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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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「君たちはどう生きるか」
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    昨日、10月28日、早稲田大学で開催されたイベント「漱石と日本、そして子どもたちへ」に宮崎駿監督が登壇し、制作中の新作の題名が「君たちはどう生きるか」になると明かしました。1937年に出版された吉野源三郎の本の題名からとったもので、「その本が主人公にとって大きな意味を持つという話です」と述べました。

     

     

     

    余談ですが、そのイベントで宮崎監督は夏目漱石の「草枕」を「何度読んだかわからないくらい好き」と言っています。この言葉の中に監督の創作の秘密が隠されています。いや、監督に限らず、真に創造的な思考なり表現を生み出す源泉には、こういった人間的な心の傾きがあるのです。

     

     

    すべてを効率と費用対効果といった数値化できるモノサシで測り、結果を求めるような社会では、人間の可能性は閉ざされるほかありません。今は学校教育でさえそうなっています。それを極端な形で推し進めているのが塾産業というわけです。

     

     

    ではどうすればいいのかですって?簡単です。学校と塾を辞めればいいのです。これからの学校はあらゆることをマニュアル化していくでしょう。生活のみならず学習における評価基準も画一化・平準化していきます。だから私の言っていることはまんざら極論でもありません。

     

     

     

    でも塾をやめることはできても、学校はそうはいきません。そこで手っ取り早い方法を教えましょう。まずA4の紙を用意して下さい。大学ノートではダメです。すぐに閉じますからね。そのA4の紙に太字のサインペンか筆で、「何度読んだかわからないくらい好き」という宮崎監督の言葉を書きます。それを机の前かどこかに貼って、いつまでも眺めるのです。

     

     

     

    すると不思議なことが起こります。書かれている言葉の意味が分からなくなります。言葉の表面的な意味が剥がれ落ちて行き、やがて声が聞こえるようになります。そう、宮崎監督の声や息づかいが聞こえるのです。言葉の本当の意味が分かるのはその時です。そして同じような息づかいで「何度読んだかわからないくらい好き」と発話する人の存在に気付くようになります。何だかオカルトっぽい話ですね。でも人間は高速情報処理機械ではありません。本質的には霊的な存在なのです。この話はここまでにします。

     

     

     

    宮崎監督は2013年の『風立ちぬ』を最後に長編アニメの監督を引退しましたが、今年になって撤回しました。76歳になる監督の創作意欲に再び火をつけたのは何だったのでしょう。

     

     

     

    『風立ちぬ』の意図を誤解されたままで終わりたくないという思いも少しあったかもしれません。しかし、より本質的な理由は、これまで作って来たアニメの集大成として、「君たちはどう生きるか」と問いかける作品を作りたかったのだと思います。

     

     

    もちろん監督は教師のようにただ言葉だけで「君たちはどう生きるか」と問うようなことはしません。そういうことが最も嫌いな人間だと思います。だからこそ、手間と時間とお金のかかる長編アニメーションを作る必要があったのです。

     

     

    長くなりそうなのでもうやめにします。ただこれだけは覚えておいて下さい。人は様々な職業に就きます。それがうまくいくこともあれば、失敗することもあります。でも人間は「君(たち)はどう生きるか」という問いから逃れられない存在です。それが言葉を持った人間の宿命です。そして、この問いに答えようとする限り、あなたにとって本質的な失敗などないのです。

     

     

     

    以下は蛇足です。「君たちはどう生きるか」と問われているのは日本人全体だと思います。そしてこの問いに答えることのできる人間は、残念ですが今の日本にはいません。政治家はもちろんのこと財界人も同様です。ただ一つだけ例外的な人々がいます。それは日本人のアイデンティティーを持っている沖縄の人々です。安倍政権と戦っている沖縄の人々です。

     

     

     

    宮崎駿監督の新作がどのようなものになるか分かりません。しかし、「君たちはどう生きるか」と問われた沖縄の人々が、日本から独立する物語であってほしいと思います。そして、その力が本土の人たちに伝わって、日本が平和国家としてアメリカから独立する物語であってほしいものです。もちろん主人公は白髪の交じった初老の風の谷のナウシカです。

     

    | 中高生の皆さんへ | 22:35 | comments(0) | - |
    安倍政権を支えているのは「投票率の低さと自殺率の高さ」である。
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      英紙「フィナンシャル・タイムズ」の名物記者ジョン・プレンダーは、日本人がポピュリズムの波に抵抗できている理由は「投票率の低さと自殺率の高さ」だと分析しています。私はそれに「教育の成功(もちろん反語です)」をつけ加えたいのですが、それはまた別の機会に。以下に一部引用します。興味のある方は下記サイトをどうぞ。

       

      https://courrier.jp/news/archives/80347/

       

       

       

      「昨今の先進諸国の政治の動きを見ていると、グローバリゼーションやテクノロジーの進歩に取り残された人々たちによって政治が大きく変わろうとしているかのように思える。蔓延しているのは、政界のエリートへの怒りである。

      ところがポピュリズムの運動が起きていない先進国もある。その代表格といえるのが日本だ。



      日本では経済が20年も低迷しており、同国の自殺率は世界の平均より大幅に高い。それにもかかわらず、この国では反エスタブリッシュメントのポピュリズム運動がまったく盛り上がっていないのである。



      日本人が怒りの声を上げていないのは意外に思えるだろう。なにしろ、この国は90年代後半からデフレで経済が苦しんできた国だ。生産性が上昇しても、それに賃金の上昇が伴わない状況が長年続いてきた。



      90年代の有名なバブル崩壊で日本が失った国富は莫大だ。野村総合研究所のチーフエコノミストのリチャード・クーによると、日本が1990〜2015年の間に株式や不動産で出した損失を合算すると1500兆円に及ぶとのこと。これは GDP 比で見ると、大恐慌時代の米国の3倍の損失なのだという。



      2011年、日本が地震と津波に見舞われ、福島の原子力発電所のメルトダウンが起きると、日本政府と財界の指導者の無能ぶりが、残酷なまでにさらされた。また、日本の地方には、米国のラストベルトや英国の地方の労働者のように、政界のエリートから無視されていると感じている人は多い。」引用以上。

       

       

       

      安倍政権が誕生してからというもの、私はネットで海外の新聞や雑誌を読むことが多くなりました。もっぱら英語で読むだけですが、それでも読むに値する記事は多いのです。特にガーディアンをはじめとするイギリスのメディアはファクトチェックがしっかりなされています。

       

       

      前回紹介した『チャヴ』もイギリスの青年が書いたものです。RECOMMEND欄をご覧ください。海外のメディアはこの本を正確に批評しています。

       

       

      それに比べて、日本のメディアが発信するものは、自主規制と政権への忖度で、読めた代物ではありません。特に、ゴミ情報と捏造記事だらけの読売・産経新聞は完全に体制翼賛新聞と化しています。

       

       

       

      23日の首相動静によると「18時49分、東京・大手町の読売新聞東京本社。渡辺恒雄読売新聞グループ本社主筆、橋本五郎読売新聞東京本社特別編集委員、福山正喜共同通信社社長らと会食」となっています。祝杯をあげていたのでしょうね。そこへ、幻冬舎社長・見城徹のような出版人が揉み手をしながら割って入るという構図です。

       

       

       

      読売・産経新聞は置くとしても、財界人は以下の情景をどのように見ているのでしょうか。株価が上昇を続け、内部留保が増え続ければ、多少のことには目をつぶるつもりでしょうか。

       

       

      選挙最終日、秋葉原での安倍首相の演説を日の丸の旗で取り囲んだ自民党ネットサポーターズクラブと自民党員の面々。

       

       

       

       

       

      しかし、これが財界人が支持している人間なのです。経済活動は健全な資本主義(もうとっくに終わっていますが)と民主主義が機能していることを前提にしています。それとも再び戦争経済を回して濡れ手に粟を目論んでいるのでしょうか?

       

      以下の画像は立憲民主党・枝野幸男氏の演説風景。

       

       

       

       

      | 政治 | 13:19 | comments(0) | - |
      「株式会社日本」はどこへ行く?
      0

        私はいかなる政党、結社、宗教団体にも属していないので、選挙の時は投票しない政党を決めるだけです。戦略的・消去法的投票行動と言えばいいのでしょうか。二十歳を過ぎてから、そのようにして選挙権を行使してきました。

         

         

        もともと政治的人間ではないので、選挙結果に一喜一憂することはありません。ただ、この人にだけは当選してもらいたい、あるいは当選してほしくないという個人的な思いはあります。そういうわけでここ1週間ほど、選挙の喧騒から離れて昔読んだ本を読み返していました。

         

         

         

        塾を始めた30歳の頃、日本の学校は「校内暴力」や「いじめ」が蔓延し、荒れていました。教師や学校文化に反抗するいわゆる「不良たち」が、やみくもにうっぷんを晴らしていたのです。

         

         

         

        メディアや教育評論家、学者たちは批判の矛先を学校に向けるだけで、当の子供たちの内面で進行していた変化には無頓着でした。子供たちは、消費社会・大衆教育社会がもたらした文化の中で、単なる消費主体としてわがまま勝手に振舞いながら、個人としての輪郭を失い、「透明な存在」と化していたのです。

         

         

         

        そんな時に読んだのが『ハマータウンの野郎ども』 (ポール・E. ウィリス著)でした。訳者の熊沢誠氏の『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』を読んだのがきっかけでした。前にも紹介しましたが、アリス・ミラーの『魂の殺人』を読んだのもこのころです。

         

         

         

        『ハマータウンの野郎ども』は、イギリスの労働者階級の「不良たち」が、学校が押しつけてくる文化に同化せず、努力すれば誰でも成功するといったメッセージ(メリトクラシー)の無効性を暴き出す様子を描きます。

         

         

         

        著者は、労働者階級の子供たちの文化や彼らの才能に共感しつつも、個人としての社会的上昇が困難であるがゆえに集団として連帯することができたのだとして、その限界にも着目します。

         

         

         

        つまり、彼らに言わせれば、メリトクラシーは、結局は精神的生産に価値を置くものだということになります。学校文化に反抗する彼らは、肉体労働をむしろ高く評価します。努力すれば誰もが価値の高い精神労働ができると言っても、実際は誰かがきつい肉体労働を引き受けなければならないというのです。かくして彼らは工場での肉体労働を「自発的に」「誇りを持って」選ぶようになります。

         

         

         

        そこで著者は問いかけます。

         

         

        「単純労働は、普通ならばだれでも嫌がる。仕事はキツイのに給料や社会的地位は低い。でも、それをこなせるやつだからこそ、『真の男』と認められるのだと思っていないか?」と。

         

         

         

        肉体労働よりも精神労働に価値を置く社会を批判した「不良たち」が、結果として、肉体労働を選ぶのは皮肉とはいえ納得できます。かくして、彼らははみ出し者として社会から排除されることなく、逆に現代人が避ける肉体労働に『真の男』として積極的に参画していきます。わざわざきつい仕事を「自発的に」「誇りを持って」選んだ「不良たち」は、資本主義社会で重宝され、まさに社会の価値序列を支えることになります。

         

         

         

        著者はこのように、社会秩序を転覆させるような要素をもつ文化が、社会秩序の構造の中に吸収されていく様を描きます。つまり労働者階級の文化が、労働者階級を再生産していると言うのです。確かに文化は社会構造によって規定されます。しかし、忘れてならないのは、その社会構造を生み出すのも文化だということです。

         

         

         

        この本には忘れられない一節があります。「不良たち」が肉体労働を「自主的に選択」したその後について、著者は次のように書きます。

         

         

         

        「かつてはおしなべて…深く考えることなく工場の門をくぐった。そうして今日、明日と働き、いつしか三十年が経ってしまうのである。真の機会をのがしたり、もともと機会を機会と理解できなかったこと、逆に好機到来とばかりに選んだ道がまやかしにすぎなかったこと、こうした苦い思いが、労働者仲間のあいだで工場に入る前の人生についての神話を生みだす。」と。

         

         

         

        イギリスがEUから離脱することを決めた背景には、以上述べたようなイギリスの労働者階級の文化があるのかもしれません。政治的決断の背景には長い歴史があるのですね。

         

         

         

        ところで、『ハマータウンの野郎ども』を再読しようと思い立ったのはRECOMMEND欄でも紹介した以下の本を読んだからです。『チャヴ』とは下流社会の手のつけられない暴徒、「野郎ども」を指す言葉ですが、イギリスの一般大衆社会が新自由主義によって壊滅的打撃を受けた様子を克明に分析しています。二十代の若者が書いたというのですから、驚きです。

         

         

         

         

        ひるがえって、「改革」や「人づくり革命」を唱えながら、新自由主義路線をひた走る「株式会社日本」は、労働者文化に何をもたらし、社会をどのように変えていくのでしょうか。

         

         

         

        一つはっきりしていることがあります。さらなる経済成長を唱えるバカな社長が舵取りをしている「株式会社日本」は、社員が次々に辞めて行く人口減少国家だということです。

         

        | 文学・哲学・思想 | 17:45 | comments(0) | - |
        「選挙なんて、そもそも意味ないじゃん」って、単なるバカじゃん!
        0

          これまで私は時間と記憶について何度も書いてきました。建築の魅力は、この二つのかけがえのなさを私たちに教えてくれるところにあります。素晴らしい建築は、決まって何かを思い出させてくれるのです。それは幼少年期の記憶の断片であったり、季節の匂いや自然が奏でる音などです。それほど私たちの人格は過去の記憶によって規定され、積み重なった時間によって形作られています。

           

           

           

          ある人の<生>は、その人の記憶そのものであり、過ごしてきた時間そのものです。そして、その人固有の記憶や時間は、その人が生きている国の文化や歴史の中に深く根を張っています。それを言葉にするということは、個人の歴史を語ることのみならず、その背後にある共同体(国)の歴史を語るということです。言葉の性質上そうならざるを得ません。

           

           

           

          この根から切り離された言葉は軽くなり、ネット空間の中をアメーバのように浮遊しています。その結果、一方に重心がかかれば、それに引きずられてとめどなく流れ、踏みとどまる術を知りません。

           

           

           

          今度の選挙でどこに投票していいかわからないとか、「選挙なんて、そもそも意味ないじゃん」などと考えている人は、自分が記憶喪失に陥っていることを自覚すべきです。いや、テレビをはじめとするメディアという洗脳装置によって記憶を奪われていることに気づくべきです。

           

           

           

          リスクマネジメント、コストパフォーマンス、ビジネスマインド、コンプライアンス、労働市場における雇用流動性、付加価値、選択と集中、自己責任、果てはアウフヘーベンなどという言葉によって、私たちの意識は常に未来へと駆り立てられています。つまり、自分が今立っている位置を確認することもできず、常に走り続けている状態なのです。過去を思い出している暇などありません。

           

           

           

          しかし、最初に書いたように、あなたとはあなたの記憶のことであるし、あなたが過ごした時間のことです。かけがえのない価値を持っているのは、同じことの繰り返しにしか見えない日々の生活です。しかし、その価値に気づくには、昨日という二度とやって来ない日の記憶を思い出すしかありません。そしてその前日、さらにその前日というふうに記憶をたどらなければなりません。つまり、詩人の想像力を必要とするのです。

           

           

           

          詩人の想像力を持って過去を振り返る時、意識していなくても、私たちの日々の暮らしに大きな影響を与え、暗い影を投げかけていたものこそが政治だということに気づきます。

           

           

           

          わずか数年でこの国のかたちは根本的に変わりました。記憶をたどるようにしてほんの一部だけですが列挙してみます。

           

           

           

          ・元TBSの記者・山口敬之が詩織さんをレイプし、逮捕状まで出ていたのに、それを安倍政権は握りつぶし、闇に葬りました。山口敬之は前回の選挙の直前に『総理』なるヨイショ本を出版して安倍首相にかわいがられていた鬼畜ジャーナリストです。出版社の名前こそ変えていますが、この本の出版を実質的に仕切ったのは幻冬舎のヤクザ社長・見城徹です。

           

           

          現在、詩織さんは民事訴訟を提起しています。権力によって人間の尊厳を踏みにじられたのは詩織さんだけではなく、私たち国民です。私たちは侮辱されているのです。この事件一つをとっても安倍政権を許すことができません。あなたは自民党に投票して、この事件を追認するのでしょうか。

           

           

           

          ・憲法尊重擁護義務に違反し、集団的自衛権を強行採決し、共謀罪を成立させ、森友学園問題で夫人を私人と閣議決定し、長年の友人である加計学園理事長の獣医学部新設の想いを今年の1月20日まで知らなかったという人間をあなたは追認するつもりでしょうか。

           

           

           

          ・大ウソと裏金を使ってまで東京オリンピックを誘致し、原発被災者の困窮を無視し、想いを踏みにじり、着々と原発再稼働に前のめりになっている安倍政権をあなたは追認するのですか。一部ですが以下の動画をご覧ください。10月20日に行われた、IWJの岩上安身氏による広瀬隆氏インタビューです。

           

           

           

          ・暗愚の番頭に「全く問題ない」を連発させ、国有財産をポケットマネーのように使い、国会で問題にされても、官邸も官僚も「記憶にない」「記録がない」を連発するばかり。それでも国民のある層と利害関係者、宗教団体、財界は支持してくれると思い込んでいる政党、政治家をあなたは追認しますか。

           

           

           

          Jアラートを鳴らしまくり、子供たちに恐怖感を植え付け、北朝鮮に対する敵愾心をあおり、宇宙空間をミサイルが飛んだだけで「わが国上空を通過」と騒ぎ、あげくのはてに膨大な税金を投入して解散総選挙に打って出て1カ月以上の政治空白を作る。こういう政権を支持する人間を「ネトウヨおぼっちゃまくん」といいます。

           

           

           

          こんな破廉恥で整合性のない行動がとれるのは、首相がもはや国民を納得させる必要を感じていないからです。「丁寧に説明」は言葉の遊びであり、自分の考えを押し通すことに慣れてしまっています。論理も倫理も無視し、ただ感情の赴くままに「こんな人たち」に罵詈雑言を投げつけ、言葉を無効化した結果、安倍首相の脳内に残った言葉が「国難」というわけです。「おまえが国難!」とはよく言ったものです。座布団10枚!

           

           

           

          もう止めにします。安倍政権が選挙後突き進むのは、憲法9条の改定ではなく、緊急事態条項の創設です。どうかこのことを心に留めておいて下さい。私は選挙区も比例区も共産党に投票しました。妻は選挙区は共産党、比例区は立憲民主党です。安倍政権が続いた場合のことを考えての判断です。ちなみに、自民党はもとより、公明党、維新、希望の党には100万円もらっても投票しません。消費税分8万円が上乗せされていないからです、なんちゃって。

           

           

           

          最後に替え歌を一つ。

           

           

          どんぐりころころどんぐりこ〜、小池にはまってさあたいへん、前原出てきてこんにちは、ぼっちゃんいっしょにあそびまちょ〜。

           

           

          お後がよろしいようで。

           

           

          追伸: 替え歌の「ぼっちゃん」とは誰のことか、お分かりですよね。

           

          | 政治 | 14:28 | comments(0) | - |
          開戦前夜の「空気」を作るのに加担するのか。
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            「今回の選挙、くだらなすぎる」 として東浩紀氏が投票棄権の賛同署名を集めているそうです。現代思想の分析では抜群の冴えを見せていた東浩紀氏ですら、この期に及んでこの体たらくです。今の政治的状況の本質をまったくわかっていない評論家やコメンテーターと同じになってしまったということです。

             

            http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/hiroki-azuma_a_23237074/

             

             

             

            つまりそれなりに現状分析はするけれども、実際にどう行動すべきか、という段になると、何とも的外れな高等遊民的な処方箋しか示せないのです。これが頭の良すぎる東氏の末路です。「戦略的投票」を訴える山本太郎の方がはるかにまともではないか。

             

             

             

            ブログで批判した社会学者の古市憲寿も、国際政治学者の三浦瑠麗ちゃんも同じようなことを言っています。彼らがなぜこんな政治的痴呆状態になったのか、それは別の機会に、気が向けば書きましょう。

             

             

             

            ただ一言だけ言っておきたいことがあります。「積極的棄権」に賛同する署名運動で、仮に百万人の署名が集まったとします。しかし、今回の選挙の投票率が前回より低ければ、「積極的棄権」は無意味になります。しかもメディアが自民党圧勝を予想している状況では、そうなる可能性は高い。そうなった場合、棄権をそそのかし、分かりづらいアクロバティックな大義名分を社会に流布した責任を、東氏はどうやってとるつもりなのでしょうか。

             

             

             

            自分の責任は回避しながら、民主主義社会における選挙の意義を矮小化し、人々に棄権をそそのかす「学者」は、一般市民が同じ妄言を吐くよりもいっそう罪深いのです。仮に、ネトウヨや安倍政権が「積極的棄権」のキャンペーンを張っていても、東氏は同じように「積極的棄権」を訴えるつもりでしょうか。

             

             

             

            東氏は言います。

             

            「『選挙に行きたくない』とか『棄権』とかって言うと、多くの人が『いや国民の義務として投票に行くべきだ』とか言うわけですね。もちろんその通りです。しかしですね、その前にこの選挙が必要だったのかってことをちゃんと考えなきゃいけないと思うんです。」と。

             

             

             

            社会学者の古市憲寿や国際政治学者の三浦瑠麗ちゃんが言うなら、やっぱりね、で納得できます。しかし、東浩紀氏にしては、あまりに筋が悪すぎます。

             

             

             

            以下は小林よしのり氏の10月14日のブログです。彼は立憲民主党の応援演説もしています。その行動は一時の気まぐれなどではなく、彼の保守思想家としてのやむにやまれぬ行動なのです。私は彼と意見を同じくする者ではありませんが、彼の言説は東氏よりも数段筋がいいと思います。

             

             

            引用開始

             

            「自公の圧勝はもう揺るがない。
            責任は小池百合子と騙された前原誠司にある。
            小池・前原は切腹すべきである。
            侍なら必ずそうしていた。

             

             

            田原総一朗氏が森友加計問題は小さなことだと言っている。
            三浦瑠麗と同じになった。

             

             

            北朝鮮との戦争の危機が今後は煽られる。
            年末から来年始めに戦争だと囁かれている。

             

             

            このようにして大文字の政治的関心が、小文字の政治的関心を封殺していく。
            戦前に辿った国民心理とまったく同じだ。

             

             

            日本人は戦前の「空気」をまったく反省していない。
            戦時中に「小国民」だった田原総一朗氏ですら反省していない。
            「空気」を作る側に加担し始めた。
            戦争に怯えるのは、韓国の在留アメリカ人が脱出し始めてからでいい。

             

             

            安倍政権の独裁はさらに強まる。
            開戦前夜の「空気」が安倍独裁を強めていく。
            それでいて「自衛隊明記」の改憲などと、護憲論と変わりない「加憲論」が進行していく。
            お花畑の「サヨク」は自称保守の側にも今や満開である。」

             

            引用終わり。

             

            | 政治 | 21:26 | comments(0) | - |
            早期英語教育は、子供たちから考える力を奪う。
            0

              最近はブログを書く意味を見出せなくなっています。書きたいことの百分の一くらいは書いた気がしますが、今の政治状況を見ていると、まるで言葉の通じない異国に来ているような気がします。

               

               

               

              そんな状況とは関係なく、日々の生活を楽しめればいいのですが、意識の底にわだかまりがあって、どうしてもそれができません。「心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と書いた兼好法師の心境が分かります。

               

               

               

              それでも、ブログを書いていると、思わぬ人から便りがあったり、相談があったりします。たまにネトウヨの皆さんからの中傷もあります。実名なら相手をしますと言っているのですが、一人として同意する人はいません。彼らは、匿名という形でネット空間にかろうじて生息しているダニのような生き物です。最近では自分で意見を述べるのではなく、リツイートという形でフェイクニュースを拡散しています。

               

               

               

              さて本題に入ります。今回は東京在住の教育熱心なお母さんであるYさんから、子供さんの進路について御相談がありました。それに対する私の考えを簡潔に述べてみます。「簡潔に」というのは、正直言ってまともに返事をする気にならなかったからです。

               

               

               

              Yさんによると、先日の「佐藤ママ」の記事とカズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞について書いた記事がきっかけでメールする気になったとのことでした。その長い、にわかには信じられないメールを読んで、私は絶句し、どう返事をしていいかわからなかったのです。一瞬、フェイクニュース、いや、いたずらかと思ったほどです。

               

               

               

              でもよく読んでみると、Yさんはいたってまじめで、子供の将来を真剣に考えていることが分かりました。それをフェイクニュースだとかいたずらではないかと疑うことは不謹慎で、不誠実ではないかと反省したほどです。

               

               

              質問の要旨は次のようなものでした。

               

              「私もカズオ・イシグロ氏の熱烈なファンである。ついては、自分の子供を将来カズオ・イシグロ氏のようなノーベル文学賞をとれる作家に育てたい。日本の学校で英語教育を受けさせていたのでは、まともな英語力はつかないと思う。子供は今4歳で、仕事のこともあり留学させるのは難しい。そこで日本にあるインターナショナルスクールに通わせてバイリンガルに育てれば、ノーベル文学賞をとれる作家になれるだろうか?」という内容です。

               

               

               

              私が絶句したのがお分かり頂けるでしょうか。

               

               

              さらに、「佐藤ママ」のように、子供4人全員を東大の医学部に合格させることができるのなら、周到な計画さえ立てれば、ノーベル文学賞も夢ではないはずだ。そのための将来の留学計画、留学先、子供に読ませたい本100冊も決めている、とのことでした。

               

               

               

              もしかしたら・・・と思わせますよね。えっ、そうは思わない?いや〜仲間がいてよかったです。Yさんから見れば、あなたや私は、子育ての緻密な計画を立てる能力のないずぼらな人間か、情報弱者だと思われているかもしれません。

               

               

              でもYさんは件のブログの次の箇所は読み飛ばしたのでしょうね。

               

               

              「それにしても4人の子供の中に1人くらい、東大一直線教に疑問を持つ子供がいてもよさそうなのですが・・・。しかしそれをさせないところが「佐藤ママ」の「スゴイ」ところです。つまるところ、教育は幼少期からのマインドコントロールだということです。4人の子供全員が東大医学部というところに何とも言えない精神的・文化的貧しさを感じてしまうのは、私のひがみ、負け犬の遠吠えでしょうね。」

               

               

               

              Yさんからすれば、文章を読むことは役立ちそうな情報をピックアップすることで、書いている人間の価値判断は主観なので無視してかまわないということなのでしょう。

               

               

              しかし、大人になるということは自分の主観を成熟させていくことです。それが分かっていない人の行動や意見は、一見中立かつ客観的で大人のように見えますが、本質的には幼稚です。つまり、自分は偏見や主観からは自由ですよ、と言いたいがために情報収集に血眼になり、未成熟な精神を抱えたまま大人になったということです。

               

               

              おやおや、話がわき道にそれました。Yさんの質問に端的に答えましょう。

               

               

              1.4歳から日本にあるインターナショナルスクールに通わせるのはおやめなさい。子供を精神的に不安定にするばかりではなく、知的な発達を阻害します。特に言葉を覚えるには有利だと思われがちな6歳以下の子供にそういった環境を強制するのは、子供をバカに育てるようなものです。この事実は英語業界の利益にならないので、無視されていますが、お茶の水女子大学の内田伸子教授がこれを裏付ける興味深いデータを提供しています。

               

               

               

              2.日本語と英語という二つの言語を、別立てでバラバラに習得することはできません。特に子供が幼い時にそのような環境を強制するのは、子供の言語運用能力つまり知的能力を阻害します。

               

               

               

              一見別のものに見える言語でも、根底の部分を共用しています。私はこのことをノーム・チョムスキーから学びました。つまり、人間は最初の言語を習得する時、論理を組み立てたり、類推したり、まとめたり、比較するといった「考える力」も習得するのです。二番目の言語は、この考える力を使いながら習得されます。したがって、最初の言語によって習得した「考える力」がしっかりしていなければ、二番目の言語は簡単には習得できないのです。

               

               

               

              4歳からインターナショナルスクールに通わせたり、英会話学校に通わせたりするのは全く意味がありません。それどころか、考える力が身についていないうちから二番目の言語を覚えようとすると、母語の習得をも妨害することになります。

               

               

               

              それなら、7〜9歳からならいいのではないかと考える人もいるでしょうね。でも、そうまでして急いで英語を習わせることに何の意味があるのでしょうか。7〜9歳は小学校の低学年です。日本語すら十分に習得しているレベルではありません。その時点で、仮に英語を習得したとしても、その時点での日本語の理解度にあったレベルでしか習得できないのです。幼児期に複数の言語を教えるのは、子供の発達や人格形成をわざわざ妨害するようなものです。

               

               

               

              仕事の都合で海外に家族で移住するのならともかく(その場合でも子供の年齢によってはマイナス面が大きいのです)、日本にいながら無理やり子供をバイリンガルに育てる必要はないでしょう。帰国子女という言葉にあこがれて「国内留学」させるのであれば、彼らは大学入試においても、実社会においても必ずしも優遇されるわけでもなければ有能でもないという事実を知っておくべきです。

               

               

               

              要は、幼いころからの英語教育や英会話ブームは、英語業界の金儲けにまんまと騙されて、本来なら必要ないお金をつぎ込んでいるということです。インターナショナルスクールは大金がかかります。芸能人や有名人の子供が通っているのにつられて、見栄でお金を捨てたいなら、どうぞそうして下さい。私が口出しできることではありません。

               

               

               

              3.さて、一番肝心な質問に答えなくてはなりません。用意周到な子育てによって将来子供にノーベル文学賞を取らせることが可能か、という問いです。

               

               

               

              不可能だとも可能だとも断言できません。カズオ・イシグロ氏は長崎出身です。しかし、彼は日本人ではありません。国籍のことを言っているのではありません。彼はバイリンガルでもありません。彼は日本語をほとんど話せないし、日本語で文章を書くこともできません。れっきとしたイギリス人です。ただ、幼いころの日本の記憶にうながされるようにして、人間にとって記憶の持つ意味を比類のない実験精神で文学にまで高めたのです。

               

               

               

              親の仕事の都合で5歳の時にイギリスに渡り、のちにイギリスに帰化しました。もし彼の両親がバイリンガルに育てるために日本語の勉強を強要していたら、ノーベル文学賞の作家は誕生していなかったでしょう。これは断言できます。彼自身が次のように言っています。

               

               

              「もし私が漢字やカタカナを覚えるための教育を受けていたら、歪んだものになっていただろう」と。

               

               

               

              言葉は人格を形成する骨格となるものです。その国の文化を理解するのも、歴史を理解するのも、その国の言語を自分のものとしているからです。ブログでもしつこいくらいに言ってきました。人は言葉によって思考するのです。その言葉がおぼつかないと、思考まで揺らぎ、歪んだものとなります。

               

               

               

              さてこれが私の答えの全てです。日本社会は私の考えとは正反対の方向に進んでいます。ここに書いたことは、少数意見として無視されるでしょう。小学校から英語を正規の教科にし、財界は英語を社内公用語にしようとしているのですから。

               

               

               

              しかし、本当に創造的な思考は母語でなければできないのだということは、断言しておきたいと思います。何も戦争を起こさなくても、教育をコントロールすればその国を滅亡に導くことは可能なのです。

               

              | 英語教育 | 15:57 | comments(0) | - |
              デジャヴ(既視感)と近未来のカタストロフィー
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                昨日、10月11日は、伊方原発差し止め裁判の第6回公判の傍聴のために大分地裁へ行ってきました。季節外れの暑さの中でしたが、それでも時折吹く風の中に秋の気配が感じられました。いつものように上高時代の同級生、『疾風自由日記』のSさんに会うことができました。

                 

                 

                 

                帰宅すると、霧島山系の新燃岳が6年ぶりに噴火したというニュースが流れていました。記憶している方も多いと思いますが、新燃岳は2011年1月26日、約300年ぶりの本格的なマグマ噴火が観測された活火山です。

                 

                 

                 

                それから1カ月後の2011年2月22日12時51分にニュージーランドのカンタベリー地方でモーメントマグニチュード6.1の地震が起こります。特に被害を受けた都市クライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」とも呼ばれています。その時、多くの日本人留学生がクライストチャーチにいました。日本人の犠牲者は28人に及び、全員が留学生で、高校を卒業して間もない学生もいました。

                 

                 

                 

                それから1カ月を待たずして、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発の過酷事故(人災ですが)が起こりました。地震はほぼ周期的に起こります。日本列島は次の巨大地震がスタンバイしている状態です。

                 

                 

                 

                にもかかわらず、愚かな為政者や金儲けに余念のない電力会社をはじめとする財界は、原発を次々に再稼働させ、裁判所と原子力規制委員会はそれにお墨付きを与えています。それが何を意味するのか、想像力と知性を欠いた彼らには近未来のカタストロフィーが見えていません。

                 

                 

                 

                私は、今の政治とそれにふさわしい国民が、パンとサーカスに興じている様を見て、絶望しています。この国の国民は、もう一度原発事故が起こらなければ目が覚めないだろうと。しかし、その時はこの国が終わる時です。

                 

                 

                 

                3・11直後、私たち国民は素朴に何を感じていたでしょうか。大都市圏3500万人が避難しなければならない状況は、刻一刻と迫っていたのです。偶然の僥倖によって首の皮1枚でつながった国民は、わずか6年の時が流れたというだけで、そのとき味わった恐怖や絶望を忘れてしまいました。やれオリンピックだ、やれ選挙だ、と空騒ぎをしています。それは一言で言えば、政治家と国民がロシアンルーレットを楽しんでいるということです。

                 

                『ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民』

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=123

                 

                 

                 

                21世紀の初頭、日本は国民的な規模で記憶喪失に陥り、知性は払底しています。原発を再稼働させる政権を再び支持するのですから。

                 

                 

                 

                以下は、福島第一原発の事故後に発売されたFRYING DUTCHMAN の『humanERROR』です。いつの時代も真実は大げさで極端に聞こえるものです。あなたの身体的知性つまり感情は、この曲に生理的な拒否反応を示すでしょうか?そうでないことを祈ります。

                 

                 

                 

                上記 You Tube は up した後、削除されたり、妨害されたりしています。そこで Live 版もアップしておきます。

                 

                 

                 

                | 原発 | 08:45 | comments(0) | - |
                Ecce homo!(この人を見よ!)チェ・ゲバラ
                0

                  Ecce homo!とは、ラテン語で、磔刑を前に、鞭打たれ荊冠を被せられたイエス・キリストを侮辱し騒ぎ立てる群衆に向けて、ピラトが発した言葉だとされています。当ブログでもカテゴリーを設けています。

                   

                   

                  今回は、短い生涯を駆け抜け、多くの民衆の心に今も生き続けている、ある人物を紹介します。

                  昨日、10月9日は彼の命日でした。彼は、今から50年前、1967年10月8日、ボリビア山中でCIAの追跡部隊に指揮されたボリビア軍に捕らえられ、その翌日、全身に弾を撃ち込まれて射殺されました。享年39歳。

                   

                   

                   

                  ボリビアで捕えられ、処刑される際に、銃撃を躊躇する敵軍兵士に向かって言った彼の最後の言葉。

                   

                  「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ。」

                   

                   

                  今の若い人をはじめ、わずか50年前の出来事なのに、多くの日本人は彼のことを知りません。政治に関心のある人で彼のことを知らないのは、あまりに能天気というか、知識と想像力の幅が狭すぎると思います。

                   

                   

                  おそらく、今の日本の政治家も彼のことをほとんど知らないでしょう。その貧困な知識と想像力を考えれば、彼のことが意識に上ることはまずないと思います。歴史を捏造して恥じることのない、感情が劣化した操り人形たちですから。

                   

                   

                   

                  以下彼の言葉を引用します。

                   

                  「もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう、『その通りだ』と」

                   

                   

                  「世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから」

                  これはボリビアに立つ前、自分の死を予感して5人の子供達に遺した手紙の一部です。

                   

                   

                  「最も重要なことは権力を握ることではなく、握った後に何をするかを明らかにすることだ」

                   

                   

                  「人は毎日髪を整えるが、どうして心は整えないのか」

                   

                   

                  「ある日の真実が、永遠の真実ではない」

                   

                   

                  「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」これは、広島の原爆資料館を訪ねた際、アメリカによる原爆投下の惨禍の凄まじさに同情と怒りをみせながら当時の広島県の外事担当に言った言葉。

                   

                   

                  「バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家を想像することは不可能だ」

                   

                   

                   

                  「ただ一人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。隣人のために尽くす誇りは、高い所得を得るよりもはるかに大切だ。蓄財できるすべての黄金よりも、はるかに決定的でいつまでも続くのは、人民たちの感謝の念なのである」

                   

                  彼の名前は、チェ・ゲバラ。

                   

                   

                   

                   

                  ある人間が語る言葉は、その人間のみならず、彼が世界をどのように見ているかを語ります。日本の政治家のあまりに浅薄で不誠実な言葉を聞いていて、彼の言葉を思い出しました。

                   

                  | この人を見よ! | 23:02 | comments(0) | - |
                  政治と言葉
                  0

                    9月21日のブログで次のように書きました。「閉ざされた世界にいる人間にとって光とは、言葉のことです。あなたがどんな言葉に出会うかによって、世界は全く違って見えます。そればかりではありません。相手が話す言葉によって、その人が世界をどのように見ているかということも分かります。」と。

                     

                    『深い迷いの中にいる若い皆さんへ2冊の推薦図書』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=409

                     

                     

                     

                    ブログを書く時に一番気をつけていることは、ある言葉が、どのような状況で、誰から発せられたのか、ということです。その都度本人に会って事の真偽を確かめるわけにはいきません。しかし、言葉はそれを使う人間の意図を超えて、その人間の本質を否応なしに現わします。

                     

                     

                     

                    もちろん思い違いということもあります。特に若いころは、言葉の表面的なかっこよさやきらびやかさに幻惑されて、あるいは難解さに魅せられてある特定の人間の言葉を信じてしまう傾向があります。もちろん私自身のことを言っているのです。

                     

                     

                     

                    しかし、ある程度年をとってくると、思考することは言葉による暫定的な足場作りでしかないということがわかってきます。もちろん、どんな言葉も同じ価値があるというのは間違っています。言葉の価値はどんな人間が吐くかによって決まります。そこに優劣があるからこそ、人はより高い価値判断を求めて生きることができるのです。

                     

                     

                     

                    そもそも他者の言い分を理解するということは、ある意味で折り合いのつかないいくつもの意見を抱え込むことを意味します。そうなると価値判断に迷いが生じて、しばらくは身動きが取れなくなり、無気力に沈むことも多くなります。そうなるのが怖いので、人は他者の言い分に耳をふさぐか、聞いているふりをするのです。

                     

                     

                     

                    しかし、自分の人生を生きるためには、言葉の優劣を判断することを避けて通るわけにはいきません。同調圧力に屈し、それを避けて通れば自分が何者であるかわからなくなるからです。逆にそれを恐れてたった一つの言葉(宗教やイデオロギーの言葉)だけを頼りに生きれば、誰でもいい誰かの人生を生きることになります。

                     

                     

                     

                    この世に絶対的な真実(価値判断)などというものはありません。絶えざる「仮の足場作り」だけが、自分の人生を生きる導きの星となるのです。だからといって、しり込みする必要はありません。仮の足場が仮にでも固定する瞬間がやってきます。それは、誰のどういう言葉ならば信頼できるかというある程度客観的な基準が出来上がることを意味します。

                     

                     

                     

                    その時、私たちは自分の存在と世界との新しい関係を手にすることができるのです。信頼できる他者とは、いつ崩れるかわからない不安定な相互信頼の中にあっても、常に「仮の足場作り」を続けている人です。このことについては、今年の6月15日のブログに書きました。

                     

                    『私たちは暫定的な足場をたよりに考えるほかない存在である。』

                     http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=365

                     

                     

                     

                    さて、結論です。言葉に最大の価値を置き、言葉に対する信頼を武器として現実に異議申し立てをし、それを改変していくのが政治家の仕事です。税金をロンダリングして私腹を肥やし、権力欲を満足させるために政治家をしている人間たちの言葉は、矛盾だらけで、空虚です。それは、言葉を発する人格そのものが矛盾に満ち、空虚だからです。安倍首相の言葉がその典型です。もちろん小池百合子の言葉も信用できません。かれらの言葉は、頭蓋骨のなかで空虚な自我がぶつかり合って反響している音に過ぎません。

                     

                     

                     

                    それに対し、常に弱者を思い、国権の発動としての戦争を回避することを使命だと自覚している政治家の言葉は、穏やかで自信に満ちています。人々を振り向かせる力を持っています。批判に耳を傾け、言葉を尽くそうとします。それは無私の言葉です。

                     

                     

                    以下の画像をご覧ください。10月6日、国分寺南口での安倍首相の街宣風景。はるか向こうの街宣車の上で傘をさしているのが、安倍首相らしい。遠すぎて見えません。しかも、周りは警官だらけ。

                     

                     

                     

                     

                    「お前が国難!」のプラカードを掲げた人たちは、自民党員にプラカードが見えないように妨害されています。聴衆の方を向いているのが自民党員。

                     

                     

                     

                    7日の朝日新聞によると、自民党はヤジを警戒して首相の演説日程を公表しないそうです。安倍首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです!」なんて興奮して、また本心を吐露したら選挙に影響すると判断したのでしょう。

                     

                     

                    それにしても、ここまでヤジごときに怯える首相が、かつていたでしょうか。Jアラートを鳴らしまくって、「北朝鮮に異次元の圧力をかける!」と威勢のいいことを口にする極度に臆病な人間が、日本を守り抜くと大口を叩いているのです。これは何かのギャグでしょうか。いや、悪い夢を見ているのでしょうね。

                     

                    | 文学・哲学・思想 | 16:09 | comments(0) | - |
                    カズオ・イシグロ氏、ノーベル文学賞受賞!
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                      塾の授業が終わって居間に戻ると、カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したと妻が教えてくれました。今年一番の嬉しいニュースです。彼女もカズオ・イシグロのファンなのです。暗唱するほど読んだ氏の代表作『わたしを離さないで』をはじめとする氏の一連の作品が対象になったとのことです。現存するイギリスの作家では、最も好きな作家です。

                       

                       

                       

                      その冒頭部分。

                      My name is Kathy. I’m thirty-one years old, and I’ve been a carer now for over eleven years. That sounds long enough, I know, but actually they want me to go on for another eight months, until the end of this year. That’ll make it almost exactly twelve years. Now I know my being a carer so long isn’t necessarily because they think I’m fantastic at what I do.

                       

                       

                      そして最後の文。

                      ,and if I waited long enough, a tiny figure would appear on the horizon across the field, and gradually get larger until I’d see it was Tommy, and he’d wave maybe even call. The fantasy never got beyond that−I didn’t let it−and though the tears rolled down my face, I wasn’t sobbing or out of control. I just waited a bit, then turned back to the car, to drive off to wherever it was I was supposed to be.

                       

                       

                      カズオ・イシグロの心の声がそのまま文体になった素晴らしい小説です。カズオ・イシグロについては2年前にブログで書いています。よろしかったらお読みください。

                       

                       

                      『私たちは、みな執事なのか?』

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=97

                       

                      『私たちは「執事」であることから逃れられないのか?』

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=98

                       

                      | 文学・哲学・思想 | 21:43 | comments(0) | - |
                      So what !(それがどうした!)と言う権力に立ち向かうために。
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                        小池百合子率いる「都民ファーストの会」が都議選で勝利した時から、私は平均的な東京都民の政治意識の低さに見切りをつけました。彼らは「風」に敏感なだけの都市の政治的漂流民なのです。それは新自由主義的な考え方が、あらがうすべもないほど蔓延していることを裏付けるものでした。

                         

                         

                         

                        新自由主義とは、簡単に言えば、人を投資の経済単位に置き換え、平等ではなく競争を原理とし、富の再配分よりも集中を肯定する考え方を言います。格差社会はその論理的帰結です。その結果、民衆が国を統治する政治的原理である民主主義(デモス=民衆、クラシー=統治)は時代遅れの考え方として「排除」されていきます。

                         

                         

                         

                        大阪府知事の松井一郎の言い方を借りれば「ポンコツを一掃してもらいたい」ということになります。(松井よ、「ポンコツ」とはお前のことだ!)さすがに橋下徹が選んだヤクザ知事だけのことはあります。森友問題を何とか闇に葬りたいという願望が透けて見えます。

                         

                         

                         

                        ところで、希望の党と日本維新のすみ分けを裏で画策したのは、大衆の劣情を利用する詐欺師・橋下徹と利害相反をものともしないエセ学者・竹中平蔵だとのことです。特に竹中は国家戦略特区を利用して森友・加計問題の青写真を描いたとも言われています。

                         

                         

                         

                        その橋下徹のツイッタ―です。(  )は私のコメントです。

                         

                        小池さんは歴史に名を残すね。これで選挙の結果がどっちにころんでも憲法改正議論が進む。憲法改正絶対反対の民進党をたった一人の政治家が一気に改憲集団に切り替えた。(これはウソです。民進党の中にも改憲論者はたくさんいます。それを梃子にして民進党を分裂させたのです)こんなことは僕も含めて普通の政治家ではできないね。あとは民進組が裏切らないことを願う。

                         

                         

                        >もちろん前原さんも歴史に名を残す。こんなことは、僕も含めて普通の政治家や学者やメディア、コメンテーターの自称インテリ(この男の使える語彙は決まっています。したがって思考もワンパターンです)には絶対にできない。二大政党制(違います。国家主義的一党独裁政権です)に向かうには避けては通れないプロセス。批判覚悟で誰かがやらなければならないこと。批判している連中は口だけの雑魚。(「口だけの雑魚」とは、橋下、お前のことだ!お前ほどの「口だけの雑魚」は見たことがない!)

                         

                         

                         

                        もちろん橋下徹や松井一郎のようなヤクザ政治家、天下国家を論じるのが趣味のぼったくりバーのママ・小池百合子、三代目の世襲政治家にして国会での質疑に耐えられないひ弱な心の持ち主・アへ心臓などが、この時代に登場してきたのは何かの予兆なのかもしれません。オーメン、ラーメン、冷ソーメン!なんちゃって。

                         

                         

                         

                        改めて言うまでもなく、私はこの連中を心底軽蔑しています。特に橋下は、小池と前原が共謀して民進党議員を裏切った行為を手放しで讃えているのです。人の信頼を踏みにじることなど、彼にとっては平気なのです。しかし、議員を裏切ったということは、彼らに投票した主権者をも裏切ったということです。そのことに思いも及びません。

                         

                         

                        前原に至っては、すべて「想定内」だったそうです。あのホリエモンの「想定内」を使うということは、よほどビビッているのでしょう。20年以上続いてきた政党を一日でできた「希望の党」に売り渡すことの意味も、その後の混乱も予想していなかったに違いありません。「想定内」という言葉を使って虚勢を張っているだけです。

                         

                         

                         

                        戦中、戦意高揚に加担した人間が、戦後になって「はじめから敗けると分かっていた」と言うのと同じです。後出しジャンケンをする人間を信用してはなりません。それにしても、彼らはいったい何を信じているのでしょうか。政治家は常日頃から自らの信念を語らなければなりません。国民に向けても、世界に向けても。それができないので、政局の中で右往左往するしかないのです。

                         

                         

                         

                        ところで、「希望の党」が誕生する2カ月以上前、私は7月27日のブログ知性とは生死の「機微」をつかむことから生まれる美意識である。』の中で次のように書きました。

                         

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=384

                         

                         

                        「私は政治に何かを期待するほどお人好しでもなければ、楽観的でもありません。しかし、もし今まともな政治家がいれば、必ず次のような手を打ち、その流れを加速させるでしょう。

                         

                         

                         第一段階として、民進党を分裂させます。つまり、原発即廃炉と立憲主義を掲げるグループとそうでないグループを分裂させるのです。これが御用組合の「連合」から脱却して自らの足で立ち、真の国民政党になる唯一の方法です。

                         

                         

                        第二段階として、すべての野党に党名を変更させ、「立憲民主党」(仮称)とします。安倍政権の対立軸を作り、小選挙区制の中で勝とうと思えば野党は一つにまとまるしかありません。この構想のネックになりそうな共産党も党名を変える覚悟で臨むべきです。そして、「立憲民主党」山尾派、小沢派、志位派、福島派として、国民にアピールし、政策を競い合うのです。「立憲民主党」の党首は山本太郎です。これは第二の原発事故が起こった時に頼りになる人材という意味です。」と。

                         

                         

                         

                        その後の現実は皆さんご存じのとおりです。「立憲民主党」は当たりましたが、山尾派は頓挫しました。小沢氏は無所属で出馬するそうです。

                         

                         

                        最後に1年以上前に書いた私の政治的信条を載せておきます。リアリズムの仮面をかぶった空想主義・無責任主義ではなく、民族自決と平和のためのリアリズムです。「立憲民主党」を支持する皆さん、共にがんばりましょう。

                         

                        100年後の生存戦略−その1・国防』

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=199

                         

                        | 政治 | 16:42 | comments(0) | - |
                        「希望」という名の災厄− 小池百合子の「バベルの塔」
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                          「パンドラの箱」という言葉とその由来をご存知の方も多いと思います。これはギリシャ神話に由来するものです。

                           

                          パンドラの箱?

                           

                           

                           

                          神話によると、プロメテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」を作るように命令します。命じられたヘパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女にあらゆる贈り物を与えます。この女性こそがパンドラです。

                           

                           

                           

                          そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めてピトス(「甕」を意味するのですが、後に「箱」といわれるようになります。)を持たせ、プロメテウスの弟であるエピメテウスの元へ送り込みます。

                           

                           

                           

                          美しいパンドラを見たエピメテウスは、プロメテウスの「ゼウスからの贈り物は受け取るな」という忠告にもかかわらず、彼女と結婚します。そして、ある日パンドラは好奇心に負けて箱を開けてしまいます。

                           

                           

                           

                          すると、中から悲観、不安、嫉妬、争い、苦悩、悲嘆、欠乏、後悔、疫病、その他、ありとあらゆる災いが溢れ出します。慌てて蓋を閉めたものの、時すでに遅し。災厄は人間界に解き放たれてしまいます。そして閉じられた箱の底には「希望」だけが残った、という話です。

                           

                           

                          転じて、「パンドラの箱」とは「開けてはいけないもの」「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味する言葉として使われるようになりました。

                           

                           

                          問題は、箱の底に残っていた「希望」とは何か、ということです。ヒントは、入れたのはゼウスだということです。私はこれを、「希望」の外見をまとった「偽りの希望」だと解釈します。なぜなら、「偽りの希望」こそが、人間に最大の災厄をもたらすからです。「偽りの希望」を信じる人々は、絶望する事もできず、空虚な期待を抱きながら生き続けなければなりません。

                           

                           

                          私はこのことを、エリック・ホッファーの言葉を引いて、ブログで何度も指摘してきました。

                           

                           

                          彼は自伝(作品社)の中で次のように述べています。「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやりとげるには勇気がいる。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」と。

                           

                           

                           

                          「自己欺瞞なくして希望はない」という彼の言葉の意味を、今になってあらためてかみしめています。いよいよ「偽りの希望」が政治の表舞台に登場してきたからです。

                           

                           

                           

                          そもそも、「幸福」や「希望」が政党の名前に入っていれば、なんらかの新興宗教だと見なして差し支えありません。その本質は、人格が空洞化した影のような人間たちが、教祖の下に吸い寄せられてできた集団だということです。節操も何もあったものではありません。

                           

                           

                           

                          彼らに政治的信条や論理的な一貫性を求めること自体が、どうかしているのです。彼らは鰹節を前にした猫のようなものです。餌に飛びつくな、と言ったところで無駄です。それどころか、教祖に喉をなでられただけで、美味しいものにありつけるかもしれないと考え、従順な飼い猫になることを進んで選んだ人間たちなのです。

                           

                           

                           

                          しかし、教祖からすれば、猫の一匹や二匹など、どうなってもかまいません。そればかりか、入信してくる猫の毛並みを見て教祖自らが選別します。毛並みが左に曲がっているからダメ、などと言って。権力欲に深くとらわれた政治家は国民のことなど眼中にありません。

                           

                           

                           

                          バブル崩壊と東日本大震災、収束不可能な原発事故でパンドラの箱が開き、ありとあらゆる災厄が出始めた時、日本国民は慌てて蓋を閉めようとしました。しかし、その時、日本国民に向かって「開けてください。私は希望です!」と言って登場したのが小池百合子率いる「希望の党」なのです。私たちは今 まさに日本国葬送の儀に出席しようとしているのです。

                           

                           

                           

                          小池百合子が都民ファーストの会を結成して都議選に勝った時、私は大阪維新の会の廉価版のコピーがまた一つ誕生しただけだとブログに書きました。今「希望の党」に参集している政治家は、言い逃れがうまく横文字のキャッチフレーズでごまかすことしかできない政治家の全体主義的体質を見抜けないどころか、それに共感する堕落した政治家の吹きだまりの中に自分がいることすら見えていません。

                           

                           

                           

                          「しがらみのない政治」も「AIが決めました」も「アウフヘーベン」も「日本をリセット」もどこかで聞いたことのあるキャッチフレーズです。いや、さすがに「AIが決めました」などと発言する政治家は今までいませんでした。「アウフヘーベン」どころか、私は「イナバウアー」してしまいました。要するに、小池百合子という人間はキャッチフレーズを連発するだけで、まともに説明する能力がないのです。

                           

                           

                           

                          「日本をリセットする」というのは、今まで築いたものはダメだから全部捨てて、一からやり直すということですが、革命でも起こす気なんでしょうか。「日本をトレモロす」と言ってたどこかのおバカさんと同じレベルです。その当人たちが「保守」を自称しているのですから、もうわけがわかりません。

                           

                           

                           

                          しかし、この二人が共通の政治思想と支持層を持ち、確信犯の歴史修正主義者だという事実は、単に政治道徳の問題ではなく、過去と同様の誤った政策を繰り返す可能性が高いことを示唆しています。

                           

                           

                          にもかかわらず、マスメディアは希望の党の綱領を無批判に垂れ流すばかりです。おそらく安倍よりはましだと判断しているのでしょう。果たしてその判断は正しいのでしょうか。しかし、報道機関の義務として少なくとも以下のことは問いただすべきです。

                           

                           

                          1:綱領には「立憲主義と民主主義に立脚」とあるが、安保法制を違憲立法と認め、国会で覆すことを目指すのかどうか。

                           

                          2:「国民の知る権利を守るため情報公開を徹底」とあるが、豊洲移転について密室で決めたことや、都民ファースト所属議員に自由な発言すら認めていない方針などと、矛盾していないのか。

                           

                          3:「平和主義のもと、現実的な外交・安全保障政策」とあるが、具体的には何を意味するのか。例えば米国や北朝鮮に対してはどういう姿勢で臨むのか。

                           

                          4:「世界で深刻化する社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す」とあるが、それならなぜ、関東大震災での朝鮮人虐殺に対する追悼文を送ることを「わざわざ」やめたのか、などなど。

                           

                           

                          政治家の命は信頼です。ある政治家が信頼できるかどうかの判断材料を提供するのがマスメディアの仕事のはずです。信頼に価値を置かない社会では、暴力と金に物を言わせて人や物事を動かすしかありません。

                           

                           

                          それにしても、自分がどこの党の人間なのか未だハッキリせず、ビラも撒けず、演説も出来ない人間に、いったいだれが投票するというのでしょうか。

                           

                           

                          「希望の党」が勝利すれば、たとえ自民党が大幅に議席を減らしても、憲法改正では自民党と手を組むのは目に見えています。公明党が反対しても、自民党と希望の党に維新というヤクザ連中を加えて改憲に向かうでしょう。小池百合子という政治屋は「ハーメルンの笛吹き」であり、「希望の党」の本当の名は「バベルの塔」なのです。

                           

                          ピーテル・ブリューゲルの『バベルの塔』

                           

                           

                           

                          もしこのまま安倍自民党と「希望の党」という極右の2大政党制に収斂していけば、既に弱体化した立憲民主主義体制は終了していくでしょう。小池百合子は憲法改定について「9条にとどまらない」と発言しています。これは緊急事態条項の追加や広く人権条項を改定することも考えているということです。そうであれば、安倍自民党も大歓迎でしょう。

                           

                           

                          現段階で「希望の党」に18%も支持が集まる状況を見ていると、結局、国や政治家が民主的かどうかなどということは、多くの国民にとってはどうでもいいことなのかもしれませんね。普通に物や金があって、あちこちでイベントが開かれ、テレビを見て携帯をいじる自由がありさえすれば、ハッピーなのかもしれません。私ごときが出る幕はもうないようです。それにしても、日本人は、いつからこんなに流行りモノに弱い国民になったのでしょうか?

                           

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