最近はブログを書く意味を見出せなくなっています。書きたいことの百分の一くらいは書いた気がしますが、今の政治状況を見ていると、まるで言葉の通じない異国に来ているような気がします。
そんな状況とは関係なく、日々の生活を楽しめればいいのですが、意識の底にわだかまりがあって、どうしてもそれができません。「心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と書いた兼好法師の心境が分かります。
それでも、ブログを書いていると、思わぬ人から便りがあったり、相談があったりします。たまにネトウヨの皆さんからの中傷もあります。実名なら相手をしますと言っているのですが、一人として同意する人はいません。彼らは、匿名という形でネット空間にかろうじて生息しているダニのような生き物です。最近では自分で意見を述べるのではなく、リツイートという形でフェイクニュースを拡散しています。
さて本題に入ります。今回は東京在住の教育熱心なお母さんであるYさんから、子供さんの進路について御相談がありました。それに対する私の考えを簡潔に述べてみます。「簡潔に」というのは、正直言ってまともに返事をする気にならなかったからです。
Yさんによると、先日の「佐藤ママ」の記事とカズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞について書いた記事がきっかけでメールする気になったとのことでした。その長い、にわかには信じられないメールを読んで、私は絶句し、どう返事をしていいかわからなかったのです。一瞬、フェイクニュース、いや、いたずらかと思ったほどです。
でもよく読んでみると、Yさんはいたってまじめで、子供の将来を真剣に考えていることが分かりました。それをフェイクニュースだとかいたずらではないかと疑うことは不謹慎で、不誠実ではないかと反省したほどです。
質問の要旨は次のようなものでした。
「私もカズオ・イシグロ氏の熱烈なファンである。ついては、自分の子供を将来カズオ・イシグロ氏のようなノーベル文学賞をとれる作家に育てたい。日本の学校で英語教育を受けさせていたのでは、まともな英語力はつかないと思う。子供は今4歳で、仕事のこともあり留学させるのは難しい。そこで日本にあるインターナショナルスクールに通わせてバイリンガルに育てれば、ノーベル文学賞をとれる作家になれるだろうか?」という内容です。
私が絶句したのがお分かり頂けるでしょうか。
さらに、「佐藤ママ」のように、子供4人全員を東大の医学部に合格させることができるのなら、周到な計画さえ立てれば、ノーベル文学賞も夢ではないはずだ。そのための将来の留学計画、留学先、子供に読ませたい本100冊も決めている、とのことでした。
もしかしたら・・・と思わせますよね。えっ、そうは思わない?いや〜仲間がいてよかったです。Yさんから見れば、あなたや私は、子育ての緻密な計画を立てる能力のないずぼらな人間か、情報弱者だと思われているかもしれません。
でもYさんは件のブログの次の箇所は読み飛ばしたのでしょうね。
「それにしても4人の子供の中に1人くらい、東大一直線教に疑問を持つ子供がいてもよさそうなのですが・・・。しかしそれをさせないところが「佐藤ママ」の「スゴイ」ところです。つまるところ、教育は幼少期からのマインドコントロールだということです。4人の子供全員が東大医学部というところに何とも言えない精神的・文化的貧しさを感じてしまうのは、私のひがみ、負け犬の遠吠えでしょうね。」
Yさんからすれば、文章を読むことは役立ちそうな情報をピックアップすることで、書いている人間の価値判断は主観なので無視してかまわないということなのでしょう。
しかし、大人になるということは自分の主観を成熟させていくことです。それが分かっていない人の行動や意見は、一見中立かつ客観的で大人のように見えますが、本質的には幼稚です。つまり、自分は偏見や主観からは自由ですよ、と言いたいがために情報収集に血眼になり、未成熟な精神を抱えたまま大人になったということです。
おやおや、話がわき道にそれました。Yさんの質問に端的に答えましょう。
1.4歳から日本にあるインターナショナルスクールに通わせるのはおやめなさい。子供を精神的に不安定にするばかりではなく、知的な発達を阻害します。特に言葉を覚えるには有利だと思われがちな6歳以下の子供にそういった環境を強制するのは、子供をバカに育てるようなものです。この事実は英語業界の利益にならないので、無視されていますが、お茶の水女子大学の内田伸子教授がこれを裏付ける興味深いデータを提供しています。
2.日本語と英語という二つの言語を、別立てでバラバラに習得することはできません。特に子供が幼い時にそのような環境を強制するのは、子供の言語運用能力つまり知的能力を阻害します。
一見別のものに見える言語でも、根底の部分を共用しています。私はこのことをノーム・チョムスキーから学びました。つまり、人間は最初の言語を習得する時、論理を組み立てたり、類推したり、まとめたり、比較するといった「考える力」も習得するのです。二番目の言語は、この考える力を使いながら習得されます。したがって、最初の言語によって習得した「考える力」がしっかりしていなければ、二番目の言語は簡単には習得できないのです。
4歳からインターナショナルスクールに通わせたり、英会話学校に通わせたりするのは全く意味がありません。それどころか、考える力が身についていないうちから二番目の言語を覚えようとすると、母語の習得をも妨害することになります。
それなら、7〜9歳からならいいのではないかと考える人もいるでしょうね。でも、そうまでして急いで英語を習わせることに何の意味があるのでしょうか。7〜9歳は小学校の低学年です。日本語すら十分に習得しているレベルではありません。その時点で、仮に英語を習得したとしても、その時点での日本語の理解度にあったレベルでしか習得できないのです。幼児期に複数の言語を教えるのは、子供の発達や人格形成をわざわざ妨害するようなものです。
仕事の都合で海外に家族で移住するのならともかく(その場合でも子供の年齢によってはマイナス面が大きいのです)、日本にいながら無理やり子供をバイリンガルに育てる必要はないでしょう。帰国子女という言葉にあこがれて「国内留学」させるのであれば、彼らは大学入試においても、実社会においても必ずしも優遇されるわけでもなければ有能でもないという事実を知っておくべきです。
要は、幼いころからの英語教育や英会話ブームは、英語業界の金儲けにまんまと騙されて、本来なら必要ないお金をつぎ込んでいるということです。インターナショナルスクールは大金がかかります。芸能人や有名人の子供が通っているのにつられて、見栄でお金を捨てたいなら、どうぞそうして下さい。私が口出しできることではありません。
3.さて、一番肝心な質問に答えなくてはなりません。用意周到な子育てによって将来子供にノーベル文学賞を取らせることが可能か、という問いです。
不可能だとも可能だとも断言できません。カズオ・イシグロ氏は長崎出身です。しかし、彼は日本人ではありません。国籍のことを言っているのではありません。彼はバイリンガルでもありません。彼は日本語をほとんど話せないし、日本語で文章を書くこともできません。れっきとしたイギリス人です。ただ、幼いころの日本の記憶にうながされるようにして、人間にとって記憶の持つ意味を比類のない実験精神で文学にまで高めたのです。
親の仕事の都合で5歳の時にイギリスに渡り、のちにイギリスに帰化しました。もし彼の両親がバイリンガルに育てるために日本語の勉強を強要していたら、ノーベル文学賞の作家は誕生していなかったでしょう。これは断言できます。彼自身が次のように言っています。
「もし私が漢字やカタカナを覚えるための教育を受けていたら、歪んだものになっていただろう」と。
言葉は人格を形成する骨格となるものです。その国の文化を理解するのも、歴史を理解するのも、その国の言語を自分のものとしているからです。ブログでもしつこいくらいに言ってきました。人は言葉によって思考するのです。その言葉がおぼつかないと、思考まで揺らぎ、歪んだものとなります。
さてこれが私の答えの全てです。日本社会は私の考えとは正反対の方向に進んでいます。ここに書いたことは、少数意見として無視されるでしょう。小学校から英語を正規の教科にし、財界は英語を社内公用語にしようとしているのですから。
しかし、本当に創造的な思考は母語でなければできないのだということは、断言しておきたいと思います。何も戦争を起こさなくても、教育をコントロールすればその国を滅亡に導くことは可能なのです。