先日、ジュンク堂書店で必要な本を買い、レジに並んでいました。ちなみに私は田舎に住んでいるので、書籍の9割は古本を含めアマゾンで購入しています。それでも、一月に数回は書店に行きます。書店で偶然見つけた本の中に、その後の人生に多大な影響を及ぼしたものがあったからです。思えば、本との偶然の出会いは様々な恩恵をもたらしてくれました。
スティーブ・ジョブズではありませんが、若いころ読んだ本がその時は点(dot)でも、それが繋がって線となり、面となり、50歳を過ぎて一つの像(picture)を結ぶようになってくると毎日が楽しくなってきます。世界を読解する醍醐味とでも言えばいいのでしょうか。病気にでもならない限り、この楽しみは死ぬまで続きそうです。少なくとも私には歳をとったり退屈している暇などないのです。知りたいことが山のようにあるのですから。
時々「いや〜、そんなことは学校で習わなかったからね〜」という大人がいますが、わからないことがあれば自分で納得するまで調べ、知識を積み上げていくしかありません。それを怠っておいて自分の無知を学校のせいにするなど、たとえ冗談でも情けなくなります。日本の学校教育はこういう大人を大量に育てているのです。
話が脱線しました。ジュンク堂のレジの場面に戻ります。私の隣に、70歳過ぎとおぼしき白髪の老人がレジに並んでいました。同じ雑誌を2冊ずつ、合計4冊を手に持っています。ネトウヨ雑誌の『 WiLL 』と『 Hanada 』でした。
70歳過ぎて読む雑誌がこれかと、少し気の毒になったのですが、それは私の傲慢というものです。人がどんな雑誌を読もうが、他人に干渉されるいわれはありません。私は代金を払い書店を後にしました。その老人のことを気の毒に思ったことを反省したものの、そのシーンがいつまでも心に引っ掛かっていました。
数週間が経ち、その老人のことを忘れかけたころ、偶然以下の記事を見つけました。ブログでネトウヨを批判してきましたが、その内実はここに書かれている通りなのではないかと思います。もちろんこれは例外的なケースかもしれません。人は歳をとると寂しくなり、何かにすがりたくなるものです。以下の小論を読み、老人のことを気の毒に思った理由がわかったような気がしたのです。
亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07251101/
あわせて、今年の7月22日に Film photography さんから頂いたコメントも掲載しておきます。
― コメントをいただきありがとうございます。
低投票率に落胆しつつも、参院選挙結果には一縷の希望を見出すことができました。落ちたりといえども比例でわれわれ国民の代表二人を国政に送り込んだ山本太郎氏の笑顔の清々しさに心を洗われた気分です。次の衆院選に希望を繋ぐことができました。
さて、3・11を界にこの国は全く変わってしまいました。いや、本当はそれ以前から変わりつつあったのかもしれません。日米安保条約新ガイドライン(1997)に始まり、小泉政権下の自衛隊イラク派遣(2003)に戦争への階段を昇りつつあることを、わたくしの父を含む戦争世代は敏感に感じ取っていたようです。亡き父が遺した手記には、岸信介がいかなる人間であったか、そして満州の地でその者どもによって棄てられた者の一人として、かの時代が再び到来することへの恐れと危惧が書き連ねられています。
3・11は我々の国の第二の敗戦日と思います。8・15に続く彼の地での棄民と同じく、自己責任とばかりに棄民が公然と行われるその始まりでした。オリンピック招致が決まった瞬間の強烈な違和感、不都合なる事実を棄てるための壮大な虚飾・粉飾・嘘や偽りが当たり前の世の中にもはや声も上げることもできず、寝たきりとなっていた父がどんなに無念と歯噛みしたことか、その思いをわたくしは引き継いでいこうと思います。
それこそ、戦争世代を親に持つ大人の将来世代への責任だと考えます。―