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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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今年の1冊 − よりよき〈生〉を生きるために。
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    人生には自分の意思でどうにかできることと、どうにもできないことがあります。おそらく、どうにもできないことの方が多いような気がします。私の人生は、人や書物との出会いを始めとして、幸運と呼ぶしかない偶然の集積で成り立っていると、今はそう思います。

     

     

     

    それでも、私は自分の意思でどうにかできる領域を拡げてきました。それは既存の価値序列との摩擦を引き起こすこともあります。それを避けて、その他大勢の人と同じコースをたどることもできたのかもしれませんが、結局それができなかったのですね。

     

     

     

    思うに、人生を人任せにするのではなく、なんとか自分なりに狭き門を通り抜けようとする意思というか、生まれてきた意味や真実がどこかにある筈だという思いが、宗教や政治的カルト集団の思想的基盤を見破り、ニヒリズムに陥ることを防いでくれたのだと思います。

     

     

     

    幸運な偶然を引き寄せたのは、既存の価値序列すなわち匿名のシステムの中に自分の足場を作ろうとしなかったからではないかと、今になって思います。

     

     

     

    前置きが長くなりました。今年の1冊を紹介します。家系や人脈を利用して既存の価値序列の階段を駆け上がり、国民を見下し、公文書を偽造し、国家を私物化して、あげくの果てにアメリカが日本に対して好意を持っているはずだという幻想にしがみつく。これほど幼稚で愚かな人間はかつていませんでした。

     

     

     

    そんな人間が、なぜ、どのようにして登場してきたのか、彼らに反撃するにはどうすればいいのか。それをを知りたい人には、以下の本がヒントになると思います。

     

     

     

     

    ナオミ・クレインの『NO IS NOT ENOUGH』です。右の本は、以前紹介した世界的ベストセラー『チャヴ』の著者であるオーウェン・ジョーンズの新著『エスタブリッシュメント』です。彼はナオミ・クレインの本を「An essential blueprint for a worldwide counterattack」と評しています。私の尊敬するノーム・チョムスキーは、この本を「Urgent, timely and necessary」と言っています。高校生はペンギンブック版で読んでみましょう。

     

     

    それでは、良いお年をお迎え下さい。来年が皆さんにとってよい年でありますように!

     

     

    | 中高生の皆さんへ | 13:26 | comments(0) | - |
    うれしい便りをいただきました。
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      12月22日の記事「助け人」を読んだ方から、思いがけずうれしいお便りをいただきました。

       

       

       

      「はじめまして、私、大阪在住の53才、小学6年生の女児の父親です。私の能力では読み砕けない記事も多々ありますが考えさせられることしばしばです。

      以前、奈良・大和小泉の慈光院がお好きであるとの記事を見て、その時にもコメントを送りたかったのですが、勇気が出ず…()
      でも、どうしてもお薦めのCDを聴いていただきたくて。

      The melody at night with You
      キース・ジャレット

      です。
      できましたら一度聴いてみて下さい。
      もし御存知でしたら申し訳ありません()

      突然のコメントお許しください。」

       

       

       

      ありがとうございます。偶然ですが、私もキース・ジャレットの音楽は大好きです。15年ほど前になりますが、妻と八ヶ岳の山麓をドライブしていて、休憩のために小さなカフェに立ち寄りました。老夫婦が二人だけでやっているカフェでした。お二人の趣味と洗練された美意識が感じられて、本当に居心地のいい空間でした。生活に対する考え方の確かさというか、ゆったりとした時間とともにある日々の生活の中から徐々に立ち現われてきたものが空間に落ち着きと安らぎを与えていたのです。時々思い出しては、あの夫婦はどうしているだろうかと、妻と話しています。

       

       

       

      そこで流れていたのが、キース・ジャレットの曲でした。ご主人に尋ねたところ、それが「The melody at night with You」でした。帰宅して早速注文し、以来暇さえあれば聴いていたので、妻に呆れられたほどです。その後出会った『ケルン・コンサート』は生涯の伴侶となりました。わが家を訪問した人から、誰の曲?と尋ねられることも一度や二度ではありません。これからも、素敵な曲があればぜひご紹介下さい。

       

       

      キース・ジャレットThe Melody At Night With You」と「THE KOLN CONCERT(ケルン・コンサート)」。もう一枚 「PARIS / LONDON Testament」も玄人好みのいい曲ですね。

       

       

       

       

       

      ところで、奈良・大和小泉の慈光院は二度訪れています。建築的な小難しいことは抜きにして、何度訪れてもいい場所ですね。そのヒューマンスケールというか、プロポーションが素晴らしい。私の中では、京都の詩仙堂、大徳寺高桐院と並んで忘れがたい建築です。京都・奈良は学生時代に住んでいたのですが、見落としている場所がまだまだあると思います。いい場所がありましたら、ぜひご紹介下さい。

       

       

      慈光院へと続くアプローチ。慈光院庭園。

       

       

       

       

      今年も残すところ少なくなりました。どうかお元気で新年を迎えられますように!それではまた。

       

       

      | 音楽 | 18:48 | comments(0) | - |
      冬期講習が始まりました。
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        たまには塾のことも書いてみましょう。中学3年生は入試まで80日を切りました。でも全くあわてる必要はありません。焦って試験に出そうなところをあれもこれもと無秩序に頭に詰め込むと、逆に思考力を弱めてしまいます。記憶すべき知識は、一日の勉強の始めと終わりに時間を決めて集中的に取り組めばいいのです。

         

         

         

        冬期講習会の授業では最初に数学の問題をやります。黒板に一問だけ問題を書いておきます。複雑な計算を要する問題ではなく、答えを出すまでの思考のプロセスを発見させる問題です。

         

         

         

        まず問題をじっくり読む。これがおろそかになっている生徒が多いのです。つまり、与えられている数値情報がどこで必要になるのか考える前に計算を始めるのです。私はよく次のように言います。

         

         

         

        「問題を見ると、鉛筆を持ってすぐに計算を始める人がいますが、それはやめて下さい。覚えている解き方をあてはめて、適当に計算して答えを出す。間違っていれば、またゼロからやり直し。記憶に頼って、ああでもない、こうでもないと計算しているうちに正解したとしても、それは偶然答えが合っただけだと分かっているはずです。つまりそういったアプローチは自信につながらないのです。鉛筆を持って計算する前に解答への道筋を発見することの方が大事です。黒板の問題を解くのに複雑な計算はいりません。暗算でできるのです。でも思考のプロセスを発見できない人は、1時間かけてもできないでしょう。制限時間は15分です。答えが分かった人は手を挙げて下さい。」

         

         

         

        こういう指示を出すと、生徒は筆記用具を使わずにじっと問題を見つめます。しばらくすると、パッと顔が明るくなる生徒がいます。思考の転換点というかポイントに気がついたのですね。逆説的に聞こえますが、限られた時間内で問題を解くためには、普段からじっくりと問題に取り組んでいなければならないのです。

         

         

         

        「この考えでは解けない、行き詰る。他の方法を探さなければならない。しかし、問題を解くための情報量があまりにも少ない。補助線を引けばいいのかな、でもどこに?線分の長さを求める問題なのに三平方の定理も相似比も使えない。そうか!補助線を引いて面積比を使えばできそうだ!というのが実力=自信をつけるための思考錯誤です。鉛筆を持つのはその発想が有効かどうかを確かめるためです。くれぐれも、この逆をやらないように。」

         

         

         

        「ストップウオッチやキッチンタイマーを使って、ハイ始め!ハイ終わり!などと大声で叫ぶのは、思考の楽しさとは無縁なのです。塾の教師は君たちをドッグレースに駆り立てるためにいるのではありません。これまでの経験から、思考の楽しさを最後まで手放さなかった人は高校であれ大学であれ、確実に合格しています。考えていれば時間が経つのを忘れます。思わず集中してしまうからです。そうなれば、変なミスもしません。根拠のない情報に一喜一憂することもありません。この時期になって他人が使っている問題集や塾の情報に振り回される人は、自分で不合格を招き寄せているようなものです。」

         

         

         

        導入に数学の問題を1問やった後、英語の勉強に入ります。以下の問題がスラスラ解ければ、どこの高校でも合格します。出題傾向と「長文読解」に慣れるために過去問をひたすらつぶしている塾もあるようですが、実に馬鹿げています。高校入試に「長文」などありません。塾の教師が「長文読解」などと言うので、生徒もそう思い込んでしまうのです。

         

         

         

        「君たちはこれを長文だと思っているの?数十ページあるならともかく、因果関係が怪しい短文の寄せ集めじゃないか。もし君たちに英語の基礎力がついていれば、この英作文の問題などスラスラ解けるはずです。」と言ってプリントを配ります。

         

         

         

        冬期講習の一日目にやった問題は以下の通りです。皆さんもぜひチャレンジしてみて下さい。

         

         

        問:以下の日本語を英語にしなさい。

         

         

        1:カッコいいジーンズだね。いつどこで買ったのか教えてよ。僕もそれがほしいから。

         

        2:高校生の時、修学旅行でオーストラリアに行ったことがあるよ。

         

        3:外国人なのに、いつから日本の歴史に興味を持つようになったのですか?

         

        4:私は子どもの頃、3年間ほどシアトルに住んでいたことがあるわ。

         

        5:オレがさあ、今いくらお金を持っていると思う?

         

        6:あのガイドさんが、そのお寺がいつ誰によって建てられたのか僕たちに説明してくれたんだよ。

         

        7:先週からずっと体調がよくないので、君とゲームする時間がないよ。

         

        8:その問題を見た時、どうやって解いたらいいか全く分からなかったね。

         

        9:君ができると思えばどんなことだってできるさ。

         

        10:このお店は何時まで開いているんですか?

         

        11:映画が始まるまであとどのくらいありますか?

         

        12:この自転車を買ったら、消費税(consumption tax)はいくら払わなければならないんですか?

         

        13:高校生だった頃、よくこのあたりで彼女とデートしていたものさ。

         

        14:まずあなたがしなければならないことは、高校入試に合格するために最善を尽くすことです。

         

        15:お前さあ、誰に口きいてると思ってるんだよ?

         

        16:お前さあ、自分を何様だと思ってるの?

         

        17:げっ、おれたちの教室の窓が割れてるぜ。

         

        18:母さん、弟のやつまたおねしょしてるよ。

         

        19:彼女が本当に言いたかったことはなんだろう?

         

        20:バスは何分おきに来るかご存知ですか?

         

         

         

        中学時代にまともに勉強していれば、英会話学校などいらないということがお分かりでしょう。2や4の問題で現在完了を使う人は、まだまだ実力不足です。とてもいい問題ですから、プリントアウトして塾や学校の先生といっしょにやってみてはどうでしょうか。

         

        | 中高生の皆さんへ | 22:22 | comments(0) | - |
        「助け人」
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          今年は私にとって忘れられない年になりそうです。4月には義父が95年の生涯を閉じました。そして、2年前に脳梗塞で倒れた義母の命が今まさに、燃え尽きる寸前の蠟燭のように、消えようとしています。

           

           

           

          この2年余り、毎週1〜2回は佐伯の病院に義理の父母を見舞ってきました。義父が亡くなってからは、日曜日ごとに義母を見舞っています。今日は土曜日ですが、義母の容態がよくないということで、午前中の授業を済ませ、午後から妻と佐伯の介護施設に向かいました。

           

           

           

          義母はただ眠っているだけで、呼びかけても反応しなくなりました。日によっては目で合図するときもありましたが、日々反応がなくなっていくのが分かります。過酷な労働から解放されてきれいになった手はやせ細り、骨だけになっています。

           

           

           

          「今日は、もう少し付き添うから・・・。あなたは仕事があるから先に帰って」と言い、妻は病室へ戻って行きました。義父の死を看取ったのも妻でした。帰途、車の中で義母の存在が私にとっていかに大きなものであったか、しみじみと思い出し、いい歳をして涙滂沱となってしまいました。

           

           

           

          「助け人」という言葉がありますが、義母はまさに「助け人」そのものでした。家族や親戚はもとより、地域の人だけでなく、見も知らぬ貧しい人にも手を差し伸べました。戦後の貧しい時代を生き抜き、家の仕事(真珠の養殖・加工・販売、漁業・林業など、要するに一次産業の生産労働に従事し、牛馬のごとく働く人生でした。これは筆舌に尽くしがたいほど大変だったのです。)をしながら、5人の子供を育てました。自分の時間などあるはずもなく、文字通り朝から晩まで働き、夜なべをして子どもたちの服を縫っていたのです。

           

           

           

          貧しさに負けまいと、人々が一つ屋根の下に肩を寄せ合って生きていた時代です。それでも、子どもたちは明るく奔放で、親の目の届かないところで遊びに興じていました。

           

           

           

          夕刻になると、三々五々、家々から大人や子どもが出て来て、道端で世間話をしたり、水を撒いたり、遊んだりしていました。その何とも言えない、やわらかで優しいひとときが好きでした。

           

           

           

          今思えば、大人が子どもたちを何よりも大事にし、優しいまなざしを向けていた時代でした。私の母はよく、「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(子ども以上に大事な宝物はない)」という「万葉集」にある山上憶良の歌を口ずさんでいました。

           

           

           

          そんなことを思い出しながら家に帰り着くと、アマゾンから荷物が届いていました。注文していたCDでした。何というタイミングでしょう。それから1時間ほど音楽に耳を傾け、義母の人生を思い返していたのです。それが以下のCDです。

           

           

          ヨーヨー・マのバッハ『無伴奏チェロ組曲(全曲)』。20代で一度、40代にさしかかった頃に一度、そして60代の今回、三度目の録音です。素晴らしい。それにしても音楽とは不思議なものです。今回の演奏が一番自由で深みがあります。ワインの熟成に年月が必要なように、ヨーヨー・マの演奏にも積み重なった時間を感じます。おすすめです。

           

           

           

          私にとって、音楽と建築と文学は生きる上での「助け人」です。久しぶりに今年の大晦日はこのCDを聴いて過ごしたいと思います。

           

          | 人生 | 22:41 | comments(0) | - |
          大晦日におすすめのCD
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            早いもので今年も残すところ2週間となりました。最近は西郷どんではありませんが「もうここらでよか」という内心の声がどこからともなく聞こえてきます。何が「もうここらでよか」なのか、はっきり分かっているわけではありません。それをあえて追求しないようにしています。

             

             

            余談ですが、西郷隆盛の最期は、史実によると介錯されるのですが、NHKはそこを変えています。そればかりか来年の大河ドラマ「いだてん」は東京オリンピックがテーマだそうです。二度目の東京オリンピックを成功させようという政治的なキャンペーンですね。さすがに「皆さまのNHK」です。受信料返せ!と言いたいところですが、そもそも払ってないので言えません。

             

             

             

            ところで、毎年大晦日に決まって聴く曲があります。それが以下のCDです。

             

            フランク・ペーター・ツィンマーマンとエンリコ・パーチェの『バッハ:ヴァイオリン・ソナタ全曲(SONY)』です。

             

             

             

             

            もう11年聴き続けています。たまには他の曲をと思うのですが、知識不足のためにふさわしい曲が思い浮かびません。

             

             

            今から15年前になりますが、八ヶ岳の南麓に広がる清里高原を車で回り、清泉寮に立ち寄って(ちょうど秋の収穫祭の時期でした)地ビールを買い込み、予約していたロッジ風のホテルに泊まりました。

             

             

             

             

            夕食後、ピアノの生演奏があるということで、レストランを出て別棟の演奏会場へと向かいました。そこは小さなホールになっていて、ピアノが一台置かれていました。聴衆は20人ほどでした。きれいな白いドレスで正装した若い女性のピアニストが出て来て、椅子に座りました。大きく深呼吸して譜面を見つめ、弾き始めました。曲が終わる度に立ち上がり、こちらを向いてお辞儀します。曲と同じくその所作が初々しく、妻と顔を見合わせて微笑みました。

             

             

            その時彼女が弾いていたのが、バッハのパルティータ第6番ホ短調とシューベルトのピアノ・ソナタ第17番ニ長調でした。そういうわけで、この曲を聞くたびに、初秋の清里高原の空気と駆け出しの女性ピアニストの初々しい表情が目に浮かぶのです。

             

             

            音楽と記憶は分かちがたく結びついているので、何かの拍子にある曲を聴くと、それを聴いた場所や季節や時間、一緒にいた人の声や表情を鮮やかに思い出します。

             

             

            これからの私の楽しみは、昔読んで影響された本をゆっくり再読することです。一度訪ねた場所を再訪するのも新しい発見があっていいものです。

             

             

            話は戻りますが、ツィンマーマンは、ピアノのルービンシュタイン、リヒテルの演奏に対する姿勢に魅せられたと言います。

             

             

            「ルービンシュタインは45歳から練習方法を変えて90歳で引退するまで精力的な活動を続けましたし、リヒテルは65歳でハンマークラヴィーアをようやく演奏できるようになったと語っています。私もゆっくり成長し、息の長い活動をしたい。ここ10年でイントネーションがだいぶ変わり、譜面の読み方も深くなったと感じていますから」

             

             

            「もうここらでよか」などと気取っている私は、まだ鼻たれ小僧なのかもしれませんね。

             

            | 音楽 | 14:00 | comments(0) | - |
            順天堂大学よ、「ごまかすな。それはただの性差別だ!」
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              「コミュ力高い」に抗議の沈黙デモ。医学生らが順大前で。

               

               

               

               

              あなたは医師を志し、懸命に勉強しています。そして、親や友人に励まされ、挫けそうになる心と闘いながら入試の日を迎えます。結果は不合格。理由はあなたが「コミュ力高い女子だから」と言われたらどうでしょう。

               

               

               

              10日、順天堂大で開かれた記者会見で、新井一学長と代田浩之医学部長は女子受験生を不利に扱った理由を語りました。

               

               

              いわく「女子の方がコミュニケーション能力が高く、男子を救う必要がある」「18歳の時は女性が高くても、20歳で一緒なら、数年後に高くなる男子学生を救うため」「客観的データに基づいており、差異を補正するものと考えていた」。(朝日新聞デジタル)

               

               

               

              要は、男子の受験者は「コミュ力」が低いので不利になる、だから女子の合格ラインを高く設定して、男子に下駄を履かせたというのです。

               

               

               

              はあ〜?(最近こればっかりです。)もうめちゃくちゃです。そもそも、判断する人間の主観でどうとでも受け取れる「コミュ力」なるものが、客観的で公正であるべき合否の判断基準になると考える時点で、新井一学長と代田浩之医学部長の頭がピーマンだと分かります。

               

               

               

              もっとも、この合否の判断基準を曖昧化することこそが彼らの目的なのですが。曖昧化こそが「大学経営に資する」(自分たちのふところが潤う)というわけです。

               

               

               

              しかも取ってつけたように「客観的データに基づいており、差異を補正するものと考えていた」などと、屁理屈を並べます。「差異を補正する」って、要は男子に下駄をはかせるってことですよね。バカであればある程、真実を隠蔽するために小難しい言い回しを使うのです。

               

               

               

              この国の大学の劣化はとどまるところを知らない、回復は絶望的に不可能だ、と何度もブログに書いてきました。大学入試の合否が受験者本人の能力ではなく「コミュ力」や性別によって決まっていたのですから、私の言うこともあながち大げさではなかったということです。これこそが「日本版」AO入試の内実です。そして、安倍首相のお友達が総長を務める早稲田大学が先頭に立ってこれを推し進めようとしているのです。

               

               

               

              行政の私物化、司法の私物化、税金の私物化つまり国家の私物化を合法化するには、民営化するに限る、というわけです。今に始まったことではありませんが、今回の私立大学の医学部入試の不正操作こそが、民営化の本当の目的を可視化してみせたのです。

               

               

               

              私は塾の教師をしているので、受験生の悔しさがわかります。将来を託すべき若者に、こんな理不尽な思いをさせている責任は大人にあるのです。上と横ばかり見て、安倍政権と同一化することで私腹を肥やそうとする大人に。

               

               

               

              若者は異議を唱えなければなりません。画像の女子大生のように。「ごまかすな。それはただの性差別だ!」「下駄を脱がせろ!」と叫ぶのです。政治的な意思表明は、あなたが人間として生きるために必要なことです。

               

               

               

              | 中高生の皆さんへ | 13:07 | comments(0) | - |
              私立大学の医学部は錬金術師たちの巣窟である。
              0

                そもそも経済的にゆとりのある家庭でなければ、私立大学の医学部を志望することはできません。ましてや受験など論外です。多くの人が知っているので話題にもなりませんが、私立大学の歯学部も同じです。

                 

                 

                 

                ブログで何度も言及してきましたが、日本の私立大学はもはや大学ではありません。学生とその保護者を ATM と勘違いした錬金術師たちの巣窟と化しています。そこに政財界の「大物」が絡んで、本来なら民主主義的手続きによって決めるべき学長選挙を牛耳っているのです。

                 

                 

                 

                むろん国立大学も、文科省を通じて政財界の軍門に下っています。国の言うことを聞かなければ、蛇口を締めてカネの流れを止めるぞ、と脅迫されて素直に従っているのですから。「役に立たない」文系学部を廃止する方針を打ち出したりするのもその流れです。

                 

                 

                 

                要するに、彼らは学問を「生産性」と「錬金術」の観点からしか見ていないのです。「生産性」とは財界の意向に沿うということであり、「錬金術」とは天下り先を確保することです。それを隠蔽するために屁理屈にすらなっていない屁理屈をこねます。

                 

                 

                 

                13日付けの朝日新聞朝刊によると、日本大学の医学部は、一般入試で繰り上げ合格者を決める際、医学部卒業生の子供計18人を優先して合格させていたとのことです。文科省から「不適切だ」と指摘されたことに、高山忠利医学部長は「入学意識が高く、大学の維持発展に資する可能性が高いためだった」と説明しています。しかもそれは「私立大学の裁量の範囲内だ」と言うのです。

                 

                 

                 

                「はあ〜、マジかよ?」という言葉がぴったりですね。「裁量の範囲内だ」という言葉は便利です。要は「入学者の選別は自分達が自由に決めていいのだ」と言っているのです。思えば、フェイクサイトを立ち上げて「許容範囲だ」と自分で勝手に判断していた大分市田尻にある学習空間LのK塾長は時代の先端を走っていたのですね。

                 

                 

                 

                ところで、「入学意識が高い」とは、どういう意味でしょうか。「学習意欲が高い」という言葉なら聞いたことがあるのですが・・・。具体的に言い換えてみましょう。

                 

                 

                 

                「パパがいつも言ってるように、ガツガツ勉強するのは貧乏人のやることでしょ。そんな勉強はまっぴらだよ。勉強は合格してからするから、なんとか医学部に合格させてよ〜。友達はみんな親の力とか金で合格してるよ。安倍首相も真っ赤なスポーツカーに乗って成蹊大学に通っていたというじゃない。とにかく合格したいんだよ!」というようなバカ息子を、日本大学の医学部は、「入学意識が高」いと言うのでしょうね。全国津々浦々でネトウヨ医師が跳梁跋扈しているのもうなずけます。

                 

                 

                 

                さらに「大学の維持発展に資する可能性が高い」とは、寄付金のみならず、国家試験にかこつけた特別講座や進級に際してたっぷり金を払ってくれそうだからという意味でしょう。要するに、いいカネづるになるということです。

                 

                 

                また同じ日、「文部科学省から、入試で性別や年齢によって差をつけていることが疑われる」と指摘された聖マリアンナ医科大は「属性による一律評価は行わず、受験生を個々に総合評価している」と反論し、問題はないとしています。

                 

                 

                 

                「属性による一律評価は行わず」とは「医師になる最低限の能力が備わっているかどうかを、公平な入学試験で判断しない」という意味でしょう。「公平なテスト」を「一律」という言葉を使って欠陥があるように見せかけ「個々に総合評価している」と言うのです。

                 

                 

                 

                「個々に総合評価している」とは、密室での談合を意味します。「一人一人の人脈・金脈を考慮して、自分たちに利益をもたらしてくれそうな受験生(の保護者)をピックアップして合否を決める」と言っているのです。ものは言いようですね。

                 

                 

                 

                私はこういう事実を聞いても驚きません。ブログで何度も指摘してきました。例えば2年以上前に書いた以下の記事をご覧下さい。

                 

                 

                「早稲田大学のAO・推薦入試について」

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=136

                 

                「民主主義は大学の門前で立ちすくむ。−慶応大学の学長選挙について。」

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=427

                 

                 

                 

                当の早稲田大学は、「属性による一律評価は行わず」、ひたすら推薦入試枠の拡大へと舵を切っています。その一方で、入試では「論理的思考力を試す」と言っているのですから、これほどの茶番もありません。

                 

                 

                 

                前にも書いたように、国民国家が空洞化し、アメリカ資本と一部の大企業が支配するコーポラティズムが国家の中心に居座っているのですから、当然の帰結です。この国は、大学も高校も義務教育すら株式会社化・民営化に向けてまっしぐらに突き進んでいます。その象徴が、山本太郎が言うように、利益相反行為を屁とも思わない竹中平蔵であり安倍晋三なのです。

                 

                 

                 

                ブログで書いてきたことがことごとく現実化しています。もはや手遅れでしょうが、この国を愛する者として、無抵抗で座視するわけにはいきません。来るべき経済恐慌と大地震、それに続く原発事故に備えようと思います。

                 

                 

                | 文学・哲学・思想 | 09:11 | comments(0) | - |
                浜田真理子という「歌い手」
                0

                  音楽には不案内なので、そもそも歌手になるためには、どういう活動をするのか知りません。

                   

                   

                  ・オーディションを受ける
                  ・ライブに出演する
                  ・ネット上に歌を公開する
                  ・音楽事務所にデモテープを送る

                   

                   

                  というくらいのことしか思いつきません。もちろん、甘っちょろい考えではプロの歌手になれないのは誰でもわかっています。だから、歌手は特殊な職業として認知されています。プロの歌手を目指して猛特訓に耐え、不遇の時代を乗りこえてメジャーデビューを果たすといったような。

                   

                   

                   

                  でも、職業としての歌手を目指すのではなく、その人の生き方・感受性が否応なく歌うことを必要としていて、気付けば運命に導かれるようにして歌を歌っていたということもあるのではないでしょうか。だからそういう人を、僕は「歌い手」と呼んでいます。そんなことどっちだっていいだろう、同じじゃないかと思う人も多いでしょう。でも僕にとってはかなりというか、決定的に違うのです。

                   

                   

                   

                  優劣を比較しているのではありません。僕の好みを話しているのです。これまでの経験から、どういうわけか、「歌い手」の歌に共感するからです。「歌い手」は聴衆に迎合しません。商業主義に毒された流行を追いかけません。万葉の歌人たちが歌を詠んだように、感情や思想が歌という表現形式をとってあふれ出るまで待っているのです。僕たちは、時を置いて、深化し更新された歌に再会するだけです。

                   

                   

                   

                  2002年、そういう歌い手の一人、浜田真理子に出会いました。当時、彼女のライブを収録したCD、『月の記憶』をよく聴きました。昨年は久しぶりのアルバム『タウン・ガール・ブルー』で眠れない夜をやり過ごしていたのです。

                   

                   

                   

                  僕が持っている浜田真理子のCDはこれですべてです。一番右が一番新しい『タウン・ガール・ブルー』です。昭和の懐かしい風情が漂っています。スタジオ収録よりもライブが圧倒的にいいですね。彼女は松江を中心に活動しているので、いつか生の演奏を聴きに行きたいものです。

                   

                   

                   

                   

                   

                  彼女が弾くピアノの音は、一つ一つが砕かれた氷のように透明で明晰です。そのピアノにあわせて歌う声は、正直で自然かつ素朴です。僕は音楽には、いい音といい声があると単純に信じているだけです。だからそれに出会った時は救われた気持ちになります。これ以上余計なコメントはいりませんね。もしよかったら、深夜、一人で聴いてみて下さい。

                   

                   

                   

                   

                   

                  | 音楽 | 11:51 | comments(0) | - |
                  今年の1枚(CD)
                  0

                    融通無碍というか、懐が深いというか、ジャズはいろいろな楽器のコラボを可能にしますね。というわけで、今年の1枚は以下のCDです。リラックスして全身をゆだねることができる稀有な作品です。

                     

                    ガンガバ=パリ

                     

                     

                     

                    演奏しているのはこの二人です。左がジャン・フィリップ・リキエル、右がランシネ・クヤテです。輸入版CDなので届くのにアマゾンで約1ヵ月かかりました。

                     

                     

                     

                    ジャン・フィリップ・リキエルはデザイナーのソニア・リキエルの息子さんです。1961年フランス生まれ。先天的に視力がなく、視覚記憶のない作曲家、編曲家、音楽家、キーボード奏者です。幼少より神童として音楽の才能を開花させますが、障害児であることをいたずらに取りざたされることを避けるため、デビューは1970年代後半まで保留とされたそうです。

                     

                     

                    ランシネ・クヤテは1968年、西アフリカのマリでグリオーの家系に生まれ、著名な女流吟遊詩人シラモリ・ジャバテを母に持ちます。バラフォン(西アフリカの木琴)演奏を父ナンコマン・クヤテから学びます。ちなみにグリオーとは、西アフリカの世襲制の伝統伝達者のことで、それぞれの家系により取り扱う楽器が限定されており、それぞれの演奏技法を肉親より受け継ぐ形をとっています。グリオーの存在は神聖化されており、一般の人は楽器に触れることが許されていないそうです。

                     

                     

                    内容紹介は以下の通りです。

                     

                    盲目のキーボーディスト/ピアニスト、ジャン = ピエール・リキエルとバラフォン演奏の継承者ランシネ・クヤテ。その長年に渡る音楽共同制作と友情の日々の中で生まれたのが本作品である。電子楽器を多用せず、余分なものを極限までそぎ落とし、リラックスした中でハーモニーを重ねていった結果、この美しいデュオが誕生した。民俗音楽とジャズが持つ異なる二つの特性、そしてピアノとバラフォンという構造も音色も異なる二つの打楽器が、時に奇跡のような同一性を持ちながら、煌びやかなハーモニーを奏でる。快活で刺激的な相互作用と、たおやかで温かい調和を一度に味わえる奇跡の一枚。

                     

                     

                    | 今年の1枚 | 11:46 | comments(0) | - |
                    高校生に読んでほしい1冊の本 − 受験英語の向こう側へ。
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                      高校生の皆さんこんにちは。私たちが英語を学ぶ目的は何でしょうか。旅行や買い物のため?それとも契約書や製品の仕様書を読むためでしょうか?あるいは外国人に道を尋ねられた時、自信を持って答えるためでしょうか?

                       

                       

                       

                      僕は外国人に道を尋ねられたことはありません。かりに尋ねられたとして、道順や目的地を知っている確率はどのくらいでしょうか。今はスマホで調べれば簡単にわかる時代です。グーグルの翻訳機能を使えば、数十ヵ国の言語に翻訳できます。実用的な英語はAIに取って代わられるのです。実用英語のフォーマットはビッグデータに無数と言っていいくらい蓄積されているのですから。

                       

                       

                       

                      英語を学ぶ目的は、母語的な枠組みを抜け出して、未知のもの、新しいものに出会うことです。当然とされているものの見方に揺さぶりをかけるためです。それは英米の文化を深く学ぶことによってのみ可能となります。

                       

                       

                       

                      今回は高校生の時に読んでほしい本(小説)を紹介します。高校生の時でなければダメなのか、小説なんていつ読んでもいいではないかと思う人もいるでしょうね。

                       

                       

                       

                      そもそも今の高校生は、小説はおろか本も読まないと言われています。でも、中には、小説や詩を読むことで、自分の感受性が世界の感受性とつながっていることを発見する人もいるでしょう。自分の感受性の変化が世界の変化につながる、そこに希望がある、と考えるのです。

                       

                       

                       

                      自分の経験を振り返ってみると、小説から深く影響されるには、それを読む年代やタイミングがあるように思います。深く影響されるとは、現実と拮抗する世界を自分の内部に築くということです。つまり、その世界を基準にして逆に現実を見るということです。

                       

                       

                       

                       

                      現実を絶対視し、それに屈服し、その中でよろしくやることだけを考えるようになってからでは遅いのです。僕は比較的早い時期に大人世界のイカサマ性というか鈍感さ、権力的な体質を嗅ぎ取ることができました。

                       

                       

                       

                      以来、大人のやっていることに、いちいちムカついていました。頭ではバカげていると分かっていたのですが、受け入れようとすると身体が拒否反応を示すのです。そして自分もあんな大人になっていくのかもしれない。それは何となく予感できる。でもあんな大人にだけはなりたくない、なるまいと考える。

                       

                       

                       

                      つまり「世の中はみんな金や地位といった外形的なことしか考えないバカばっかりで、自分だけが正しい」と思いつめるのです。これは若い時の特権ですね。今回紹介する小説は、そんな高校生のギリギリのところを描いた作品です。

                       

                       

                       

                      その小説は次のように始まります。

                       

                       

                      If you really want to hear about it, the first thing you’ll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don’t feel like going into it.

                       

                       

                       

                       この小説は高校を中退せざるを得なかった少年が語り手なのですが、冒頭部分を読んで皆さんはどんな感じがしましたか。理路整然とした冷静な語り口でしょうか。違いますね。どこかせわしない、落ち着きのない感じです。青年期特有の不安も見え隠れしています。もちろんこれはかなり読み進んでわかることです。

                       

                       

                       

                      僕がこの小説を始めて読んだのは、大学受験に失敗して浪人しているときでした。まあ、ギリギリ高校生と言える時期ですね。「you」って誰、オレのことかな。「it」って何のことだよ。まして、and all がこの語り手の口癖で、「〜とか」という意味だとは知る由もありませんでした。lousy だとか crap という単語も見たことがなかったのです。学校の教科書には出てきませんからね。

                       

                       

                       

                      それでも読み進めました。我慢して数十ページほど読み進めると、語り手の高校生の声が聞こえて来て、気持ちが分かるようになりました。英語の小説を読むときは「今は分からなくても、そのうち分かるようになる」という経験を積み重ねることが大事ですね。

                       

                       

                       

                      そんなわけで僕が英語を勉強していてよかったと思うのは、英米の現代小説を読んで、作者の個性つまりそれを生みだしている社会の根底にある「文化」に触れた時なのです。英語を通じて獲得するものが「文化」でないとしたら、一体外国語を学ぶ意味などあるのでしょうか。

                       

                       

                       

                      文部科学省の推進する英語の4技能向上とは、つまるところアメリカの植民地で行われる宗主国の言語教育を意味します。それは宗主国アメリカに仕え、日本の富を売り渡すことになんら痛痒を感じない官僚や財界人が、自分たちの地位を保全するために考え出した仕掛けに過ぎません。それを国民の税金を使ってやるのです。

                       

                       

                       

                      彼らの言語観は「言葉は道具(ツール)である」というものです。その根底には、意味さえ伝わればいいと考える貧困な言語観があります。

                       

                       

                       

                      文科省の『「英語ができる日本人」の育成のための行動計画の策定について』には、「金」と「競争」と「格付け」の話しか出てきません。平田オリザさんに言わせると、日本の英語教育は「ユニクロのシンガポール支店長を育てる教育」だそうです。言い得て妙ですね。

                       

                       

                       

                      話がそれました。小説の話でしたね。上に挙げた小説の冒頭を日本語に訳してみましょう。

                       

                       

                       

                      「もしあなたがそれについて本当に聞きたいなら、あなたがおそらく最初に知りたいのは、私がどこで生まれて、私のお粗末な少年時代がいかなるものであったか、そして私を生む前に私の両親がどのようなことに従事していたか等々のデイヴィッド・コパフィールド風の下らぬ話であろうが、私はそれに立ち入る気はない。」

                       

                       

                       

                      この訳は構文を正確にとらえた、大学入試なら満点の訳です。「言葉は道具(ツール)である」とする言語観からすれば見事な出来栄えと言うほかありません。

                       

                       

                       

                      しかし本当でしょうか。言葉には意味だけではなく、姿があります。文体と言ってもいいですね。人にたたずまいがあるように、文にもそれがあります。そして僕たちの精神に影響を与えるのは、語り口、トーン、すなわち作者の個性なのです。意味を抽出したら言葉は用済みだとすれば、人間が書く文とAIが書く文の区別はつかなくなってしまいます。

                       

                       

                       

                      同じ箇所の別の訳文を挙げます。

                       

                       

                      「もし君がほんとに僕の話を聞きたいんだったら、まず知りたがるのはたぶん、僕がどこで生まれたかとか、子どもの頃のしょうもない話とか、僕が生まれる前に両親は何をやっていたかとかなんとか、そういうデイヴィッド・コパフィールドっぽい寝言だろうと思うんだけど、そういうことって、話す気になれないんだよね。」

                       

                       

                       

                      この訳はどうでしょう。とてもいいですね。これなら語り手の高校生の個性が伝わってきます。先を読みたくなりますね。でも「デイヴィッド・コパフィールドっぽい寝言」とはどういう意味でしょうか。

                       

                       

                       

                      デイヴィッド・コパフィールドはイギリスの文豪チャールズ・ディケンズの小説です。実は「僕はデイヴィッド・コパフィールドみたいなどうでもいい話はしたくない」というのは「僕はイギリス人みたいな話はしたくない」ということなのです。

                       

                       

                       

                      ここはよくわかります。僕が初めて読んだ長編小説はペンギンブック版で600ページ以上ある『 Of Human Bondage 』(人間の絆)でした。イギリスの作家、サマセット・モームが書いた小説です。デイヴィッド・コパフィールドも700ページ以上ある長編小説です。この両者とも、主人公が生まれたところから始まって、世間の無理解や逆境を乗り越え、波乱万丈の人生を生きて、最後に「いい人生だったなあ」と回想する話です。これはイギリスの小説の典型です。

                       

                      初めて読んだ長編小説。『 Of Human Bondage 』表紙にフィルムを貼って補修しています。ちなみに左のページクリップは高3のY・Nさんからのプレゼントです。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      そこには、自分という人間を語るのに、どこで生まれ、親はどこの誰それで、どういう親戚がいて、どういう暮らしをしてきたのか、それを順序立てて話すことが、自分を語ることになるという前提があるのです。

                       

                       

                       

                      しかし、アメリカ人の語り手である少年にはこれがウザい。そんなことで自分を語った気にはなれない。どこで生まれたかとか、親がどんなだったとか、自分が子どものころどうだったかさえ、そんなことをしゃべっても、自分を分かってもらえる気がしない。過去や世界とのつながりなんてしゃべったところで自分を語った気になれない。今ここにいる自分がすべてなんだ、というわけです。これは極めてアメリカ的な考え方です。

                       

                       

                       

                      アメリカの後を追いかける日本もいわゆる格差社会・階級社会になりつつあります。本来なら、そういった格差や不平等に対して嫌悪を感じるはずの若い人たちでさえ、学歴や勤めている会社、親の職業、住んでいる場所など、外形的なもので人を値踏みする傾向があります。いわゆる「知的な職業」や「専門職」についている人ほど、この傾向を受け入れています。

                       

                       

                       

                      作者J・D・サリンジャーは、そういった大人社会を軽蔑し、憎みながらも不安にかられ、出口の見えない世界でもがき続ける少年の内面を描いたのです。つまり、社会に適応できない少年の撞着を文学に昇華したのですね。よかったら、村上春樹氏の翻訳で読んでみて下さい。原題は『ライ麦畑でつかまえて』( The Catcher in the Rye)です。共感するか反発するか、それはあなた次第です。長くなりました。ここまで読んでくれてありがとう。それではまた次回お会いしましょう。

                       

                       

                       

                      | 英語教育 | 13:06 | comments(1) | - |
                      飼いならされるな、高校生!
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                        高校生の皆さんこんにちは。今回のタイトルを見て、一体いつの時代のアジテーションだと思う人もいるでしょうね。もちろん普段は授業をしています。こんなことを叫び続けてきたわけではありません。でもなんだかんだ言っても、これが私の最も言いたいことです。

                         

                         

                        知性主義の前提が崩れ去った今、言い換えれば知が大学の専有物ではなくなった社会で、大学の先生や有名な権威ある思想家の言葉をコピーすれば知性が身に付くと勘違いすることほど危険なことはありません。

                         

                         

                        具体例を挙げてみます。『超訳・ニーチェの言葉』という詐欺本、トンデモ本がベストセラーになったのは、2015年のことです。「愛がいかに人を盲目にし、愚かな判断を下すか」を批判していたニーチェの文章が、この本の中では愛の美しさをたたえるような正反対の意味になっています。

                         

                         

                        当の『善悪の彼岸』の中には、「今日のヨーロッパの道徳は、家畜の群れの道徳なのだ」という痛烈な1節があるのです。ニーチェは今ある社会の秩序や価値基準に適応し、その内側でのみ成功しようとする俗人を徹底的に軽蔑した人です。ドイツ語を正確に訳せないので「超訳」、ニーチェの「思想」ではなく「言葉」。いくらでも言い逃れができるようになっています。

                         

                         

                        同じ年、ブログでも取り上げた『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』という詐欺本もベストセラーになっています。以上の2冊は、それぞれ100万部以上を売り上げ、日本でポスト・トゥルースのさきがけとなった本です。

                         

                         

                        『ビリギャル本』の中には、私立の中学受験を突破した生徒が「聖徳太子」を読めずに、「しょうとくタコ」と読むエピソードが出てきます。この本の読者はこの種の話に違和感を覚えずに読み進められる人たちなのでしょう。あるいは、「話を盛る」のは、普通のことだとして気にも留めないのでしょうね。

                         

                         

                        そう言えば、ポスト・トゥルースの風潮の中、フェイクニュースならぬフェイクサイトを立ち上げて、塾の宣伝をしていた大分市田尻のK塾長のような人物もいました。フェイクサイトを立ち上げるくらいは「許容範囲だと思った」そうです。「許容範囲」かどうかを自分で決めるところがすごい。一橋大学法学部で一体何を勉強していたのでしょうか。

                         

                         

                        話を元に戻します。『ビリギャル本』の主人公は、学校では爆睡。それを注意されると、お母さんが「学校しか、寝る場所がないんです・・・慶応に行く子なんです。寝かせて下さい」と押し切ったそうです。慶応に行かない子は、役にも立たない授業を真面目に受けろというのでしょうか。

                         

                         

                        自分の子供を「慶応に行く子」と形容し、だから特別扱いしろと学校にねじ込むとは、どこまで自分勝手でわがままな親なのでしょうか。「あなたの授業は受験に関係ないから、寝かせろ」と言われた教師は悔しくなかったのでしょうか。

                         

                         

                        要は、『ビリギャル本』の著者が冒頭のモノローグで言うように、この本の功績は「人間にとって一番大切なのは、このゼッタイ無理を、克服した体験だ」という価値観を広めたことだそうです。

                         

                         

                        逆に言うと「ゼッタイ無理」だと思えることを成し遂げるなら、目標は慶応はおろか大学受験である必要はないのです。水の中に10分間潜っているとか、フルマラソンを1時間で走るとか。でもこれは本物の「ゼッタイ無理」です。この著者は言葉を「盛る」のが得意ですね。

                         

                         

                        そういうわけで、この種の話は「受験モノ」になることが多い。格差社会に挑んでいるように見えて、格差社会の価値観を強化しているところが読者の潜在的な願望を刺激するのでしょうね。

                         

                         

                        それになんと言っても、結果が偏差値や合否に表われるので分かりやすい。何より、まともな思考力のない、ミーハーの読者をねらって出版社や映画会社が儲けることができます。最近では、ビリギャル本人がこの価値観を広めるべく全国の高校で講演して回っているそうです。「佐藤ママ」が本を出版し、講演しているのと同じ「現象」です。

                         

                         

                        さらに言えば、「べつに、大学くらい出とけっていわれるから来ただけだよ。就職するときヤバいかもって。本当にやりたいことなんかあるわけないじゃん。大学なんて就職までの時間を楽しく過ごす場所だと思ってるし・・・」という、ごく普通の若者の感性が社会現象になったということです。

                         

                         

                        つまり、大学は「形式」だけで、内実を伴わなくてもよい。むしろ内実があれば勉強しなくてはならないから、邪魔でウザい。大学の価値がそういうものになり果てたということです。

                         

                         

                        最初に書こうとしていたことから話が大きくそれてしまいました。高校生の時にどうしても読んでほしい(と私が思う)本を挙げるつもりでした。それは、飼いならされる人生なんてごめんだ、と感じている少数の高校生に向けてのものです。長くなるので今回はここまでにします。続きは次回に譲ります。

                         

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