大、特に医学部を狙うのであれば、東大合格実績のある私立の中高一貫校に入れるのは絶対条件である。大都市圏でなければ、この環境を整えるのは難しい。

             

            4:「佐藤ママ」の地元(奈良)では、東大寺学園よりも東大合格実績で上を行く灘中学に進学させるのがベストである。

             

            5:そのためには、受験情報を豊富に持っていて、実績のある塾を選ぶ。灘中学合格に特化した実績のある塾・浜学園に小学校4年から通わせる。東京ならY−SAPIXというところでしょうか。

             

             

             

            6:そしてめでたく全員を灘中学に合格させる。一番下の妹はこれまた進学校の京都の洛南高校に合格。これで東大合格はぐっと近づく。ちなみに、ママの力も大きいですが、通った学校や塾の力に負うところが圧倒的に大きいのです。

             

            7:忘れていました。リビングに大きなテーブルを置き、そこで勉強させる。

             

             

            これが「佐藤ママ」のお宅のリビング。生活の全てが東大合格に向けて方向づけられている。いや〜「スゴイ」。私なら、耐えられませんね。

             

             

             

            ここまで読んで二の足を踏むようでは、お母さん、「信仰心」が足りません!ひるんではだめです。誰かさんも言っていましたね、「この道しかない!この道を前へ!」と。

             

             

             

            現在、東大合格者の上位校は、ほとんど都内の私立の中高一貫校に独占されている状態です。国立校も含まれていますが、実体は私立の中高一貫校と同じです。都内では、関西以上に、合格ルートは限定されています。

             

             

             

            例えば、中学受験ではY−SAPIXに通わせる。めでたく開成に代表されるような私立の中高一貫校に合格した暁には、東大医学部合格者の6割を輩出している塾・『鉄緑会』に入る。そして現役の東大医学部の学生や東大入試のことを熟知している優秀な講師の授業を受ける。周りに東大医学部の学生が普通にいるので、自分もそうなることを簡単かつ具体的に思い描ける。実はこのことが想像以上に効果があるのです。

             

             

             

            二年ほど前に読んだ『ルポ・塾歴社会』。私の予想を裏付けるデータでいっぱいです。読みたい方はどうぞ。ついでに『学力の経済学』もどうぞ。教育を個人的な経験からではなく、科学的な裏付けをもって説明してほしいと考えている人は、教育経済学?の観点から書かれている後者を読んでみるのもいいかもしれません。しかし、教育経済学なるものも経済学も所詮はモデルを作ってそれで演繹的に結論を導き出すものですから、眉に唾して読むべきです。

             

             

             

             

             

            ここで何か思い出しませんか。そう、甲子園の高校野球の常連校、ベスト16に入る学校のほとんどは、私立の特定の学校です。しかも中学校の段階から、優秀な生徒を集めています。部員は軽く100名を超えます。その中で激烈な競争を勝ち抜いた者だけがレギュラーになれるのです。

             

             

             

            有能な監督。身体能力抜群の選手たち。豪華なトレーニング機器とナイター設備および専用グラウンド。部活のレベルを出ない練習をやっている地方の公立高校の野球部が甲子園で活躍できるはずもないのです。何より資金が足りません。今や、甲子園の高校野球は将来のプロ野球選手を選別する場になってしまいました。

             

             

             

            サッカーしかりです。いや、その他のスポーツも大なり小なり、こういった枠組みの中にあるのです。要するに、オリンピックを目指そうとすれば、選手の努力、親の「信仰心」、それとコスパ(お金)で、ほとんどの選択肢と将来の可能性は決まってきます。

             

             

             

            以上、「佐藤ママ」の「功績」について述べました。東大に合格するためには何が必要なのかが分かったと思います。逆に、「佐藤ママ」のおかげで受験熱は一部の層でくすぶり続けるものの、そのマニアックなバカバカしさに気づいた「信仰心」の薄い人たちは、新たな選択肢を見つける旅に乗り出すのではないかと思います。

             

             

             

            私は地方都市大分で個人塾を営んでいますが、そこで見聞きするものは、以上述べたことの廉価版のコピーに他なりません。特に塾をめぐる状況は滑稽なほどワンパターンで、能力のある教師は必要とされなくなっています。映像授業を見せ、同じセリフを同じように生徒に向かって吐くだけです。知性も将来を見通す力も不要なのです。

             

             

             

            以前ブログでも書いたように、1980年代半ばから、情報社会・消費社会が進展するとともに、学習もスポーツもすべてがコストパフォーマンスで測られ、精密で逃れようのない計画の下に、人工的な環境が整えられ、その中で人工人間(サイボーグ)が作られています。

             

             

            偶然性を重んじ、その土地や地域の固有の気候風土の中で培われてきたものに基礎を置いた<生>の全体性を取り戻すにはどうすればいいのか。これからは、ヴァナキュラー建築と呼ばれている世界各地の伝統的な建物を手掛かりに、100年後の教育を考えてみたいと思います。

             

             

            ※ 尚、よろしければ以下の関連記事も合わせてお読み下さい。

             

            佐藤ママの超絶「脳育」論。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=575

             

            子供の人生は幼少期に出会う大人によって大きく左右される。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=563

             

            カルト化する社会と教育−「佐藤ママにエールを!」のコメント主さんへ。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=519

             

            開成中学・高等学校長 柳沢幸雄氏を批判する。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=614

             

            「ビリギャル本」の詐欺性について

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=727

             

            名もなき一教師さんへ。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=512

             

             

            | 教育 | 14:15 | comments(2) | - |
            高校生のための英文法−その6
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              さっそく始めましょう。以下の問題は高3のクラスで、数ヶ月前にやったものです。もしあなたがこの問題をスラスラ解くことができれば、文法に関しては自信を持っていいと思います。難問ではありません。基本的な問題ですが、普段から体系的な勉強をしていなければ混乱するかもしれません。ということで、以下の2問には関連性があります。

               

               

              その前に一言。勉強は問題をランダムに解くだけでは実力はつきません。問題相互の間に関連性・体系性を見出せてこそ、勉強は面白くなるし、実力もつくのです。だから僕は学校の進度に沿って出される課題を解く手伝いはしません。あくまで授業にこだわりたいと思います。

               

               

              僕にはこれだけは教えておきたいという体系があるのです。ですから、あくまで、僕自身が考えたカリキュラムに沿って独自の授業をこなしていきます。その中で生徒の弱点を発見し、軌道修正もします。生徒に寄り添った個別指導的な授業では実力などつくはずもありません。それではいつまで経っても、依存的な心理から抜け出せません。自立せよ、高校生!

               

               

              第1問

              下線部の中で誤っている箇所を指摘しなさい。

               

              About 72% of India (1)being rurally based, villages of India (2)have always been said (3)that they represent the true essence and flavor of India (4)through their arts, culture, folk music, local dances, fairs and festivals.

               

              第2問

              下線部の中で誤っている箇所を指摘しなさい。

               

              His proposal of marriage does not seem (1)to have taken seriously, (2)for she is behaving as if she (3)hadn’t heard anything, but he seems (4)to have taken it as approval.

               

               

              どうですか。この2問の間に共通の構造が見えましたか。僕は以前次のように書きました。

               

               

              「英語に限らず、外国語を学ぶということは、夜空に散乱する無数の星のあいだのどこに切れ目を入れて、どの星とどの星を結べばよいのか、そのルールが分かるということです。「分かる」は「分ける」ことからスタートするのです。

              そして、ある切れ目を入れて星をつないだ人には、はっきりとものの形が見えます。二人並んで星座を見ているときに、見える人にはありありと見える星座が、切れ目を入れることができない人には全く見えないのです。」と。

               

               

              『高校生のための英文読解−4・東大の問題解説続き』

              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?cid=28

               

               

              今回は文法の問題ですから、構造というより文法的な類似性と言った方がいいでしょう。解説は次回します。それまでじっくり考えて置いて下さい。

               

               

              政治の話ではなくて、できれば今回のように具体的な勉強の仕方を教える中で、生徒の皆さんに語りかけたいものですね。大切なのは日常です。ありふれた日々をどれだけ深く生きることができるか。人生の幸、不幸はそこにかかっている気がします。空気読むより、本読もう!

               

              | 高校生のための英文法 | 17:50 | comments(0) | - |
              北朝鮮の問題で安倍首相が主体的に決断できる可能性は1%もない。
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                社会保障の財源がないと叫ぶ一方で、教育機関への公的支出の割合は日本はOECD34カ国中最低です。1900億円ものお金は一体どこから出てくるのでしょうか。日本のこどもたちのためには、汗をかかないのでしょうか。しかも、よりによって、インドに原発を輸出するなんて、正気の沙汰ではありません。

                 

                 

                毎日新聞によると、インド訪問から帰国した安倍晋三首相は15日午前9時25分ごろ、首相官邸で記者団の取材に応じ、北朝鮮のミサイル発射を受け、国連安全保障理事会の緊急会合の開催を求める意向を表明した。その上で「北朝鮮の危険な挑発に対して国際社会の団結が求められている。北朝鮮がこの道をさらに進めば、明るい未来はない」と語ったとのことです。

                 

                 

                 

                 

                北朝鮮の問題でアへ首相が主体的に決断できる可能性は1%もない、と言いました。にもかかわらず、自分がイニシアティブをとれるかのようなパフォーマンスは、滑稽というか、あまりにも馬鹿げているので、同じことを言わざるを得ません。今、アへ首相が「主体的に」発言するとしたら以下のような中身であるべきです。

                 

                 

                 

                「北朝鮮に対して、アメリカがこれ以上軍事力を誇示して威嚇すれば、その前戦基地である日本も不測の戦争に巻き込まれるおそれがある。追い詰められたネズミはネコに襲いかかるかもしれない。同じように追い詰められて、日本は76年前、無謀な戦争に突き進んだ。その歴史的教訓を忘れて、アメリカと一緒になってこれ以上北朝鮮に対して圧力を加えるわけにはいかない。トランプ大統領は、すぐさま北朝鮮を訪問して対話をすべきだ。武力に対して武力を持って対峙すれば、破局があるのみだ。日本国民はそれを許さない。日本とアメリカがこの道をさらに進めば、明るい未来はない」と。

                 

                 

                 

                まあしかし、アへ首相がこんなことを言う可能性は1%もないでしょう。それだけの英知も勇気も国民を思う気持もないのですから。

                 

                 

                 

                いや、それどころか、ネトウヨやバカな軍事評論家や国際政治学者だけでなく、国民の中に反戦や非暴力を主張する発言を封じ込める空気ができているような気がします。戦争はバカな指導者だけでできるものではありません。バカな指導者を支持するバカな国民がいて初めて可能になるのです。

                 

                 

                 

                このままチキンレースを続ければいかなる結末が待ち受けているのか、誰もそれを考えていません。いや、アメリカの軍需産業は考えているかもしれません。テレビに出ているコメンテーターに聞いてみればいいのです。「あなたはどのような結末を予想しているのですか。北朝鮮が核開発をやめて、自ら話し合いのテーブルに着くでしょうか」と。

                 

                 

                 

                最後に歴史的事実を挙げておきます。

                 

                 

                 

                太平洋戦争で、まともな「戦争」といえるのは、開戦後半年のミッドウェー海戦まででした。この戦いで、日本海軍は大敗北を喫して制海権を取られたのです。後は「米軍による日本軍の一方的虐殺」でした。そして1944年8月にグアム・テニアン島が陥落した時点で、日本の主要部分はすべて戦略爆撃(B29)の射程内に入ったので、敗戦は時間の問題でした。つまり1944年8月以降の日本本土での非戦闘員の大量殺戮(名古屋・東京・大阪空襲、広島・長崎、沖縄戦)は、すべて避けることができたのです。

                 

                 

                 

                さて、「一億玉砕」をスローガンに、決着のついている戦争を終結させる決断もできず、多くの命を湯水のように使い果たしながら破局へと突き進んでいった勢力は、この国から一掃されたのでしょうか。答えはNOです。アへ首相はそういった勢力の末裔なのです。

                 

                 

                 

                前にも引用しましたが、よければお読みください。

                 

                『二つの島をつなぐ』

                http://www.segmirai.jp/

                essay_library/essay051.html

                 

                | 政治 | 12:38 | comments(0) | - |
                知性ある人格はどうすればできるのか。
                0

                  学力と知性は根本的に違います。学力は人格と切り離すことができますが、知性は人格と切り離すことができません。またその話か、と思わないでください。ガンジーは「七つの社会的罪」の中に「人格なき学識」を挙げています。塾の教師をしながら私が考えてきたことは、たった一つのことです。それは知性ある人格はどうすればできるのか、ということです。

                   

                   

                  もしあなたが子育ての最中であれば、子供に生き延びてほしいと思うでしょう。いや、私たち自身も生き延びなければなりません。そうであれば私の話に少しだけ耳を傾けて下さい。

                   

                   

                  問題は「ただ生き延びる」ことではありません。大事なことは「どのように生き延びるか、そのためにはどのような学識を身につけ、それを誰のために使うべきか」という問いを発することです。

                   

                   

                  たかが塾の教師には重すぎる問いです。しかし、この問いに答えようとせず、ただ生徒の点数を伸ばすことだけに注力していたなら、私はとっくの昔に塾をやめていたでしょう。

                   

                   

                  試験に役立つ「情報」を生徒の頭にインプットし、条件反射的にそれを取り出して答案に書かせるような訓練ばかりしていれば、教える方も教えられる方も動物化するだけです。映像授業を見せて上前を撥ねるような仕事は、早晩AIに取って代わられるでしょう。

                   

                   

                  人格教育や道徳教育をせよ、というのではありません。それは私が最も忌避するものです。私が人格にこだわっているのは、それこそが知識に命を吹き込むために最も必要なものだと考えているからです。そのためにはどうすればよいのか。その答えを提示したいのですが、限られたスペースで書くのは無理なので、少しずつ書いていくことにします。

                   

                   

                  ごく大雑把に言うと、建築的発想と宇宙的発想、そして土に根ざした子育てを融合した、名付けて「風の谷プロジェクト」(もちろん『風の谷のナウシカ』からヒントを得ています)という壮大な、それでいて簡単に実現できるプロジェクトです。そのためには富裕税を1%導入するだけでいいのです。それで生じる80兆円の税収を財源に充てればできます。消費税を上げる必要もありません。

                   

                   

                  100年後、この国がまだ存在していて、人々が平和に暮らしているとすれば、このプロジェクトが成功した時です。それ以外の可能性は今のところない、と断言できます。

                   

                   

                  しかし、それに抵抗する人たちがいます。ガンジーが指摘した「七つの社会的罪」の中の「人格なき学識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」の奴隷になって人格が空洞化した人間たちです。

                   

                   

                  具体的には、原発再稼働に前のめりになっている政治家や財界人たちです。彼らは、 所詮、バカな家来を引き連れた裸の王様に過ぎません。国民が賢くなればこの状況を変えることはできるのです。ガンジーは「すべての改革は少数派が多数派に反対する行動から始まっている」とも言っています。

                   

                   

                  今この国では、「人格なき学識」を身につけた人間たちが大手を振ってまかり通っています。中でも政治の世界の退廃ぶりは目を覆うものがあります。えっ、そうかな、日本はスゴイんじゃないの、と思っているなら、あなたには真実を見分ける「人格」がありません。知識はなくとも、「普遍的な感情」を持っていれば、この国のひどさに至るところで出会うはずなのです。

                   

                   

                  一つだけ具体例を挙げて置きます。

                   

                  「日本、2年ぶり最下位=教育への公的支出−OECD」

                   

                  経済協力開発機構(OECD)は12日、2014年の加盟各国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合を公表した。日本は3.2%で、比較可能な34カ国中最低だった。前年は33カ国中32位で、2年ぶりに最下位に転落した。特に、大学など高等教育に対する日本の公的支出の割合は英国の28%に次いで低い34%で、OECD平均(70%)の約半分。OECDの担当者は「授業料も高額で、家計負担が極めて大きい。奨学金などの公的支援により、才能ある若者が高等教育を受けやすいようにする必要がある」と指摘した。(2017/09/12-19:24)

                   

                  https://www.jiji.com/jc/article?k=2017091201092&g=soc

                   

                   

                  さて、最後に知性の本質について少しだけ補足しておきます。

                   

                   

                  本来「知性」とは、現状に懐疑的であり、現状の変更を求めるものです。その意味で、知性の本質は反逆的で反権威的なものにならざるを得ません。もしあなたが「現状」に100%満足しているのなら、何も変える必要はありません。つまり、知性は必要ありません。

                   

                   

                  しかし、そんな現実は存在しません。だからこそ、明日を今日より少しでも良くしたいと願うなら、問題点を指摘し、現状を変えなければなりません。その営みのすべてを「知性」というのです。知性が反逆的であるゆえんです。

                   

                   

                  もしあなたが、「知性」とは本来ダイナミックかつスリリングで、世界を変える力を持っていると信じられないのであれば、それはなぜでしょうか。その理由は、日本の学校教育を通じて、あまりに膨大な「やりたくもない、おもしろくもないこと」を義務として課されてきたからです。まともな神経の持ち主なら「やりたくないことからいかに逃げるか」「いかに義務を適当にごまかすか」に必死になるはずです。

                   

                   

                  膨大で無意味なことを長年にわたって課すのが、マインドコントロールの常套手段です。その結果「知性」について考える機会だけでなく、生命力すら奪い取られているのかもしれません。学力世界一のフィンランドを見て下さい。宿題を廃止してから子供たちの学力は伸びています。

                   

                   

                  日本の学校教育を通じて「知性」と初めて出会う日本の子供たちは本当に不幸です。「学力」という「知性の代替品」を配給されているだけなのですから。

                   

                   

                  考えても見て下さい。来る日も来る日も、ファミレスで同じ物ばかり食べさせられたら、子供が食や食文化に興味を持つようになるでしょうか。子供たちの歓声が響く彩り豊かな学校生活の中にこそ、「退屈」という精神的な危機が見え隠れしています。

                   

                  | 教育 | 15:56 | comments(0) | - |
                  日本の教育はマイナスの動機付けによって駆動されている。
                  0

                    塾教師を始めて30年以上が経過しました。教育産業の底辺で定点観察をしている私の目にこの国の教育はどのように映っているのか、今回はそれについて少しだけ述べてみようと思います。

                     

                     

                    この国が質的に大きく変化したのは、敗戦を境にしてではなく、1980年代に高度情報社会・消費社会と大衆教育社会が実現した時期からです。これは日本人の意識だけではなく日本文化のDNA(エートス)をすら変えるラディカルな変化でした。

                     

                     

                    80年代の終わりから90年代の初めにかけて、現場の教師だけではなく、第一級の知識人や思想家たちが教育について論じていました。中でも小浜逸郎氏の『学校の現象学のために』は当時としては出色の学校論・文化論でした。埼玉県の高校教師・諏訪哲二氏の『反動的!―学校、この民主主義パラダイス』も洞察力に富む学校論でした。

                     

                     

                     

                    ひとことで言えば、サヨクの観念的学校論・教育論(子供は純粋無垢で、みんな学びたがっている、といったもの)に対する批判でした。その後、1995年に苅谷剛彦氏が『大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史』(中公新書)を著し、教師批判や学校批判が社会構造の基底部を無視した世間話のレベルを出ないことを明らかにしました。ちなみに、苅谷氏は現在オックスフォード大学の教授で、今年の7月に『オックスフォードからの警鐘 - グローバル化時代の大学論』 を著しています。

                     

                     

                    あれから四半世紀が経過し、教育論・学校論の思想的レベルはどうなったでしょうか。私の感覚では、壊滅的な状況だと言わざるを得ません。言うまでもなく、すぐれた教育論は社会制度批判・文化批判になります。すなわち、 すぐれた教育論であればある程、それは政治権力を批判することになるのです。現状を肯定し、とりあえず現政権を支持しておこうというような精神からは優れた教育論も教育実践も生まれようがないのです。

                     

                     

                     

                    では、どこがどのように壊滅的なのでしょう。大衆教育社会とは、学校教育と受験を通して同じ教育を受け、同じ条件の競争をくぐった以上、「努力した者が報われるのは当然という意識(メリトクラシー)」によって成立した社会です。メリトクラシーとは、生まれや身分によって地位が決定された前近代社会から、個人の能力と業績(メリット)によって地位が決定される近代社会への転換の必要性から生まれた概念です。

                     

                     

                     

                    もうお分かりだと思いますが、メリトクラシーこそが、塾だけではなく学校の存在を支えていたのです。特に日本の教育システムが制度疲労を起こしはじめていたとき、その外側でメリトクラシーのほころびを繕い、強化・先鋭化する役割を担っていたのが塾産業でした。

                     

                     

                    ところが今は、トマ・ピケティの指摘を待つまでもなく、富と情報が一部の階層に集中し固定化される格差社会です。平等主義的なメリトクラシーは、今や本音主義・差別(化)主義によって葬り去られようとしています。

                     

                     

                    その結果、日本の教育は、自己利益を最大化することに役立つかどうか、所属する階層を「それとなく」示せるかどうかという親たちの思惑によって動かされるようになりました。ここで言う「親たち」とは、弁護士や医師などのテクノクラート、官僚、大企業の執行役員、大学教師、情報という「商品」を売り買いするNHKをはじめとするマスメディアで働く社員などを指します。

                     

                     

                    彼らは自分たちの子供を公立の学校に入れたいとは思わないはずです。そんなことをすれば自己利益の最大化に役立たないだけでなく、下位の階層だと見なされる屈辱感に耐えなければならないからです。

                     

                     

                    つまり、日本の教育に対して影響力を持っている「親たち」の心理は、いったん手にした豊かさ、すなわち既得権益を手放したくないという、いわばマイナスの動機付けによっていろどられているのです。

                     

                     

                    マイナスの動機付けは、転落の恐怖によって支えられているので周囲の人間を皆ライバルだと見なすようになります。嫉妬と同じく、自分を向上させることよりも、相手をひきずりおろすことにエネルギーを注ぐようになるのです。

                     

                     

                    そうやって相手を傷つけたり人生を破滅に追いやったりしても、それを競争社会・格差社会のせいにします。「仕方がなかったんだ」「人生は厳しいんだ」とつぶやいて自己欺瞞を決め込みます。

                     

                     

                    結果、じっくり人生を考え、周囲の人間と協調して生きるなどというのは綺麗ごとにしか聞こえなくなります。悪くすると負け犬の遠吠えだとして、水に落ちた犬にさらに石を投げたりするようになるのです。もちろん、子供の知的成長を長い目で見守ることなどできません。アへ首相が言うように「結果がすべて」ですからね。

                     

                     

                    はじめに書いたように、私は日本の教育は壊滅状態にあると思っています。大学も例外ではありません。大学のありようとそこで働く教師たちの資質も含めて、これからも書いていこうと思います。

                     

                     

                    ただ、もし、あなたが「現状」にほぼ満足していて、何も変える必要がないと考えているのであれば、私のブログを読んでも得るものは少ないと思います。あなたは考えることも知性も必要としていないのですから。長くなるので今日はここでやめておきます。貴重な時間を割いてお読み下さった方に御礼申し上げます。

                     

                    | 教育 | 14:25 | comments(0) | - |
                    「先生は日頃から政治を語って」
                    0

                      知性とは批判精神そのものです。歴史をさかのぼってそのありかを尋ね、現代の世界の知性から学んだ経験から言っているのです。私には、体制を批判しない知性など、ほとんど想像することすらできません。水が高いところから低いところへ、わずかな隙間さえあればそこを変幻自在に流れるように、知性もまた自由を求める人間精神の働きそのものです。

                       

                       

                      だから、ファシズムに対して自由を守るというような紋切型の言い方はやめた方がいい。安全地帯から発する言説は、力を持ちません。もし自由に何らかの意味があるとすれば、それは相手(特に権力を持っている者)が聞きたがらないことを、危険と不利益を承知で相手に告げる権利を意味するはずです。

                       

                       

                      この権利を最も勇敢に行使しているのが東京新聞の望月衣塑子記者です。それに対して官邸は東京新聞に「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」と厳重抗議しました。菅官房長官は、これが「報道の自由」に対する圧力だとは思わない人間だからこそ、アヘ政権のスポークスマンが務まるのでしょう。

                       

                      具体的に学びたい人は、以下の記事を是非ご覧ください。

                      http://lite-ra.com/2017/09/post-3428.html

                       

                       

                      しかし、この国では、特に若い人の間では、他者や社会制度を批判することをネガティブにとらえる傾向があるようです。その結果、国からの有形無形の支援が次々と切り捨てられ、不当な高値で政府が買う米国製兵器のツケまで背負わされている事実には無関心です。自分たちの生活が近い将来破綻する要因を自ら招き寄せているにもかかわらずです。

                       

                       

                      事実を確認したい方は、以下の記事をご覧ください。

                       

                      『米から高額兵器爆買い  安倍政権で“防衛費リボ払い”急拡大』

                       

                       

                      ≪安倍政権になってリボ払いはフル回転。防衛費の後年度負担は、民主党政権時代には3兆円前後で横ばいだったが、安倍政権になってからは右肩上がり。14年度に3兆6000億円を計上すると、15年度には4兆円を突破。来年度の概算要求ではついに5兆円を超えた》

                      https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/212993

                       

                       

                      にもかかわらず、ただ空気を読んで「デモに行ったり、批判したりするのはウザいし、カッコ悪いよね〜」で終わってしまう若者が大半です。それが日本の若者たちに特有な文化であることに気づこうともしません。日本の教育が「成功」した証ですね。つまり、知性が死滅し、それに代わって「学力」なるものがもてはやされる時代になったということです。

                       

                       

                      そして、「北朝鮮に対して断固たる措置を取る。米国と協調して圧力をかける」と息巻くアへ首相を支持する若者も多いようです。今この国は、全体主義が国民の側から生まれてくる歴史的プロセスの実験場になりつつあります。教科書からではなく、身を持ってそれを追体験できる絶好のチャンス到来というわけです。

                       

                       

                      でもそんな若者だけではありません。今年の8月26日、今から二週間前ですが、19歳の大学生の投書を読みました。『先生は日頃から政治を語って』というタイトルで、高校生時代を振り返って書かれたものです。重要なのは日常です。イベント化した日々の喧騒から距離を置き、日常を見つめ直すことでしか、次のステップに進めないのが人間です。「日頃から」という言葉の重みに思いを致すべきではないでしょうか。以下に引用します。

                       

                       

                               

                      「若年層の政治的無関心や低投票率が問題視され、高校で主権者教育が進められている。学校で政治参加の重要性を教えることに異論のある人はいないだろう。しかし、本当に生徒の主権者意識を高めているだろうか。

                       

                       

                       私は主権者教育が生活や授業と切り離されて行われ、内容が選挙権の行使に限られていることが、最大の問題点だと思う。私の出身校では、教師が学年全員を前に投票の重要性について語った。しかし、これでは生徒が政治を身近に感じることはできないのではないだろうか。

                       

                       

                       普段から生徒たちに国会情勢や社会の動きについて話していなければ、投票に行けと言われても実感がわかない。「中立」であろうとするためか、自分の政治的意見を言わない教師も多い。そんな状況で生徒に自分の意見を持てというのは無理だ。

                       

                       逆に生徒に政治的関心を持ってほしくないのでは、とさえ思われる出来事もあった。高校時代、自転車に「アベ政治を許さない」と書いた紙を付けて登校したら、教師にとがめられた。政治参加の方法は選挙だけではない。生徒の意見表明を禁止するような学校で、主権者教育ができるのだろうか。教師は教科書をなぞるだけではなく、折に触れて政治の話をしてほしい。」(朝日新聞・声欄より)

                       

                      | 教育 | 13:49 | comments(0) | - |
                      伊丹万作−「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
                      0

                        伊丹万作は映画監督の故伊丹十三氏の父です。1946年9月に46歳で亡くなりました。彼が最後に書いた「戦争責任者の問題」から引用します。

                         

                         

                        引用開始

                         

                        「だまされるということ自体が一つの悪である。だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持っている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪である。



                        そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

                         


                        このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力では打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力で掴み得なかった事実と全くその本質を等しくするものである。

                         


                        そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

                         


                        それは少なくとも、個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放置であり人間性への裏切りである。悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。」

                         

                        引用終わり


                         

                         

                        全く無用のJアラートを発令し、あら〜と思う間もなく国民に避難訓練を強要し、必死で森友・加計問題から国民の目をそらそうとしている政権に私たちはだまされてはなりません。

                         

                         

                         

                        安倍政権の取り巻き連中が依拠している言葉は、官僚も含めて、バカの一つおぼえとしての「リアリズム」すなわち「現実主義」です。つまり自分たちに都合のいい現実だけを「現実」と考え、それ以外の現実は無視するという手法です。

                         

                         

                         

                        「オレは現実を知っているがお前は知らない。学者やジャーナリストや一部の新聞(朝日や毎日のことで、読売や産経は入りません)は現実を知らずにただわめいているだけだ」と主張し、相手を恫喝して黙らせるのが彼らのワンパターンの弁論術です。かの橋下徹をはじめとするヤクザ議員の集団、日本維新の会の面々、さらに現実と妄想の区別すらつかないネトウヨの皆さんが得意とする戦法です。

                         

                         

                         

                        前回のブログでも書きましたが、彼らは「リアリズムで安全保障問題を論じる」と言います。しかし、「原発が攻撃されたら」という話は出てきません。「リアリズムで安全保障問題を論じる」人たちにとっては、原発はタブーなので、見て見ぬふりをします。

                         

                         

                         

                        これができるのは知的レベルの低さもさることながら、道徳的な退廃が原因です。「自分たちに都合のいい現実だけを現実と考え、それ以外の現実は無視するという手法」と言ったのはこのことを念頭に置いていたのです。

                         

                         

                         

                        もちろん、彼らが無視している「現実」は他にもあります。この国の統治機構に関するものですが、それはまた改めて書きます。要するに、彼らのリアリズムとは、米軍基地が攻撃されることはあっても、原発にだけはミサイルが当たらないで「ほしい」といういじらしい願望というか信仰というか、こうなると、もはや原発カルト教です。

                         

                         

                         

                        実は、歴史をひもとくまでもなく、リアリストを自称する者こそが戦争と国家の破滅を招き寄せてきたのです。私たちは、彼らの言葉にだまされてはなりません。

                         

                         

                         

                         自称リアリストは、日本の原発を攻撃すれば被害は全世界だけでなく北朝鮮自身にも及ぶので、原発は狙わないだろう、狙わないでほしい、狙わないでね、という主観的な願望の世界に生きています。一方で、独裁者が死ぬ時、世界を道づれにしようという悪魔的な想念に捉えられる可能性など考えたこともないのです。主観的な願望は真の文学的想像力とは似て非なるものです。

                         

                         

                         

                         そして、戦争回避の言説は情緒的かつ偽善的、理想主義的な現実逃避に過ぎないと、弱い頭で断じます。その一方で、戦争に備えることはリアルで論理的な思考の結実であり、開戦の決断は歴史を検証した上での、国益を守るための「冷徹」で「孤独な」「大人の義務」だと考え、ドーダ俺はすごいだろう、とのぼせ上がっています。

                         

                         

                         

                         ですから、まかり間違っても、日米安保が一義的にはアメリカの核攻撃から日本を守るための体制であることに言及したりしません。日米安保を堅持し、アングロサクソンについていけば、きっと日本を守ってくれるだろうとけなげにも信じているのです。どこがリアリストなのでしょう。

                         

                         

                         

                        またぞろ、「きっと」日本を守ってくれる「だろう」という願望の世界です。クリスマスになれば、「きっと」サンタクロースさんが素敵なプレゼントを持ってきてくれる「だろう」と同じレベルです。やれやれ。

                         

                         

                         

                        でも、さすがに従順でお人好しの国民でも、以下の事実には気づいていると思います。北朝鮮をめぐる「緊迫した」状況は、すべてアメリカと北朝鮮が主導しているもので、アメリカの植民地の長であるアヘ政権には主体性を発揮する余地は1%もないのだということ。これは安倍政権にとっては支持率を上げ、やまかけ蕎麦、じゃなかったモリカケ問題を忘れさせる絶好のチャンスだということ。

                         

                         

                         

                        ところで皆さんは覚えていますか。「戦争法案」を強行採決した時、アヘ首相は次のように言いました。「(この法案によって)我が国が他国の戦争に巻き込まれることは絶対にありません」と。もう、めちゃ巻き込まれてますけど・・・。

                         

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