CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< January 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
地球家族―世界30か国のふつうの暮らし
地球家族―世界30か国のふつうの暮らし (JUGEMレビュー »)
マテリアルワールドプロジェクト,ピーター・メンツェル
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
日本を解き放つ
日本を解き放つ (JUGEMレビュー »)
小林 康夫,中島 隆博
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 (集英社新書)
資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
マルクス・ガブリエル,マイケル・ハート,ポール・メイソン
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
洪水の年(上)
洪水の年(上) (JUGEMレビュー »)
マーガレット・アトウッド
RECOMMEND
洪水の年(下)
洪水の年(下) (JUGEMレビュー »)
マーガレット・アトウッド
RECOMMEND
RECOMMEND
 (JUGEMレビュー »)

まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
RECOMMEND
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書) (JUGEMレビュー »)
D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
RECOMMEND
殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
RECOMMEND
 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
RECOMMEND
茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
RECOMMEND
「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業 DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号 (JUGEMレビュー »)
広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
チャヴ 弱者を敵視する社会
チャヴ 弱者を敵視する社会 (JUGEMレビュー »)
オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
新・日米安保論 (集英社新書)
新・日米安保論 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
RECOMMEND
英語の実際的研究 (1969年)
英語の実際的研究 (1969年) (JUGEMレビュー »)
秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
スノーデン 日本への警告 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
魂の殺人―親は子どもに何をしたか
魂の殺人―親は子どもに何をしたか (JUGEMレビュー »)
A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
服従
服従 (JUGEMレビュー »)
ミシェル ウエルベック
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
黒い巨塔 最高裁判所
黒い巨塔 最高裁判所 (JUGEMレビュー »)
瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
RECOMMEND
そして、僕はOEDを読んだ
そして、僕はOEDを読んだ (JUGEMレビュー »)
アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
RECOMMEND
選挙 [DVD]
選挙 [DVD] (JUGEMレビュー »)

想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
RECOMMEND
職業としての政治 (岩波文庫)
職業としての政治 (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
RECOMMEND
熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ) (JUGEMレビュー »)
中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
RECOMMEND
電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ
電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ (JUGEMレビュー »)
本間龍
こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
RECOMMEND
英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)
英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
施 光恒
英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
RECOMMEND
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか (JUGEMレビュー »)
矢部 宏治
前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
RECOMMEND
日本会議の研究 (扶桑社新書)
日本会議の研究 (扶桑社新書) (JUGEMレビュー »)
菅野 完
メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
RECOMMEND
偶有性操縦法 -何が新国立競技場問題を迷走させたのか-
偶有性操縦法 -何が新国立競技場問題を迷走させたのか- (JUGEMレビュー »)
磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
RECOMMEND
新・戦争のつくりかた
新・戦争のつくりかた (JUGEMレビュー »)
りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
RECOMMEND
福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題
福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題 (JUGEMレビュー »)
烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
RECOMMEND
多読術 (ちくまプリマー新書)
多読術 (ちくまプリマー新書) (JUGEMレビュー »)
松岡 正剛
松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
RECOMMEND
RECOMMEND
永遠平和のために (岩波文庫)
永遠平和のために (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
RECOMMEND
みんなが聞きたい 安倍総理への質問
みんなが聞きたい 安倍総理への質問 (JUGEMレビュー »)
山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
RECOMMEND
転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423) (JUGEMレビュー »)
ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
RECOMMEND
拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々
拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々 (JUGEMレビュー »)
蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
RECOMMEND
田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」
田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」 (JUGEMレビュー »)
渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
RECOMMEND
チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)
チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫) (JUGEMレビュー »)
スベトラーナ・アレクシエービッチ
今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
RECOMMEND
日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫)
日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫) (JUGEMレビュー »)
鈴木 大拙
鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
RECOMMEND
アクト・オブ・キリング オリジナル全長版 2枚組(本編1枚+特典ディスク) 日本語字幕付き [DVD]
アクト・オブ・キリング オリジナル全長版 2枚組(本編1枚+特典ディスク) 日本語字幕付き [DVD] (JUGEMレビュー »)

人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
RECOMMEND
社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学 (JUGEMレビュー »)
ジョナサン・ハイト
私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
RECOMMEND
食う寝る遊ぶ 小屋暮らし
食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
RECOMMEND
暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
RECOMMEND
パン屋の手紙―往復書簡でたどる設計依頼から建物完成まで
パン屋の手紙―往復書簡でたどる設計依頼から建物完成まで (JUGEMレビュー »)
中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
RECOMMEND
中村好文 普通の住宅、普通の別荘
中村好文 普通の住宅、普通の別荘 (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
RECOMMEND
森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)
森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
H.D. ソロー
この本は実は哲学的で難しいですね。最初から熟読するのではなく、折に触れてページをめくるような読み方がいいようです。ところどころに、ブログで紹介したような言葉があり、はっとさせられます。彼のアフォリズム集として読むのがおすすめです。
RECOMMEND
堀部安嗣の建築
堀部安嗣の建築 (JUGEMレビュー »)
堀部 安嗣
堀部氏のスケッチと自身で撮った写真集。これ見よがしの作家性を前面に押し出したところがない。簡素で謙虚だが、気品に満ちた佇まいは何度見ても見飽きることがない。ブログを書くために、もう一度最初から読み直してみたが、やはり素晴らしい。
RECOMMEND
民主主義ってなんだ?
民主主義ってなんだ? (JUGEMレビュー »)
高橋 源一郎,SEALDs
「民主主義が終わってるなら、始めるぞ!」そのとおりです。彼らは「○○大学、○○○○(氏名)、私は戦争法案に反対します」と堂々と個人の責任で発言している。ネット上で匿名で反対意見を罵倒する勢力に比べると何とすがすがしいことか。デモや民主主義について一から考えたい人、あるいは、それくらいのことはわかってるつもりだという学者の皆さんに読んでもらいたい。もちろん大学生や18歳で選挙権を持つ若い人たちにも。ただし、民主主義は感情統治だの多数決だのと言っている橋下徹やホリエモンこと堀江貴史は読まなくてよい。あなたたちはSEALDsの新しさを理解する能力を欠いているから。
RECOMMEND
亡国記
亡国記 (JUGEMレビュー »)
北野慶
私たちの身の回りに起こったことは、日々の忙しさにかまけてすぐに忘れてしまいます。しかし、本当の想像力を持っていれば、それは現実を見る目を変えてくれますし、日々の生き方をも変えてくれます。一人でも多くの人に、この本を読んでもらいたいと思います。
RECOMMEND
ヤコブセンの建築とデザイン
ヤコブセンの建築とデザイン (JUGEMレビュー »)

北欧デザインの巨匠。実は「夏の家」もさることながら、彼の自邸も素晴らしい。この本をめくりながら、私は何度もため息をつきました。家具だけでなく、彼の建築家としての仕事も是非ご覧ください。
RECOMMEND
Louis I.Kahn Houses―ルイス・カーンの全住宅:1940‐1974
Louis I.Kahn Houses―ルイス・カーンの全住宅:1940‐1974 (JUGEMレビュー »)
斎藤 裕
フィッシャー邸、エシェリック邸の外観、内部を詳しく見ることができる。折に触れてこの本を開き、インスピレーションをもらった。カーンとの出会いがなければ、私の住宅のイメージは決して像を結ばなかったと思う。現実のフィッシャー邸は、かなり傷んでいるとのこと。写真でしか見られなくなる日も近いかもしれない。
RECOMMEND
かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) (JUGEMレビュー »)
白洲 正子
言わずと知れた白州さんの名紀行文。観光ブームとは一線を画し、日本の文化・歴史を、そして自分を見つめる旅をしたい人にはおすすめです。蛇足ですが、この紀行文は、1970年、世間が大阪万博で浮かれていた時代に書かれました。
RECOMMEND
丘の上の修道院 ル・コルビュジエ 最後の風景
丘の上の修道院 ル・コルビュジエ 最後の風景 (JUGEMレビュー »)
范 毅舜
無神論者だった ル・コルビュジエ が、自分が死んだあと亡骸を一晩ラ・トゥーレットの修道院に留め置いてほしいと書き遺したのはなぜか。芸術はついに宗教を超えることはできなかったのか。美しい写真とともにその謎に迫る。気がつけばいつの間にかページをめくって、その答えを探そうとしている自分を発見する。
RECOMMEND
RECOMMEND
福島原発 現場監督の遺言
福島原発 現場監督の遺言 (JUGEMレビュー »)
恩田 勝亘
メディアで働く人間の中にも、恩田氏のような人はいる。しかし、圧倒的少数派である。私は、たとえ少数派でも真実を報道する記者を断固支持する。
RECOMMEND
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― (JUGEMレビュー »)
安冨 歩
安倍政権とそれを支える「日本会議」の面々、そこに群がる政治家、財界人、原子力規制委員会の田中委員長、マスコミの言葉使いの欺瞞性を見事にあぶりだしてくれた本。今読み返してみて、あらためてその先見性と普遍性に驚く。
RECOMMEND
死都日本 (講談社文庫)
死都日本 (講談社文庫) (JUGEMレビュー »)
石黒 耀
12年前に読み、衝撃を受けた本。純粋に小説として読んでも面白いこと請け合い。しかも、将来の備えにもなるという、一石二鳥。私はこの本を読んで車を4WDに乗り換えたほどです。
RECOMMEND
電気がなくても、人は死なない。
電気がなくても、人は死なない。 (JUGEMレビュー »)
木村 俊雄
木村さんの人柄に感銘して、応援する意味も込めてこの本を購入しました。未来のこどもたちのために、私たちが無理なく、今すぐできることが書かれています。私たちが電気ポットの使用をやめるだけで、原発3基分の電力が節約できます。原発再稼働には何一つ合理的な理由がありません。日々私たちにできることから始めましょう。この本を買って木村さんを応援しましょう。
RECOMMEND
小さな森の家―軽井沢山荘物語
小さな森の家―軽井沢山荘物語 (JUGEMレビュー »)
吉村 順三,さとう つねお
ヤドカリは身の丈に合った「家」を探します。原寸大の生活そのものを楽しむためには、家にお金をかけすぎない、ということも大切です。たかが家です。そのために無理をしたり家族がバラバラになるなんて、悲しすぎますね。自分にとっての居心地の良さとは何かを考えるヒントになる本です。
RECOMMEND
戦争をしない国 明仁天皇メッセージ
戦争をしない国 明仁天皇メッセージ (JUGEMレビュー »)
矢部 宏治,須田 慎太郎
安倍首相および安倍政権の中枢にいる人に読んでもらいたい。彼らがまともな読解力を持っていることを願うのみである。そして、いうまでもないことですが、若い人々に読んでもらいたい本です。
RECOMMEND
歴史の暮方 (中公文庫)
歴史の暮方 (中公文庫) (JUGEMレビュー »)
林 達夫
林達夫著作集全6巻(平凡社)は絶版になっていると思われます。林達夫ほどの大知識人でも、これほどストレートに、赤裸々に自分の感情を表現するのだと思い、ずいぶん励まされました。若い人たちは、自分の悩みをどこまでも掘り下げることによって、自分のやりたいことを見つけることができるのです。
RECOMMEND
エリック・ホッファー自伝―構想された真実
エリック・ホッファー自伝―構想された真実 (JUGEMレビュー »)
エリック ホッファー
人間が生きるとはどういうことか、幸福とは何かを考える人に安っぽい希望や夢ではなく、勇気を与えてくれる。私の座右の書。
RECOMMEND
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか (JUGEMレビュー »)
矢部 宏治
18歳から選挙権を持つことになった若い人たちに是非読んでもらいたい本。この本に書かれてあることをすべての議論の出発点にすべきである。無知は悪である。
MOBILE
qrcode
The time has not come yet.(機未だ熟さず)
0

    今年の高校入試も順調なすべり出しです。国立高専を志望していた3人のうち、推薦入試を受験したN君、K君がみごとに合格しました。N君は3年間、K君は5年間私の塾に通ってくれました。N君とは入試前に小論文の書き方を勉強しましたが、少しは役に立ったでしょうか。後は一般入試でチャレンジするA君の合格を待つばかりです。上野丘、舞鶴を志望している人も、まず間違いなく合格するでしょう。

     

     

    昨日は授業の終わりに、適性と「時機」について話しました。そもそも適性とは何でしょうか。その人の才能や性格や将来性のことを指すのでしょうか。ほら、わからないでしょ。ちょっと考えるだけでも意味不明の言葉が、進路を決める時に独り歩きしているのです。このことはすでに書きました。中高生の皆さんにも参考になるのでよかったらお読みください。

     

     

    『贈る言葉 ・ 中学3年生の皆さんへ。』

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=318

     

     

    今回は「時機」について話します。正直に言うと、私は中学、高校、浪人時代を通じて、受験勉強に本気で向き合うことがついにできませんでした。だから「本気で」受験勉強に取り組んでいる人を見ると、ただただ感心するばかりでした。きっと将来の夢をはっきりと思い描いていたのでしょうね。

     

     

    でも、私のような人間もいるのではないでしょうか。案外多数派かもしれませんね。そのせいか、私は塾教師として、生徒を「本気で」勉強に追い込むことができません。本気になるのはあくまでも生徒の皆さんですから。

     

     

    いずれにせよ、大切なのは普段の学習環境です。東大に合格することが教育の最良・最高の結果などとは一ミリも思っていない大人がいて、それに変わる価値を示し、ともに知的トレーニングに励む場所が私の塾です。

     

     

    ところで、人間には、その人の持っている能力が開花する「時機」があるような気がします。「桃栗三年、柿八年」という言葉があります。しばらく会っていない昔の生徒に会うと、それがよく分かります。ああ、やっぱり○○君は「柿」だったんだ。○○さんは「桃」で、○○君は「栗」だったのかもしれないという風に。それぞれに立派な実をならせているのを見るとうれしくなります。

     

     

    「桃栗三年、柿八年」という言葉は、母が良く唱えていました。私のようなできの悪い息子を育てながら、この子は桃や栗のように三年で実がなりはしない、一人前になるには時間がかかるだろうと自分に言い聞かせていたのだと思います。

     

     

    そのリズムのよさも手伝って、私もすぐに覚えました。広辞苑第6版によると「芽生えの時から、桃と栗とは三年、柿は八年たてば実を結ぶ意。どんなものにも相応の年数があるということ」とあります。「何かに取り組んだとき、すぐに結果を求めたがる人に対して、まずは地道な努力が大切と、言い聞かせる場合に使われることが多い。」とのことです。

     

     

    はたしてそうでしょうか。これは「地道な努力が大切と、言い聞かせる」ための言葉でしょうか。もっと深い意味があるような気がします。人間には器というか「時機」がある。実がなるのに8年かかるのに、3年で実をならせようとすれば、果樹であれ、人間であれ、可能性をつぶしてしまう。それどころか、世の中を息苦しく住みにくい場所にしてしまうという昔の人の知恵というか洞察が込められているような気がします。

     

     

    人生100年の時代だと言われています(私は70歳まで生きることができれば十分だと思っています)。そうであれば、なおのこと期限を区切っていつまでにこれができなければならないと考える必要はないはずです。

     

     

    そもそも、6・3・3制の学校教育はアメリカから輸入された近代の産物にすぎません。そこでは子供たちの能力の開花時機も一律に決められます。その結果、全員が横並びのドッグレースを走らされることになります。「柿」なのに、「桃」や「栗」と競争させられるのです。もともと無理な競争をさせられているわけですから、当然脱落する子供も出てきます。「桃」や「栗」が「柿」を見下す教育は終わらせるべきです。

     

     

    言うまでもなく、近代国家は軍隊と学校制度を持つことでスタートしました。その近代が終わりを迎えているときに、近代的な枠組みの中でしか考えられないとしたら、私たちの社会は早晩破綻するしかありません。安倍政権の道徳的・倫理的な退廃は、その予兆なのです。

     

     

    ではどうすればいいのか。簡単です。まず腐った部分を切除します。放置すれば菌が全身に回り、健康な細胞も壊死します。次に、少子高齢化、人口減少社会の入り口に立っている今こそ、社会の時間軸をとらえ直す絶好のチャンスです。

     

     

    「働き方改革」だとか「人づくり革命」といった軽薄この上ない言葉は、沈みかけている船の中で、カラ元気を出すための欺瞞言語に過ぎません。私たちは沈みかけた船を捨て、救命ボートに乗り換えて新しい大地を目指さなければなりません。では社会の時間軸をとらえ直すために何をすればいいのか。そのヒントはすでに述べました。

     

     

    『100年後の生存戦略−教育』

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=446

     

     

    さて、話は塾の現場に戻ります。他に取り柄のない私のような人間でも、長い間塾教師を続けていると、否が応でも気づくことがあります。それは、大人が市場社会の絶対時間とコスパ万能主義のとりこになった結果、子供たちの使う言葉が、瞬間芸としての擬音語や擬態語のようなものに退化したということです。

     

     

    世の中で最も大事なものは経済=お金だと考えれば、言葉をつむぐ必要などありません。新しい社会を構想する言葉も、常識的な物の見方を切り裂く言葉も必要とされなくなります。

     

     

    私たちは日に何度か胃袋を満たさなければなりません。同様に、私たちの精神も言葉で満たさなければなりません。獲れたばかりの生きのいい魚のような言葉。太陽の光を思う存分浴び、栄養たっぷりの土壌で育ったみずみずしい野菜のような言葉。

     

     

    人は新しい言葉に出会い、新しい生き方を発見することで「いっちょ、やってみるか」という気になるものです。私が心がけているのは、生徒に「いっちょ、やってみるか」という気を起こさせることです。一方で、理解が遅い生徒に向き合うときは、The time has not come yet.(機未だ熟さず)とつぶやくことにしています。

     

    | 中高生の皆さんへ | 09:45 | comments(0) | - |
    世界に二つとないノートの作り方。
    0

      今回は世界に二つとないノートの作り方について書きます。誰にも真似ができないノートです。真似ができないのなら読む必要はない、と思っている人もいるでしょうね。でもそういう人にこそ読んでもらいたいと思います。

       

       

      私の言う「思考ノート」、別名「生き延びるためのノート」がどういうものか分かれば、ノートを作ることも、勉強することもきっと面白くなると思います。それだけではありません。生きることも楽しくなります。以下二つに分けて説明します。

       

       

      その1:「思考ノート」を作る意味。

       

       

      前回のブログでも述べましたが、考えることは目の前の現実を疑うことを意味します。「思考ノート」は、現実という既存のシステムの外にあなた自身の世界を作る創作ノートです。受験勉強に役立つのか、ですって?それは以下を読んであなたが判断することです。

       

       

      でも、匿名化した既存のシステムにいかに効率よく順応するか、いかに効率よく点数を伸ばしてブランド大学に合格するか、というようなことばかり考えている人には、「目の前の現実を疑う」という意味がわからないでしょうね。それどころか、悲しいことに、現実を疑う人を嫌悪するようになります。

       

       

      この国のいわゆる「富裕層」は知識と情報を独占することで富を独り占めにしています。しかし、知識や情報はすべての人がアクセスできる開かれたものでなければなりません。権力によって情報がゆがめられ、隠蔽されることを許してはなりません。同様に知識の習得も経済力によって左右されることがあってはならないのです。

       

       

      若い人たちは、「富裕層」の価値判断を無批判に受け入れたり、行動規準を真似たりして、「道徳的貧困層」に転落してはなりません。私の言っていることが理解できる若い人もいると思います。今回はそういう人に向けて書きます。

       

       

      「思考ノート」は『東大合格生のノートはかならず美しい』といった類の「知識の整理ノート」ではありません。この手のノートは早晩AIに取って代わられます。「事務処理能力」や「知識の整理」では人間はAIにかなわないのですから。

       

       

      ここで注意してもらいたいことがあります。「知識」はあなたの外部にあります。それによって文明社会が築かれてきました。学校教育は、不完全ながらも、この知識を伝える場です。決してどうでもいいものではありません。

       

       

      しかし、次のことも忘れてはなりません。現実とは集団が作り出した、集団が生き延びるための匿名化したシステムだということです。その最たるものが「国家」です。「国家」は国民に「死ね」と命令することがあります。その時あなたは命を投げ出すことができますか。今から75年前、前途ある多くの若者が戦場に赴き命を落としました。以下の動画をご覧ください。彼らの命とあなたの命はつながっています。

       

       

       

       

      「思考ノート」は、こういった現実に拮抗する、「もう一つの現実(Alternative Reality)」を作るためのノートです。「東大合格生の必ず美しいノート」は、誰でもいい誰かの人生を生きるためのノートです。若い知的なあなたなら、そもそも他人が作ったノートなど役に立たないと知るべきです。

       

       

      皆さんは様々な知識を学びます。しかし、知識は断片です。「思考ノート」は、断片としての知識を回収し、関連づけ、集積して一つの空間を作り上げる設計図のようなものです。

       

       

      その2:「思考ノート」の作り方。

       

       

      それでは具体的な内容に入りましょう。まず大学ノートを用意して下さい。重要なポイントは「時系列」で書くということです。そして、知的活動の全てがこの一冊のノートを起点として展開され、そこに収束するようにします。つまり、「このノートが私です」と言えるものを作ります。

       

       

      ノートを開いて最初にすることは、日付と曜日、現在時刻を書き込むことです。科目別、テーマ別ではなく、あなたがその日に学んだ知識とそれについて考えたこと、思いついたこと、後で調べようと思ったことなどのすべてを一冊のノートに時系列で書きます。今日の天気、気温、学校であった事、友達が言った気になる一言があればそれも書きます。要するに今あなたが考えていることをそのまま言語化します。

       

       

      例えば「こんなことばかりしていては数学の課題ができなくなる」と思えば、それを書きます。そしてノートを開いたままで、数学のプリントに取り組みます。すらすら解ければ「今日の課題は簡単だった。楽勝!」とノートに戻って書き込みます。簡単な問題はクロスレファレンス(参照箇所)を書き込むだけでいいでしょう。もちろん解くのに要した時間と、終わった時刻を書き込むのを忘れないように。

       

       

      解けなければ、「この問題が解けない原因はどこにあるのだろう。そもそも確率の基礎が分かってないのかもしれない。順列と組み合わせと確率はどう関連しているのだろう。確率の『同様に確からしい』という言葉はどういう意味なのか?」などと書き込みます。

       

       

      もしあなたが高校生で、数学の問題に行き詰ったら、イラストを描きましょう。牧場の中に羊を描きます。4頭くらい描いて名前を付けます。つまり、羊と数学の「分からない問題」を関連づけるのです。

       

       

      例えば羊の「ショーン」を見ると数列の問題を、「ルーシー」で三角関数の問題を思い出すという風に。これであなたは常に問題を考えることができるようになります。羊を飼うように頭の中に問題を飼っているのですから。

       

       

      あるいは次のようなことを書いてもいいですね。その日の予定、部活のスケジュール、一週間後に迫ったテスト範囲の確認、夏までにやっておきたいこと、昨日見た夢のこと、その夢で出会った人物のイラスト、化学の解けなかった問題、学校の机の中に忘れてきた読みかけの小説、思いつき、ただの落書き、その日食べたものなど。以前考えたことと関連があると思ったらそのページを探して赤の矢印で結びつける。クロスレファレンスをあちこちに書き込む。

       

       

      もちろん気に入った英語の参考書の表紙を勝手にレタリングしてもいいし、気分が滅入ったときには色鉛筆、ボールペン、クレヨン等を使ってカラフルに仕上げるのも面白いでしょう。プリクラを貼るのもいいでしょう。しかし、あくまで勉強を中心にしたノートでなければ長続きしないということを忘れないように。

       

       

      こうやって作ったノートはあなただけのものです。誰にも真似のできない、あなたの思考の軌跡や感情が刻印された世界に二つとないノートとなります。そしてあなたは気づきます。自分の内面世界の豊かさに。これこそが自分の時間と空間だということに。あるいは、無関係だと思っていたことがつながっていることに気づき、驚嘆するのです。

       

       

      これが匿名のシステムに拮抗する「もう一つの現実」=あなた自身の世界です。私の言う「思考ノート」はあなたの日記でもあり、詩集でもあり、スケッチブックでもあり、あなた自身に宛てた手紙でもあり、設計図でもあるのです。つまりこれこそが世界に二つとない「生き延びるためのノート」です。ノートを作るかどうかはあなたにかかっています。

       

       

      参考までに以下の記事を挙げておきます。10年以上前に書いたものです。みなさんの健闘を祈ります。

       

      未来塾通信31『他人から理解されないつらさと、そこから生まれるものについて』

      http://www.segmirai.jp/essay_library/essay031.html

       

      | 中高生の皆さんへ | 10:24 | comments(3) | - |
      『東大合格生のノートはかならず美しい』わけがない。
      0

        『東大合格生のノートはかならず美しい』というタイトルの本があります。10年前に出版された本ですが、かなり売れているようです。あなたは読みたいですか?この本を買って子供に与える親御さんの気持ちはわかります。自分の子供もいつか東大に、と思っているか、そこまでは考えていないけれど、勉強の参考になるかもしれないと考えてのことでしょう。

         

         

         

        気分を害されるかもしれませんが、この手の本を買う人は物事の表層だけを見て、自分の頭で考えることをしてこなかった人です。なぜなら、考えるということは、目の前の現実を疑うことだからです。

         

         

         

        それに『東大合格生のノートはかならず美しい』というバカ丸出しのタイトルが気になります。東大合格生の中でノートが汚い人が一人でもいたら、このタイトルはウソになるからです。つまるところ、本のタイトルに「東大」を付けると売り上げが伸びるというマーケティングの法則らしきものに依拠した「東大商法」なのです。『東大合格生のノートは、かならずしも美しいとは限らない』では、本が売れませんからね。

         

         

         

        もう一つ紹介しましょう。『東大生が選んだ勉強法』(PHP文庫)です。内容紹介は次のようなものです。

         

         

         

        「国内最高学府の頂点に君臨する、東京大学。その難関を突破した学生たちは、どんな勉強法を選んだのだろうか? 本書は、現役東大生約8400人が登録する「東大家庭教師友の会」の学生たちが編み出した、独自の勉強法を大公開。 「覚えた本は捨てて記憶する」「難しい本を読む前に、雑誌を探す」「眠りながら記憶する」など、目からウロコのメソッドが満載! あなたに合う勉強法がきっと見つかる一冊。」

         

         

         

        「国内最高学府の頂点に君臨する、東京大学」出身者は、「立法府の長」を名乗るバカの意向を忖度し、平気でウソをつき、行政文書を次々に廃棄・隠蔽しています。官僚の使命やプライドはどこに行ったのでしょうか。

         

         

         

        それにしても「覚えた本は捨てて記憶する」という日本語が分かりません。「覚えた本は捨てる」なら分かります。ここで言う「覚えた」というのは「記憶した」と同じ意味でしょう。つまり「記憶した本は捨てて記憶する」と言っていることになります。普通の頭では、これほど意味不明の日本語は書けません。さすが「東大家庭教師友の会」の学生だけのことはあります。

         

         

         

        「難しい本を読む前に、雑誌を探す」は「難しい本を読む前に、入門書を探す」ならわかりますが、「雑誌を探す」って、どんな雑誌でしょう。

         

         

        「眠りながら記憶する」は睡眠学習のことを言っているのでしょうか。眠たい時にはさっと寝て、すっきりした頭で勉強に取り組んだ方がいいに決まっています。バカバカし過ぎて、皮肉を言うのも忘れてしまいました。要するに奇をてらった題名をつけて、何とか売ろうとする魂胆が丸見えです。目からウロコどころか、頭が禿げあがってしまいそうです。

         

         

         

        この種の「天才バカ本」の話はともかく、現実の東京大学では大規模な論文不正が次々に発覚しています。日本では「頂点に君臨する、東京大学」かもしれませんが、世界では相手にされていません。発表される論文の数も下降の一途をたどっています。大阪大学が出題のミスを一年近くも認めなかったこと。早稲田大学のAO入試の見識のなさ。慶応・中央大学の権謀術数の限りを尽くした反民主的な学長選挙。ブログで指摘しましたが、日本の大学は市場主義の軍門に下り、再生の可能性は99%ないと思います。

         

         

         

        私は塾生に受験するなら東大よりも京大を、と常々言ってきましたが、その京都大学のiPS細胞研究所でも昨日論文の不正が発覚しました。データを捏造した山水康平助教は「私がやりました。論文の見栄えをよくしたかった」と話したそうです。私はこれを聞いてひっくり返りました。「見栄えの問題かよ!」と思わず叫んでしまったのです。

         

         

         

        考えるということは、目の前の現実を疑うことだと言いました。しかし、肝心の大学がこの体たらくです。ここ2〜30年の間に、与えられた課題や実験結果に疑問を持つという感覚が麻痺していったのです。

         

         

         

        なぜこんなことになったのか。その原因は、難関大学の受験が特定の階層の専有物となり、親をも巻き込んだ見栄や嫉妬に駆動された情報戦となった結果、そもそも一体何のために勉強するのかという根本的な動機が問われなくなったことにあります。

         

         

         

        これは氷山の一角です。教育だけではなく、私たちの社会そのものが取り返しがつかないほど病んでいます。福島の原発事故が病巣を白日の下に晒したにもかかわらず、それをなかったことにするマスコミと政治家たち。それを支える国民。病巣は転移し、取り返しがつかなくなって初めて人々は気づくのです。

         

         

         

        見なければならないものを見る勇気。手遅れになる前に手を打てる行動力。それを可能にする想像力と洞察力。そういった人間の諸力を歴史の中に発見する曇りのない目。これらはすべて教育によって育まれるものです。その肝心な教育が崩壊しているのです。

         

         

         

        話を元に戻しましょう。『東大合格生のノートはかならず美しい』という本を買うあなたは「東大合格生」に何かプラスの価値を見出しているのでしょう。しかし考えても見て下さい。「東大合格生」という抽象的で匿名の記号に価値などあるわけがありません。

         

         

         

        いや、ブランドとしての価値がある、とお思いでしょうか。しかし人間の価値はブランドではなく、その人が社会で何をしているのか、何をしてきたのかで決まるのです。

         

         

         

        それに元々ブランドとは、他人の家畜と区別するために、自分の家畜に押した焼印のことです。識別し差別化するためのシンボルというわけです。ブランドにこだわることは、人間を家畜のように見るということです。人間を「商品」と見なし、将来的な価値を値踏みしているのです。

         

         

         

        もちろん、塾は人間をブランド化・差別化する匿名の工場のようなものです。保護者の方もそのような場所として塾を見ています。だからこそ、私は、自分の塾が匿名化することを避けるために、塾の方針を明確にしようと思いました。今から13年前、ホームページを立ち上げたのもそれが理由でした。当時は塾を始めて20年ほど経った頃で、消費社会の発想が社会の隅々にまで行きわたっていました。

         

         

         

        一言で言えば、教育が「商品」として切り売りされるようになった時期です。そこでは教える内容や、誰が教えているのかという最も肝心なことが捨象され、同じ商品なら安ければ安いほどいいと考える消費者が大挙して教育市場になだれ込んできた時期でした。

         

         

         

        「こちらは客なんだから最も安い価格で最大の効果を挙げろ」というわけです。学校でも病院でも皆がお客様気分で要求するのが当たり前になりました。しかし、想像して見て下さい。それがどんなに殺伐とした息苦しい社会かを。医者や教師が金儲けを第一に考えて働く社会がどんな社会かを。

         

         

         

        そういった社会の流れに抗するために、私はホームページを立ち上げ、「未来塾通信」を書くことにしました。その第一回目のタイトルは『学力低下は塾のせい』でした。「塾の教師のくせに、何それ?評論家のつもりか!」というお叱りの言葉も頂きました。しかし、私が実際に塾の現場で感じたことを無視するわけにはいかなかったのです。

         

         

         

        塾の宣伝文句として「目指せ東大!」だの「目指せ県立トップ校!」などと書くことは、消費者(月謝を払う親御さん)にとっては分かりやすいかもしれませんが、一方で自分の塾を匿名化することになります。コンビニ化、マクドナルド化するということです。それに私は思ってもいないことを書けない性分なのです。もちろん営業的にはマイナスです。それも覚悟の上でした。

         

         

         

        あれから13年が経過しました。数は少なくとも、私の考えに共鳴して下さる親御さんのお陰で、今日までやって来ることができました。私は子供たちに、自分のペースで、自分の考えで人生を生きてもらいたいと思っているだけです。匿名のシステムに適応することだけを考えて、自分の時間と自分の生きる場所を見失ってほしくないのです。

         

         

         

        塾の教師は勉強だけ教えていればいいのだ、という考え方もあるでしょう。しかし、好きな音楽を聴くことも、好きな服を着ることも、どんな職業に就くかということも、すべてはつながっています。はっきりした境界線などないのです。一見無関係に見える政治ともつながっています。要するに私たちの意識や行動の集積が社会を形作っているのです。そういう意味では、好きな音楽を聴くことも政治的だと言えます。その中に私のような塾教師がいてもいいのではないかと考えています。

         

         

         

        おやおや、また長くなってしまいました。今回は自分だけのノートの作り方を書くつもりでしたが次回にします。これまで誰も書いたことのないノートの作り方です。今回も最後までお読み頂いた方にお礼を申し上げます。貴重な時間をありがとうございました。

         

        | 塾・学力 | 00:25 | comments(0) | - |
        自分の時間と空間を生きる。
        0

          小学生の頃、自然発生的にできた地域の雑居集団にまじって、よくかくれんぼをしたものです。上野丘高校のテニスコートの上に神社があります。そこを起点に半径二百メートルくらいが隠れる場所でした。私はかくれんぼが得意でした。なぜか。忍者になることを夢見て修行に励んでいたからです。

           

           

           

          今時そんなことを考えている小学生がいるでしょうか。将来はJリーガーかプロ野球選手、はたまたオリンピック選手、医者、弁護士などというのは、夢ではありません。職業です。

           

           

           

          消費社会・大衆教育社会の登場が、夢を職業とリンクさせたのです。そしてそのことに疑問を抱かないどころか、親がこどもと同じ「夢」を見て、スポーツ選手にしたり、4人の子供全員を東大医学部に入れたりする母親も登場しました。

           

           

           

          仮にいま私が小学生でも、親と同じ夢を見るのはご免こうむりたい。これといった理由があるわけではありませんが、私は他人と同じ夢を見ることが生理的に苦手なのです。ましてや、国家と同じ夢を見て他国を攻撃するくらいなら亡命することを選ぶでしょう。

           

           

           

          この点では、私の両親は申し分のない親でした。周到な計画に沿って、子供に職業とリンクした夢を見させるのではなく、できの悪い息子を偶然性と自然のふところに委ねてくれたのです。昔はそんな親が多かった気がします。おかげで多少の回り道はしましたが、社会の支配的な価値観を鵜呑みにするだけで自分の世界を持たない退屈な大人にならずにすみました。

           

           

           

          かくれんぼがなぜ得意だったのかという話に戻ります。当時の私は、ある時は地中に生息する昆虫や爬虫類と遊び、ある時は目もくらむような高い木に登りカラスやフクロウと友達になっていました。そのことで、アリの視点と鳥の視点を同時に手に入れたのです。

           

           

           

          そうやって身につけた複眼的・鳥瞰的視点が、かくれんぼをするときに役立ちました。どこに隠れれば「鬼」の視界に入らないか本能的に分かるようになったのです。隠れ家を作ったり、魚を取ったり、自然の恵みである様々な食べ物を採集するのも得意でした。もっとも、わけのわからないものを食べて、しょっちゅう下痢をしていましたが。

           

           

           

          何かのきっかけで少年時代の記憶が鮮やかによみがえってくることがあります。前にも書きましたが、記憶や時間は直線的なベクトルを持っているわけではなく、枯れ葉が積み重なるように身体の中に積み重なっています。それを私は記憶と時間のミルフィーユと名付けています。考古学的想像力などと大げさに言うつもりはありません。昔の人なら自然に持っていたものです。

           

           

           

          ある場所にたたずんでいると、そこを流れていた時間を思い出すことがあります。時間を思い出すというのは変な表現ですが、大地の匂いや季節の足音や空気感が、無意識の底に沈殿している記憶の断片を撹拌し、意識の水面に浮上させます。

           

           

           

          その時、その場所に生きていた人々の記憶と時間が、私のそれと混然一体となり、そこにもう一つの豊饒な現実があったことに気づきます。そういった記憶と時間に包まれた繭の内部のような場所こそ、人間の魂と感情が生成する場所なのではないかと思います。

           

           

           

          今にして思えば、そういった感覚が私という人間の原型を形作ったのだと思います。自分固有の時間と空間を作ることなしに、自分の<生>を生きることはできないと確信させたのです。

           

           

           

          なぜこんなことを書くかというと、大人になり世間の常識や決まり、つまり匿名のシステムに呑み込まれそうになりながらも、それに拮抗する世界を持つためには、自分の時間と空間(サンクチュアリ)が必須だと考えているからです

           

           

           

          つまり、私にとっては内なるサンクチュアリこそが現実であり、多くの人が「現実」だと考えているものは、匿名のシステム=仮想空間でしかありません。利害や思惑が入り乱れ、人間の精神を堕落させ、ついには死にいたらせる力を持っている一方で、それなくしては社会が成り立たないからこそ「現実」として存在しているのです。私はそれをないがしろにするつもりはありません。なぜなら、まさにその「現実」が、私の<生>に意味を生じさせているからです。

           

           

           

          さて、私が身を置く塾の現場を見てみましょう。塾は子供たちを匿名のシステムに過剰適応させることで利潤を上げるもう一つの匿名のシステムです。匿名のシステムも多層構造をしています。それゆえ、自作自演のなりすまし塾長やネトウヨ塾長を始めとして、経営コンサルタントを名乗る塾長も後を絶ちません。

           

           

           

          私たちの社会は、子供から子供時代を奪っています。格差社会の現実を目の当たりにして、親御さんは不安になり、ブレーキを踏むどころかアクセル全開で子供を追い詰めます。塾も学校も親もこのことについて自覚的でなければなりません。なぜなら、子供の将来を思えばこその叱咤激励は、ともすると子供の魂や感情を抑圧する「狂気」に転化しがちだからです。

           

           

           

          最後に一つだけ覚えておいてほしいことがあります。今ある「現実」は数年後には「現実」ではなくなっている可能性が高いということです。私は、なりすましや匿名を拒否し、目の前にいるひとりひとりの人間と純粋に関われる部分を少しでも広げていきたいと考えています。

           

           

           

          抽象的で小難しい文章をここまで読んでいただき、ありがとうございました。何かのヒントになればうれしく思います。次回は匿名のシステムに取り込まれることなく、真の知性を身につけるためのノートの作り方について話します。「東大生の必ず美しいノート」などとは比較にならない、あなただけのノートの作り方です。ご期待下さい。

           

           

          尚、今回のテーマと関連した過去の記事を挙げておきます。もし暇がありましたら、お読み下さい。

           

          『こどもの魂はどこで育つのか』

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=174

           

          | 文学・哲学・思想 | 22:04 | comments(0) | - |
          高橋まつりさんはなぜ自殺したのか?
          0

            91歳の義母が脳梗塞で倒れ、入院して1年2カ月になります。今は佐伯の介護施設にいます。身体も動かず、しゃべることもできない母にとって、「現実」との通路はわずかに開いている左目だけです。私と妻が声をかけると、ほほ笑み、目に光がともります。その小さな「窓」を通して、かろうじて外界とつながっている状態です。

             

             

             

            95歳になり認知症の兆候があった義父も家で転び、右大腿骨を骨折。手術後2カ月かけてリハビリに励みました。やっと歩けるようになったと思う間もなく、再び介護施設で転び、今度は左大腿骨を骨折しました。2度の手術を経て、車いすの生活になりましたが、認知症の症状が進み、夜中に大声を出し、介護施設では手の施しようがないということで、今は大分市の下郡にある精神科の病院に入院しています。

             

             

             

            昨日は、佐伯へ墓参りに行き、義母を訪ねた後、義父を見舞いました。面会の人は首からそれと分かるカードを下げています。病棟へのドアには鍵がかけられ、入退出時には呼び出しのベルで看護師さんに連絡し、鍵を開けてもらいます。廊下で数人の患者さんとすれ違い、挨拶を交わします。見たところ普通の人と何ら変わりはありません。

             

             

             

            「お父さん、僕です、わかりますか?」と言うと、「ああ・・おおっ」と返事が返ってきます。妻が病室で義父の手をさすり、話しかけている間、私は部屋の外にあるラウンジのソファに座って本を読んでいました。数人のお年寄りがテレビで大相撲を見ていました。30分ほど経ったでしょうか。突然、20代と思われる若い女性の患者さんが私の横に来て座りました。

             

             

             

            「何を読んでるんですか?」

            と尋ねるので、本の題名とカバーを見せました。それをじっと眺めた後、

            「なんだか面白そうですね」と言いました。

            「よかったらどんな内容か話しましょうか」

            「ええ、ぜひ話して下さい。」

            「この本を書いた人は躁鬱病という遺伝的な体質を持った人です。鬱の時には死ぬことばかり考えるそうです。中身をひとことで言うと、なぜ僕たちは自分の考えや気持ちを他人に伝えようとするのか、ということが書かれています。」

             

             

            彼女は私にピタッとくっついてきました。私は続けました。

             

            「たとえば現実に順応できなければ生きられないと思い込んでいる人がいるとしますね。この本を書いた人は、それはウソだ、現実は一つだと思い込まされているだけだと言います。現実はびくともしないコンクリートの建物のようなものではなくて、人間が集団で生きていくために作り上げたシステムに過ぎないと言っています。僕もそう考えてきました。僕の話がわかりますか?」

             

             

            彼女はうなずきました。私の言葉を理解しているのが分かります。その受容の深さ、切実さは、私が経験したことのないものでした。これ以上続けるべきかどうか悩んでいたとき、妻が病室から出てきて私を呼びました。

             

             

            彼女は状況を瞬時に理解し、「また来て下さい」と言いました。

             

             

            病棟の長い廊下を歩きながら妻は言いました。

             

            「あの子、私たちが初めてこの病院に来た時、受付のところで待っていた子よね。」

            「よく気がついたね。ご主人か恋人かわからないけど、若い男性に付き添われていたのを覚えているよ。」

            「どんな事情があるにせよ、あの若さでここに入院しているなんて、可哀そうだわ。あなたと何か話してたの?」

            「僕が読んでいた本に興味があったみたいで、内容を知りたいというので、ちょっと説明していた。」

            「もっと話してあげればよかったのに。」

            「彼女は人と話すことに飢えているような気がする。でも部外者が患者さんとどこまで話していいものか・・・。それに僕の話が彼女の心を乱すこともあるかもしれない。無責任なことはできないよ。」

             

             

             

            私が彼女に伝えたかったのは、ひとことで言えば、「現実」とは匿名のシステムが作りだした仮想空間だということです。「現実が仮想空間だって?そんなバカな!」と考える人は、これ以上読んでも不愉快になるだけでしょうから、私に「変人」のレッテルを張ってどうぞお引き取り下さい。

             

             

             

            私たちが「現実」と呼んでいる世界の実体は匿名の仮想空間に過ぎないのに、いや、そうだからこそ、私たちの無意識にまで侵入し、世界を単一化・一元化する力を持つのです。このことを認識していないと、匿名の力によって社会から抹殺されるかもしれません。大げさではなく、そういった事例は枚挙にいとまがありません。

             

             

             

            具体的に話しましょう。ブログでも取り上げた電通の事件です。高橋まつりさんは東大を卒業後、2015年4月に電通に入社します。しかし、その年の12月25日、電通女子寮の4階から投身自殺します。24歳でした。東大から電通と言えば誰もがうらやむエリートコースです。

             

             

            私がこの事件に注目したのは、彼女こそ電通という会社が作り上げた匿名のシステムによって殺された犠牲者だと考えるからです。母子家庭に育ち、それをハンデにすることなく懸命に努力して東大に合格します。きっと親子で抱き合って喜んだことでしょう。

             

             

            東大時代には『週刊朝日』でアルバイトをしていました。インターネット番組のアシスタントやリポーターなどを務めていたそうです。週刊朝日の関係者によると、「相手が大物政治家だろうが、有名人だろうが、物おじしない。機転が利いて、根性もある。あの子を精神的に追い込むことのほうがよっぽど難しい」と彼女の印象を述べています。そのまつりさんを自殺にまで追い込んだのは何だったのでしょうか。

             

             

             

            まつりさんは、労基署より10月半ばからの1ヶ月間の残業時間が105時間と認定されていますが、自殺する直前の残業時間は、労働組合との取り決め上限である「70時間」のぎりぎりで記載されていました。

             

             

            しかし、遺族側弁護士が、自動的に記録される入退館ゲートのデータを基に集計した残業は、月に130時間を超えることがあったとのことです。しかも、連続53時間勤務を疑わせる入退館記録も残っています。弁護士は「残業が70時間を超えると、正確に申告がなされなくなっていた。指導があったとみられる」と指摘しています。

             

             

             

            母親の幸美さんによると、残業に加えて自宅で徹夜の作業をしていたとのことです。まつりさんが、2015年10月に本採用となった後は、土日出勤、朝5時帰宅という日もあったそうです。亡くなった12月には部署全員に対して、残業の上限を撤廃する36協定の特別条項が出され、深夜労働が続き、忘年会の準備のためにも土日や深夜に残業していたといいます。

             

             

             

            そして自殺する日の朝、母親にメールを送ります。そこには次のように書かれていました。「大好きで大切なお母さん。さようなら。ありがとう。人生も仕事もすべてがつらいです。お母さん、自分を責めないでね。最高のお母さんだから。」

             

             

             

            彼女を自殺に追いやった犯人は特定の人物ではありません。電通が作り上げた「現実」です。それこそが匿名のシステムなのです。電通の社長は裁判で謝罪し、50万円の罰金を支払っただけです。

             

             

             

            匿名のシステムは、私たちが集団で生き延びるために、長い時間をかけて作りだしたものです。しかし、その過程で、一人一人の固有の世界を形作ってきた記憶はそぎ落とされていきます。そして集団にとってだけ意味のある記憶(歴史)が作られていくのです。歴史は捏造されるということです。会社の場合それは社訓なり社是と呼ばれます。

             

             

             

            そして、本来なら自分のために使うことができる時間も、市場社会の絶対時間に取って代わられます。つまり、個人が生き延びるのに必要な時間や空間がどんどん狭められていき、集団にとって必要なものだけが残るということです。

             

             

             

            高橋まつりさんは、自分の時間も、生きる空間も奪われ、「現実という仮想空間」の中に閉じ込められて生きる場を失ったのです。私が精神科の病院で出会った女性も「現実」によって精神のバランスを崩していたのかもしれません。

             

             

             

            長くなりました。次回からはどうすれば匿名のシステムに呑み込まれずに生きていけるのかを、具体的に話していきたいと思います。今回も最後まで読んで下さった方にお礼申し上げます。いつもありがとうございます。

             

            | 文学・哲学・思想 | 22:46 | comments(0) | - |
            もうひとつの「現実」(Alternative Reality)を見る。
            0

              明日からいよいよセンター試験が始まります。先ほど塾の生徒に激励のメールを送りました。この時期は、寒さが一年で一番厳しくなります。雪が舞い、道路が凍結する中、受験生が試験会場へと向かうのを何度となく見送ってきた気がします。

               

               

              ところで、前回のブログで、「自分のやりたいことを見つけて、夢と希望に向かって生きよう」というフレーズを、軽薄で幼稚な「政治的」なキャッチフレーズだと書きました。

               

               

              匿名化したシステム(例えば、学校でいじめにあって生徒が自殺した時、だれも責任をとりません。原発事故でも責任をとった人はいませんし、刑務所に入った人もいません)に殺されずに生き延びるには、私の言う意味が分かっていることが必要です。それを説明しましょう。

               

               

              「自分のやりたいことを見つける」は、一時期流行した「自分探し」や「自己実現」という言葉の言い換えに過ぎません。まるで、幸せになるためには「自分のやりたいこと」を見つけなければならないと言っているようです。

               

               

               

              このたぐいの言葉は、スポーツ選手・タレント・マスコミ・出版社・教育関係者などから発せられます。さらにはビートたけしのような似非芸術家もこれに加わります。自分の「芸術」が世間に迎合した余興に過ぎないことに気づいていないのですから言葉が見つかりません。私は、芸術の本質は、既存の社会や組織や流派を変革するエネルギーを生みだすところにあると思っています。

               

               

               

              そもそも、本当に自分のやりたいことを見つけた人は、沈黙しているはずです。それを世間に向けてアピールしたいなどとは思わないはずです。

               

               

               

              しかし、その一方で、他者から承認されたいという欲求を抑えられない人がいます。少しばかり名前が売れただけで、あちこちに顔を出し、「スポンサー」に媚びます。うるさくて仕方ありません。彼らは沈黙とは無縁なのです。競争社会では沈黙していては金になりませんからね。

               

               

               

              かくして「自分のやりたいことを見つける競争」はアメリカ流の「自己アピール」とセットになって、私たちの社会を軽薄で幼稚で騒々しい社会に変えたのです。

               

               

               

              「政治的」なキャッチフレーズと言ったのは、自分の足元を見つめ、そこを掘り下げれば様々な矛盾や不都合な真実が出てくるので、夢や希望を追いかけさせて注意をそらす必要があるからです。

               

               

               

              「自分のやりたいこと」が被災地のボランティアならメディアに取り上げてもらえます。しかし、東京オリンピックに反対したり、電力会社を相手に裁判を起こしたり、電源三法や総括原価方式の廃止を訴えたりすることは「自分のやりたいこと」の中には含まれません。

               

               

               

              さらに、日本がいまだにアメリカの占領下にあるという事実を指摘したり、日米地位協定の見直しを政府に迫ったり、「日米合同委員会」の存在を世間に知らせたりする活動は、「自分のやりたいこと」どころか、「やってはならないこと」にされます。

               

               

               

              つまり「自分のやりたいこと」は、匿名のシステムを固定化し補強する限りで認められるのです。これを「政治的」と呼ばずになんと呼べばいいのでしょうか。匿名のシステムは、まさに私たちの無意識が作り出したものです。それが私たちを監視し、自由を奪っているのです。このあちこちに張り巡らされている抑圧のシステムを私たちは「現実」と呼んでいます。

               

               

               

              しかし、勘違いしてはなりません。無意識が作りだしたもの、すなわち多くの人が見ている夢を一人でひっくり返そうとしても無駄です。ではどうすればいいのか。他人の夢に付き合う必要などないと、一人で宣言すればいいのです。皆で同じ夢を見るためには現実は一つだと思い込まなければなりません。戦争は皆で同じ夢を見ることです。これほどバカげたことはない!

               

               

               

              振り返ってみれば、私はブログを通じて、現実を多層構造で見ることの大切さを繰り返し語ってきた気がします。時間と空間にこだわったのは、その感知の仕方こそが、その人固有の現実を発見し作り上げるのに役立つと確信しているからです。

               

               

              最後に一言。人生は「自分のやりたいことを見つける」ためにあるのではありません。「これは自分がやるしかない、やらなければならない、と覚悟したこと」をやるためにあるのです。つまり「使命」を自覚するということです。続きはまた次回にします。今回も読んでいただきありがとうございました。

               

               

              未来塾は2018年度、塾生の募集を始めました。詳細は LINKS [未来塾 Webぺージ]をご覧ください。

               

              | 中高生の皆さんへ | 23:30 | comments(0) | - |
              匿名化したシステムを生き延びるために。
              0

                2015年の6月から書き始めたブログですが、振り返ってみると、社会に対する生理的な違和感の表明だったと思います。私には社会変革の理論を構築できる頭脳がないので、生理的な違和感をもとに書くしかなかったのです。政治的な話題が多くなりましたが、それは「自分のやりたいことを見つけて、夢と希望に向かって生きよう」というような軽薄で幼稚な「政治的」キャッチフレーズが社会を覆っている以上、避けられないものでした。

                 

                 

                 

                私はチェ・ゲバラのような人間を愛していますが、革命家ではありません。歴史をひもとくまでもなく、「すべての革命家は最後には弾圧者か異端者になり下がる。」というアルベール・カミュの言葉と洞察力を信じているのです。「恐怖を土台にした尊敬ほど卑劣なものはない。」というのもカミュの言葉です。

                 

                 

                 

                本題に入りましょう。私たちの社会は、私たちの集合的な無意識が作りだしたものです。したがって、変革を求めるうねりが津波のように膨れ上がらない限り、個人の力で簡単にひっくり返したり、否定したりすることはできません。では何ができるのか?

                 

                 

                 

                まず疑問を持ち、違和感を表明すること。この世界のどこをおかしいと感じているのか自分に問うこと。これまで生きて来て社会に対して根源的な疑問を感じたことのない人、親や学校教育によって疑問を奪い取られているのを「現実は厳しいのさ」の一言でごまかして来た人、そういう人は一部上場企業へと急ぎましょう。誰かに指示されて自分のものではない誰かの人生を生きていきましょう。そうすれば原発なんか気にしなくても生きていけます。しかし、それでは生き延びられない、生きていることにならない、というのが私の言いたいことです。

                 

                 

                 

                具体例を見てみましょう。もしあなたが大学側のミスと保身のために1年を棒に振らざるを得なかったとしたら、どうしますか?実際そういう目に会うまでは、なにも考えられないというのであれば、次の犠牲者はあなたになるかもしれないのです。

                 

                 

                 

                毎日新聞2018年1月7日の記事より。

                 

                 

                 

                「大阪大は6日、昨年2月に実施した一般入試(前期日程)の物理で、出題と採点にミスがあったと発表した。合否判定をやり直した結果、不合格とした30人を追加合格とした。また、本来は第1志望の学科で合格していたのに、第2志望の学科に入学していた学生も9人いた。大阪大は追加合格者の入学を認め、金銭的な補償を行う方針。昨年6月以降、外部から複数の指摘を受けていたが、3回目で初めてミスを認めた。

                 

                 

                大阪大によると、昨年2月25日に行われ、特別入試も含めた3850人が受験した物理の試験で、音の伝わり方に関する問題を出題。ミスが見つかった最初の設問で、本来は三つの正答があるにもかかわらず、正解を一つに限定していた。さらに次の設問は、この解答を前提に作成されていたため、別の二つの解答では正解を求められなくなっていた。

                 

                 

                外部からの指摘を大学側が初めて認識したのは、昨年8月9日。予備校講師から「問題設定が不自然」とのメールが寄せられた。大学側は問題を作成した責任者と副責任者の理学部教授2人の検討を経て、この指摘に対し「ミスはない」と返信していた。昨年12月4日にも別の外部の人から、詳細な同様の指摘が寄せられたため、さらに4人の教員を加えて検討し、大学は初めてミスと認めた。

                 

                 

                この設問を巡り、高校教員らが参加して昨年6月10日に開催された入試問題検討会でも不備を指摘する意見が出たが、責任者の教授2人だけの判断で「正解は一つ」と説明していた。最初の指摘から半年経過したことについて、記者会見した大阪大の小林傳司(ただし)副学長は「正しい解答は一つだとの思い込みがあったようだ。組織的に対応できなかった」と陳謝した。 」

                https://mainichi.jp/articles/20180107/k00/00m/040/016000c

                 

                 

                 

                「正しい解答は一つだとの思い込みがあったようだ。組織的に対応できなかった」という副学長の言葉に注目して下さい。

                 

                 

                この言葉は、大阪大学がもはや大学ではないということを宣言したものです。なぜなら「正しい解答は一つだとの思い込み」を打ち破ることこそが学問の本質だからです。何度も出題ミスを指摘されながら、それを無視した責任者と副責任者の理学部教授2人は大学で教える資格はありません。内心では自分たちのミスに気づいていたのかもしれません。

                 

                 

                 

                しかし、入試からほぼ1年経って、3度目の指摘があって初めてミスを認めたことは「組織的に対応」すること、すなわち組織を挙げて何とかミスを認めずにやり過ごせないものか、と考えていたことを意味します。

                 

                 

                 

                 

                ここではっきりと気づかなければならないのは、私たちの社会は「思い込み」と「組織的に対応」することで成り立っている、いわば匿名化したシステムだということです。「大学側のミス」という言葉で、個人の責任は問われないことになっています。

                 

                 

                 

                そこでは、教師が提供する授業も、学生が受ける授業も「商品」とみなされ、それに見合った貨幣と等価交換されると教えられます。したがって、それが提供できなかったときには、それに見合った金銭的な補償をすればいいという発想になるのは当然です。匿名化したシステムには、人間にとって最も大切なものが欠けているのです。

                 

                 

                 

                「こんなバカなことがまかり通っていいはずがない。今すぐミスを認めて受験生に知らせるべきだ。若い人にとって人生の1年間がどれほど貴重なものか分かっているのか。」という意見は感情的だとして退けられます。当然、責任をとる人もいないまま問題は隠蔽されるのです。

                 

                 

                 

                匿名化したシステムに欠けている最も大切なものとは、「感情」であり「責任の所在」であり「使命」です。大阪大学にはこのすべてが欠けています。このことを自覚していなければ、私たちは生活ばかりでなく命を危険にさらすことになります。今の安倍政権を見れば一目瞭然です。次回はこの匿名化したシステムを生き延びる方法について書くつもりです。

                 

                 

                 

                よろしければ、以下の過去記事も御参照下さい。

                 

                「民主主義は大学の門前で立ちすくむ」

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=427

                 

                「早稲田大学のAO・推薦入試について」

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=136

                 

                | 文学・哲学・思想 | 23:00 | comments(0) | - |
                100年後の生存戦略−教育その3・「ラコリーナ」
                0

                  明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

                   

                   

                   

                  元日の朝、ポストを覗いてみると、埼玉県の塾教師O君から年賀状が届いていました。成長した息子さんの写真の上に「3月から新しい環境で始動です。」とありました。川口市からさいたま市、七里へ教室を移すとのことです。風が吹き抜けるとても環境のいいところで、大工さんと相談しながら、教室をデザインしているそうです。いよいよ計画を実行する段階になったのですね。ここにも自分の居場所を懸命に作ろうとしている青年がいます。

                   

                   

                   

                  市場社会に軸足を置きながら自分の居場所を作ることは、大人でも実はかなり大変なことです。まして子供は大人の用意した環境に適応する他ないので、自分の居場所を作るどころではありません。学校を始めとして与えられた環境の中で何とか生き延びるのに精一杯でしょう。

                   

                   

                   

                  日本の学校教育は制度疲労を起こしていて、社会の急激な変化についていくことができません。当たり前ですね。相手は人間(子供たち)なので、決められた納期内に一定水準の品質をもった製品を大量に生産する工場のようなわけにはいきません。

                   

                   

                   

                  子供が成長するには時間がかかるのです。脳に電極をつないで知識や情報をインプットすることができたとしても、魂の成長には、自由と何ものにも奉仕しない時間が必要です。秋になって柿の実が熟すように、ただ待つしかないのです。待つ時間を奪われた子供は、知的には優秀でもいつまでも子供のままです。人間を成長させるのは知識ではなく魂の働きなのですから。

                   

                   

                   

                  100年後、日本の子供たちが生き生きと学び、活発に議論し、どんな境遇の子供も見捨てられることのない教育の場を作ることは可能でしょうか。戦争経済(原発もその一つです)を回し、国家の富を独占し、私物化して恥じることのない権力者たちを国民の力で排除すれば可能です。そのためには国民が民主主義の力を信じなければなりません。

                   

                   

                   

                  そのことを確かめるために、私は去年の11月始め、塾を3日間だけ休み、車を飛ばしてある場所へ向かいました。目的地は滋賀県近江八幡市にある『ラコリーナ』です。ラコリーナとはイタリア語で「丘」を意味します。

                   

                   

                   

                  『ラコリーナ』は、周囲の水郷や緑を活かした美しい原風景の中での、人と自然がふれあう空間づくりをコンセプトにしています。和・洋菓子を総合した店舗および飲食施設や各専門ショップ、農園、本社施設、従業員対象の保育施設などを設けるたねやグループの新たな拠点です。今年の1月9日でメインショップオープンから3年が経ちます。

                   


                  カステラショップ・フードガレージと次々に新しい店舗をオープンし、去年は260万人を超える来店者数となりました。

                   

                  http://taneya.jp/la_collina/

                   

                  メインショップ。向こうに見えるのは八幡山。

                   

                   

                  メインショップの中はカフェと店舗になっている。天井は漆喰に炭をはめ込んだもの。藤森建築の特徴です。とても柔らかい空間です。

                   

                   

                  メインショップを抜けると眼前に広大な田んぼが広がる。右側(画像では正面に見える)が本社。

                   

                   

                   

                  カステラカフェ。妻とお茶をして疲れをいやしました。

                   

                   

                   

                  なぜこの場所に向かったかというと、ブログでも書きましたが、以前よりヴァナキュラー建築に興味があり、縄文建築団を率いて活躍する建築家・藤森照信氏に注目していたからです。イタリア人の建築家でデザイナーのミケーレ・デ・ルッキ 氏が全体を構想し、本社やメインショップの設計を手掛けたのが藤森照信氏だったのです。

                   

                   

                   

                  ヴァナキュラー建築について、ウィキペディアの解説を見てみましょう。

                   

                   

                  引用開始

                   

                  「Vernacular」とは「土着の」あるいは「風土的」という意味である。1964年にバーナード・ルドフスキーが著した『建築家なしの建築』によってヴァナキュラー建築の概念は関心を集めた。ルドフスキーは職業的デザイナーである建築家によって建てられたハイスタイルな建築物を系図的にたどることで語られてきた建築史に対して、それまで無視されてきた無名の工匠たちによって造られた風土的建築物を紹介することで、建築芸術の新たな研究対象を提示した。

                   

                   

                  ヴァナキュラー建築は、それぞれの地域で産出する建材を使用して、その土地の気候にあったデザインを考慮して作られる点で、建築部材の全てが工場で生産され、現場で組み立てるだけの近代的な商業建築との大きな違いがある。また、ヴァナキュラー建築の世界では、長年繰り返された選択の蓄積として生まれた建築に必要なルールや知恵の多くは口伝や暗黙知として継承される。その知恵の体系は地域技術として普及し、それぞれの地域に同じような形態の建物が建てられ、風土色のある集落を形成している。

                   

                   

                  引用終わり

                   

                  以上でお分かりのように、『ラコリーナ』は、ヴァナキュラー建築をメインコンセプトにしているのです。

                   

                  田植えのシーズン。

                   

                   

                  秋の稲刈り。

                   

                   

                  田んぼの小動物観察クラブ。

                   

                   

                  奥にあるフードコート。

                   

                   

                  オレンジティーとシチリアのライスコロッケ「アランチーノ」をたべました。卵をトマト風味のライスで包んで揚げたもので、とても美味しかった。

                   

                   

                   

                   

                  新自由主義によるマネー経済の肥大化・加速化は人々を幸福にしません。新自由主義は人間そのものを尊重するのではなく、人間を「手段」とみなす世界観です。私はこの世界観に対抗できるものこそが、ヴァナキュラー建築だと考えています。さらに言えば、「ヴァナキュラー教育」こそ、日本古来の伝統や文化を復興させるものだと確信しています。

                   

                   

                   

                  『ラコリーナ』のしたたかなところは、市場経済を否定するのではなく、それを乗りこえる可能性を提示しているところです。市場経済を否定すると、最終的には自給自足を目ざす閉ざされた宗教集団のようになってしまいます。「消費」を否定せず、それを逆手にとって、新たな価値を示して見せる。これこそが賞味期限が切れた資本主義社会の先を生きるための処方箋だと思います。

                   

                   

                   

                  『ラコリーナ』をほぼ半日かけて歩きながら、私はこれが学校だったらどうだろうと考えていました。先入観を捨てて、この場所を学校にすることが可能だろうかと考えてみたのです。結論は可能だということです。

                   

                   

                   

                  この広い場所に、小学生から高校生までが通い、その土地固有の文化や伝統を学びながら、先端技術の基礎理論やデザインや建築を始めとして様々な教科も学べるようにする。幼稚園児や地域のお年寄りもやって来て、一年に一度盛大なお祭りや収穫祭を開く。

                   

                   

                   

                  子供たちを部活や宿題で縛るのではなく、自発的創造性にまかせて、宮沢賢治が言うように、農業を舞踏へと高めるのです。もちろん制服など不要です。そこでは100メートルを10秒で走る能力など必要とされません。アクロバティックな鉄棒演技も人間性を無視した集団演技で得点を競うことも不要です。ましてや国家の威信をかけたスポーツ戦士に子供を育てるなど論外です。健康で柔軟性に富んだしなやかな身体を持つ子供に育てればいいのです。

                   

                   

                   

                  まず『ラコリーナ』のような場所を各都道府県に一つ作る。それだけで私たちが無条件に順応するしかなかった教育システムが、いかに不要・不毛なもので満ちていたかが分かります。

                   

                   

                   

                  これからの日本は人口減少社会へと突入していきます。お年寄りと若者が手を取り合って生きていかねばならないのです。その時大人が利己的な発想で自分たちの利益を確保するのに精一杯だったとしたら、いったい誰が子供たちの居場所を構想するのでしょうか。

                   

                   

                   

                  私がここで考えたことは実現できます。決して見果てぬ夢ではありません。現に民間の会社『ラコリーナ』がそれを実現しています。必要なのはヴィジョンです。教育こそが、宇沢弘文氏の言を待つまでもなく、100年先を構想できる社会的共通資本なのです。

                   

                   

                  | 教育 | 21:57 | comments(0) | - |
                  | 1/1PAGES |