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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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今日は簡単に済ませます。
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    安倍政権のやることはおよそ政治の体をなしていません。メルトダウンどころか完全にメルトスルーしています。政治の中心がこれほど腐敗し、機能不全に陥り、道徳的に退廃したことはかつてありませんでした。経済政策も、外交政策も、社会保障も、教育もすべて破綻しています。

     

    それを指摘する声が自民党の中から出てこないということが、この政党が終わっている何よりの証拠です。もちろん安倍政権にヒルのように吸いついている公明党もヤクザ集団の日本維新の会も同じです。

     

    安倍首相は、自分がリーダーシップをとって圧力をかけ続けたから、北朝鮮は対話に動き出したのだと国会で述べました。ここまで自己中心的な解釈を臆面もなく披露できる政治家を見たことがありません。

     

     

    私は数年前から彼のことをサイコパス総理と呼んできましたが、それが見事に立証されたのです。ちなみに、サイコパスとは「主張や態度をコロコロ変え、自己中心的で支配欲が強く、おのれの過失の責任は100%他人にあるような物言いをし、誇大妄想に取り憑かれているように見える」人間のことを指します。

     

    安倍首相は、Jアラートを鳴らしまくり、国民にしゃがんで頭を隠す訓練をさせ、東アジアの危機を煽ることで、自身の権力を強化し続けてきました。北朝鮮にしてみれば、安倍政権は米軍という虎の威を借りるキツネに過ぎないのですから、まともに相手をするには及ばないと判断していたのです。

     

    半年以上前に書いた記事です。よろしければお読みください。

    『北朝鮮の問題で安倍首相が主体的に決断できる可能性は1%もない。』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=406

     

    ダイナミックに動き出した国際情勢に、もはや、彼の能力では対応できないことを私たちは知るべきです。

     

    安倍首相だけではありません。「自民党麻生派顧問の甘利明元経済再生担当相は29日、派閥会合で『今の外交課題に対応できるのは安倍晋三首相しかいない。麻生太郎副総理兼財務相には、義経を支える弁慶として力の限りを尽くし、支えてもらいたい』と強調した 。」(共同通信)とのことです。

     

     

     

    大臣室で50万円を受け取り、あっせん利得罪のど真ん中だと批判され、睡眠障害を理由に雲隠れした甘利氏は、いったい何を見ているのでしょうか。安倍首相が義経?このたわけ者!睡眠障害だけでなく脳障害も併発しているようです。

     

     

    さて弁慶こと麻生太郎財務相の番です。彼は29日の参院財政金融委員会で、連日報道されている森友学園を巡る決裁文書改ざん問題に関連し「森友の方が環太平洋連携協定(TPP)より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」と発言しました。ネトウヨの発言そのものですね。

     

    さらに最近の新聞報道で森友問題に比べTPPに関する記事が少ないことに言及し「日本の新聞のレベルはこんなもんだと思って経済部のやつにぼろかす言った覚えがある」と話したそうです。やれやれ、弁慶は弁慶でもサイコパス弁慶の登場とは。こんなことは未曾有(みぞうゆう)の状況です。

     

    眠いのでもうやめます。おやすみなさい。

     

    | 政治 | 00:49 | comments(0) | - |
    山本太郎議員の怒りは、私たちの怒りである。
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      3月28日午前11時10分、塾の準備をしながら、参議院予算委員会の国会中継を見ました。もちろん質問者は山本太郎議員です。私が国会議員の質問をライブで見るのは山本太郎議員だけです。最近は彼のオフィシャルサイトで質問時間を確かめ、その瞬間を心待ちにするようになりました。

       

       

       

      彼のことをブログで取り上げたのは、今回で36回目になります。それほど山本議員の質問は素晴らしい。私が訊きたいことを訊き、言いたいことを代弁してくれるのは彼だけです。

       

       

       

      初めて彼の国会中継をブログにアップしたのは今から3年前。以下がその時の記事です。彼の動画はアップするたびに削除されました。そこで再びアップするというイタチごっこを繰り返しています。そして時々、私は山本議員に励ましのメールを送ります。このブログをご覧の皆さんも、ぜひ彼のオフィシャルサイトから応援のメールを送りましょう。

       

       

      『国は誰のために存在するのか−山本太郎議員を応援する。』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=26

       

      そして今回の質問。わずか10分の質問時間の中で、ここまで要点を絞り込んで鋭く質問できる議員は、今や彼を措いていません。今夜のNHKニュースでは放送されないと思いますので、以下に動画をアップしておきます。

       

       

       

       

      以下の動画は山本議員が、3月5日にした質問です。そこでなんと言っていたか。

       

       

       

      「情報隠しで自分の命まで奪われかねない状況になったら勿体なさ過ぎる。この国に生きている官僚の皆さんは、この国をもう一度建て直す為に必要な人材。決して自分の命を無駄にする様な事はしないで頂きたい」

       

      近畿財務局の男性職員が自殺したのはその2日後でした。11分30秒あたりから2〜3分だけでも見て下さい。

       

       

       

      ちなみに山本議員のことを「裸踊りするしか能のないタレントくずれのバカが」と言っていたのは、例の大分市中春日町のY田ゼミ塾長氏です。最近でもツイッタ―で叫んでいます。

       

       

       

      ・森友、森友ってバカの一つ覚えみたいなことばかりやってもしょうがないだろ!佐川さんが、官邸の関与はない、と言ってるんだからあとは司法に任せろよ。

       

      ・野党には政策立案能力はないのか政治をヤレ!

       

      ・佐川さんが官邸の関与無し、と言い野党を黙らせた。笑った、笑った(^^)共産党より佐川さんのほうが頭がいい。

       

      ・世界は動いているなあ。でもわが日本は朝から晩まで森友、森友。日本は平和だ。自民党がしっかりしてくれてるからだが。

       

      ・森友とかどうでもいいことを朝日新聞は騒ぎたてる。

       

      ・坂上忍って、韓国人だったのか。知らなかった。

       

       

       

      やれやれ、最後の坂上忍氏の件は、あの麻生財務大臣からも「レベルが低すぎる」と注意された元NHKの和田政宗議員の発言をめぐってのものです。坂上忍氏は庶民感覚のごくまっとうな反応をしたに過ぎません。ところがネトウヨが激昂し、坂上忍氏を在日3世などとするウソの情報を流し、ウィキペディアまで「書き換え」ていたのです。詳しくは以下のサイトへ。

       

      http://lite-ra.com/2018/03/post-3902.html

       

       

       

      ネトウヨが「書き換えた」フェイクをそのまま信じたネトウヨ塾長が、「坂上忍って、韓国人だったのか。知らなかった。」などとツイートしたのです。この塾長のレイシストぶりは相変わらずです。

       

       

       

      それにしても、塾業界では、レイシスト(民族差別主義者)で事実とフェイク(妄想)の区別すらつかない人間でも、あるいは、他人になりすまして平気な人間でも経営者らしきものになれるのです。

       

       

       

      最後にY田ゼミ塾長氏へ一言。

       

       

      いくら政権が強く、それを支持しているからと言って、あなた自身が強いわけではない。自民党ネットサポーターズクラブなんて、そのうち洟もひっかけられなくなります。簡単に見捨てられます。安倍政権を見ていてそれが分かりませんか。

       

       

       

      安倍首相が非難されたら自分が非難されたように感じ、安倍首相が否定されたら、自分が否定されたように感じるなんて、あなたはなんという小心者でしょうか。自分に自信を持てない人間が権力や成功者に自己投影するという心理は潜在的に誰にでもあります。しかし度を超すとパラノイアです。

       

       

       

      日本という抽象的存在に同化し、安倍政権に同化する。そのことによって空洞化した生を埋めるために、中国や韓国という抽象的な存在を差別し見下す。そんな陰惨な生を生きるなんて悲しすぎます。真実に生きるほうが人生はずっと豊かだと思いませんか。

       

       

       

      ※パラノイア:

      妄想性パーソナリティ障害の一種。 自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。

      | 政治 | 21:58 | comments(0) | - |
      幸せな一日でした。
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        午前9時40分頃、塾の生徒Y君のお母さんからうれしいプレゼントを戴きました。臼杵の『さかいや』さんの桜餅です。そろそろ買いに行こうかと考えていた矢先だったので、なんとタイミングがいいのだろうと、感激しました。

         

         

         

        午前9時40分頃と細かい時間を書いたのは、開店時間が午前9時だからです。『さかいや』さんは、その日の商品が売り切れればそこで営業は終わりです。予約せずに行くと買えないこともあります。私の住んでいる坂ノ市から車で往復すれば40分くらいはかかります。

         

         

         

        Y君のお母さんはきっと開店時間に合わせて行かれたのだと思います。そして帰りにわざわざ私の家に寄ってくれたのです。本当にありがたいことです。戴いた桜餅は出来たてで、まだ温かく、桜餅独特の春の香りがしていました。

         

        Y君のお母さんに戴いた桜餅。

         

         

         

         

        でも、私が『さかいや』さんの桜餅が好きだとどうして分かったのでしょう。そう言えば今から2年前、一度ブログで紹介したことがあります。それを覚えて下さっていたとしたら、こんなうれしいことはありません。

         

         

        絶品の桜餅』

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=140

         

         

         

        私のブログは記事が長く、小難しいことも書いているのであまり人気がありません。もちろん塾の営業にとってプラスにはなりません。それでも、一日に700を越えるアクセスがあります。

         

         

         

        私は不特定多数の人に向けて文章を書くのが苦手です。それでもブログを書こうとすれば、理想的な読者をどこかに想定して、その人に向けて書くよりほかありません。期待し、励まし、ほめる文章を書きたいからです。相手の矛盾を突き、論理的に批判し、追い詰める文章を書いても(それも結構好きなのですが)楽しくありません。

         

         

         

        塾の教師をしているせいか、私にとっての理想的な読者は、高校生から大学生くらいの精神の可塑性に富んでいる聡明な若者ということになります。一対一で向き合って、何時間でも話すことのできる若者なら理想的ですね。

         

         

         

        そういうわけで、私は正直に自分の思ったことを書いているつもりです。いきおい、若かったころの至らなさを棚に上げておくわけにもいきません。見栄や打算に衝き動かされていたころのことも書かなければなりません。

         

         

         

        しかし、今時、他人の告白的青春記を読みたいなどと思う人はいないでしょう。人間そのものに対する関心がなくなったからです。私にできることは、挫折や失敗や逡巡の経験を語ることよりも、両親や多くの人の経済的・精神的な犠牲の上に私の人生が形作られていることを、さまざまなジャンルの語り手たちの助けを借りて、間接的に、小声で語ることくらいです。

         

         

         

        ところで今日はもう一ついいことがありました。ブログでも書きましたが、大分大学の医学部に合格したSさんとお兄さんのK君、熊大に合格したMさんと私の4人で合格祝いとお別れを兼ねて、ランチ会をしました。

         

        手前右がSさん、左がMさん、後ろ右がK君。左はカフェフランセユキのオーナー幸さん。楽しいひと時をありがとう。

         

         

         

        トキハ会館の1階で待ち合わせをしていたのですが、デートの待ち合わせ場所に行くようで、私はドキドキしました。全員6〜7年間、塾に通って来てくれた生徒さんたちでした。大学を卒業すれば、すぐ社会人です。その時の社会が今よりは少しでもましになっていることを願いながら別れました。ああ、この若者たちに幸あらんことを!

         

        | 人生 | 23:25 | comments(0) | - |
        明日の若者よ、立ち上がれ!そして街に出よう!
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          3・25新宿大街宣に集まった人々。日本も捨てたものではありません。このまま安倍政権が続けば、私たちは確実に殺されます。安倍から日本を取り戻し、刑務所にぶち込め!なんちゃって。

           

           

           

           

           

           

          前回のブログで池田佳隆衆院議員(元日本青年会議所会頭)と赤池誠章参院議員を取り上げました。そこでネトウヨ政治家が誕生する経緯について説明しました。

           

           

          その赤池氏、昨年は、映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』のポスターに掲載されたキャッチコピー「友達に国境はな〜い!」に噛み付いていたそうです。どこまで暇なんでしょう。さすがに安倍チルドレンだけのことはあります。こんな人間を税金で養っていることを国民はもっと知るべきです。

           

           

           

          赤池氏は12月3日の自身のブログで、このポスターを見た瞬間に「思わず仰け反りそうになりました」と書いています。仰け反りそうになった赤池氏に、私は仰け反りそうになりました。ネトウヨ安倍チルドレンの言動にしょっちゅう仰け反っているためか、最近は首と背骨が痛くなりました。後ろに倒れて後頭部を強打しそうなので、彼らの発言を聞く時には、ヘルメットを着用することにしています。

           

           

           

          赤池氏いわく「国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しない」とのことです。ごもっともです。一理ありますね。内心で何を考えようが自由です。他人がとやかく言うことはできません。それがどんなに反動的で、リアリストの仮面を被った「愛国主義者」のものであったとしても。

           

           

          ただ、オレたちは国家を背負っているのだと、お仲間同士で怪気炎を上げているうちは結構ですが、立派な国会議員の先生が『ちびまる子ちゃん』のキャッチコピーに抗議したとなると、そのあまりの幼児性というか精神的な落差に唖然とするしかありません。こんな議員だらけになったら、いったい日本はどういう国になるでしょうか。そんな国に誰が住みたいと思うでしょうか・・・。オレが住みたい!(by ネトウヨ)

           

           

          いったい赤池氏は大人なのか子供なのか。もちろん子供に決まっています。だって、『ちびまる子ちゃん』のポスター相手にケンカを売ってるのですから。子供でなかったら、単なるアホとしか言いようがありません。

           

           

          クレームをつけた理由について「教育行政を司る文部科学省として、子供向けとはいえ、『国境はない』という嘘を教え、誤認をさせてはいけない」「国境は歴然としてあります」と主張したのです。そのうえで、「私なら(キャッチコピーは)『国境があっても、友達でいよう』と名付けた」と説明したそうです。

           

           

           

          ここで私は素早くヘルメットを被り、仰け反りました。後頭部を強打しましたが、ヘルメットのおかげで、軽い脳しんとうですみました。

           

           

          さて、よい子の皆さん!皆さんが大きくなって立派なミュージシャンや、映画監督、スポーツ選手として活躍し、世界中に友達ができたら言いましょう。『国境があっても、友達でいよう』と。

           

           

          このように、戦前の亡霊をよみがえらせようと画策している人間たちは、今やいたるところにいます。しかし、彼らの精神は脆弱で、その本質は虎の威を借るキツネに過ぎません。やがては歴史の進歩によって淘汰される運命なのです。以下の画像をご覧ください。

           

           

          日米同時多発デモ。『米首都、高校生の呼び掛けで数十万人が銃規制要求デモ 過去数十年で最大』

           

           

           

          米首都ワシントンで24日、過去数十年で最大規模とみられる銃規制要求デモが始まった(AFP)「デモは『私たちの命のための行進』と銘打ち、数十万人が集結して行われている」「主催者は、全米および各国で、「NeverAgain(二度と起こすな)」というスローガンの下、800以上の銃規制要求デモが開催されていると説明」「ワシントンでは参加者が続々と地下鉄の出口から現れ、ホワイトハウスと連邦議会議事堂を結ぶコンスティテューション通りとペンシルベニア通りを埋め尽くしており」「付近のエリアは参加者約50万人を収容するため通行止めとな」っています。

           

           

           

          画像を見ると、緊急用の通路だけ確保して、あとは道路と広場をデモ参加者に開放しています。首都ワシントンDCの連邦議会議事堂前、日本で言えば国会議事堂前です。 警察(行政府)が過剰に権限を行使しない、民主主義が最低限の健全さで機能する国のふつうの光景です。

           

           

          日本も負けていません。高校生も頑張っています。

          3・25緊急新宿大街宣の様子です。

           

           

           

           

          | 政治 | 21:59 | comments(0) | - |
          日本青年会議所(JC)って、どんなところ?
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            前川氏の授業について文科省に何度も「照会」し、圧力を加えたのは赤池誠章参院議員と池田佳隆衆院議員の2人だと判明しました。赤池氏は自民党の文部科学部会長、池田氏は同代理という関係です。ポスト欲しさに安倍首相に媚びを売るつもりだったのでしょうね。

             

             

            左が池田佳隆氏、右が赤池誠章氏。

             

             

             

             

            いうまでもなく、中央省庁にとって、予算や政策の決定に関わる自民党の部会の存在は極めて大きい。その二人が文科省に対して、恫喝まがいの問い合わせをすれば、官僚は「圧力」と受け止めます。その習性を知っていればこそ、この二人は文科省に経緯を何度も照会し、官僚が自らするはずのないことをあえてやるように仕向けたのです。


             

            ところが、安倍政権が財務省に公文書の改竄を指示したことが問題になっている時に、この二人は全く同じことを文科省にして、森友事件の本質を可視化して見せたのです。さすがに頭の弱いネトウヨ議員だけのことはあります。忖度が裏目に出ることなど考えもしなかったのでしょうね。今回のブログは、どうすればこのような妄想に近い「万能感」を持てるのかという問いをめぐって書きます。
             

             

             

             

            二人とも安倍首相が積極的に閣僚として起用してきた「日本会議国会議員懇談会」の一員です。しかも、池田佳隆衆院議員は元日本青年会議所(JC)の会頭をしていたそうです。日本青年会議所(JC)と言えば、あのネトウヨを大量生産している組織ですが、私には忘れられない思い出があります。

             

             

             

            あれは確か2012年のことでした。公式サイトで日本国憲法JC草案を読んだ時のことです。読みながら、一体誰がこんな草案を書いたのだろうかと唖然とし、自分でも顔が赤くなっているのが分かりました。憲法の何たるかを全く理解していないことがわかる代物だったのです。

             

             

             

            ただ分かったことがあります。以前も書きましたが、公明党であれ、自衛隊であれ、電通のような一流のブラック企業であれ、その屋台骨を支えているのは、政治に対して深く思いを致したことのない、人の良い、しかも地域や家族を思いやる優しさを持っている末端の若者だということです。

             

             

             

            こういった組織で働く若者は、一生懸命に仕事を覚え、上司にほめられることを生きがいにするようになります。しかし、上へ行けばいくほど、組織を束ねるのに必要とされる「イデオロギー」を学ばされ、家族や友人のためではなく組織のために働くようになります。そんな日々に疑問を感じても、それにフタをするために考えることを止め、組織に対して批判的になったことを恥じるのです。こうなればもはや宗教です。その結果、日々の生活や家族よりも組織の発展を優先するようになるのです。

             

                 

             

             

            より上位の、力を持つ大きなものに対して忠誠を誓わされ、やがて政権与党である自民党や公明党の集票マシーンとして動き始めます。そのあまりの理不尽さ、露骨さに嫌気が差した人間が脱退・退会しようとすると、引き留めるために「国家に対する忠誠」を持ち出し、恫喝します。

             

             

             

            かくして、人格が空洞化した、主に20代から30代の若者が誕生します。彼らはもともと人情家ですから、グループ内部では思いやりにあふれた行動をとります。そして先輩を尊敬しています。「空気読め!」と言われれば、相手の意図を忖度して行動します。つまり、上層部の意図をすばやく察知できる人間が出世する構造になっているのです。

             

             

             

            以下は、その日本青年会議所(JC)を退会した人の投稿です。今年の3月6日に投稿され、もと記事は削除されているそうです。

             

             

            『日本青年会議所を退会した』

             

             

            9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。

             

             

            そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。

             

             

            1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。

             

             

            2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、ブロック (都道府県レベルの組織) 内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。

             

             

            3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。

             

             

            5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。

             

             

            6年目。ブロックの役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。

             

             

            7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。

             

             

            8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。

             

             

            こいつは何を言ってるんだ。

            バカなのか?

            おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。

            少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?

            そしてすうっと冷静になり目が覚めた。

             

             

            おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。

             

             

            それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。

             

             

            青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。

             

             

            「それよりあのイチゴおいしそう。食べたいから買ってきて」

             買えたのは韓国産でなく国内産のイチゴだったが、母はもりもり食べて元気になり、きのう退院した。

             

            http://archive.is/PH1fb#selection-291.1-1299.3

             

            | 文学・哲学・思想 | 13:48 | comments(0) | - |
            歌を忘れたカナリアたちよ!
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              前回のブログの最後で私は次のように書きました。「(安倍政権の本質は)宗教団体のドグマとヤクザ組織の暴力を胚胎した「血の友情」だったのです。近代民主主義国家の中枢に、戦前の日本を復権させようとするアナクロイズムが巣食っているのです。」と。

               

               

               

              戦後、日本は曲がりなりにも民主主義国家の建設を目指してきました。しかしその内実はどうでしょう。結論から言えば、民主主義国家への道のりは遠いというしかありません。時間が許せば以下の記事をお読みください。

               

               

               

              『日本が民主主義国家ですって!?ご冗談でしょう!』

              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=363

               

               

               

              もちろん、ナチスを生みだしたのも民主主義だったことを考えれば、警戒を怠るわけにはいきません。しかし、自分の人生は自分で決めたいという思いを蹂躙しない政治システムは、今のところ、民主主義しかありません。世の中に絶対的な真実がない以上、私たちは仮の足場を作り、そこを起点にして次の足場を目指すしかないのです。

               

               

               

              今や、ウィルスが健康な細胞を次々に侵していくように、感情の劣化が思考や議論の前提となる論理性あるいは事実や知識を共有しようとするこころみを葬り去ろうとしています。感情の劣化が急速に進むのは、1980年代に入ってからですが、総仕上げの役を担っているのが第二次安倍政権です。

               

               

               

              今から6年前に書いた以下の記事は、中学生のころから「見たいものしか見ない」人間が大量に出てきていることを指摘したものでした。

               

               

              『大分合同新聞のコラム「東西南北」について』

              http://www.segmirai.jp/essay_library/essay038.html

               

               

               

              以来、私のブログの記事は、感情の劣化をいかに食い止めるか、という点をめぐって展開しています。なぜなら、一見価値中立的に見える分野、科学であれ、土木工学であれ、数学、統計学、確率論、建築でさえ、濃淡の差はあれ「価値判断」を含んでいると気づいたからです。そして、今さら言うまでもなく、「価値判断」を駆動させ、方向づけているものこそが感情なのです。

               

               

               

              私がたどりついた、感情の劣化を食い止める具体的な方法は4つあります。

               

               

              1:時間的にも空間的にも広い世界を見た後で、なるべく小さな世界で生きること。それを可能にするためにこそ、教育があるのです。

               

               

              2:自分の実感のこもったことばを手放さないこと。

               

               

              3:好きなことがひとつあり、その好きなことをずっと好きであり続けること。

              http://www.segmirai.jp/essay_library/essay035.html

               

               

              4:怒りを表明すること。忘れないこと。なぜなら、民衆の怒りこそが歴史を前に進めるからです。

               

               

               

              最後に、日本が民主主義国家だと信じている人に見てもらいたい画像があります。かの橋下徹やホリエモンをはじめとして、有象無象の経済評論家たちがバカにしていたデモをする人々とそれを規制・抑圧する側です。「政治的な意見表明をしたかったら、政治家になれ」との言説がいかにバカげたものかが分かります。民主主義社会では、投票行動とデモは、車の両輪です。

               

               

               

              普通のサラリーマンも、スーパーで働くオバちゃんも、学校の教師も、バスや電車の運転手も、医師も、弁護士も、テレビタレントも、ミュージシャンも、牧師も、非正規の労働者も、引きこもりの青年も、女手一つで子どもを育てているシングルマザーも声を上げる権利があります。職業や境遇を問いません。怒りを表明する権利があります。それを保障するのが民主主義国家のはずです。

               

               

               

              歌を忘れたカナリアはカナリアではありません。山に棄てられるか、小薮に埋められるか、柳のムチでぶたれるしかないのです。怒りを忘れた民衆は奴隷として生かされ、収奪され、殺されるだけです。「籠池夫妻を釈放しろ!」「自殺した人間の死を無駄にするな!」「安倍晋三を刑務所にぶちこめ!」と叫びましょう。これは人間としてあたりまえの叫びです!さあ、声を上げましょう!

               

               

               

              銃規制の強化を訴えるアメリカの高校生。周りに警察官はいません。デモは民主主義国家では、当然の権利だと認められているからです。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              地下鉄官邸前駅で、安倍政権に抗議するデモに向かう一般の人たちを規制し、押し戻そうとする警察官たち。

              さすが、民主主義国だけのことはあります。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              | 政治 | 13:09 | comments(0) | - |
              何が近畿財務局の職員を自殺に追い込んだのか。
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                友情とは、本来、人と人がともに生きることを喜ぶ感情のはずです。社会的な上下関係があったとしても、友情はその本質において、その上下関係を超えるものです。

                 

                 

                 

                ところが、ヤクザの友情は、そのために死ぬ理由になり、人を殺すための大義として機能します。それは、自分たちの信じる「友情」の外にある人間を殺すための情緒的、理論的な基盤になります。さらには、すすんで命を投げ出す動機にもなります。

                 



                なぜこんなことを言うかというと、今の安倍政権を取り巻く人間たちの言葉使いや表情を見ていると、ヤクザの友情で結びついているとしか思えないからです。特に麻生財務大臣の言葉使いと風貌はまさにヤクザそのものです。

                 

                 

                 

                彼らを取り巻く下っ端のチンピラは、 自分のことをひとかどの政治家だと思っているようですが、それは勘違いというものです。彼らは権力の指揮命令系統の中間に位置して、親分の言うことをもっともらしい屁理屈で正当化する壊れた拡声器に過ぎません。

                 

                 

                 

                彼らは正論を吐いているつもりでしょうが、実は言葉を全く信じていません。言葉よりも金と権力を信じる人間は、チンピラ政治家の吐く「正論」が自己保身のための詭弁だと気づいているのですが、自分も同じ穴のむじなだと分かっているので批判できません。批判でもしようものなら、「お前は現実を何も知らない。理想を語っているだけだ。少しは勉強したらどうだ!」と恫喝され、おとなしく引き下がるしかないのです。

                 

                 

                 

                日本維新の会の足立康史というヤクザ政治家は、常に大声で差別発言、問題発言をして物議をかもし、わざと自分の地位を危機にさらします。そうすることで、ヤクザの親分から目をつけられたいと思っているのです。「こいつは使える」と。きっと小心者なのでしょう。もちろん国民のことなど眼中にありません。

                 

                 

                 

                そう言えば、このヤクザ政治家の親分は、かの橋下徹でしたね。私はブログで一貫して彼を批判してきました。彼ほど言葉から意味を奪い、言葉に対する信頼を傷つけた政治家はいません。詭弁、すり替え、捏造、強迫、あげ足とりを駆使し、いったん認めたことも反故にし、徹底して責任転嫁する姿勢を「最強の交渉術」などと称して自画自賛する人間です。

                 

                 

                 

                テレビを中心とするマスメディアは、彼の多弁と詭弁の前になすすべを知りませんでした。なぜなら、言葉の意味をあらかじめ無効化し、決められた時間枠を消費し、大衆の劣情に媚びることで利益を上げてきたのですから。言葉から意味を奪い、感情を劣化させ、あげくの果てに居直る、今の安倍政権のひな型はすでにこのチンピラ政治家が実践していたのです。

                 

                 

                 

                今回の財務省による公文書改竄に巻き込まれて、近畿財務局の職員が自殺しました。ノンキャリアの彼は、職務に忠実で正直な人だったそうです。財務省の上下関係、指揮命令系統の中で、普段なら実直に仕事をこなしていたことでしょう。私は彼の死を無駄にしてほしくないと強く思います。

                 

                 

                 

                彼を自殺に追い込んだものは何か。それは、安倍政権になってから、指揮命令系統に加わったあるゆがんだ性質というか、えも言われぬ情念が持つ力が原因です。ある集団に属し、そこから抜け出そうと思っても抜け出せない、抜け出すためには死ぬしかない、そう思わせる力です。分かりやすく言えば、国のために命を差し出せと言われれば、そうすることが名誉であるかのような錯乱した状態に追い込む力です。

                 

                 

                 

                それこそが、宗教団体のドグマとヤクザ組織の暴力を胚胎した「血の友情」だったのです。近代民主主義国家の中枢に、戦前の日本を復権させようとするアナクロイズムが巣食っているのです。

                 

                 

                 

                今回は3年前に書いたことのダイジェスト版です。詳しくは以下の記事をお読みください。

                 

                 

                ヤクザの友情−安倍政権の本質

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=30

                 

                 

                ※ちなみに、財務省が公表した決裁文書に、谷査恵子氏(経産省出向・昭恵氏付職員)による財務省への働きかけが一切登場しないのは余りに不自然です。なぜなら「神風」を吹かせた最も重要な文書なのですから。財務省はまだ隠しています。森友問題の核心はこの「谷ルート」にあることを忘れてはなりません。

                 

                 

                | 政治 | 00:00 | comments(0) | - |
                こんな男に憲法を「書き換え」させてはならない。
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                  時事通信によると「14日午前の参院予算委員会で、安倍首相は国有地売却に関する財務省決裁文書の改ざんについて、「私から文書の書き換えを指示したことは全くない」と全面的に否定した。麻生太郎副総理兼財務相も「指示したことはない」と改めて強調した。」とのことです。

                   

                   

                   

                  私は今から3年ほど前のブログ『全体主義国家の言語システム』の中で次のように書きました。

                   

                   

                   

                  「これからは、「日本会議」の面々による、法解釈の独走、恣意化が始まるでしょう。安倍首相の言葉は美辞麗句で満ちています。権力の最上層の言葉はいつでも抽象的で美しい。しかし、これが下層へと降りて行き、個別的・具体的な現実の事態に近くなればなるほど、非常識で狂信的な解釈をする人間が出てくるものです。忠誠ぶりを見せたいのか、茶坊主なのか、大勢に従順なら安全だと考えているのか、自覚なき奴隷なのか・・・。

                   

                   

                  日本でも戦時中、隣組の班長、町内会長などが上層部の意を勝手に解釈して威張り散らし、戦争に協力しない人間を弾圧するという歴史があったのです。(『暗黒日記』岩波文庫)

                   

                   

                  ヒトラーの『わが闘争』には、強制収容所におけるユダヤ人の虐殺の指令は書かれていません。書かれているユダヤ人論を解釈して、あの現実になったのです。これこそが全体主義国家における言語システムなのです。民主主義国家とは、この解釈のルールを国民に知らせ、解釈の自由を国民に与えている国家のことです」と。

                   

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=20

                   

                   

                   

                  それにしても、戦後73年経って、私たちはついにこのレベルの指導者を戴くようになったのだという事実を突きつけられると、生きていく気力が萎えそうです。政治の屋台骨が折れ、底が抜けたのですから。

                   

                   

                   

                  そんな中、テレビで安倍首相の三選が危うくなるかもしれないなどと、いい大人が真顔でしゃべっているのを見ると、バカにつける薬はないものだとあらためて思い知らされます。国家の崩壊を前にして、まだ自分の立場を気にしているのです。

                   

                   

                   

                  コメンテーターであれ学者であれ、テレビに出演依頼があるということは、表向きは批判的なポーズをとっていても、本質的には政権に迎合し忖度する人間だ、つまり安全パイだと評価されていることを意味します。それを屈辱だと感じない人間が、間抜けなコメントを出し、出演料をもらって満足するのです。

                   

                   

                   

                  政治的大衆のレベルを決定しているのは、今やテレビなのです。彼らは商品についてであれ、情報についてであれ日々の生活の中で自分なりに正しい判断をしていると思っています。しかし、結局はマインドコントロールされていることを、直感的および論理的に説明することもできません。

                   

                   

                   

                  したがって、公文書が改竄されたり、削除されることが何を意味するのか、それがどういう結果をもたらすのか、その深刻さが分かっていません。なぜ刑法で処罰の対象になっているかも説明できないのです。成人式の着物に払っていたお金が戻って来ないと激怒しても、安倍政権に対しては、早く謝罪すればいいのに、といった程度の認識しかないのです。

                   

                   

                   

                  そんな中、昨夜の報道ステーションでの小沢一郎氏の発言は、唯一まともなものでした。いわく「(森友文書改竄について)最高権力の所から指示が直接的であれ間接的であれ出ていなければ財務省の役人がいくら落ちぶれたとはいえこんな馬鹿げたことはしませんよ。そんなこと常識だよ。当たり前のことだよ。役人がこんなことできる度胸のあるのいないよ」と。

                   

                   

                   

                  それにしても、決裁文書が大幅に改竄されたり、都合の悪い箇所が削除されたりする国で、原発の安全性データを信用しろと言われても、信用できるわけがありません。原発の危険なデータもすべて改竄されているはずです。

                   

                   

                   

                  さらに、福島の人たちの健康被害についてのデータも隠蔽されています。100年単位のデータを残さなければ放射能の影響は解明されないのです。原発から出る使用済み核燃料の行き場所も未定。歴史ですら平気で改竄し捏造する政権下での原発再稼働は余りにも危険過ぎます。

                   

                   

                   

                  安倍晋三氏には正常な判断力がないのです。再稼働どころではありません。近代民主主義国家で公文書が信用できなくなれば、政治のみならず、私たちの日々の生活が危険にさらされるのです。安全だとされていた食べ物が、実はとんでもなく放射能に汚染されていたということも、大いにありうることです。

                   

                   

                   

                  新燃岳の噴火が次なる大地震を告げているとき、安倍政権が続けば、私たちの命は風前のともしびです。公文書の改竄がもたらす影響の重大性すら分かっていないおバカ総理が、大地震や原発事故などの非常時に危機管理ができるわけがありません。

                   

                   

                   

                  そう言えば「北朝鮮へ先制攻撃もありではないか!トランプさん、早く北朝鮮を壊滅させて下さい!」と威勢のいいことを言っていた大分市のY田ゼミ塾長氏のような人は、有事となったとき、こんな政権の下で生き延びられるとでも思っているのでしょうか。

                   

                   

                   

                  安倍晋三氏は自分の身に危険が迫ったら、まず間違いなく、国民を見捨てて自分だけ安全な場所に逃げるでしょう。そして危機が去ったあと「二度とこのような惨禍を繰り返さないようにするのが私の責任だ」と言うに決まっているのです。こんな男に憲法を「書き換え」させてはなりません。

                   

                  | 政治 | 14:16 | comments(0) | - |
                  教育にまつわるここだけの話。
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                    もうなんと言えばいいのか、この国の教育、とくに英語教育のバカバカしさには言葉もありません。国や文部科学省の言い分を聞いてみましょう。

                     

                     

                    文部科学省官僚S氏。

                     

                    「自分たちはグローバル社会のなかで手をこまねいているわけではありませんよ、一応小学校の段階から英語を正規の教科にしましたし、4技能を身につけさせるために大学入試も模様替えする予定です。

                     

                     

                    失敗に終わるだろうという声もありますが、まあ国がスローガンを打ち出すだけで、学校ではもちろんできませんが、何しろ人材も予算も時間もないわけですから、でも、そこはほら、民間企業(塾業界)がわれ先に英語熱を煽って生徒を確保しようと懸命になってくれますし、子どもが落ちこぼれたら大変ということで親は自腹を切って塾に通わせようとします。

                     

                     

                    いやあ、本音を言えば、今時学校だけで教育ができるなんて考えている人はいませんよ。社会保障でも自己責任が叫ばれているでしょ。だから教育も自己責任というわけです。

                     

                     

                    じゃあ国は何のためにあるのかですって?それはほら、政治家が戦争をあおったり、国有財産を二束三文で売り飛ばしたりして、税金をロンダリングして自分のふところに入れるためですよ。アベノミクスと称して紙幣を印刷しまくり、官製相場をつくって株価を上げれば、財界から金と票をもらえるというわけです。

                     

                     

                    国民はそれほどバカじゃないとおっしゃるんですか?そうですかねえ。麻生財務大臣の記者会見を見ましたか?彼は会見で次のように言ったのですよ。「(佐川は)国税庁長官としても理財局長としても適任だが本人の申し出を許可した。併せて、懲戒処分減給3ヶ月にした。今後更なる懲戒の可能性も伝えた」と。

                     

                     

                    この日本語分かりますか?適任なのに懲戒だと。国民がまともだったら、こんな支離滅裂な日本語を使う人間が財務大臣をしているのかと驚き、絶望するはずですよ。政権はとうの昔にひっくり返っていますよ。なんたって、「全体の奉仕者」である公務員を、自分の使用人のようにこき使っているのですから。

                     

                     

                    森友問題は、いつの間にか財務省の問題になっていますが、財務官僚が自分の意思で公文書を改竄したり、削除したりして犯罪に手を染めたりするはずがないじゃありませんか。政治的な力がはたらいたのですよ。削除された文書の中に「本件の特殊性」とあるじゃありませんか。

                     

                     

                    「特殊性」って何ですか。安倍総理夫妻の案件だということですよ。それが分からない官僚などいません。海に落ちた透明のガラス片を探すくらい難しいでしょう。その「特殊性」のために近畿財務局の職員が「自殺」したんですよ。それでも安倍政権は倒れないでしょうね。だって国民とカルト宗教団体が支えているのですから。おや、話がそれましたね。ついつい同じ公務員なので身につまされましてねえ。

                     

                     

                    英語教育の話でしたね。で、大学入試も英語の4技能を向上させるために、民間試験を活用するということになっています。でも昨日3月10日に、東大が民間試験を使わないという方針を明らかにしました。入試に必要な公平性が担保できないというのがその理由です。東大が宣言してくれたので内心ホッとしています。

                     

                     

                    こんなの、あたりまえですよ。よほどのおバカさんでなければ、これからは英検だTOEICだと騒ぎはしません。入試は何より公平でなければなりません。わけのわからない試験で合格したとなると、大学への信頼、ひいては存在そのものが否定されるのですから。

                     

                     

                    例えば、東大の合否が親の年収で決まるとなれば、だれも東大を信頼しなくなります。むしろ軽蔑の対象になるでしょう。なんだ、東大はバカでも金持ちの坊ちゃんや嬢ちゃんなら行けるのか、というわけです。

                     

                     

                    えっ、実態はすでにそうなっているですって。シッ。そんな大きな声で本当のことを言っては困ります。東大の実態がそうだと分かれば、そこに大量に合格者を出している高校も同じことになりますからね。だから、入試の公平性は教育に対する信頼性をつなぎとめる最後の命綱なのです。

                     

                     

                    実のところ、東大をはじめとする難関大学に合格するには、学力だけでは足らなくなっています。家庭の環境や親の学歴といった「文化資本」が必要なのです。その結果、難関大学は富裕層の子どもに独占されることになります。格差はますます開くことになりますね。逆に、富裕層に見られたいという見栄のために子どもに勉強させるといった倒錯した親も出てきます。

                     

                     

                    御存じないかもしれませんが、東大に合格するためのルートはすでに決まっているのです。特に私立の医学部に合格するルートは、親の経済力と、どこの医学部専門予備校・塾に行くかで決まっています。生まれた時から裕福で、高級ホテル並みの個室で手取り足とり教えてくれるような環境で入試を突破した医者にあなたは診てもらいたいですか。私なら二の足を踏みますね。

                     

                     

                    これからはまともな医者は地方の国立大学医学部でしか育たないのではないかと危惧しているのです。ええ、これはもちろん私だけの考えですから間違っているかもしれません。

                     

                     

                    というわけで、東大が合否判定に民間試験を使わないという方針を明らかにしたのは、試験の公平性こそが自分たちの存在を担保するものだと分かっているからです。これから風向きは変わりますよ。

                     

                     

                    ここだけの話ですが、共通テストも民間試験も私たちの天下り先を確保するために考え出されたものです。大学入試センター試験は、この国の未来を託すべき若者を、偏差値という線型の序列性の上に位置づけることで「分をわきまえさせ」、統治しやすくするための方法だったのです。

                     

                     

                    いや、こんなことを言うと陰謀論だといわれるので、一つだけ言い訳をすると、「意図せざる結果の法則」というわけで、半ば偶然に、半ば意図して出来上がったというわけです。

                     

                     

                    ここまで言えば、もうおわかりでしょう。大学入試センター試験も、それに替わる共通テストも民間試験も実は全く不要なのです。各大学が独自の試験をすればいいだけのことです。

                     

                     

                    大学で学問をするためには、これこれの学力が必要だと思えば、各大学がそれなりの難易度の問題を作成し、志願者を選別すればいいのです。一昔前はそうしていたのですから。通分ができない大学生にはそれなりの問題を、高度な英語力が必要な学部はそれなりの問題を作ればいいのです。

                     

                     

                    それができないのは、あまり大きな声では言えないのですが、入試問題を作れない大学が多いからです。それどころか、定員割れの大学は、入学(入園)していただくお客様をテストで選別するなんて、おそれ多いことでございます、と考えているでしょうね。しかし、入試をしなければ大学と認知されません。苦しいところですね。要するに、共通テストは、大学の大衆化に対応するものなのです。

                     

                     

                    少子化が加速する今こそ、大学の再編のチャンスなのですが、そんなことを言おうものなら、金儲けのじゃまをするなということで「粛清」されるかもしれません。今や大学は学問をする所だなどと考えている人はほとんどいません。就職するまでの腰かけにすぎないのです。ノーベル賞をもらった京都大学の山中伸弥教授ですら、クラウドファウンディングでお金を集めなければならないのですよ。

                     

                     

                    はっきりいいましょう。文科省に限らず、財務省でも他の省庁でも、自分の子どもは海外の大学へやると決めている人は大勢います。日本の大学に見切りをつけているんです。今日は少し余計なことをしゃべりすぎたかも知れません。ではまたお会いしましょう。」

                     

                    英語をめぐるバカ騒ぎ。

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=467

                     

                    | 教育 | 16:02 | comments(0) | - |
                    記念すべき日に心に残る映画を観る。
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                      今日3月9日は高校入試の合格発表でした。上野丘、舞鶴、高専を始め、全員が合格しました。そこへ気になっていたMさんから、熊本大学に合格したとの知らせが入りました。6年間通ってきてくれた彼女ともこれでお別れです。そういうわけで、中学部・高校部ともに全員が晴れて新しい出発となりました。

                       

                       

                      歳のせいでしょうか、こどもたちが次のステップへ小さな一歩を踏み出せたという、ただそれだけのことが最近はとても嬉しいのです。

                       

                       

                      今の私はマリナーズに復帰が決まったイチロー選手の心境です。三十年以上にわたって未来塾を支えて下さった地域の皆さんに、これまでの経験を生かして、残りの塾教師人生のすべてを捧げたいと考えています。

                       

                       

                      肩の荷が下りたせいでしょうか、心も軽くなり、午後からシネマ5bisへ行きました。観たい映画があったからです。

                       

                      途中からもしやと思った一点に向けてストーリが展開して行き、結末へ近づくにつれ涙が止まらなくなりました。いい歳をした大の男の心をこれほど揺さぶるとは、映画は本当に素晴らしい芸術です。上映期間はあと一週間です。 

                       

                       

                      『ローズの秘密の頁(ページ)』

                       

                      “人生は虚しくても、愛を知れば真実が見えるはず。”

                       

                       

                       

                       

                      | 読書・映画 | 23:38 | comments(0) | - |
                      ある兄妹のこと。
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                        私の塾教師人生も第4コーナーを回って最後の直線に入ってきました。個性豊かな子供たちとの出会いがあり、思い返せば様々な出来事がありました。世間の片隅に埋もれるようにして塾稼業を続けてきましたが、ある意味、幸せな時間だったと思います。

                         

                         

                         

                        なぜなら、空前絶後のおバカ総理の発言に沿うべく、後から公文書を書き変えたり、削除したりして、懸命につじつま合わせをしなければならない財務官僚の心中を察すると、気の毒というよりも哀れをもよおすからです。私たちは事実上国家の崩壊に立ち会っているのです。

                         

                         

                         

                        これから日本を襲うカタストロフィーは、自然災害にとどまらず、経済的・文化的・道徳的な枠組みを破壊し、たたけばピーマンのようにパコパコ音のする頭を乗せた人間たちを大量に生み出すことでしょう。

                         

                         

                         

                        私は誰かの意図を忖度して生きることは、本来むなしい生をますますむなしくすると、人生の早い段階から気づいていました。そのせいか、多くの人が望むように一流企業に入ろうとも思わず、潜在的失業者として生きることを選択しました。

                         

                         

                         

                        自分がとるに足らない塾教師であればこそ、そこにやってくる子供たちも親も、なんらかしこまる必要もなく、むしろ見下すくらいの態度で接してくれます。「つまらなければ、他にも塾はあるのだから、やめればいいのよ」という親子のスタンスは、多少私の自尊心を傷つけはしますが、それと引きかえに、何ともいえない自由をもたらしてくれたのです。

                         

                         

                         

                        食うや食わずをがまんすれば、鬱になることもありません。塾教師にとって必要なのは、限られたリソースで生きていこうとする覚悟であり、精神の衛生学なのです。私には多店舗展開の塾をつくって儲けようという気などさらさらありませんでした。自分がやれる間だけやって、時期が来れば、里山にある空き家が人知れず朽ちていくように、やめるだけだと思っていました。

                         

                         

                         

                        そのせいか、幸せな出会いもありました。その中に、ある兄妹がいたのです。まず入塾の時、父親と息子を一目見て、ああこの親子となら通じ合えるにちがいないと思いました。その後、兄が妹を連れてきた時も、まったく同じでした。いつもお父さんがいっしょでしたが、塾教師として私がするべきことはあまりないだろうなと思いました。なぜか?

                         

                         

                         

                        「月謝という対価を払っているのだから、それに見合った効果を出すべきだ」といった雰囲気がこの親子には微塵もなかったからです。人間として学ぶ姿勢がすでにできているので、私の教えることを素直に吸収してくれるだろうと思いました。そしてその通りになりました。単純な事実ですが、教育ではやはり家庭が大きな比重を占めています。

                         

                         

                         

                        消費社会は人間の意識を等価交換と費用対効果というイデオロギーで染め上げます。その結果、今では色々なモノを子どもに買い与えられる家庭がいい家庭だとかんちがいされています。それを思うと、例外的な家庭であり、兄妹だったのです。

                         

                         

                         

                        そんなわけで、兄のK君は京都大学に合格し、妹のSさんは今年大分大学の医学部に合格しました。お父さんとSさんが挨拶に見えた時、私は思わずSさんの手をとり握手しました。なんといっても、7年間の付き合いでしたからね。私の娘のような気持ちがしたのです。本当はハグしたかったのですが、お父さんがそばにいるのでできませんでした(笑)。貸していた映画のDVDを返してもらい、よもやま話をしました。

                         

                         

                         

                        私がSさんを素晴らしいと思うのは、中央志向つまり東京志向がないところです。普通Sさんほどの学力があれば、中央志向、ブランド志向になるのがふつうです。自分の子供4人を全員東大の医学部に「合格させた」母親が脚光をあびるのが今の世の中です。

                         

                         

                         

                        Sさんはそういった世間の浮ついた風潮に迎合することなく、へき地医療にたずさわりたいと言います。これからは、小さな世界で等身大の生き方をすることが幸せにつながると分かっているのです。つまり、10年先を行っているのです。

                         

                         

                        小さな世界で生きる幸福 ドラマ 『鴨川食堂』

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=107

                         

                        『鴨川食堂』という魂の救済場所

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=124

                         

                         

                         

                        ふりかえると、あっという間のようですが、K君もSさんも休むことなく7年間塾に通って来てくれました。私の塾を合格のために利用するのではなく、勉強することそのものを楽しむ場所だと考えてくれたのでしょう。感謝の言葉もありません。

                         

                         

                         

                        よく予備校や塾の宣伝文句で「みなさんは何もしなくてもいい。合格させるのは私たちの責任です。入試から逆算して今何をすべきか。それを教えます。」というのがあります。それに対して私がよく言うのは「合格したら僕のせい。不合格だったら君のせい。」です。

                         

                         

                         

                        何やらふまじめのようですが、続きがあります。

                         

                        「これは冗談です。僕は合格も不合格もすべて君たちにかえしてあげたいと思っています。かりに不合格だったとしても、僕には責任をとる術がありません。授業料をすべて返す、などというのは「結果」によって勉強してきた意味を無価値にする考え方です。懸命に努力しても不合格のこともあります。当然その逆もあります。かりに不合格であっても、そこから見えるものがあります。つまり、合格した人には味わうことのできない気持ちを味わい、見えない景色を見ることができるのです。だから、僕はおめでとうと言いたい。スポーツでも試験でも大切なのは負けた時の態度です。むしろそのために、スポーツや試験はあると考えた方がいいくらいです。金メダリストの陰には、何千人という挫折した金メダリストがいるのです。だから、Be a good loser! (よき敗者であれ!)

                         

                         

                         

                        今回の話はここまでです。読んでくれた皆さんにお礼申し上げます。いつもありがとうございます。

                         

                        | 教育 | 14:58 | comments(0) | - |
                        大雨の朝の出来事。
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                          今日3月5日月曜日の朝、ゴミを出そうと玄関を出ると、外は大雨でした。わが家からゴミステーションまでは200メートルくらいあります。合羽を着て一輪車で運ぶのもめんどうだと思い、車で行こうと車庫の方へ歩きかけました。

                           

                           

                           

                          するとその時、未来塾の看板のすぐそばに、なにやら茶色の大きなかたまりがあることに気づきました。そばによると、犬がまるくなっているのがわかりました。車の音にも反応せず、じっとしています。目の前の県道は車の量も多く、はねられた犬が放置されているのだろうかと不安になりました。

                           

                           

                           

                          ゴミ捨てから戻って、犬のそばによると、3本足でよろよろと立ちあがり、数メートル歩きました。右前足を骨折しているようで、からだはやせ細り、悲しそうな目で私を見ています。もしやと思い、急いで家にとってかえしました。

                           

                           

                           

                          先週の日曜日、私は地区の水利組合の寄りに出ました。会合が終わった後、一人の男性が出席者にチラシを配っていました。それが以下のチラシです。

                           

                           

                           

                           

                          あれから一週間がたっています。あのチラシがまだあるだろうかと探しましたが、見当たりません。妻に尋ねると、玄関わきの段ボールを重ねた中にとってあるということでした。

                           

                           

                           

                          あわてて探し、四つ折りにしていたチラシを開いて読みました。写真を見て、間違いない、この柴犬だと確信し、さっそく飼い主のHさんに電話し、場所を告げました。「ありがとうございます。すぐ行きます。」とのことでした。

                           

                           

                           

                          私は柴犬のそばにもどり、傘をさしかけて待ちました。チラシで犬の名前が“ぎんじ”だとわかったので「ぎんじ、よかったなあ。もうすぐ迎えがくるぞ。」と大きな声で話しかけました。名前を呼ぶたびに耳のあたりがピクッと反応します。

                           

                           

                           

                          その時、雨脚が一段と強くなり、“ぎんじ”の顔を強くたたきました。ちょうどその時間は大雨注意報が出ていたのです。目をぱちぱちさせてやっとのことで立っているので、座るようにいうと横になって丸くなりました。

                           

                           

                           

                          10分ほど経ったでしょうか、飼い主のHさんが車でやって来て、“ぎんじ”と再会しました。Hさんが両腕で抱きかかえると、“ぎんじ”はうれしそうに自分の鼻をなめました。

                           

                           

                           

                          チラシによるといなくなったのは、2月10日。その時すでに足にけがをしていると書かれています。それから今日までの23日間、“ぎんじ”は食べるものも食べず、どこで生きていたのでしょうか。飼い主のHさんはどんな思いだったでしょう。チラシには「前足を負傷しつつもまだ生存中と信じています。」と書かれていました。

                           

                           

                          | 身辺雑記 | 17:13 | comments(0) | - |
                          『翼よ!あれがパリの灯だ』 − 中学3年生の皆さんへ。
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                            中学3年生のみなさん、卒業おめでとう。今日は3年生の最後の授業でした。いつもと変わりなく、淡々と数学の難問を解きました。妻がたててくれた抹茶と和菓子をふるまい、お開きにしました。私の塾では気合を入れるためにこぶしを突きだしたり、シュプレヒコールを叫んだりしません。毎年、静かな最後の授業です。そして明後日はいよいよ高校入試です。

                             

                             

                             

                            最近は入試前に緊張する生徒が多くなりました。そこで今日は緊張を解いてもらうため、チャールズ・A・リンドバーグの話をしました。リンドバーグと言っても、今の中学生で知っている人はほとんどいないでしょうね。私とリンドバーグの出会いは後で話します。

                             

                            チャールズ・A・リンドバーグ。なかなかのイケメンですね。

                             

                             

                             

                             

                            彼は1902年2月4日スウェーデン移民の息子としてミシガン州デトロイト市で生まれました。1920年代にはセントルイス−シカゴ間で、郵便機の夜間飛行のパイロットをしていました。その彼が人類史上初の偉業を成し遂げたのです。

                             

                             

                             

                            1927年5月20日5時52分(出発時の現地時刻)、リンドバーグはプロペラ機「スピリット・オブ・セントルイス号」でニューヨーク・ロングアイランドのルーズベルト飛行場を飛び立ち、孤独や睡魔と戦いながら翌21日、22時21分(到着時の現地時刻)、パリのル・ブルジェ空港に着陸、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したのです。この時、リンドバーグ25歳。飛行距離は5、810km、飛行時間は33時間半に及びました。

                             

                             

                            「スピリット・オブ・セントルイス号」の飛行航路。

                             

                             

                             

                             

                            無着陸飛行を達成した際に、ル・ブルジェ空港へ押し寄せた観客の数は、空港に入り切らなかった分も含めて延べ75万人とも100万人ともいわれています。これによりリンドバーグは、オルティーグ賞とその賞金25,000ドル、さらに世界的な名声を得ます。

                             

                             

                             

                            ところで、「スピリット・オブ・セントルイス号」の機体は、リンドバーグの指示でカスタマイズされたものでした。当時、無名の操縦士だったリンドバーグには出資者が少なかったため、調達した機材そのものも、性能の低いものにせざるを得ませんでした。さらに、多量のガソリンを積むべく操縦席の前方に燃料タンクを設置したため、座席からは直接前方が見えず、潜望鏡のようなものを使うか、機体側面の窓から顔を出す必要があったそうです。現在、この機体はスミソニアン航空宇宙博物館に展示されています。

                             

                             

                            「スピリット・オブ・セントルイス号」

                             

                             

                             

                             

                            1957年には、ビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演で映画にもなっています。その映画のタイトルが『翼よ!あれがパリの灯だ』でした。その映画が私とリンドバーグとの最初の出会いです。

                             

                             

                             

                            そうはいっても、物心がつくかつかないかの頃で、父親につれて行かれた、どこか場末のうらさびしい映画館だったような気がします。時代劇ファンだった父親が、なぜこの映画を観る気になったのか、今となっては分かりません。

                             

                             

                             

                            上映中、ときどき大きな音で目が覚めてスクリーンを見ましたが、ストーリーが分からず、ただ眠かったのをおぼえています。後から知ったことですが、その映画は機内のシーンが大半を占める地味な映画だったようです。ただ、鮮明に覚えているシーンがあります。

                             

                             

                             

                            主人公のさびしげな目。格納庫を出て愛機セントルイス号に向かうヒョロッとしたその姿。ひとびとの歓声を背に飛び立ったあと、ひとりっきりになった操縦席にみつけた一匹の蠅。その一匹の蠅だけがパリまでの同行者です。リンドバーグはその蠅に向かって話しかけます。

                             

                             

                             

                            ああ、思い出してきました。鮮明に覚えているシーンとは、主人公がもうれつな睡魔におそわれながら、夢のように思い出すわびしい故郷の草原の美しい風景だったのです。

                             

                             

                             

                            大西洋単独無着陸飛行という快挙をなしとげた青年を支えたものが、わずかに一匹の蠅と淡い故郷への追憶だった、というそのことに私は感動していたのかもしれません。もちろんそれは後年、映画の内容を知ってからの、あと付けの感想ですが。

                             

                             

                             

                            それでも、言葉をもたない幼少期の私にあれほど鮮烈な印象を残し、今になってそれを思い出し、塾の中学生に話してみようと思ったその理由は何だったのでしょうか。それは人生最初の試練に立ち向かう生徒たちにエールを送りたいという思いだったのかもしれません。

                             

                             

                             

                            青年リンドバークの孤独と不安と夢を想え。胸に抱くひとつの原風景と、つつましく小さな同行者と、たったそれだけで、人は無人の夜の空を渡っていけるのか。人は生きてゆけるものだったのか。リンドバークの孤独と不安と夢を想え!と。

                             

                             

                             

                            ちなみに『翼よ!あれがパリの灯だ』は彼の大西洋横断飛行を記録した本(原題:The Spirit of St. Louis、佐藤亮一訳)の邦題です。1953年に出版され、翌年ピュリツァー賞を受賞しています。

                             

                             

                             

                            この本の中で、リンドバーグはこんな言葉を残しています。ニューヨークを出発して23時間目、睡魔や嵐と戦いながら飛び続け、体力の限界を感じるなかでの言葉です。

                            “How beautiful the ocean is; how clear the sky; how fiery the sun!
                             Whatever coming hours hold, it's enough to be alive this minute.”


                            「なんという海の美しさだ! なんという澄み切った大空だ! 炎のような太陽! 何が起ろうと、この瞬間、生きているだけでじゅうぶんだ。」
                             

                            | 中高生の皆さんへ | 19:16 | comments(0) | - |
                            高校生のための英文法−その7
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                              ずっと気になっていた問題(高校生のための英文法−その6)の解説をします。同時に英語の勉強方法についても少し話します。まず、問題です。

                               

                               

                              第1問

                              下線部の中で誤っている箇所を指摘しなさい。

                               

                               

                              About 72% of India (1)being rurally based, villages of India (2)have always been said (3)that they represent the true essence and flavor of India (4)through their arts, culture, folk music, local dances, fairs and festivals.

                               

                               

                              まず、訳してみます。その際注意するのはS+V感覚でしたね。

                               

                              英語はS+Vのセットが左から右へと流れるようにつながっているのですが、原則として、二つ以上の文(S+Vセット)があれば、接続詞でつなぎます。つまり、カンマで文(S+Vのセット)はつなげないということです。

                               

                               

                               

                              ところが上の文は About 72% of India (1)being rurally based, ではじまり、villages of India〜と続きます。カンマで文(S+Vのセット)はつなげないというのが英語の大原則ですから、もともとはAbout 72% of India is rurally based.という文の動詞 is を(1)beingにして(これを分詞構文と言います)、カンマでつなげるようにしたわけです。よって(1)は正しい。もともとは文だったという説明も少し苦しい説明ですが…。慣れてくれば一瞬で分かるようになります。

                               

                               

                               

                              以下は塾の高校生の訳です。

                               

                              <訳>インドの72%は田舎であり、インドの農村はその芸術、文化、民俗音楽、地域ごとの踊り、市や祭りを通じてインドの本質、味わいを体現していると言われてきた。

                               

                               

                               

                              少し日本語がぎこちないのですが、よくできています。ところが、この英文のどこが間違っているのかという段になると、分からないと言います。つまり、読んで訳をすることはできるのです。しかし、この英文は間違っています。「英語として間違っている文を読んで訳せる」というのが、わが国の英語学習の到達点なのです。

                               

                               

                               

                              みなさんは間違った日本語を読めば、すぐにわかるでしょう。あるいは、美味しいものを食べた時、相手が「チョー、ヤベ〜」と言えば、それが「めちゃくちゃ、うめ〜」という意味だとわかりますね。どちらも、チョー下品な言い方ですが。

                               

                               

                              私たちの頭の中にインプットされている母語の体系が、本来ならマイナスの意味を持つ「チョー、ヤベ〜」を、状況や文脈によって、瞬間的にプラスの意味として受け取るのです。母語以外の言語では、すなわち後天的に学習によって身につけた言語ではこうはいきません。前にも言いましたが、真に独創的な思考は母語でなければできないのです。

                               

                               

                               

                              要するに、母語と外国語の間には決定的な断絶があるということです。前回書いた英語の4技能を学校教育によって身につけさせるもくろみが、どんなに大それたことか分かると思います。東京オリンピックまでに英語熱を高めて、道案内くらいはできるように、というのがせいぜいのところでしょう。

                               

                               

                               

                              かなりのリソースを割いて英語を学習するなら、せめて上記の英文を読んで間違いが感覚的に分かるレベルをめざすべきです。私が塾でよく言うフレーズに「書いて間違いは、言っても間違い。言って間違いは、書いても間違い。」があります。

                               

                               

                               

                              英語を機械的に日本語に言い換えたり、空所に適語を補ったり、語句を並べ変えたりすることは英語の勉強ではありません。それは英語に名を借りた記憶力と少しばかりの思考力をためすテストに過ぎません。何より、そんなレベルの英語力では、英米のすぐれた小説を読んでもちっとも面白くないでしょう。受験が終われば、ゲームオーバーというわけです。

                               

                               

                               

                              話が脱線しました。villages of India (2)have always been said (3)that they represent the true essence and flavor of India の部分に間違いがあります。正しい英文をひたすら音読していれば、間違いに気づくはずです。そんな時間はない、というなら、せめて解説を聞いた後、数十回は音読して下さい。

                               

                               

                               

                              villages of India have always been saidとくれば、後は that S+Vではなく to 不定詞が続くのが英語です。つまり、正しくは villages of India have always been said to represent the true essence 〜と続くのです。

                              これを、「繰り上げ構文」と言います。具体例を挙げます。

                               

                              It is said that he is honest.

                               

                              は正しい文です。これを繰り上げ構文にします。

                               

                              He is said to be honest.

                               

                              となります。これは正しい。しかし、

                               

                              He is said that he is honest.

                               

                              は間違いです。that 節の中の he が繰り上がっていませんからね。よって、villages of India have always been said that they represent も間違いなのです。もう分りましたね。念のためにもう一つ例を挙げておきましょう。

                               

                               

                              It seems that he is honest.という文は、that 節の中の he を文頭に繰り上げて、

                               

                              He seems to be honest.と書くことができます。しかし、

                               

                              He seems that he is honest.とは言いません。

                               

                               

                              さらにもう一つ。

                               

                              It is likely that he will pass the exam. は

                               

                              He is likely to pass the exam.と書き換えられます。でも、

                               

                              He is likely that he will pass the exam. は間違いです。

                               

                               

                              分かってもらえたでしょうか。問2の解説はまた近いうちにします。受動態はとても大事な箇所です。

                               

                               

                               

                              外国語を学べば、世界には様々な見方や考え方があることに気づきます。母語に制約された精神を拡張し、偏見から自由になることもできます。しかし、私たちが学ぶ英語は受験で高得点をとるためのものです。精神は委縮し、偏見は高じるばかりです。もうそろそろ、That's enough!(うんざりだ!)と叫びませんか。

                               

                              | 高校生のための英文法 | 14:02 | comments(0) | - |
                              英語をめぐるバカ騒ぎ。
                              0

                                今日は伊方原発差し止め訴訟の第8回口頭弁論を傍聴するため、大分地裁へ行ってきました。強風で花粉が舞い散る中、呼吸困難に陥りながらも(笑)、なんとかたどりつきました。

                                 

                                 

                                 

                                だれのためでもありません。理想が世の中で実現されるかどうかというような大それたことを考えているわけではありません。ただ自分自身が腐った妥協をしていないかどうかを内省するために足をはこんでいるのです。

                                 

                                 

                                 

                                さて、政治の劣化の陰であまり注目されていませんが、教育分野、特に大学教育の質的な劣化は目をおおいたくなるほどです。にもかかわらず、学校、塾・予備校業界は東大を頂点とする大学ヒエラルキーの上位校にどれだけの生徒を送り込んだかという「実績」作りに血道をあげています。

                                 

                                 

                                 

                                教育において「実績」だとか「結果」、あるいは「エビデンス」といった言葉を疑いもせずに使う人は、貧困な人間観・教育観ひいては世界観の持ち主だということを告白しているに等しい。多少なりとも羞恥心を持っている人間なら、経済用語もどきの言葉を何の抵抗もなしに使えるはずがないのです。

                                 

                                 

                                 

                                ところで、毎年この時期になると、幹線道路沿いに、キラキラしたカラフルなノボリや看板が登場します。生き残りをかけた塾の宣伝合戦です。チラシやテレビコマーシャルでは「マイレージ」「ポイント」といったカタカナ語とともに「成績保証」「やる気スイッチ」などといったわけのわからない言葉が踊るようになります。こういったキラキラ言葉に吸い寄せられる保護者や子供の目は、さぞや夢や希望でキラキラ輝いていることでしょう。

                                 

                                 

                                 

                                教育の劣化はそこで使われる言葉の劣化にほかなりません。

                                「あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」というガンジーの言葉を支えに、私は今日まで塾教師を続けてきましたが、もはや私の出る幕ではないな、と最近つくづく思います。

                                 

                                 

                                 

                                私を意気阻喪させるものの一つに、英語をめぐるバカ騒ぎがあります。英語の4技能ですって?一体誰がそれを教えるのでしょうか。4技能どころか1つの技能すら身についていない教師にそれが可能でしょうか。もし本気で英語の4技能を子供につけさせたいのなら、莫大な予算と時間を工面しなければなりません。あたりまえですね。つまり、「安かろう、悪かろう」のなかでスタートさせるのですから、結果は目に見えています。

                                 

                                 

                                 

                                それにしても、世界のいったいどこの国が、これほど他国の言語に執着し、義務教育の中にまでとりいれようと必死になっているでしょうか。中国は義務教育で子供たちに英語を学ばせているでしょうか。フランスやドイツはどうでしょう。イタリアやスペイン、ベトナムはどうでしょう。

                                 

                                 

                                 

                                日本ほど強迫神経症のように他国の言語=英語を受け入れようとしている国はありません。なぜでしょう。それは日本がアメリカの属国として生きていく運命を積極的に受け入れているからです。そのけなげさは世界でも類を見ません。政治家、官僚、ビジネスアスリート(なんという下品なことばでしょう)を問わず、その積極性の度合いによって出世が左右されるというわけです。

                                 

                                 

                                 

                                「他国の言語」と言いましたが、正確には「宗主国の言語」です。それを一律下降的に義務教育で強制すれば、ちょっとでも有利な地位に就こうと思う人たちの間で競争が激しくなるだけです。意地悪い見方かもしれませんが、ちょっとでも優秀な奴隷になろうと、幼少のころから親といっしょになってトレーニングに励むことが当たり前になるのです。

                                 

                                 

                                 

                                名誉白人ならぬ名誉奴隷になることを夢見る人たちは、グローバル時代の中では英語ぐらいできないと困ると考えています。つまり時代の空気を読んでいるのです。その結果、だまされてかなりの時間とお金を費やします。それでも、英語は将来のポジションを確保し金儲けをするための「ツール」だという考えはゆらぎません。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、グローバリズムの意味を正確に理解している人はほとんどいません。ただなんとなく世界が単一の市場と化し、英語が公用語になるだろうといったイメージでしょうね。なんだか荒れた天気になりそうだから、準備をしておかなければといった感じでしょうか。そうだとしたら、あなたは確実にグローバリズムの餌食になるでしょう。

                                 

                                 

                                 

                                そうならないためには、まず足元の現実を見さえすればいいのです。

                                今、大学の40%が中学・高校で履修すべき英語の補習を実施しています。「話す英語」に資源を集中したせいで、語彙力がないので英文が読めない、文法を知らないので主語や動詞のない文を書く、といった「症状」がもはや珍しくないそうです。

                                 

                                 

                                 

                                それでも相変わらず政治家や官僚や財界は「文法や講読に金と時間を割いているので英語力が落ちているのだ。もっと会話に時間を使え」と言っています。

                                 

                                 

                                お言葉ですが、30年前から文法よりも会話を重視する方針の下に教えた結果がこれです。国は過去30年「英語が話せる」ために無数の教育改革を行い、その一つ一つの成否の検証をしないまま次の改革にのめり込むということを繰り返してきました。その結果、日本の大学生の英語力は過去最低を記録することになったのです。

                                 

                                 

                                 

                                以上述べたことは私の実感と一致しています。

                                最後に具体例を挙げておきます。私の住む大分県ではトップクラスの高校生でも苦労する問題です。なぜその単語を選び、その文を作ったのかという私の問いに答えられる高校生はさらに少ないのです。

                                 

                                 

                                以下の日本語を英語にしなさい。

                                 

                                1「最近、日が長くなってきた。」

                                2「昨夜、頭がさえて、夜明けまで眠ることができなかった。」

                                 

                                これくらいの基本的な問題ができない「英語教育」って、何なんでしょう。きっと、話すトレーニングが足りないのでしょうね。

                                 

                                 

                                「読み」「書き」「聞く」力がついていれば話すことは慣れの問題に過ぎません。うまく話せないのはそれを支える基本の3技能が身についていないからです。こんなことも分からない人間たちに、英語教育をああしろ、こうしろなどという資格はありません。ふう〜、なんだか疲れますね。

                                 

                                 

                                | 英語教育 | 23:35 | comments(0) | - |
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