情報格差・経済格差を背景にしたある種のゲームと化した受験勉強を続ければ人格が空洞化せざるを得ない、という話でした。今や受験は完全に形骸化し、視野狭窄のブランド志向をくすぶらせているだけです。
お前は他人の人格が空洞化しているなどと根拠のない思い込みや偏見を押し付けているが、人格についてあれこれ言うのはマナー違反ではないのか、という反論が返ってきそうですね。
しかし、人格を問題にするなという反論は、天皇を政治利用して恥じないうつけ者の総理大臣とそれを利用して内部留保をため込む道徳なき財界にとって都合のいいマナーなのです。
これは、様々な分野で破局が進行しているにもかかわらず、東京オリンピックを成功させようというスローガンでウソのように軽い空気を作り出し、自分たちに倫理的な批判の矢が飛んで来ないように仕向けた金と権力の亡者たちの屁理屈に過ぎません。
人類の歴史をひもとくまでもなく、国家を破滅に導くのは、一部特権階級の国家主義的イデオロギーと版図の拡大欲求、負けた戦争の復讐、そして何よりトップに立つ人間の現人神になりたいという潜在的な欲求であり、それを目指しているという恍惚感なのです。
話がそれましたが、塾教師としての経験から、受験勉強がなぜ人格の空洞化につながるのかという問いとそれに対する答えは、今の社会の特殊性を念頭に数回に分けて書くつもりです。特に、自分はそれなりに生徒を教え、上の学校に合格させているのだから、人格の空洞化とは何のことかわからないと考えている塾・予備校教師や学校教師の皆さんにはぜひ読んでもらいたいと思います。
今回はそれについて書く前に、人格を空洞化させないために、絶えず立ち返るべき原点を今一度挙げておきます。
ガンジーの言う「七つの社会的罪」(Seven Social Sins)です。
1. 理念なき政治 (Politics without Principle)
2. 労働なき富 (Wealth without Work)
3. 良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)
4. 人格なき学識 (Knowledge without Character)
5. 道徳なき商業 (Commerce without Morality)
6. 人間性なき科学 (Science without Humanity)
7. 献身なき信仰 (Worship without Sacrifice)
道徳心理学者のジョナサン・ハイトが言うように、論理を方向付けるのは感情です。感情が劣化した人間が論理をもてあそべばどうなるか。ガンジーは「七つの社会的罪」でマナーについて論じているのではありません。倫理すなわち人格について論じているのです。
ここからが本題です。まず人格が空洞化していないと私が考える大人に登場してもらいましょう。私は彼の紡ぐ言葉に魅了されました。今でも読むと目がしらが熱くなります。なぜなら、60歳を過ぎてここまで私心のない文章を書ける裁判官はめったにいないからです。素晴らしい判決文は、法的な枠組みを超えて高い倫理性を帯びてくるものです。
その裁判官、樋口英明さんが大分にやって来ます。6月23日(日曜日)ホルトホール大分・大会議室(3F)の講演会に是非行きましょう。
私の出身校である大分上野丘高校の先生方や生徒さんたちは、彼の話にきっと共感してくれるだろうと思います。特に大学の法学部を目指し、将来、裁判官や弁護士、検察官を希望している人にはめったにない機会です。当日は高校生の皆さんで一杯になるといいですね。
以下は2014年の判決文より一部抜粋したものです。主権者教育をしっかりやっている高校の先生方やゲームとしての受験勉強に飽きている高校生に読んでもらいたいと思います。
「個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、わが国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。」
「被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものにかかわる権利と電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。」
「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」
「原子力発電技術の危険性の本質およびそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的な危険性が万が一にでもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。」
樋口裁判長と真逆の判決を書いたのが大分地裁の佐藤重徳裁判長です。暇があったらお読み下さい。
「大分地裁佐藤重憲裁判長、伊方原発差し止め却下。」
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=520
「大分地裁裁判長への意見陳述書」
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=426