数日前、用があってパーク・プレイスに行きました。「くまざわ書店」に向かっていると、場内アナウンスで英会話教室の宣伝が流れてきました。な・な・なんと「ゼロ歳からの英会話」と叫んでいるではありませんか。
えっ、びっくりするのはお前だけだよ、とおっしゃるのでしょうか。そうかもしれませんね。なるほど、そのアナウンスに衝撃を受け、精神が錯乱して脳波が乱れ、よだれが垂れて二つの眼球が飛び出したりするのは私くらいかもしれません。
まわりを見ると、皆さんほとんど聞いていないか、軽〜く聞き流してショッピングを楽しんでいるようでした。でもちょっと考えてみて下さい。「ゼロ歳からの英会話」なんですよ!ゼロ歳と言えば、まだ1歳になっていないんですよ!当たり前ですが・・・。自分の親の顔がやっとわかりかけるころから、「英会話」なんですよ!
ゼロ歳から自分の子供に「英会話を習わせよっかな〜」と考えている親御さんにぜひ会ってみたい。いや、マジで。なぜ日本語ではなくて「英会話」なのか、訊いてみたいものです!自分の子供をアメリカ人にでも育てるつもりなのでしょうか?
「子供4人全員を東大医学部に合格させた佐藤ママも、4人全員を1歳から苦悶式に通わせたというじゃないの。1歳からじゃもう遅いのよ。ゼロ歳からじゃなくっちゃ、もう無理!」などという返事が帰ってきたらどうしましょう。
そんな親の相手をするのは、まともな神経をしている私には、もう無理!です。いっそのこと、ライダーキックでもくらわして逃げようか。いや、四の痔固め(字が違うことくらい分かっていますよ。安倍ちゃんじゃないんだから)のあと、連続技で逆エビ固めを食らわして泡を吹かせ、ギブアップさせてやろうかと想像したくらいです。
やれ、東大医学部だ、ハーバードだ(ここはヨットハーバーど!なんちゃって)、ジュリアード音楽院だ、受験は母親が9割なのだ!英語で一流を育てるのだ!バカボンのママなのだ!グローバル社会で落ちこぼれたら悲惨なものよ。一気に貧困層へ転落よ!剛力 彩芽と宇宙にも行けないのよ!どうしてくれるのよ!
どうもしませんけど・・・。世の母親たちを焦らせ、競争に駆り立てる「一流」の母親たちと出版社。出版不況の中で一定数の読者を獲得しようと思えば、周囲は皆ライバルだと考え、自分の子供だけは「1%」の「一流」に育てようと妄想する付和雷同型の親をターゲットにするしかないのですね。
この種の親たちは、自分の発言や行動が、世の中に差別的な空気を作り出していることに気付いていません。いや、なんとなく気付いているのかも知れませんね。それで「グローバル社会」という中身の全くない言葉を呪文のように唱和して、世の母親たちだけでなく、自分をごまかしているのです。
ダグラス・ダミス氏は『イデオロギーとしての英会話』の中で「英会話の世界は人種差別である。雇用方式において人種差別であり、その広告が人種差別であり、テキストブックやクラスに蔓延するイデオロギーにおいて人種差別的」だと言っています。極端な言説でしょうか。
作家で詩人の富岡多恵子氏が『英会話私情』(集英社文庫)の中で、「英会話は敗戦によって生まれた日本独特の大衆文化である。従って英会話という言葉があるうちは、まだ戦後である」と喝破していたのを思い出しました。寸鉄人を刺す見事な例です。
いえ、何もこれから英会話を学ぼうとしている人を冷やかそうと思っているわけではありません。すぐ「なんだこいつ、上から目線でエラソ〜に言いやがって」などと思っている、そこのあなた。私は誰もが納得する経営学の基本を語ろうとしているだけです。
「日本もどんどんグローバル化して、オリパラ(なんのこっちゃ)やラグビーのワールカッ(末尾のdとpは発音しません)もありますよね。それで外国人の方が大勢やって来ていますでしょ。で、いつ道を尋ねられてもいいように、英会話を勉強しようかと思っているのです」とおっしゃる女性に相談を持ちかけられたことがあります。いや〜、なんというお人好しのボランティア精神でしょうか。
でもちょっと待って下さい。いったい世界のどこに、道を尋ねられたときのために外国語を学ぶ人がいるというのでしょう。私の狭い経験でも、日本人以外でそんな動機を持っている人に出会ったことがありません。
その時のために少なからぬお金を払い、何年も英語を勉強してきたにもかかわらず、道を尋ねられなかったらどうするのでしょう。それに相手の言うことをカンペキに聞き取れても、たまたま尋ねられた場所を知らなかった場合は、いったいどうするのでしょうか。
私はこういう人には必ず次のように訊きます。
・あなたはどんな苦労をしてでも英語が使えるようになりたいですか?
・あなたが身につけたい、身につけなければならない英語は、どのようなものですか?
・その英語を手段として、あなたは何をやるつもりですか?
・その英語を身につけるために、毎日どれくらいの時間を使えますか?
・それをいつまでに実現されるつもりですか?
以上の質問にできるだけ具体的かつ明確に答えてみて下さい。それによってあなたが必要とする英語学習の量と方法が決まるからです、と言います。
「教養を高めるため」とか「英会話を趣味にしたい」とか「ボケ防止のために」などという人には次のように念を押します。「教養を高めたり、趣味にしたり、ボケ防止のためにするのが英語でなくてはダメなのですか?」と。
ダイエットを目的とするエクササイズや健康食品の定期購入、アンチエイジングのための化粧品のお試し買いなどと同じノリで英語学習を考えているなら、やめた方がいいとアドバイスします。
そして、「なかなか上達しない英語に時間とお金をかけてイライラするくらいなら、映画を観たり、読書をしたり、好きな歌手やグループの追っかけをやったり、スポーツでいい汗を流し、美味しい料理に舌鼓を打つ方が、はるかに有意義な人生を送ることになると思いませんか」と言います。ほとんどの人は「それはそうよね」と珍しく私の考えに賛同してくれます。
そもそも英語を習得することによって得られるメリットと、その修得にかかるコストを考えた場合、つまりインヴェスティッド・キャピタル(投下資本)とそこから得られるベネフィット(利益)を計算してコスト・パフォーマンスを考えた場合、コストがメリットを上回ると予想されたら、それには手を出さないのが、資本主義社会における経営学のイロハではないでしょうか。柄にもなくカタカナだらけの説明をしましたが、実は小学生でもやっていることです。
私は子供たちに、できることなら生き生きと自分固有の人生を生きてほしいと思っています。英語学習がそのために必要であれば、勉強方法を教えますし、自分の経験を語りたいと思います。
しかし、よく考えてみると、べつに英語ができなくても困らない国に私たちは生きているのです。(日本語という)母語だけで人生のほとんどを過ごせる国はそうそうありません。私たちは日本という国の文化的資源の豊かさにもっと感謝すべきなのです。
それでもどうしても英語のプロになりたいと考えている人には二つだけアドバイスをしたいと思います。
1:涙ぐましいというか、時には痛ましいような努力が、生涯を通じてなされるという、いわば「終わりのない旅」を覚悟しなければならないということ。
2:日本人が英語を話せない本当の原因は、すでに述べたように切実な必要性がないからです。言い換えると、目標が明確であればあるほど、目標を達成する可能性は高くなります。学習過程で味わう不安や焦燥感は、目的意識が強ければ強いほど、払拭されるということです。
あなたは目標をきちっと設定して、それに情熱を傾け、好奇心を絶えずかきたてて日々英語の学習にまい進する、前向きのマゾヒストになれますか?
私は年端も行かない子供たちに、「楽しいね!」「やればできるじゃん!」などという言葉をかけて英語学習を強制することに何のメリットも感じません。彼らの人生の貴重な時間を奪っているだけです。長じて、せいぜい上品な差別主義者になるのが関の山です。そんなことなら、鼻くそをほじくりながら寝ていた方がはるかにましだと断言できます。
もちろん、自分で目標をはっきり設定できる高校生くらいになれば、話は別です。一時期、死ぬほど勉強するのも悪くないと思います。でもどうして「英語」なのかなあ。答えは富岡多恵子氏の言葉にあります。
この話題は次回に続きますが、以下はアクセス数がとても多い記事です。参考にしていただけると幸いです。
『早期英語教育は、子供たちから考える力を奪う。』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=419