息を吐くようにウソを言い、フリガナだらけの原稿を棒読みするか屁理屈で時間を稼いで野党議員の質問をはぐらかす。かと思えば、コロナウィルス対策のスタンドプレーで支持率回復を狙う。疫病から国民の命や生活を守ることは、本来専門家が迅速に決断することで、政治は財政面を含めてそれを後押しすればいいのです。「ボクちゃん」の出番はないのです。
ところが、原発事故の際に湧いて出てきた御用学者同様、当の専門家を信用できないときています。だから、国民は徐々に殺されていく運命だと言ったのです。政治の無策が原因で殺されたくなかったら、「ボクちゃん」を一刻も早く辞めさせることだと言い続けて8年になります。
政治家は国民の日々の暮らしの上に載っている神輿に過ぎません。神輿が威張りちらし、我が物顔に振る舞い、国富を私物化して恥じないなら、そんな神輿は放り投げればいいのです。しかし、その神輿をありがたがって担いでいるのが、倫理なき経済界なのです。
今度の全国の小中高等学校の一斉休校も、「ボクちゃん」の頭にパッとひらめいた思いつきに過ぎません。一斉休校すれば、給食も止まります。止まると野菜も肉も生乳も大量に余ります。農業や酪農で生計を立てている人の生活を直撃するのです。当然経済的ダメージも計り知れません。そのうえ食事抜きの子供も出てきます。
そんな諸問題についての政府説明は一切なしです。自民党議員よ!バカの気まぐれに付き合うのもいい加減にせよ!と言ってもあなたたちもバカだから「どうしようもねえな」。
かくも幼稚な戦争屋が憲法を改正して、緊急事態条項を手に入れようものなら、この国は本当に終わってしまいます。いや、3・11の原発事故の際、「ボクちゃん」が総理をしていたら、東日本はまちがいなく全滅していたでしょう。
歴史にifはないと言われますが、過去を振り返り「ありえたかもしれない地点」に立ち戻って考えることこそが、私たちの社会をより良きものしていくために必要な真に自由な精神的な態度です。
コロナウィルスが全国に蔓延しているとき、南海トラフ地震が日本を襲い、原発が暴走し、放射能をまき散らしている事態をシュミレーションしている政治家がいるでしょうか。そういうわけですから、コロナウィルスの封じ込めは失敗するでしょう。その結果私たちの価値観は大きく転換せざるを得ません。
最後に、時間を持て余すかもしれない中高生に一つだけ映画を推薦しておきます。タイトルは『メランコリア』です。アマゾンプライムでもネットフリックスでも観ることができます。惑星が地球に衝突する話ですが、アルベール・カミュの『ペスト』と同じように、驚くべき洞察に満ちた作品です。
私たちは、人間がまとっている外形的なもの、学歴や勤めている会社、あるいは地縁血縁といったもので人の価値を判断します。たまたま能力が高く、美形で、家庭環境に恵まれた人が活躍し見返りを得るのは当然で、そうでない人が落ちぶれるのは必然で仕方ない、「自己責任」だと考えるのが今の社会です。
たまたま裕福な家庭に生まれ、たまたま多数派に属している人が、自らの地位を当然だと思い、頭数を武器に民主的な暴政をふるっているのが今の日本です。
それをただすにはどうすればいいのでしょうか。人格に対する洞察力を高めるしかありません。外形的なものにとらわれず、相手の言葉や立ち居振る舞い、笑ったり、怒ったり、悲しんだりするときの様子を観察することです。その結果、自分の内面に起こった感情の由来を確かめる、私にはそれしか思いつきません。