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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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    昨日は義父を見舞った帰りに、「反日」で「左翼」の妻とコンパルホールで開かれた講演会『日本列島の全原発が危ない!広瀬隆・白熱授業』に行きました。なぜ妻が「反日」で「左翼」なのか?詳しくは以下の記事をお読みください。

     

     

    「反日」で「左翼」の妻は「極左雑誌」を愛読しています。

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=281

     

     

    暇さえあればミシンを出してきて型紙をつくり、孫のために新体操の衣装を作っている妻ですら、ネトウヨのみなさんからすれば、「反日」で「左翼」になるのでしょう。今日までに作った衣装は10着余り。そのうちの一つです。

     

     

     

    そんな妻は、オリンピックの女子フィギュアスケートをじっと見つめて、何をしているのかと思えば、コスチュームのデザインを研究しているのです。

     

     

     

    「やっぱり素敵なデザインだわ。色の組み合わせやスカートの丈なんか、参考になる。ねえ、ねえ、この人(ザギトワ)の衣装なんかどう?」

     

    「(どうでも)いいねえ」

     

    「そうでしょ。今度はこのデザインに挑戦してみようかしら」

     

    「やってみたら?」

     

     

     

    とまあ、そんな妻ですから、『日本列島の全原発が危ない!広瀬隆・白熱授業』に誘っても来ないだろうと思ったのですが、義父を見舞った後、空いた時間があったからでしょうか、誘うとあっさりのってくれました。妻は『原子炉時限爆弾』は読んでいます。で、以下は車の中での会話です。忠実に再現しています。

     

     

     

    「新体操の衣装作りと、『日本列島の全原発が危ない!』は君の中ではどう関係しているの?」

     

     

    「あなたはそんなどうでもいいこと考えてるの?ヒマね。私の原発についての知識なんて、小学生くらいのものよ。」

     

     

    「でも、小学生は『原子炉時限爆弾』は読まないよ。」

     

     

    「あの本を読んだとき(3・11以降に私がすすめました)は、すごく腹が立った。ちゃんと予測されていた人災だったんだとわかったわ。中身はもう忘れてしまったけど。でもあの本を書いた人の話なら聞いてもいいかなと思ったのよ。」

     

     

    「で、きみは原発に反対なんだね。」

     

     

    「もちろん。理論的にこれこれだから反対とは言えないけれど、もう直感として許せない気がするのよ、原発がこの世にあること自体が。」

     

     

    「なかなか、過激なこと言うじゃない。」

     

     

    「でも、子供でもわかることでしょ。たかが電気をつくるって話なんだから。電気なら何も原発で作る必要はないはずだわ。他にもいろんな技術があるでしょ。経済、経済っていうけど、たかが金儲けのことでしょう。核のゴミの最終処分はどうするの?福島原発の放射能は、どうやっていつまでに無くすの?安全なら東京に原発を作らないのはなぜ?世界が、原発ではなく自然エネルギーに向かっているのはどうして?原発をミサイルで狙われたらどうするの?そんなに安全で経済的なエネルギーなら、なぜ東芝は借金まみれになったの?イギリスに輸出するとか言ってるけど、日本政府が保証しなければならないのはなぜ?事故が起これば私たちが負担することになるのよね?それに、チェルノブイリが石棺の上に大きなドームを作っているけど、未だに立ち入り禁止なのはなぜ?もうバカバカしいことだらけだわ。こんなこと考えなくてもわかるじゃない。」 

     

     

     

    そだね〜。そだね〜。そだね〜。」

     

     

     

    ところで、韓国映画『パンドラ』をみなさんは観たことがあるでしょうか。広瀬隆氏の講演会の最後でも紹介されていました。一歩間違えば、日本はこうなっていたのです。いや、日本の明日の姿です。なぜなら、次なる巨大地震がスタンバイしているのですから。

     

     

     

    なぜこの映画が原発事故のあった日本で作れないのでしょうか。今や政治でも、芸術的な創造性でも、総体的な知性でも、韓国は日本のはるか上を行っています。なぜなら、隠蔽に次ぐ隠蔽、私物化に次ぐ私物化の日本に比べて、韓国は今そこにある「破局」を国民に示しているからです。

     

     

    ちなみに、福島第一原発事故をモデルにしたこの映画は公開12日目で観客動員300万人(韓国映画振興委員会調べ)を突破しました。日本語字幕版もあります。ぜひご覧ください。

     

     

    | 原発 | 13:17 | comments(0) | - |
    滅び行く国の教育。
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      高校入試を控えた中3生の授業もあと1回を残すのみとなりました。国公立大学前期日程の入試も直前です。そこで、久しぶりに静かな土曜日、塾の宣伝を兼ねて(新高3生の授業は3月より開始です)英文法の解説をしようと思ったのですが、どうも気分が乗りません。政治のみならず教育の自壊現象を目の当りにして意気阻喪しているのです。

       

       

      そこでその原因と冷静にむきあうために言葉にしてみました。「思考ノート」の作り方を書いた責任がありますからね。

       

       

      その1:教育の自壊現象について。

       

       

      例の東京・銀座の中央区立アルマーニ小学校、じゃなかった泰明小学校の件です。報道によると、同小学校がイタリアの高級ブランド「アルマーニ」にデザインを依頼し、最大約8万円の標準服の導入を決めたことを巡り、同ブランドの日本法人「ジョルジオアルマーニジャパン」(東京)が、区教育委員会に対し、児童の安全確保などを要望する申し入れを行ったことが23日、同社や区への取材で分かった、とのことです。

       

       

       

      「標準服導入を巡っては、同小の児童らが登下校中に服をつままれるなどの嫌がらせが起きている。同社によると、申し入れは23日までに文書で行い、児童の安全確保のほか、標準服導入について保護者に改めて説明するよう求めたという。同社の担当者は「児童への影響が出ていることを懸念している。導入を巡る保護者の同意や理解を進めてほしい」と話している。標準服の販売店舗によると、23日現在、今春の入学予定者60人中54人がすでに採寸と入金を終えた。」ということです。

       

       

      ほらね。私が予想した通りのことが起こっています。

       

       

      それにしても、さすが「アルマーニ」です。児童に対するいやがらせが相次ぎ、傷害事件、誘拐事件に発展すれば、ブランドイメージに致命的な傷がつくことを懸念し、早々と手を打ったのです。イタリアの高級ブランドともなれば、危機管理の意識が高い。日本の公教育に指示が出せるのですね。「アルマーニ」がすごいのか、校長や区教育委員会がふがいないのか、どっちでしょう。

       

       

       

      本来なら、区教育委員会が校長を呼び、「あなたは公立小学校の校長であることを認識しているのか。公共心のある子供を育てることがあなたのやるべきことではないのか。子供たちがいやがらせをうけたり、事件に発展したりすれば、あなたは責任をとれるのか。すぐに撤回していただきたい。」と言うべきだったのです。

       

       

       

      でもそれは無理です。なぜなら、校長はアルマーニの制服の導入をめぐってすでに区教育委員会に相談をしていたのですから。区教育委員会のなかに見識のある人物がいればその時点で校長をたしなめていたでしょう。でもそれができなかった。理由はすでにブログで書きました。

       

       

       

      要するに、公教育は消費社会の象徴である「高級ブランド」に屈したのです。当然ですね。教育の最終目的はブランド学校、ブランド大学、ブランド職業に就き、人より少しでも多くかせぎ、人より少しでもいいモノを買うことになったのですから。

       

       

       

      消費に変わるオールターナティブな価値をつくりだせなければ、私たちの社会は静かに瓦解していくしかありません。私立はどうか、ですって?私立は、ブランドに屈するもなにも、ブランドそのものをつくりあげようと必死になっています。きっと「経営者」の頭の中は「ブランディング」でいっぱいになっていることでしょう。

       

       

      その2:政治の自壊現象について。

       

       

      報道によると、2月23日午前4時頃に東京都千代田区の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の門の前で男2人による銃撃テロが発生しました。警戒中の機動隊員が建造物損壊容疑で2人を現行犯逮捕。そのうち1人が右翼活動家の桂田智司容疑者で、もう1人も右翼団体関係者とみられています。

       

      桂田智司容疑者。

       

       

       

      私が批判したルーリーちゃんこと、国際政治学者・三浦瑠麗ちゃんが、大阪に北朝鮮の「スリーパーセル」というテロリスト分子が大勢潜んでいるというヘイトデマをテレビで流した直後に起こった今回の銃撃テロ。逮捕された容疑者は「スリーパー」どころか、拳銃で武装した極右テロリストでした。

       

       

       

      こんなイカれた差別主義者がいるのに、国を挙げて北朝鮮危機を煽り、テレビでデマを流して差別煽動すればどうなるか。まさしく関東大震災時の「朝鮮人が井戸に毒」のデマの後に朝鮮人虐殺が発生したことと同じ構図となったわけです。

       

       

      ルーリーちゃんは今回のテロを予想できなかったのでしょうね。彼女はネトウヨのマスコット人形にはなれるかもしれませんが、学者としては完全に失格です。

       

       

       

      これもすでにブログで書きましたが、ネトウヨ作家の百田尚樹というテロリストもいます。事実、彼自身がツイッタ―で公言しています。「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく」と。しかも彼には少なからぬ賛同者がいるのです。

       

       

       

      ところで、第二次安倍政権が発足した直後の2013年、一人の女子中学生が大阪の鶴橋でヘイトデモに参加し、「いつまでも調子に乗っとったら南京大虐殺じゃなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ」という虐殺予告のヘイトスピーチを行って、日本だけではなく世界中に衝撃を与えました。この女子中学生の父親こそが今回のテロ実行犯である桂田智司です。

       

       

       

      私は同じようなヘイトスピーチを撒き散らす大分市のY田ゼミ塾長を批判してきました。塾の教師であろうが学校の教師であろうが、教育を通じてヘイトスピーチをあおる人間を放置できなかったのです。この種の人間たちの過激な言説に眉をひそめる人も、自分たちの足元が徐々に切り崩されていることにはなかなか気づきせん。

       

       

       

      大事なのは経済だ。企業の国際競争力を高めることだ。裁量労働制は間違っていない。データが何だ。自分の考えが「正しい」ことはあたりまえだから論証などいらない。国会は単なるセレモニーに過ぎない。ついでに、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重もじゃまだ。そんなものはインテリのへ理屈に過ぎない、というわけです。いやはや、教育とはおそろしいものです。

       

      | 教育 | 12:18 | comments(0) | - |
      「汝、衆をたのんで、悪を為すなかれ」
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        若かったころ、繰り返し読み、いつのまにか暗唱してしまった文章があります。一方で、中身のない文章は何度読んでも頭に入ってきませんでした。私は受験に役立つというだけでどんな文章でも次々に暗記できてしまうような優秀な頭脳をもっていなかったのです。

         

         

         

        以下に挙げたのは、バートランド・ラッセルの『自伝的回想』の中の一文です。最初に出てくる she は彼の祖母を指しています。今読み返してみて、この文章が私の人格におよぼした影響にあらためて気づき、驚いています。こういう祖母をもったラッセルは何と幸せだったのだろうと思います。

         

         

         

         

        But in retrospect, as I have grown older, I have realized more and more the importance she had in moulding my outlook on life. Her fearlessness, her public spirit, her contempt for convention, and her indifference to the opinion of the majority have always seemed good to me and have impressed themselves upon me as worthy of imitation. She gave me a Bible with her favourite texts written on the fly-leaf. Among these was “ Thou shalt not follow a multitude to do evil." Her emphasis upon this text led me in later life to be not afraid of belonging to small minorities.

         

         

        ― しかしふりかえってみると、成長するにつれ、私の人生観を形作る上で祖母がいかに重要な存在であったか、しだいにわかるようになった。祖母の恐れを知らない勇気、公共心、因襲に対する軽蔑、多数派の意見に対する無関心はいつも私には善いことだと思われたし、模倣する価値のあることだと強く印象づけられた。祖母は、見返しの遊び紙に祖母のお気に入りの文句が書かれている聖書を私にくれた。その中に次の文句があった。


         「汝、衆をたのんで、悪を為すなかれ」


        祖母がこの聖句を強調してくれたことで、後になって、私は少数派に属することを恐れなくなった。―

         

         

         

        いまこの国では、あらゆる分野が劣化しています。政治について言えば、事実の共通了解すら成立しません。つまり議論の前提が崩壊しているのです。

         

         

         

        1980年代から90年代にかけて、あらゆるものが消費社会の等価交換にさらされました。その結果、すぐれた言説も歴史を捏造する言説も、等価な「商品」として言論市場にほうりだされました。

         

         

         

         

        一部の権力者が捏造した歴史の記憶(これを歴史修正主義といいます)にさらされればさらされるほど、ある種の人間たち(ネトウヨ)は国家に対して従順になります。歴史から切り離され、人格が空洞化した彼らは、その空洞を埋めるために国家主義的な言説とそれを大声で主張する集団を支持します。

         

         

         

        いわく、どの国もやっていることだ。そもそも戦争だったんだぜ。南京大虐殺も従軍慰安婦もなかった、でっち上げだ。なのに、なぜ自分たちだけが批判されなければならないのか、というわけです。こういった「衆をたのむ」言説は次第にエスカレートしていきます。

         

         

         

        やれ北朝鮮のミサイルの脅威だ、テロの危険性だとあおります。警察が法外のことをしようが(レイプ犯山口敬之の逮捕を直前でやめさせるなど)、自衛隊を米軍に差し出そうが、国民の安全のためには仕方がないのだ。この緊急時に人権どころの話じゃないだろう。何が憲法違反だ、そもそもアメリカに押しつけられた憲法じゃないか、歴史を知らないのか、もっと勉強しろ、というわけです。

         

         

         

        彼らは、過去の日本の行い、つまり侵略戦争を正当化したいだけです。現に起こった歴史的事実を突きつけられると、自分たちが責められているように感じ、逆ギレします。加害者なのに被害者のようにふるまいます。日本軍はこんな良いこともしたんだ、知ってるのか、と言って、まるでコンビニの期間限定の「人気商品」をつまみ食いするように「歴史の真実」をとりあげます。とにもかくにも、オレたちの国が悪いことをするわけがない、と思いたいだけです。まるでだだをこねている子供です。

         

         

         

        バートランド・ラッセルの祖母のような人間がこの国にはいなくなりました。その正反対の「だだをこねるだけの子供」が最高権力者の地位に「恋々」としているのですから、無理もありませんね。

         

        | 文学・哲学・思想 | 13:21 | comments(0) | - |
        議論を「脱線させる」学者風テレビ芸人。
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          ルーリーちゃんが色々と反論しているようです。「このレベルの発言が難しいとなれば、この国でまともな安保論議をすることは不可能です。」「考えてみれば、これもまた、安全保障を法解釈でしか語れなかった結果として、この国に根付いてしまった悪癖かもしれません。」とおっしゃっています。

           

           

           

          「安全保障を法解釈でしか語れなかった」って、ルーリーちゃんのような学者風テレビ芸人や政治家、評論家、コメンテーター、マスメディアを指して言っているのでしょうか。語るには相手が必要です。相手はもちろん国民です。ということは国民のことなど誰も考えてこなかったということになりますね。

           

           

           

          「法解釈」ではなく、具体的事実をもとに、国民に向けて安全保障を語るのはもちろん政権与党の責任ですよね。でも安倍政権は「北朝鮮をめぐる緊迫した状況」と言うだけで、何一つ説明していません。そんな中、ルーリーちゃんは、安倍政権に忖度せずに大胆に語っているのだ、と言いたいのでしょう。それにしては中身があまりにもお粗末すぎます。

           

           

           

          ところで、具体的事実をもとに安全保障について語るのであれば、「スリーパーセル」が原発にテロを仕掛ける危険性や、北朝鮮のミサイルが原発に着弾した時の被害想定を語る必要があります。

           

           

           

          でもどういうわけか、ルーリーちゃんは北朝鮮のテロリストのことは語っても、原発が攻撃される危険性には触れません。これでは「まともな安保論議をすることは不可能です。」この点を安倍総理にじかに問いただしたのは山本太郎議員一人です。安倍総理はいつものように逃げて答えませんでしたが。

           

          山本太郎議員の追及、見事です。国民が一番知りたいことをこれほど簡潔かつ論理的に話せる議員はいません。ルーリーちゃんもせめてこのくらいのことを、テレビで言ってくれればいいのに。

           

           

           

           

          そもそも、戦争になり北朝鮮が日本を攻撃するとなったら、最大の弱点である原発を攻撃するはずです。最も確実かつ致命的なにダメージを与えられるのですから。こんなことは小学生でもわかることです。

           

           

           

          黙って嵐が過ぎ去るのを待っていればいいものを、ルーリーちゃんは反論されるとムキになるようです。だれよりも正確な(フェイク)情報を持っているアタマの良い私が批判されるなんてがまんできないと思ったのでしょうか。次のようなことも言っています。

           

           

           

          「過去の警察白書を通しての記述と大震災時の迫撃砲発見などの事後的な未遂案件で皆さんが納得するレベルでは十分な公開情報がとれます。スリーパーセルというのは単に工作員の形態に着目した呼び方の問題です。もちろんメディア各社できちんと取材されている記者はもっと情報をもらっているはずです。」

           

           

           

          頭が悪いせいか「事後的な未遂案件で皆さんが納得するレベルでは十分な公開情報がとれます。」という日本語が何度読んでも分かりません。「事後的な未遂案件」って何?こういう言葉をツルツルと何の抵抗もなく吐き出せることが、アタマの良い証拠だと勘違いしているのでしょうね。「大震災時の迫撃砲発見」などという与太話を簡単に信じてしまうのも、彼女のアタマの良さを表わしているのでしょう。

           

           

           

          今回一つだけ追加したいことがあります。それは同じくテレビ向けエセ学者である古市憲寿が「三浦瑠麗が嫌いな人達が騒いでる」とコメントしていることについてです。

           

           

           

          彼については2年前にすでに書いています。その時、古市憲寿に対する怒りがどうしてもおさまらなかったので記事にしました。頭の問題(彼はバカですが)ではなく、人間として最低限の礼儀すらわきまえていないことに無性に腹が立ったのです。

           

           

          劣化し続ける権力とそれに寄り添うバカな男たち』

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=189

           

           

          今回、古市憲寿はルーリーちゃんの発言のどこが問題なのか言及すらせず、彼女への批判を「好き嫌いの問題」にしてしまいました。さすがにフジテレビ以外ではあまり見かけないタレントだけのことはあります。彼のコメントは、毎回こういうスタンスです。

           

           

           

          つまり、問題そのものについて自分の意見を述べません。そのかわり、現政権や自分の友人を「批判する意見」を冷ややかに揶揄して論点をすり替えます。批判の矛先をそらすためです。いつも「どっちもどっち」と言って、さも公正中立であるかのようにふるまいます。

           

           

           

          問題そのものではなく、それにまつわる党派や集団の態度を批判することで、議論を「脱線させる」のです。これはネトウヨの常套手段です。こんな生き方が身についてしまっている人間のことなど論ずるに値しません。この点、ルーリーちゃんの方がまだ若干、少しだけ、微妙に「かわいい」ですね。

           

           

           

          高校入試と大学入試を直前に控え、こんなことを書いている暇はないのですが、行きががかり上書いてしまいました。まあ、昼食後1時間ほどのことですから、なんということもありません。

           

          | 政治 | 14:06 | comments(0) | - |
          やってくれましたルーリーちゃん。
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            ルーリーちゃんとは、国際政治学者で東京大学政策ビジョン研究センター講師をしている三浦瑠麗ちゃんのことです。今になってようやくメディアは彼女の思想的体質に気づいたようですが、私はすでに6カ月前に指摘しています。

             

             

            『国際政治学者という幇間(ほうかん)』

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=391

             

             

            上の記事を書いた動機は、前回のブログで書いたように、今の日本社会をおおっている差別と好戦的な空気がどうやって作りだされているか、それにテレビがどのようにかかわっているかをあきらかにするというものでした。ぜひお読みください。

             

             

             

            さて、今回の件ですが、番組を見ていない人のために、ルーリーちゃんが「ワイドナショー」(松本人志の司会)の中で「スリーパーセル」について語った部分の書き起こしを引用します。

             

             

             

             

            三浦:もし、アメリカが北朝鮮に核を使ったら、アメリカは大丈夫でもわれわれは反撃されそうじゃないですか。実際に戦争が始まったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルと言われて、もう指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める、スリーパーセルっていうのが活動すると言われているんですよ。

             

            ※ここで『スリーパーセル 一般市民を装って潜伏している工作員やテロリスト』というテロップが画面上に表示される。

             

            東野:普段眠っている、暗殺部隊みたいな?

             

            三浦:テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今ちょっと大阪やばいって言われていて。

             

            松本:潜んでるってことですか?

             

            三浦:潜んでます。というのは、いざと言うときに最後のバックアップなんですよ。

             そうしたら、首都攻撃するよりかは、他の大都市が狙われる可能性もあるので、東京じゃないからっていうふうに安心はできない、というのがあるので、正直われわれとしては核だろうがなんだろうが、戦争してほしくないんですよ。アメリカに。

             

             

             

            私はこれを聞いて、はあ〜、ついにネトウヨの親分・青山繁晴化しちゃったのね、と思いました。いや、櫻井よし子化、産経新聞化といったほうがわかりやすいでしょうか。でも驚きません。これは当然予想できたことでしたから。

             

             

            ことのてんまつは、以下の「リテラ」の記事をお読みください。正確でよくまとまっています。

            http://lite-ra.com/2018/02/post-3799.html

             

             

            その記事の最後。「なんの根拠もないのに知識や情報があるふりをしてフェイク情報をふりまき、歴史修正主義や安倍政権を正当化し、ヘイトを助長する。みんな騙されていたけど、三浦瑠麗という国際政治学者って実は、あの青山繁晴センセイと同じカテゴリーの人だったんじゃないだろうか。」と指摘しています。まったくそのとおり。異議なし!だから私は半年前にだまされてはならないと書いたのです。

             

             

             

            ルーリーちゃんは、もともと学者ではなくテレビ芸人なんですが、こんどの一件で彼女を学者だと考える人はネトウヨのみなさんを除けばいなくなるでしょう。もっとも、今のテレビ業界を見ると、またぞろ復活してきそうな気もしますが・・・。

             

             

             

            そもそもルーリーちゃんは、テレビに出たがり屋のピント外れのオネーさんにすぎません。学歴や肩書を重んじるマスメディアと視聴者が、若手の論客だと勘違いしているだけです。困ったことに、視聴者だけではなく本人も勘違いしています。

             

             

            それが度を越すと、本人が自覚していない分だけ、言ってることがかえって本当らしく聞こえてしまいます。自分の言うことは真実であると思い込んでしまうからです。ルーリーちゃんはウケをねらって一線を越えた陰謀論を展開したのですが、逆に自分が差別主義者であることをさらしてしまいました。あな、おそろしや、おそろしや。

             

             

             

            だまされていた人は、「国際政治学者」だとか「東京大学政策ビジョン研究センター講師」という肩書を見て、いくらなんでもここまで無根拠に物事を断定する人物だとは思っていなかったのでしょうね。しかもそれが差別的な心情にもとづくものだということも見えていなかったのです。

             

             

             

            さて、言いたいことはまだまだあるのですが、最後に一つだけ事実を指摘して終わりにします。それは、この「ワイドナショー」という番組が、生放送ではなくて、録画だったという点です。

             

             

             

            通常、出演者の不適切発言が炎上するのは、生放送の番組に限られます。つまり今回の炎上は、普通の炎上とは性質が違います。これこそが不可解な点です。収録番組は、スタッフなりプロデューサーなりが責任を持って内容を確認した上で放送されるはずです。ということは、最終的な責任はルーリーちゃんにではなくて、フジテレビにあるということです。フジテレビは学者っぽい電波芸人を使って、安倍政権を援護射撃しているというわけです。

             

             

             

            ルーリーちゃんの発言に対し、在日コリアンへの差別や偏見を助長するというまともな意見が多数寄せられました。ところがそれに対し、twitterを通じて、「私は番組中、在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います。」と、いかにもルーリーちゃんらしい反論をしています。

             

             

             

            案の定、差別を助長する「意図」はなかったとして彼女を弁護するどころか、在日コリアンをテロリスト呼ばわりし、暴言を吐く人たちがネット上に多数わいています。これこそが、あの放送を見た多くの人間が、在日コリアンとテロリストを結びつけて情報発信をしている何よりの証拠です。

             

             

             

            ルーリーちゃんは、関東大震災の際、朝鮮人が流言飛語によって大量虐殺された歴史を知らないのでしょうね。たとえ知っていたとしても、自分の発言とその流言飛語が本質的に同根のものだとはこれっぽっちも思わなかったのでしょう。つまり、知性のかけらもないということです。

             

             

             

            虐殺された側の心情ではなく、いつのまにか虐殺する側の論理にからめとられていることくらい学者なら気づきそうなものですが・・・。あっ、失礼しました。電波芸人には無理でしたね。

             

            | 政治 | 16:01 | comments(0) | - |
            ノリのわるい人間になる。
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              私はノリの悪い人間です。いや、わざと周囲のノリにあわせないように心がけています。居酒屋でも、ちょっとした集まりでも、数人が冗談を言い合って盛り上がっているのを見ると、いい大人がバカじゃなかろうかと思います。

               

               

              しかもそのトークのネタがテレビの二番煎じ、三番煎じと来ているのですから、テンションは下がりっぱなしです。今やテレビに出てくる芸能人のトークが、私たちの会話のテンポや間を決定しているのです。

               

               

               

              かくいう私も、3・11以前は、けっこうバカなギャグも飛ばし、周囲にあわせたりもしていました。しかし、そのことがこの国を破滅の淵に追いやった原因だと気づき、私はノリの悪い人間になる決心をしたのです。まあ、最後までお読みください。

               

               

               

              たとえば昔の同級生と居酒屋でもりあがっているとします。みんなが手をたたいて笑い転げているときに、いっしょに笑いながら「お前、パクるのうまいね。そのネタ、このまえテレビで芸人の○○がやってたけど、他人のネタで笑わせて面白いのかよ?」「久しぶりにこうやって集まったんだからさ、どんな時に死にたくなるか、何に絶望しているか、それを話してみようぜ」などと言いたくなるのです。楽しい飲み会が通夜のようになるかもしれません。

               

               

               

              私は空気を読む気もないし、周囲のノリにあわせることもしません。どうしてわざわざ集団の心理を逆なでするようなことをするのかと思っている人もいるでしょうね。理由はいろいろとあるのですが、ひとつには、もともとなんにでもツッコミを入れたがる性分だったことがあります。 

               

               

               

              本当をいえば、イタリアの片田舎の人々のように一日の終わりに、美味しい料理とワインを飲みながら、ダンスしたり歌ったりしながら、楽しく時を過ごしたいのです。いっそのこと、イタリアに移住しようかな?しかし、2018年、日本人をしている私にはそれができません。なぜか。

               

               

               

              3・11の時、津波が町を襲い、家々を破壊し、人々の命を奪うのを目の当りにしました。それに続いて原発が爆発した映像をテレビで見ながら、私は自分の中で何かが崩れていくのを感じていました。感情が揺さぶられ、自分の足元が崩落していくような感じと言えばいいのでしょうか。多くの国民も同じ思いだったに違いありません。

               

               

               

              しかし、それに続く数年、私が目にしたものは、あれほど感情を揺さぶられる経験をしたにもかかわらず、まるで何ごともなかったかのごとく原発を再稼働し、海外に輸出さえする一大勢力でした。つまり、安倍政権と財界トップ、それをささえる匿名のシステムとしての官僚機構です。

               

               

               

              しかも彼らはほとんどが高学歴エリートなのです。学歴があろうがなかろうが、富裕層であろうがなかろうが、アルマーニの制服を着ていようがいまいが、だれもがこの国で生きていく権利があることを、彼らは理解していません。今やこの国の教育は個人の利益を最大化するシステムとしてだけ機能するようになっています。

               

               

               

              それは、日本国民の間に感情の劣化と死滅をもたらしました。だから匿名のシステムに過剰に順応すると感情が死んでしまい、まともな判断が下せなくなるのだと指摘してきたのです。

               

               

               

              その結果日本社会で今何が起こっているのか。その例を一つだけあげて終わりにします。まずNHKのこの世論調査をご覧ください。

               

               

               

               

              なぜ平和を目指して南北融和を進めることが評価されないのでしょうか。そもそも、NHKは何のためにこの質問をしたのか。これはメディアや御用学者、外務省が安倍政権の意向を忖度して南北の対立を煽り続けた成果です。今や国民はマインドコントロールの実験動物=ブタになったのです。

               

               

               

              アメリカと北朝鮮が戦争するのを期待するように誘導された国民心理は余りにも恐ろしい。そうではありませんか。今の時代をうっすらおおっている、戦争を待望する気分に迎合などできるわけがありません。これが、私がノリのわるい人間になることを決意した理由なのです。

               

              | 文学・哲学・思想 | 15:52 | comments(0) | - |
              バレンタインデーのチョコレートなんか・・・
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                皆さんは「教育」という言葉から何を連想しますか?「ウザい」「よだきい」「しちくじい」・・・これらは全部同じような意味です。あとの二つは大分県以外の人には伝わりにくいでしょうけど。でも、連想する「もの」ですから、形容詞ではなく名詞で答えてほしいですね。

                 

                 

                 

                例えば「自由」「権利」「平等」「可能性」「愛」「公平」「文化」「歴史」「伝統」「国民」「知性」「教養」「貢献」などなど。でもこういった言葉を連想する人は、今は少ないかもしれません。

                 

                 

                 

                それに代わって「商品」「費用対効果」「消費」「差別化」「階層」「特権」「選択と集中」「効率」「格差」「中学受験」「塾」「合格率」「自由競争」「グローバリズム」「自己責任」「義務」「親の経済力」「母親の狂気」「人格喪失」「子供の虐待」「いじめ」「自殺」と言った言葉を連想する人が多くなっている気がします。

                 

                「母親の狂気」などいうおどろおどろしいものもまぎれこんでいますが、なんだか経済学っぽい言葉とマイナスイメージの言葉ばかりが並びましたね。

                 

                 

                 

                前者の中には「公共性」を指向する言葉が含まれていますが、後者の語群からは「公共性」がきれいに消えて、自由競争やグローバリズム(この言葉の本当の意味を理解している者がなんと少ないことか!)という大多数の国民を犠牲にする「豊かな暮らし」を指向する言葉が並んでいます。

                 

                 

                 

                でも、「豊かな暮らし」って何なんでしょう。「豊かな暮らし」のキーワードは「消費」です。消費は、いろいろな選択肢の中から好きなものを選んで買うことでした。それが自分自身の個性、社会的価値を示すものへと変わりました。すなわち、どれだけ高価な商品を買うことができるのかが、人間の社会的ステイタスを決めると信じられているのです。これはアメリカ的な価値観です。

                 

                 

                 

                これを否定したり、まったく気にかけない人間は変わり者として消費社会からはじき出されます。働いて金を稼ぎ、それですきなものを買うことが自己実現だとすれば、働くことはお金を稼ぐ手段になってしまいます。つまりお金を稼ぐことが最終的な目的になるのですから、労働に価値を見出せなくなるのも当然です。

                 

                 

                 

                そこで前々回のブログで書いたコロンボ警部の生き方を思い出してみましょう。高級車に乗り、高級な葉巻きを吸い、豪邸に住み、高級なブランドの服を着ることよりも、彼は刑事として働くことそのものが自己実現だと考えているのです。つまり、「消費に結びつかない自己実現」を実践しているのです。実は、日本人が真似しなければならないのは、コロンボの生き方なのです。

                 

                 

                 

                これと関連して、このところいわゆる富裕層の子育てがどうしようもなく画一的で貧しくなっていると思います。その代表がこども4人全員を東大医学部に合格させた、例の「佐藤ママ」です。彼、彼女らの子育てはとても巧妙です。「いいかげんに勉強せんか!いつまでテレビ見ちょんのじゃ、ボケ!」というような下品なことは言いません。

                 

                 

                 

                それどころか、判で押したように「勉強しなさいなんて一度も言ったことはありませんのよ」というのが、彼らのセリフです。あくまで「自主性にまかせる」というわけです。しかし、彼らはこどもを自分の所有物だと考えています。「自主性にまかせる」と言いながら、親の思い通りに育てています。そうすることがこどもの将来のためになる、社会にとって有用な人材になると思い込んでいるのです。教育とは、まず親がしっかりレールを敷いてやることだというわけです。何という貧しいこども観でしょう。

                 

                 

                 

                考えても見て下さい。こどもの成長のしかたというのはそんなものではないはずです。はたから見ていると、何でそんなものに夢中になるのか全く分からないようなことに夢中になる。時間を忘れてただひたすら同じことを繰り返す。まわりのことなんかまったく気にせずに、ただただ自分の力を伸ばそうとする。自分はあんなこともできる、こんなこともできる、と感じられるのが嬉しくてたまらない。これから何になるかなんてわからない。でもわからないからこそ、何ものにも縛られずに自由奔放に生きている。こどもはいつだって予測不可能なものに成長していくのです。

                 

                 

                 

                大人がそれを巧妙にコントロールし「善き方向」へと導く。そこで排除されるものは自由と偶然性に満ちた宝の山なのです。「佐藤ママ」が4人のこどもたち全員に、大学に受かるまでだったか、社会人になるまでだったか忘れましたが、「恋愛禁止」を申し渡していると聞いた時、「なに言ってるんだ、このババア(よいこのみなさんは決してまねをしないでね)、人間をなめるのもいいかげんにしろよ!」と、はしたなくも叫びかけました。こどもを受験という人工的な環境の中に囲い込むことによって実は社会の活力や可能性をそいでいることには気づいていないのです。

                 

                 

                 

                 

                ところで今日はバレンタインデーだそうです。コマーシャリズムにのせられて、若い女性たちがデパ地下でチョコレートを買いあさっている光景をよくテレビで見かけます。ここにもマインドコントロールされたアホな女性がうじゃうじゃわいていると思うと、悲しくなります。僕はバレンタインデーのチョコレートなんか欲しくありません。お返しが大変だから。

                 

                 

                 

                娘たちにも、「お父さんはそんなものいらん!」と言っています。彼女たちの返事は毎年決まっていて「ハイハイ、わかっていますよ。心配しないでね」というものです。そう素直に言われると少しさびしい。

                 

                 

                 

                で今日の午後、妻に「コーヒーいれてよ。ティータイムしましょうよ」と言われたので、居間に行くとテーブルの上に何やらプレゼントらしきものが並んでいるではありませんか。

                 

                 

                「まさか、バレンタインデーのチョコレートじゃないだろうな」

                「さあ、何でしょう。開けてみたら?」

                というわけで、開けてみると、これでした。

                 

                ピエール・ルドンのチョコレート。

                 

                 

                 

                チョコレート会社のくちぐるまにのりおってと、ぶつぶつ言いながら口に入れました。なんということでしょう。うまい!マジで。コーヒーと合う!さすがピエール・ルドンだけのことはある、と思いました。

                 

                 

                 

                「あら、美味しそうじゃないの。チョコレートは嫌いだったんじゃないの?」

                「ピエール・ルドンかノドンかしらないが、北朝鮮のミサイルのような名前のチョコレートなんか、美味しいわけないだろ」

                「あらうれしい。じゃあ残りは私が全部もらうわよ」

                「ちょっ、ちょっと。そんなことしたら、せっかくもってきてくれた娘が悲しむよ・・・」

                 

                | 教育 | 14:49 | comments(0) | - |
                刑事コロンボ VS 「アルマーニ」校長
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                  突然ですが『刑事コロンボ』が好きでした。プロという言葉から連想するのが、コロンボ警部でしたね。トレードマークのよれよれのレインコート、くしゃくしゃの髪、その辺で拾ってきたような車に何のとりえもない愛犬を乗せ、安物の葉巻をくわえて殺害現場にやってきます。スキだらけの、さえない刑事を絵にかいたようないでたちです。ところが、ドラマが進むにつれて、この印象が180度ひっくりかえります。犯罪者の心理を洞察する力においてコロンボの右に出るものはない、と思い知らされるのです。

                   

                   

                   

                   

                  このドラマは、それまでの刑事物・推理小説とは違って、視聴者や読者に最初に殺害シーンを見せ、犯人を教えます。知らないのはコロンボだけです。その結果、犯人が誰かではなく、コロンボが犯人を割り出すプロセスそのものがドラマの中心になります。そして犯人にぐうの音も出ないほどの証拠を突きつけて降参させる最終シーンにもっていく仕掛けになっているのです。

                   

                   

                   

                  もう一つこのドラマを面白くしている特徴があります。犯人が例外なく大富豪や有名人、歌手やスポーツ選手、政治家や大学教授といったエスタブリッシュメントだということです。例えば、最終シーンで、高名な犯罪心理学者の犯人が「ところでコロンボ君、いつの時点で私が犯人だと気づいたのかね?」と訊くところがあります。

                   

                   

                   

                  「はい。最初にあなたを見た時からです。あなたが犯人だと分かっていました。ただそれを証明するのに手間取りましてねえ。途中で万事休すかと思いましたよ。でも犯人が分かっているのにあきらめるわけにはいかない。それですべてが腑に落ちるある事実に気付いたというわけです。」とコロンボ警部。このシーンにしびれました。今のマスメディアや野党の政治家に聞かせてやりたい。

                   

                   

                   

                  コロンボ警部は銃をもっていません。撃ち方も知りません。射撃の練習義務が課されていますが、いろいろ言い訳をして試射場にいきません。自分の仕事が何かよく分かっているのですね。人を殺すことではないと。これぞプロの中のプロです。

                   

                   

                   

                  何だか前ふりが長くなってしまいました。いや、大したことを言いたいわけではありません。正直どうでもいいことを書くのに、嫌気がさしているのです。そう、例の「アルマーニ」問題です。

                   

                   

                   

                  泰明小学校の和田利次校長(62)「アルマーニ」の標準服を独断で決めたことをめぐり、「銀座にある学校だからこそ進めてきたが、丁寧な説明をしながら進めるべきだった」と述べています。でも、新標準服の採用は「ご理解いただき、購入者側の判断で購入してほしい」「(採用する)手続きにおいて反省はあるが、非常識な判断とは思っていない。新一年生からこの服でやっていく。変える考えはない」と述べたそうです。

                   

                   

                   

                  自分の独断で決めておいて、その責任をとるのかと思えば、「購入者側の判断で購入してほしい」って、責任の丸投げです。反省してないですね。しかも自分の判断は非常識ではないとおっしゃっています。結局「アルマーニの制服」が実質的には強制されるわけです。なんかこの手の釈明になっていない釈明、結局は自分の判断を押し通す手法はうんざりするほど見てきた気がします。

                   

                   

                   

                  今度の件で私が最も違和感を覚えたのは、公立小学校がなんで「アルマーニ」なんだという「正論」に対してでした。

                   

                   

                  和田校長は高額のため購入が難しい家庭がありうることを考えなかったのか。」と問われて「本校の保護者なら出せるのではないかと思った。泰明小でなければこういう話は進めない。価格が高いという苦情があることを聞いており、個別に相談に応じていきたい。」と答えています。気分はほとんど「私立」の校長に、何で「公立」が、しかもアルマーニ」なの?と言ったところで、現状を知らない理想論だと言われるだけです。

                   

                   

                   

                  泰明小学校は銀座にある特認校で越境入学者が多い。保護者も経済力のある人がほとんどだ。「アルマーニ」の提案は受け入れられるだろう、と和田校長は踏んだのです。つまりたてまえ上は「公立」でも、実質は「私立」である。たてまえより現実に即した決断をしたつもりだ、ということでしょう。結局この問題は「公立」か「私立」か、ではなく、保護者の経済力が決め手になるのです。保護者は校長の判断を受け入れるでしょうね。

                   

                   

                   

                  それにしても和田校長の発想は軽すぎます。以下にその例を挙げてみます。これでも名門小学校の校長が務まるといういい例です。

                   

                   

                  例その1。

                   

                  「アルマーニ制服」の導入を「服育」と称して重要な教育の一貫と位置付けている点。

                   

                   

                  お兄ちゃんやお姉ちゃんのお下がりをつなぎ合わせ、大胆なデザインの服に仕立て上げることは「服育」にならないのか。ゴミ捨て場に捨てられている新品同様の衣類を再生することは資源の節約にもなるし、「服育」と言うなら、これこそが本当の「服育」ではないのか。成長ざかりの子供に「アルマーニ」を着せることのどこが「服育」か、と反論されることは考えなかったのでしょうね。

                   

                   

                   

                  例その2。

                   

                  「銀座の街のブランドと泰明ブランドが合わさった時に銀座にある学校らしさも生まれてくる。視覚から受ける刺激による「ビジュアルアイデンティティーの育成はこれからの人材を育てることに不可欠」であり、それがスクールアイデンティティーの育成にもつながる」と説明していること。

                   

                   

                   

                  私はこの説明を聞いてひっくり返りました。どこがって?よく見て下さい。「ビジュアルアイデンティティーの育成はこれからの人材を育てることに不可欠」だと言っているんですよ。ビジュアルアイデンティティーなどとわけのわからない横文字を使っていますが、簡単に言うと「あっ、アルマーニの制服を着ている!泰明小学校の生徒だわ。」と認知されることをいいます。これのどこが「これからの人材を育てることに不可欠」なのでしょう。

                   

                   

                   

                  アルマーニの制服を着ているわが子と銀座でショッピングなんてことを夢見ているお母さんお父さん!「アルマーニの制服を着ている子供の家庭はリッチにちがいない。誘拐すればたんまり身代金がとれるかも」と考える人間もいるかもしれませんよ。それに「ふん、公立のくせに私立のまねして、無理してアルマーニなんて、いかにも貧乏人の考えそうなことだわ」とバカにしながら嫉妬する親御さんの存在も無視できませんよ。おお、こわっ!

                   

                   

                   

                  なりより、親がそういうことを望めば、子供は「ブランドの服を着ることで人より偉くなった気がする。人よりいいものを着るために、これからも一生懸命勉強しなくっちゃ」と考えるかもしれませんね。それが目的ですって?人を外見で判断したり、見下したりする子供に育てることがですか?

                   

                   

                   

                  最後に、この校長が気の毒だと思う点。

                   

                   

                  今や「教育=どの学校や大学に入れるかということ」は完全に「商品」だと見なされるようになりました。「商品」である以上、投入した対価に見合う「結果」が出なければなりません。投下資本はなるべく早く回収する必要があるのです。

                   

                   

                  泰明小学校の校長は老舗の小学校が消費社会の中で埋没することを恐れたのでしょう。中学受験が近づけば、教室の半分がガラ空きになります。受験対策のために生徒が欠席するからです。

                   

                   

                   

                  これは「公立」小学校の教育が「私立」に従属していることを思い知らされる瞬間です。かといって、欠席を認めないというわけにもいきません。和田校長も心中穏やかではなかったはずです。そこで思い付いたのが「アルマーニ」の導入だったというわけです。あちゃ〜。

                   

                   

                   

                  教育がお金で売買できる「商品」である以上、それを売るためには他の商品と差異化・差別化しなければなりません。なぜなら消費者はその差異に付加価値を認め対価を払うからです。

                   

                   

                   

                  和田校長はこういった市場の無形の圧力に立ち向かうべく、保護者から認められたいという思いと、ここらで尖ってみようという思いを胸に「決起」したのかもしれません。しかし、そのための方法がいかにも稚拙だったのです。これは私の意見なので大っぴらには言えませんが、こういう人間は「公立」小学校の校長をするべきではありません。

                   

                   

                   

                  いい歳の大人が、いや教育者が、外形的なものでしか自己アピールできないとは情けないことです。刑事コロンボの爪の垢でも煎じて飲んでみてはいかがでしょうか。

                   

                  | 教育 | 19:49 | comments(0) | - |
                  言葉の力を信じて・・・「思考ノート」の有限化と可能性。
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                    「言葉の力を信じて・・・」という今回のタイトルを書きながら、どうしようもないむなしさを感じています。なぜなら、私たちの国の指導的立場にいる人たち、特に政治家が言葉の力など全く信じていないからです。

                     

                     

                    安倍政権は警察官僚を手足のごとく動かし、ゲシュタポ政治を作り上げました。前川喜平氏の例を挙げるまでもなく、自分たちにとって都合の悪いことを言った人間、言いそうな人間の一挙手一投足を見張り、隙あらば失脚させようと狙っています。彼らはもはや金と力しか信じていないのです。

                     

                     

                    さて、前回のブログの最後に「このノートを作るために必要なことが一つだけあります。学校の勉強と並行しつつも、教科書の枠組みからはみ出す勇気を持つことです。その具体例を次回お目にかけましょう。」と書きました。今回はそれを受けて「思考ノート」の具体的な中身と重要な注意点を述べます。

                     

                     

                     

                    まず注意点から。自分の頭に浮かんだことや疑問点を次々に書き出していったら、時間がいくらあっても足らなくなるのではないか。それでは学校の勉強に支障が出ると心配している人もいることでしょう。心配ならそこでやめればいいのです。どこまでも書き続けるなんて、土台無理なのです。

                     

                     

                     

                    僕たちが生きる空間も時間も有限です。以前も書きましたが、僕たちの思考も有限ですし、自分をどこまでも掘り下げることは不可能なのです。暫定的な足場を作っておいて、明日はそこから再出発するしかありません。

                     

                     

                     

                    今はここまででいいと区切りをつけることの中にもその人の主体性が宿ります。そうやって、仮の足場を補強したり、ある時はそれを壊したりして、また最初からスタートするしかありません。そうこうしているうちに僕たちの人生も終わりがやってきます。実は勉強に区切りをつける術も、思考ノートから学ぶことができるのです。

                     

                     

                     

                    次に、「教科書の枠組みにこだわらない勇気を持つ」ことについて。

                     

                    これは前にも書きましたが、言葉にこだわることで、自分の適性や将来の職業が見えてくるという話です。例えば、ノートを作っている最中に、まったくの思いつきで糖尿病は英語で何と言うのだろう、と思ったとします。そこで10分という時間制限を設けて自分の知っている病気を日本語でできるだけたくさん書き出します。

                     

                     

                     

                    脳梗塞、心筋梗塞、高血糖、すい臓がん、悪性腫瘍、認知症、腎不全、ポリープ、統合失調症、多動性障害に始まり、側頭葉、三半規管、大脳、大脳皮質、海馬、胆のう、十二指腸、大腸、鼓膜、角膜、瞳孔、網膜といった身体の一部から、めまい、吐き気、手のふるえ、難聴といった症状まで。

                     

                     

                     

                    次に辞書で調べて英語を書き込んでいきます。今は電子辞書で発音も聞けます。連続5回も聞けば、音が耳になじんできます。書き込みが終わったら、少し休憩します。病名は合成語でできているケースがほとんどです。例えばコンピュータ断層撮影(CT)はcomputed tomographyと言いますが、tomoは「切る」という意味です。graphyは「記録」のことです。統合失調症はschizophreniaですが、schizoは「分離した」という意味で、phreniaは「精神」を意味します。

                     

                     

                     

                    あなたがたまたま病院の待合室にいて、お年寄りが病気の話をしていたら、「糖尿病」だとか「高血糖」「高血圧」「脳梗塞」という言葉が耳に入ってくるかもしれません。その時、いままでとは違った感覚があなたの中に生まれていることに気づくはずです。病名を英語で言えるということは、あなたの世界を拡張することにつながるからです。

                     

                     

                     

                    あるいは、身近な人が難病にかかって不幸にも亡くなったとします。あなたはその難病の名前を忘れないでしょう。その名前を聞くと、苦しんでいた両親、祖父母の表情を思い出します。その時、難しかった医学の専門用語があなたの実体験と結びつきます。

                     

                     

                     

                    それがきっかけで、医学に興味を持ち、難病の名前や症状、治療法を調べてノートに書き出します。もちろん中学や高校で習う範囲をとっくに超えています。そして気がつくと、あなたの前には医師になる道が開けています。これは奇跡でもなんでもありません。ことばは、そういう神秘的としか言いようのない力を持っているのです。

                     

                     

                     

                    子供のころ私たちは好奇心を全開にして世界に向き合っていたはずです。昆虫や植物に興味をもったり、天体に魅了されたり、小さな秘密基地を作ってそこにこもったりした経験があるはずです。つまり、昆虫学者にも植物学者にも、天文学者にも建築家にもなれた、少なくともその可能性を持っていたのです。

                     

                     

                     

                    しかし、匿名化されたシステムの象徴とも言うべき学校を通過するうちに、好奇心はしぼみ、漂白され平準化された言葉を覚えることの方が「将来の生活」にとって重要だと思い込まされます。

                     

                     

                     

                    何度も言うように、それは集団が生き延びるために必要とされた言葉です。私たちの内面世界のほとんどが、その種の言葉で満たされれば、人は生きる気力を失います。既成事実を積み上げる権力に、「しかたない」といって屈服します。

                     

                     

                     

                    そういった奴隷の<生>を送りたくないと思う若い人は、自分だけの「思考ノート」を作らねばなりません。現実の内部にもう一つの世界を持たない人間の言葉は、空虚です。私たちは言葉の持つ力をもっと信じてもよいのです。

                     

                     

                    今回も読んでいただきありがとうございました。以下は参考記事です。暇があったら読んでみて下さい。

                     

                    『学ぶことは、自分を壊すことである。』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=359

                     

                    『君の魂くらい、君自身が救え!』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=361

                     

                     

                    | 中高生の皆さんへ | 15:26 | comments(0) | - |
                    「思考ノート」の威力は実際に作ってみなければわからない。
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                      「思考ノート」の目的は既存のシステムの外に自分の時間と空間を作ることだと言いました。しかし、正確には「外に」ではなく「内部に」です。既存のシステムと敵対するのではなく、その「内部に」あなた自身の世界を作る、が正しい言い方です。マトリョーシカのように入れ子構造を作るのです。なぜそれが必要なのか。

                       

                       

                       

                       

                      3・11以降、「世間的には」申し分のない地位や職業についている人間たちの振る舞いや言説に、共通する特徴があることに私は気付きました。いくら目を凝らし、耳を澄ましても、彼らには人間としての「真っ当さ」が感じられないのです。ひとことで言えば人格が空洞化しているのです。そのことに気づいて以来、いわゆるエライさんたちが、私の目には腹話術師にしゃべらされている人形のように見えてきたのです。

                       

                       

                       

                      なぜそんなことになるのか。現実という匿名化されたシステムの中で生き延びようと思えば、だれが金と権力と人事権を握っているのか見分ける必要があるからです。そのためには嗅覚を研ぎ澄まさなければなりません。生まれながらに鋭い嗅覚を持っている「犬」のような人間が生き延びるのです。もとより、「犬」に高い倫理性を期待することなどできません。倫理性は人間と動物を区別する唯一にして最高の徳目だからです。

                       

                       

                       

                      政治家の発言や振る舞いを見ていると、ウソをでっち上げたり裏切ったりすることを何とも思わないどころか、それができることが有能さの証明だと考えているようです。日本社会は熾烈な出世競争を繰り広げる株式会社になったのです。

                       

                       

                       

                      政治の世界が株式会社と同じ原理で動くようになれば何がまずいのか。国民を飢えさせない、戦争はしない、という政治の究極の二大目標が忘れ去られます。その結果、何のために学ぶのかという根本的な問いを発する人間がいなくなります。問いを発することのできない社会はディストピアに他なりません。

                       

                       

                       

                      もうおわかりでしょう。私たちはいわゆる現実の中を生きなければなりません。それは圧倒的な力を持っています。しかし同時に、それは私たちの共同幻想や集合的な無意識が作りだしたある種の約束事にすぎません。その約束事に必要以上に縛られ、過剰適応していると、肝心な自分の<生>を見失ってしまいます。

                       

                       

                       

                      私は塾の教師をしているので、どうすれば日々の勉強を楽しく意味のあるものにできるのか、毎日を新鮮に感じ、将来を展望できるのか、と絶えず考えてきました。その一つの方法が「思考ノート」を作ることだったのです。

                       

                       

                       

                      今日初めてブログを読んだ人は、ずいぶん大げさなことを言ってるけどしょせんノートの作り方か、と思われたでしょう。しかし、私の言うノートは、テストの点数や成績を上げる即効性のあるものではありません(ここだけの話ですが、一カ月も続ければ勉強が楽しくなりますし、成績も上がることを保証します)。

                       

                       

                       

                      即効性のあるものを期待する人は、『東大合格生のノートはかならず美しい』という本でも読んで下さい。全く役に立たないことが分かると思います。知識は体系があって初めて意味を持ちます。体系の構築は、思考錯誤と関連性を絶えず意識するノートがあって初めて可能になるのです。

                       

                       

                       

                      このことはすでに書きました。よければお読みください。

                       

                      『この問題が解ければ上野丘高校に合格できます!』

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=443

                       

                       

                      私はこの記事の中で次のように書きました。

                       

                      「知識は個性や思考と連動し、さまざまな局面で独自の動きをしているのです。一度インプットされた知識は解体され再構成されて、それを使う人間と一体化します。それを知識の質といいます。 

                      野球で言えば、ピッチャーの球質が体重移動や指の長さやリリースポイントや天候やその日の体調によって左右されるのと同じなのです。一流のピッチャーはこれらすべての条件を頭に入れ、ピッチングを組み立てています。速い球を投げるだけでは、簡単に打ち崩されてしまいます。」と。

                       

                       

                      とにかく、あなたが実際に始めないことには、私が何を言っても無駄です。面倒くさいと思う人は、これまでと同じ勉強を続けて下さい。ただし、このノートを作るために必要なことが一つだけあります。学校の勉強と並行しつつも、教科書の枠組みにこだわらない勇気を持つことです。その具体例を次回お目にかけましょう。今回も貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました。

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 14:29 | comments(0) | - |
                      あなただけのノートの作り方。
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                        『世界に二つとないノートの作り方』を読んで、面白そうだ、「いっちょ、やってみるか」と思った人はいるでしょうか。一人でもいれば嬉しいですね。今の中高生は、集団の中で空気を読み、周りに合わせ(キャラをたてるのもその一つです)、ナナフシのように学校空間を生き延びているので、「世界に二つとない」とか「あなただけの」という言い方には抵抗を感じるかもしれません。 

                         

                         

                         

                        子供の頃、ナナフシを枝と間違えてつかんだ時のショックは忘れることができません。枝だと思っていたのが動いたのですから。それで私はナナフシのような生き方ができなくなったのかもしれません。いや、きっとそうです。

                         

                         

                         

                         

                        日本文化は多民族国家のアメリカと違って、自己をアピールしなくとも生きていける社会を作りました。それは私たちの作法として、身のこなしだけではなく、ものの考え方にも影響を与えています。私はそれを素晴らしいと思います。

                         

                         

                        しかし、擬態によって自分の存在を隠していると、いつのまにか自分を見失ってしまうのも人間です。日本には「和して同ぜず」という言葉があります。周囲と協調することを重んじながらも、自分の思想・信条まで売り渡すことはしない、という意味です。

                         

                         

                        今回はそういった生き方をしたいと思っている人に、前回言い忘れたことを補足します。知識や情報だけでなく、感性を駆使して時間と空間を作り上げるためのノートは、いわば、「母港」としてのノートです。このノートを起点として、様々な知識を採集したり、捕獲したりします。そして獲物を抱えて、このノートに帰ってきます。

                         

                         

                         

                        例えば次のような情景をイメージして下さい。朝まだ明けきらぬころから、漁船は、漁場を目指して港を出ていきます。そして漁を終えて夕方港に戻ってきます。もし帰るべき港がなければ、漁船は永遠に大海をさまよわなければなりません。その寄る辺なさを想像してみて下さい。つまり、帰ることができる母港があるからこそ、安心して漁に出ることができるのです。

                         

                         

                         

                        私の言う「思考ノート」は、この「母港」のことです。そこに何を書くかは説明しました。詳しくはブログをお読みください。重要なことは、時系列で書くことでした。今回の補足は、中心となるノートを時系列で書く以上、配布されるプリントや、返却されたテスト用紙、文化祭のパンフレット、コンサートのチケットなどもすべて時系列で整理しなければならないということです。もちろん一つのファイルに一日分を保存します。教科別で整理されたものは役に立ちません。

                         

                         

                         

                         

                        百均に行くとA4のクリアファイルが売られています。高校生なら1か月で30枚必要です。その中に今述べたプリントの類を時系列で挟んでいきます。もちろん表を見ただけで、それが何月何日のファイルかすぐに分かるように日付を書きます。それと「思考ノート」の日付を同期させるのです。ノートにコンサートのことが書かれていれば、同じ日付のファイルにコンサートのチケットが入っていることになります。

                         

                         

                         

                        「思考ノート」の日付は、クリアファイルの日付と一致しているのです。これでクロスレファレンス(参照箇所)が楽に探せます。探しながら、このページに書かれてあることは3日前に書いたことと関連があるのでは?と気づきます。こうなればしめたものです。赤の矢印でつなぎましょう。

                         

                         

                         

                        クロスレファレンスが多ければ多いほど、点が線になり、線が面になり、やがては空間になっていきます。あなたの思考によって生み出された空間はあなたのもう一つの現実になります。どんなに辛いことがあっても、そこへ帰ってくれば癒されます。そういう世界を持っていればこそ、匿名の現実に立ち向かう勇気も出てきます。

                         

                         

                        どうです、「いっちょ、やってみるか」という気になったでしょうか。だまされたと思ってやってみて下さい。長くなるので今日はここまでにしておきます。それではまたお会いしましょう。

                         

                        | 中高生の皆さんへ | 22:49 | comments(0) | - |
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