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 (JUGEMレビュー »)

まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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スベトラーナ・アレクシエービッチ
今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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この本は実は哲学的で難しいですね。最初から熟読するのではなく、折に触れてページをめくるような読み方がいいようです。ところどころに、ブログで紹介したような言葉があり、はっとさせられます。彼のアフォリズム集として読むのがおすすめです。
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議論を「脱線させる」学者風テレビ芸人。
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    ルーリーちゃんが色々と反論しているようです。「このレベルの発言が難しいとなれば、この国でまともな安保論議をすることは不可能です。」「考えてみれば、これもまた、安全保障を法解釈でしか語れなかった結果として、この国に根付いてしまった悪癖かもしれません。」とおっしゃっています。

     

     

     

    「安全保障を法解釈でしか語れなかった」って、ルーリーちゃんのような学者風テレビ芸人や政治家、評論家、コメンテーター、マスメディアを指して言っているのでしょうか。語るには相手が必要です。相手はもちろん国民です。ということは国民のことなど誰も考えてこなかったということになりますね。

     

     

     

    「法解釈」ではなく、具体的事実をもとに、国民に向けて安全保障を語るのはもちろん政権与党の責任ですよね。でも安倍政権は「北朝鮮をめぐる緊迫した状況」と言うだけで、何一つ説明していません。そんな中、ルーリーちゃんは、安倍政権に忖度せずに大胆に語っているのだ、と言いたいのでしょう。それにしては中身があまりにもお粗末すぎます。

     

     

     

    ところで、具体的事実をもとに安全保障について語るのであれば、「スリーパーセル」が原発にテロを仕掛ける危険性や、北朝鮮のミサイルが原発に着弾した時の被害想定を語る必要があります。

     

     

     

    でもどういうわけか、ルーリーちゃんは北朝鮮のテロリストのことは語っても、原発が攻撃される危険性には触れません。これでは「まともな安保論議をすることは不可能です。」この点を安倍総理にじかに問いただしたのは山本太郎議員一人です。安倍総理はいつものように逃げて答えませんでしたが。

     

    山本太郎議員の追及、見事です。国民が一番知りたいことをこれほど簡潔かつ論理的に話せる議員はいません。ルーリーちゃんもせめてこのくらいのことを、テレビで言ってくれればいいのに。

     

     

     

     

    そもそも、戦争になり北朝鮮が日本を攻撃するとなったら、最大の弱点である原発を攻撃するはずです。最も確実かつ致命的なにダメージを与えられるのですから。こんなことは小学生でもわかることです。

     

     

     

    黙って嵐が過ぎ去るのを待っていればいいものを、ルーリーちゃんは反論されるとムキになるようです。だれよりも正確な(フェイク)情報を持っているアタマの良い私が批判されるなんてがまんできないと思ったのでしょうか。次のようなことも言っています。

     

     

     

    「過去の警察白書を通しての記述と大震災時の迫撃砲発見などの事後的な未遂案件で皆さんが納得するレベルでは十分な公開情報がとれます。スリーパーセルというのは単に工作員の形態に着目した呼び方の問題です。もちろんメディア各社できちんと取材されている記者はもっと情報をもらっているはずです。」

     

     

     

    頭が悪いせいか「事後的な未遂案件で皆さんが納得するレベルでは十分な公開情報がとれます。」という日本語が何度読んでも分かりません。「事後的な未遂案件」って何?こういう言葉をツルツルと何の抵抗もなく吐き出せることが、アタマの良い証拠だと勘違いしているのでしょうね。「大震災時の迫撃砲発見」などという与太話を簡単に信じてしまうのも、彼女のアタマの良さを表わしているのでしょう。

     

     

     

    今回一つだけ追加したいことがあります。それは同じくテレビ向けエセ学者である古市憲寿が「三浦瑠麗が嫌いな人達が騒いでる」とコメントしていることについてです。

     

     

     

    彼については2年前にすでに書いています。その時、古市憲寿に対する怒りがどうしてもおさまらなかったので記事にしました。頭の問題(彼はバカですが)ではなく、人間として最低限の礼儀すらわきまえていないことに無性に腹が立ったのです。

     

     

    劣化し続ける権力とそれに寄り添うバカな男たち』

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=189

     

     

    今回、古市憲寿はルーリーちゃんの発言のどこが問題なのか言及すらせず、彼女への批判を「好き嫌いの問題」にしてしまいました。さすがにフジテレビ以外ではあまり見かけないタレントだけのことはあります。彼のコメントは、毎回こういうスタンスです。

     

     

     

    つまり、問題そのものについて自分の意見を述べません。そのかわり、現政権や自分の友人を「批判する意見」を冷ややかに揶揄して論点をすり替えます。批判の矛先をそらすためです。いつも「どっちもどっち」と言って、さも公正中立であるかのようにふるまいます。

     

     

     

    問題そのものではなく、それにまつわる党派や集団の態度を批判することで、議論を「脱線させる」のです。これはネトウヨの常套手段です。こんな生き方が身についてしまっている人間のことなど論ずるに値しません。この点、ルーリーちゃんの方がまだ若干、少しだけ、微妙に「かわいい」ですね。

     

     

     

    高校入試と大学入試を直前に控え、こんなことを書いている暇はないのですが、行きががかり上書いてしまいました。まあ、昼食後1時間ほどのことですから、なんということもありません。

     

    | 政治 | 14:06 | comments(0) | - |
    やってくれましたルーリーちゃん。
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      ルーリーちゃんとは、国際政治学者で東京大学政策ビジョン研究センター講師をしている三浦瑠麗ちゃんのことです。今になってようやくメディアは彼女の思想的体質に気づいたようですが、私はすでに6カ月前に指摘しています。

       

       

      『国際政治学者という幇間(ほうかん)』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=391

       

       

      上の記事を書いた動機は、前回のブログで書いたように、今の日本社会をおおっている差別と好戦的な空気がどうやって作りだされているか、それにテレビがどのようにかかわっているかをあきらかにするというものでした。ぜひお読みください。

       

       

       

      さて、今回の件ですが、番組を見ていない人のために、ルーリーちゃんが「ワイドナショー」(松本人志の司会)の中で「スリーパーセル」について語った部分の書き起こしを引用します。

       

       

       

       

      三浦:もし、アメリカが北朝鮮に核を使ったら、アメリカは大丈夫でもわれわれは反撃されそうじゃないですか。実際に戦争が始まったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルと言われて、もう指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める、スリーパーセルっていうのが活動すると言われているんですよ。

       

      ※ここで『スリーパーセル 一般市民を装って潜伏している工作員やテロリスト』というテロップが画面上に表示される。

       

      東野:普段眠っている、暗殺部隊みたいな?

       

      三浦:テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今ちょっと大阪やばいって言われていて。

       

      松本:潜んでるってことですか?

       

      三浦:潜んでます。というのは、いざと言うときに最後のバックアップなんですよ。

       そうしたら、首都攻撃するよりかは、他の大都市が狙われる可能性もあるので、東京じゃないからっていうふうに安心はできない、というのがあるので、正直われわれとしては核だろうがなんだろうが、戦争してほしくないんですよ。アメリカに。

       

       

       

      私はこれを聞いて、はあ〜、ついにネトウヨの親分・青山繁晴化しちゃったのね、と思いました。いや、櫻井よし子化、産経新聞化といったほうがわかりやすいでしょうか。でも驚きません。これは当然予想できたことでしたから。

       

       

      ことのてんまつは、以下の「リテラ」の記事をお読みください。正確でよくまとまっています。

      http://lite-ra.com/2018/02/post-3799.html

       

       

      その記事の最後。「なんの根拠もないのに知識や情報があるふりをしてフェイク情報をふりまき、歴史修正主義や安倍政権を正当化し、ヘイトを助長する。みんな騙されていたけど、三浦瑠麗という国際政治学者って実は、あの青山繁晴センセイと同じカテゴリーの人だったんじゃないだろうか。」と指摘しています。まったくそのとおり。異議なし!だから私は半年前にだまされてはならないと書いたのです。

       

       

       

      ルーリーちゃんは、もともと学者ではなくテレビ芸人なんですが、こんどの一件で彼女を学者だと考える人はネトウヨのみなさんを除けばいなくなるでしょう。もっとも、今のテレビ業界を見ると、またぞろ復活してきそうな気もしますが・・・。

       

       

       

      そもそもルーリーちゃんは、テレビに出たがり屋のピント外れのオネーさんにすぎません。学歴や肩書を重んじるマスメディアと視聴者が、若手の論客だと勘違いしているだけです。困ったことに、視聴者だけではなく本人も勘違いしています。

       

       

      それが度を越すと、本人が自覚していない分だけ、言ってることがかえって本当らしく聞こえてしまいます。自分の言うことは真実であると思い込んでしまうからです。ルーリーちゃんはウケをねらって一線を越えた陰謀論を展開したのですが、逆に自分が差別主義者であることをさらしてしまいました。あな、おそろしや、おそろしや。

       

       

       

      だまされていた人は、「国際政治学者」だとか「東京大学政策ビジョン研究センター講師」という肩書を見て、いくらなんでもここまで無根拠に物事を断定する人物だとは思っていなかったのでしょうね。しかもそれが差別的な心情にもとづくものだということも見えていなかったのです。

       

       

       

      さて、言いたいことはまだまだあるのですが、最後に一つだけ事実を指摘して終わりにします。それは、この「ワイドナショー」という番組が、生放送ではなくて、録画だったという点です。

       

       

       

      通常、出演者の不適切発言が炎上するのは、生放送の番組に限られます。つまり今回の炎上は、普通の炎上とは性質が違います。これこそが不可解な点です。収録番組は、スタッフなりプロデューサーなりが責任を持って内容を確認した上で放送されるはずです。ということは、最終的な責任はルーリーちゃんにではなくて、フジテレビにあるということです。フジテレビは学者っぽい電波芸人を使って、安倍政権を援護射撃しているというわけです。

       

       

       

      ルーリーちゃんの発言に対し、在日コリアンへの差別や偏見を助長するというまともな意見が多数寄せられました。ところがそれに対し、twitterを通じて、「私は番組中、在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います。」と、いかにもルーリーちゃんらしい反論をしています。

       

       

       

      案の定、差別を助長する「意図」はなかったとして彼女を弁護するどころか、在日コリアンをテロリスト呼ばわりし、暴言を吐く人たちがネット上に多数わいています。これこそが、あの放送を見た多くの人間が、在日コリアンとテロリストを結びつけて情報発信をしている何よりの証拠です。

       

       

       

      ルーリーちゃんは、関東大震災の際、朝鮮人が流言飛語によって大量虐殺された歴史を知らないのでしょうね。たとえ知っていたとしても、自分の発言とその流言飛語が本質的に同根のものだとはこれっぽっちも思わなかったのでしょう。つまり、知性のかけらもないということです。

       

       

       

      虐殺された側の心情ではなく、いつのまにか虐殺する側の論理にからめとられていることくらい学者なら気づきそうなものですが・・・。あっ、失礼しました。電波芸人には無理でしたね。

       

      | 政治 | 16:01 | comments(0) | - |
      主権のない国で主権者を育てることはできるのか?
      0

        そもそも主権のない国で「主権者」を育てることは可能でしょうか。「何を言ってるんだ、日本が主権国家なのは当たり前だ」と考えている人たちのことはこの際置いておきます。

         

         

         

        彼らは、猿回しのサルにも主体性があると主張しているのですから。テレビをはじめとするメディアに登場し、投げ銭をもらい、拍手喝采されれば自分の芸もまんざらではないと胸を張り、後ろにいる「ご主人様」の存在をしばし忘れるのです。

         

         

         

        今回は、戦後日本が実質的に主権を持ったことはなく、今でもその状態(occupied Japan)が続いていることを歴史的事実としてはっきり認識している人たちに語りかけたいと思います。つまり、最低限の認識を共有するために『知ってはいけない − 隠された日本支配の構造』 (講談社現代新書)くらいは読んでいる人たちだということです。

         

         

         

        いや、これは偉そうな言い方ですね。言い方を変えましょう。日本が独立国ならなぜ沖縄に米軍基地があるのか、福島で収束不可能な原発事故があり、日本列島そのものが巨大な活断層であるにもかかわらず、なぜ原発を廃炉にする決断ができないのかという素朴な疑問を持っている人たちです。

         

         

         

        ところで、18歳から選挙権が与えられるようになって、高校の教育現場では「主権者教育」がされていると聞いています。「政治的中立性」という欺瞞言語に騙されることなく、高校生たちに今この国で主権者であることが何を意味するのか、具体的に教えることなどできるのでしょうか。せいぜいのところ、選挙に行きましょうという説教じみた抽象的な訓示に終わるのではないでしょうか。

         

         

         

        「今この国で主権者であることが何を意味するのか」と言いましたが、その答えを知るには、主権者として行動している人の例を取り上げ、その主張を聞かなければなりません。

         

         

         

        なぜなら、主権者であるということは、自分の人生を生きるために欠くことのできない本質的な条件だからです。それは「寄らば大樹の陰」「お上の言うことに逆らってはならない」といった考え方・生き方から自由になることを意味します。

         

         

         

        もちろん自由には危険が伴います。それでも、12月11日のブログに書いたように「大樹」はもはやどこにも見当たりません。「お上」は歴史上かってないほど腐敗を極めています。したがって主権者として自分の人生を生きるためには、ある程度の危険は覚悟しなければならないのです。

         

         

         

        日本国内はもとより、世界には主権者であることがどういう行動に結びつくのか、それを実証する例であふれています。日本にも山本太郎という政治家がいます。彼は12月9日に閉会した特別国会に、日米合同委員会に関する質問主意書を提出し、日本に主権があるのかと問いただしました。この件についてはまた後日取り上げることにします。

         

         

         

        今回は二つの事例だけを取り上げます。

         

        その1:

         

        ドイツ最大の航空会社ルフトハンザのパイロットたちが難民申請を拒否された人たちを強制送還することを拒み、222ものフライトがキャンセルになった。送還対象者の多くはISやタリバンを逃れてきたアフガニスタン人。情勢不安定な地域に人間を追い返すことは、アムネスティ・インターナショナルによると国際法違反。多くが同国最大のフランクフルト空港で行われた。

         

         

         

        ルフトハンザの広報担当者は、「乗客を搭乗させないという最終的な判断は、パイロットにより個別になされた。」と話している。その判断の基準は「安全な飛行が確保されない可能性」があるかどうか。しかし実際は、多くの搭乗拒否が、パイロットによる強制送還を食い止めようとする試みだったとみられている。

         

         

         

        彼らは政府の方針に異を唱えて、自分の良心に従ったのです。つまり主権者教育がしっかりできている国では、たとえ政府の方針であろうと間違っていると判断した時には異を唱え、良心に従った行動が許されるのです。同じ状況に直面したとき、日本の大手航空会社 JALやANAのパイロットに同じことができるでしょうか。ルフトハンザのパイロットたちの行動は主権者教育の格好の事例になるはずです。

         

         

         

        その2:

         

        10日オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説こそ、主権者であることを高らかに謳いあげたものです。中身は日本国憲法前文の精神そのものです。

         

         

         

        高校生たちが勉強させられている、「政治的中立性」というフィルターを通した中身のないスカスカの英文に比べれば、力強い、素晴らしい英語でのスピーチでした。

         

         

         

        一部を抜粋します。

         

         

        「きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。」

         

         

         

        「広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。」

         

         

         

         「今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。」

         

         

         

        「責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。」

         

         

         

         「核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。」

         

         

        このスピーチをNHKは中継しませんでした。「公共放送」「皆様のNHK」が聞いてあきれます。その理由は日本政府が核兵器禁止条約に反対している事と無関係ではないはずです。

         

         

         

        安倍首相はノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏にはすぐに祝意を伝えましたが、サーロー節子さんに対しては完全無視を決め込んでいます。安倍首相がカズオ・イシグロの文学を理解しているとは到底思えません。彼の作品を読んでいないばかりか名前すら知らなかったでしょう。

         

         

         

        なぜなら、文学は死者の声を、あるいは声を発することすらできずに死んでいった人間の魂の叫びを、メタファーの力によって多くの人々と共有する試みだからです。つまり、安倍首相のメンタリティーから最もかけ離れたものです。日本国憲法を「みっともない」と言っている安倍首相のことです、サーロー節子さんのスピーチを「みっともない」と感じていたに違いありません。

         

        | 政治 | 16:42 | comments(0) | - |
        安倍政権を支えているのは「投票率の低さと自殺率の高さ」である。
        0

          英紙「フィナンシャル・タイムズ」の名物記者ジョン・プレンダーは、日本人がポピュリズムの波に抵抗できている理由は「投票率の低さと自殺率の高さ」だと分析しています。私はそれに「教育の成功(もちろん反語です)」をつけ加えたいのですが、それはまた別の機会に。以下に一部引用します。興味のある方は下記サイトをどうぞ。

           

          https://courrier.jp/news/archives/80347/

           

           

           

          「昨今の先進諸国の政治の動きを見ていると、グローバリゼーションやテクノロジーの進歩に取り残された人々たちによって政治が大きく変わろうとしているかのように思える。蔓延しているのは、政界のエリートへの怒りである。

          ところがポピュリズムの運動が起きていない先進国もある。その代表格といえるのが日本だ。



          日本では経済が20年も低迷しており、同国の自殺率は世界の平均より大幅に高い。それにもかかわらず、この国では反エスタブリッシュメントのポピュリズム運動がまったく盛り上がっていないのである。



          日本人が怒りの声を上げていないのは意外に思えるだろう。なにしろ、この国は90年代後半からデフレで経済が苦しんできた国だ。生産性が上昇しても、それに賃金の上昇が伴わない状況が長年続いてきた。



          90年代の有名なバブル崩壊で日本が失った国富は莫大だ。野村総合研究所のチーフエコノミストのリチャード・クーによると、日本が1990〜2015年の間に株式や不動産で出した損失を合算すると1500兆円に及ぶとのこと。これは GDP 比で見ると、大恐慌時代の米国の3倍の損失なのだという。



          2011年、日本が地震と津波に見舞われ、福島の原子力発電所のメルトダウンが起きると、日本政府と財界の指導者の無能ぶりが、残酷なまでにさらされた。また、日本の地方には、米国のラストベルトや英国の地方の労働者のように、政界のエリートから無視されていると感じている人は多い。」引用以上。

           

           

           

          安倍政権が誕生してからというもの、私はネットで海外の新聞や雑誌を読むことが多くなりました。もっぱら英語で読むだけですが、それでも読むに値する記事は多いのです。特にガーディアンをはじめとするイギリスのメディアはファクトチェックがしっかりなされています。

           

           

          前回紹介した『チャヴ』もイギリスの青年が書いたものです。RECOMMEND欄をご覧ください。海外のメディアはこの本を正確に批評しています。

           

           

          それに比べて、日本のメディアが発信するものは、自主規制と政権への忖度で、読めた代物ではありません。特に、ゴミ情報と捏造記事だらけの読売・産経新聞は完全に体制翼賛新聞と化しています。

           

           

           

          23日の首相動静によると「18時49分、東京・大手町の読売新聞東京本社。渡辺恒雄読売新聞グループ本社主筆、橋本五郎読売新聞東京本社特別編集委員、福山正喜共同通信社社長らと会食」となっています。祝杯をあげていたのでしょうね。そこへ、幻冬舎社長・見城徹のような出版人が揉み手をしながら割って入るという構図です。

           

           

           

          読売・産経新聞は置くとしても、財界人は以下の情景をどのように見ているのでしょうか。株価が上昇を続け、内部留保が増え続ければ、多少のことには目をつぶるつもりでしょうか。

           

           

          選挙最終日、秋葉原での安倍首相の演説を日の丸の旗で取り囲んだ自民党ネットサポーターズクラブと自民党員の面々。

           

           

           

           

           

          しかし、これが財界人が支持している人間なのです。経済活動は健全な資本主義(もうとっくに終わっていますが)と民主主義が機能していることを前提にしています。それとも再び戦争経済を回して濡れ手に粟を目論んでいるのでしょうか?

           

          以下の画像は立憲民主党・枝野幸男氏の演説風景。

           

           

           

           

          | 政治 | 13:19 | comments(0) | - |
          「選挙なんて、そもそも意味ないじゃん」って、単なるバカじゃん!
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            これまで私は時間と記憶について何度も書いてきました。建築の魅力は、この二つのかけがえのなさを私たちに教えてくれるところにあります。素晴らしい建築は、決まって何かを思い出させてくれるのです。それは幼少年期の記憶の断片であったり、季節の匂いや自然が奏でる音などです。それほど私たちの人格は過去の記憶によって規定され、積み重なった時間によって形作られています。

             

             

             

            ある人の<生>は、その人の記憶そのものであり、過ごしてきた時間そのものです。そして、その人固有の記憶や時間は、その人が生きている国の文化や歴史の中に深く根を張っています。それを言葉にするということは、個人の歴史を語ることのみならず、その背後にある共同体(国)の歴史を語るということです。言葉の性質上そうならざるを得ません。

             

             

             

            この根から切り離された言葉は軽くなり、ネット空間の中をアメーバのように浮遊しています。その結果、一方に重心がかかれば、それに引きずられてとめどなく流れ、踏みとどまる術を知りません。

             

             

             

            今度の選挙でどこに投票していいかわからないとか、「選挙なんて、そもそも意味ないじゃん」などと考えている人は、自分が記憶喪失に陥っていることを自覚すべきです。いや、テレビをはじめとするメディアという洗脳装置によって記憶を奪われていることに気づくべきです。

             

             

             

            リスクマネジメント、コストパフォーマンス、ビジネスマインド、コンプライアンス、労働市場における雇用流動性、付加価値、選択と集中、自己責任、果てはアウフヘーベンなどという言葉によって、私たちの意識は常に未来へと駆り立てられています。つまり、自分が今立っている位置を確認することもできず、常に走り続けている状態なのです。過去を思い出している暇などありません。

             

             

             

            しかし、最初に書いたように、あなたとはあなたの記憶のことであるし、あなたが過ごした時間のことです。かけがえのない価値を持っているのは、同じことの繰り返しにしか見えない日々の生活です。しかし、その価値に気づくには、昨日という二度とやって来ない日の記憶を思い出すしかありません。そしてその前日、さらにその前日というふうに記憶をたどらなければなりません。つまり、詩人の想像力を必要とするのです。

             

             

             

            詩人の想像力を持って過去を振り返る時、意識していなくても、私たちの日々の暮らしに大きな影響を与え、暗い影を投げかけていたものこそが政治だということに気づきます。

             

             

             

            わずか数年でこの国のかたちは根本的に変わりました。記憶をたどるようにしてほんの一部だけですが列挙してみます。

             

             

             

            ・元TBSの記者・山口敬之が詩織さんをレイプし、逮捕状まで出ていたのに、それを安倍政権は握りつぶし、闇に葬りました。山口敬之は前回の選挙の直前に『総理』なるヨイショ本を出版して安倍首相にかわいがられていた鬼畜ジャーナリストです。出版社の名前こそ変えていますが、この本の出版を実質的に仕切ったのは幻冬舎のヤクザ社長・見城徹です。

             

             

            現在、詩織さんは民事訴訟を提起しています。権力によって人間の尊厳を踏みにじられたのは詩織さんだけではなく、私たち国民です。私たちは侮辱されているのです。この事件一つをとっても安倍政権を許すことができません。あなたは自民党に投票して、この事件を追認するのでしょうか。

             

             

             

            ・憲法尊重擁護義務に違反し、集団的自衛権を強行採決し、共謀罪を成立させ、森友学園問題で夫人を私人と閣議決定し、長年の友人である加計学園理事長の獣医学部新設の想いを今年の1月20日まで知らなかったという人間をあなたは追認するつもりでしょうか。

             

             

             

            ・大ウソと裏金を使ってまで東京オリンピックを誘致し、原発被災者の困窮を無視し、想いを踏みにじり、着々と原発再稼働に前のめりになっている安倍政権をあなたは追認するのですか。一部ですが以下の動画をご覧ください。10月20日に行われた、IWJの岩上安身氏による広瀬隆氏インタビューです。

             

             

             

            ・暗愚の番頭に「全く問題ない」を連発させ、国有財産をポケットマネーのように使い、国会で問題にされても、官邸も官僚も「記憶にない」「記録がない」を連発するばかり。それでも国民のある層と利害関係者、宗教団体、財界は支持してくれると思い込んでいる政党、政治家をあなたは追認しますか。

             

             

             

            Jアラートを鳴らしまくり、子供たちに恐怖感を植え付け、北朝鮮に対する敵愾心をあおり、宇宙空間をミサイルが飛んだだけで「わが国上空を通過」と騒ぎ、あげくのはてに膨大な税金を投入して解散総選挙に打って出て1カ月以上の政治空白を作る。こういう政権を支持する人間を「ネトウヨおぼっちゃまくん」といいます。

             

             

             

            こんな破廉恥で整合性のない行動がとれるのは、首相がもはや国民を納得させる必要を感じていないからです。「丁寧に説明」は言葉の遊びであり、自分の考えを押し通すことに慣れてしまっています。論理も倫理も無視し、ただ感情の赴くままに「こんな人たち」に罵詈雑言を投げつけ、言葉を無効化した結果、安倍首相の脳内に残った言葉が「国難」というわけです。「おまえが国難!」とはよく言ったものです。座布団10枚!

             

             

             

            もう止めにします。安倍政権が選挙後突き進むのは、憲法9条の改定ではなく、緊急事態条項の創設です。どうかこのことを心に留めておいて下さい。私は選挙区も比例区も共産党に投票しました。妻は選挙区は共産党、比例区は立憲民主党です。安倍政権が続いた場合のことを考えての判断です。ちなみに、自民党はもとより、公明党、維新、希望の党には100万円もらっても投票しません。消費税分8万円が上乗せされていないからです、なんちゃって。

             

             

             

            最後に替え歌を一つ。

             

             

            どんぐりころころどんぐりこ〜、小池にはまってさあたいへん、前原出てきてこんにちは、ぼっちゃんいっしょにあそびまちょ〜。

             

             

            お後がよろしいようで。

             

             

            追伸: 替え歌の「ぼっちゃん」とは誰のことか、お分かりですよね。

             

            | 政治 | 14:28 | comments(0) | - |
            開戦前夜の「空気」を作るのに加担するのか。
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              「今回の選挙、くだらなすぎる」 として東浩紀氏が投票棄権の賛同署名を集めているそうです。現代思想の分析では抜群の冴えを見せていた東浩紀氏ですら、この期に及んでこの体たらくです。今の政治的状況の本質をまったくわかっていない評論家やコメンテーターと同じになってしまったということです。

               

              http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/hiroki-azuma_a_23237074/

               

               

               

              つまりそれなりに現状分析はするけれども、実際にどう行動すべきか、という段になると、何とも的外れな高等遊民的な処方箋しか示せないのです。これが頭の良すぎる東氏の末路です。「戦略的投票」を訴える山本太郎の方がはるかにまともではないか。

               

               

               

              ブログで批判した社会学者の古市憲寿も、国際政治学者の三浦瑠麗ちゃんも同じようなことを言っています。彼らがなぜこんな政治的痴呆状態になったのか、それは別の機会に、気が向けば書きましょう。

               

               

               

              ただ一言だけ言っておきたいことがあります。「積極的棄権」に賛同する署名運動で、仮に百万人の署名が集まったとします。しかし、今回の選挙の投票率が前回より低ければ、「積極的棄権」は無意味になります。しかもメディアが自民党圧勝を予想している状況では、そうなる可能性は高い。そうなった場合、棄権をそそのかし、分かりづらいアクロバティックな大義名分を社会に流布した責任を、東氏はどうやってとるつもりなのでしょうか。

               

               

               

              自分の責任は回避しながら、民主主義社会における選挙の意義を矮小化し、人々に棄権をそそのかす「学者」は、一般市民が同じ妄言を吐くよりもいっそう罪深いのです。仮に、ネトウヨや安倍政権が「積極的棄権」のキャンペーンを張っていても、東氏は同じように「積極的棄権」を訴えるつもりでしょうか。

               

               

               

              東氏は言います。

               

              「『選挙に行きたくない』とか『棄権』とかって言うと、多くの人が『いや国民の義務として投票に行くべきだ』とか言うわけですね。もちろんその通りです。しかしですね、その前にこの選挙が必要だったのかってことをちゃんと考えなきゃいけないと思うんです。」と。

               

               

               

              社会学者の古市憲寿や国際政治学者の三浦瑠麗ちゃんが言うなら、やっぱりね、で納得できます。しかし、東浩紀氏にしては、あまりに筋が悪すぎます。

               

               

               

              以下は小林よしのり氏の10月14日のブログです。彼は立憲民主党の応援演説もしています。その行動は一時の気まぐれなどではなく、彼の保守思想家としてのやむにやまれぬ行動なのです。私は彼と意見を同じくする者ではありませんが、彼の言説は東氏よりも数段筋がいいと思います。

               

               

              引用開始

               

              「自公の圧勝はもう揺るがない。
              責任は小池百合子と騙された前原誠司にある。
              小池・前原は切腹すべきである。
              侍なら必ずそうしていた。

               

               

              田原総一朗氏が森友加計問題は小さなことだと言っている。
              三浦瑠麗と同じになった。

               

               

              北朝鮮との戦争の危機が今後は煽られる。
              年末から来年始めに戦争だと囁かれている。

               

               

              このようにして大文字の政治的関心が、小文字の政治的関心を封殺していく。
              戦前に辿った国民心理とまったく同じだ。

               

               

              日本人は戦前の「空気」をまったく反省していない。
              戦時中に「小国民」だった田原総一朗氏ですら反省していない。
              「空気」を作る側に加担し始めた。
              戦争に怯えるのは、韓国の在留アメリカ人が脱出し始めてからでいい。

               

               

              安倍政権の独裁はさらに強まる。
              開戦前夜の「空気」が安倍独裁を強めていく。
              それでいて「自衛隊明記」の改憲などと、護憲論と変わりない「加憲論」が進行していく。
              お花畑の「サヨク」は自称保守の側にも今や満開である。」

               

              引用終わり。

               

              | 政治 | 21:26 | comments(0) | - |
              So what !(それがどうした!)と言う権力に立ち向かうために。
              0

                小池百合子率いる「都民ファーストの会」が都議選で勝利した時から、私は平均的な東京都民の政治意識の低さに見切りをつけました。彼らは「風」に敏感なだけの都市の政治的漂流民なのです。それは新自由主義的な考え方が、あらがうすべもないほど蔓延していることを裏付けるものでした。

                 

                 

                 

                新自由主義とは、簡単に言えば、人を投資の経済単位に置き換え、平等ではなく競争を原理とし、富の再配分よりも集中を肯定する考え方を言います。格差社会はその論理的帰結です。その結果、民衆が国を統治する政治的原理である民主主義(デモス=民衆、クラシー=統治)は時代遅れの考え方として「排除」されていきます。

                 

                 

                 

                大阪府知事の松井一郎の言い方を借りれば「ポンコツを一掃してもらいたい」ということになります。(松井よ、「ポンコツ」とはお前のことだ!)さすがに橋下徹が選んだヤクザ知事だけのことはあります。森友問題を何とか闇に葬りたいという願望が透けて見えます。

                 

                 

                 

                ところで、希望の党と日本維新のすみ分けを裏で画策したのは、大衆の劣情を利用する詐欺師・橋下徹と利害相反をものともしないエセ学者・竹中平蔵だとのことです。特に竹中は国家戦略特区を利用して森友・加計問題の青写真を描いたとも言われています。

                 

                 

                 

                その橋下徹のツイッタ―です。(  )は私のコメントです。

                 

                小池さんは歴史に名を残すね。これで選挙の結果がどっちにころんでも憲法改正議論が進む。憲法改正絶対反対の民進党をたった一人の政治家が一気に改憲集団に切り替えた。(これはウソです。民進党の中にも改憲論者はたくさんいます。それを梃子にして民進党を分裂させたのです)こんなことは僕も含めて普通の政治家ではできないね。あとは民進組が裏切らないことを願う。

                 

                 

                >もちろん前原さんも歴史に名を残す。こんなことは、僕も含めて普通の政治家や学者やメディア、コメンテーターの自称インテリ(この男の使える語彙は決まっています。したがって思考もワンパターンです)には絶対にできない。二大政党制(違います。国家主義的一党独裁政権です)に向かうには避けては通れないプロセス。批判覚悟で誰かがやらなければならないこと。批判している連中は口だけの雑魚。(「口だけの雑魚」とは、橋下、お前のことだ!お前ほどの「口だけの雑魚」は見たことがない!)

                 

                 

                 

                もちろん橋下徹や松井一郎のようなヤクザ政治家、天下国家を論じるのが趣味のぼったくりバーのママ・小池百合子、三代目の世襲政治家にして国会での質疑に耐えられないひ弱な心の持ち主・アへ心臓などが、この時代に登場してきたのは何かの予兆なのかもしれません。オーメン、ラーメン、冷ソーメン!なんちゃって。

                 

                 

                 

                改めて言うまでもなく、私はこの連中を心底軽蔑しています。特に橋下は、小池と前原が共謀して民進党議員を裏切った行為を手放しで讃えているのです。人の信頼を踏みにじることなど、彼にとっては平気なのです。しかし、議員を裏切ったということは、彼らに投票した主権者をも裏切ったということです。そのことに思いも及びません。

                 

                 

                前原に至っては、すべて「想定内」だったそうです。あのホリエモンの「想定内」を使うということは、よほどビビッているのでしょう。20年以上続いてきた政党を一日でできた「希望の党」に売り渡すことの意味も、その後の混乱も予想していなかったに違いありません。「想定内」という言葉を使って虚勢を張っているだけです。

                 

                 

                 

                戦中、戦意高揚に加担した人間が、戦後になって「はじめから敗けると分かっていた」と言うのと同じです。後出しジャンケンをする人間を信用してはなりません。それにしても、彼らはいったい何を信じているのでしょうか。政治家は常日頃から自らの信念を語らなければなりません。国民に向けても、世界に向けても。それができないので、政局の中で右往左往するしかないのです。

                 

                 

                 

                ところで、「希望の党」が誕生する2カ月以上前、私は7月27日のブログ知性とは生死の「機微」をつかむことから生まれる美意識である。』の中で次のように書きました。

                 

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=384

                 

                 

                「私は政治に何かを期待するほどお人好しでもなければ、楽観的でもありません。しかし、もし今まともな政治家がいれば、必ず次のような手を打ち、その流れを加速させるでしょう。

                 

                 

                 第一段階として、民進党を分裂させます。つまり、原発即廃炉と立憲主義を掲げるグループとそうでないグループを分裂させるのです。これが御用組合の「連合」から脱却して自らの足で立ち、真の国民政党になる唯一の方法です。

                 

                 

                第二段階として、すべての野党に党名を変更させ、「立憲民主党」(仮称)とします。安倍政権の対立軸を作り、小選挙区制の中で勝とうと思えば野党は一つにまとまるしかありません。この構想のネックになりそうな共産党も党名を変える覚悟で臨むべきです。そして、「立憲民主党」山尾派、小沢派、志位派、福島派として、国民にアピールし、政策を競い合うのです。「立憲民主党」の党首は山本太郎です。これは第二の原発事故が起こった時に頼りになる人材という意味です。」と。

                 

                 

                 

                その後の現実は皆さんご存じのとおりです。「立憲民主党」は当たりましたが、山尾派は頓挫しました。小沢氏は無所属で出馬するそうです。

                 

                 

                最後に1年以上前に書いた私の政治的信条を載せておきます。リアリズムの仮面をかぶった空想主義・無責任主義ではなく、民族自決と平和のためのリアリズムです。「立憲民主党」を支持する皆さん、共にがんばりましょう。

                 

                100年後の生存戦略−その1・国防』

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=199

                 

                | 政治 | 16:42 | comments(0) | - |
                「希望」という名の災厄− 小池百合子の「希望の党」は「バベルの塔」である。
                0

                  「パンドラの箱」という言葉とその由来をご存知の方も多いと思います。これはギリシャ神話に由来するものです。

                   

                  パンドラの箱?

                   

                   

                   

                  神話によると、プロメテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」を作るように命令します。命じられたヘパイストスは泥から彼女の形をつくり、神々は彼女にあらゆる贈り物を与えます。この女性こそがパンドラです。

                   

                   

                   

                  そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めてピトス(「甕」を意味するのですが、後に「箱」といわれるようになります。)を持たせ、プロメテウスの弟であるエピメテウスの元へ送り込みます。

                   

                   

                   

                  美しいパンドラを見たエピメテウスは、プロメテウスの「ゼウスからの贈り物は受け取るな」という忠告にもかかわらず、彼女と結婚します。そして、ある日パンドラは好奇心に負けて箱を開けてしまいます。

                   

                   

                   

                  すると、中から悲観、不安、嫉妬、争い、苦悩、悲嘆、欠乏、後悔、疫病、その他、ありとあらゆる災いが溢れ出します。慌てて蓋を閉めたものの、時すでに遅し。災厄は人間界に解き放たれてしまいます。そして閉じられた箱の底には「希望」だけが残った、という話です。

                   

                   

                  転じて、「パンドラの箱」とは「開けてはいけないもの」「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味する言葉として使われるようになりました。

                   

                   

                  問題は、箱の底に残っていた「希望」とは何か、ということです。ヒントは、入れたのはゼウスだということです。私はこれを、「希望」の外見をまとった「偽りの希望」だと解釈します。なぜなら、「偽りの希望」こそが、人間に最大の災厄をもたらすからです。「偽りの希望」を信じる人々は、絶望する事もできず、空虚な期待を抱きながら生き続けなければなりません。

                   

                   

                  私はこのことを、エリック・ホッファーの言葉を引いて、ブログで何度も指摘してきました。

                   

                   

                  彼は自伝(作品社)の中で次のように述べています。「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやりとげるには勇気がいる。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」と。

                   

                   

                   

                  「自己欺瞞なくして希望はない」という彼の言葉の意味を、今になってあらためてかみしめています。いよいよ「偽りの希望」が政治の表舞台に登場してきたからです。

                   

                   

                   

                  そもそも、「幸福」や「希望」が政党の名前に入っていれば、なんらかの新興宗教だと見なして差し支えありません。その本質は、人格が空洞化した影のような人間たちが、教祖の下に吸い寄せられてできた集団だということです。節操も何もあったものではありません。

                   

                   

                   

                  彼らに政治的信条や論理的な一貫性を求めること自体が、どうかしているのです。彼らは鰹節を前にした猫のようなものです。餌に飛びつくな、と言ったところで無駄です。それどころか、教祖に喉をなでられただけで、美味しいものにありつけるかもしれないと考え、従順な飼い猫になることを進んで選んだ人間たちなのです。

                   

                   

                   

                  しかし、教祖からすれば、猫の一匹や二匹など、どうなってもかまいません。そればかりか、入信してくる猫の毛並みを見て教祖自らが選別します。毛並みが左に曲がっているからダメ、などと言って。権力欲に深くとらわれた政治家は国民のことなど眼中にありません。

                   

                   

                   

                  バブル崩壊と東日本大震災、収束不可能な原発事故でパンドラの箱が開き、ありとあらゆる災厄が出始めた時、日本国民は慌てて蓋を閉めようとしました。しかし、その時、日本国民に向かって「開けてください。私は希望です!」と言って登場したのが小池百合子率いる「希望の党」なのです。私たちは今 まさに日本国葬送の儀に出席しようとしているのです。

                   

                   

                   

                  小池百合子が都民ファーストの会を結成して都議選に勝った時、私は大阪維新の会の廉価版のコピーがまた一つ誕生しただけだとブログに書きました。今「希望の党」に参集している政治家は、言い逃れがうまく横文字のキャッチフレーズでごまかすことしかできない政治家の全体主義的体質を見抜けないどころか、それに共感する堕落した政治家の吹きだまりの中に自分がいることすら見えていません。

                   

                   

                   

                  「しがらみのない政治」も「AIが決めました」も「アウフヘーベン」も「日本をリセット」もどこかで聞いたことのあるキャッチフレーズです。いや、さすがに「AIが決めました」などと発言する政治家は今までいませんでした。「アウフヘーベン」どころか、私は「イナバウアー」してしまいました。要するに、小池百合子という人間はキャッチフレーズを連発するだけで、まともに説明する能力がないのです。

                   

                   

                   

                  「日本をリセットする」というのは、今まで築いたものはダメだから全部捨てて、一からやり直すということですが、革命でも起こす気なんでしょうか。「日本をトレモロす」と言ってたどこかのおバカさんと同じレベルです。その当人たちが「保守」を自称しているのですから、もうわけがわかりません。

                   

                   

                   

                  しかし、この二人が共通の政治思想と支持層を持ち、確信犯の歴史修正主義者だという事実は、単に政治道徳の問題ではなく、過去と同様の誤った政策を繰り返す可能性が高いことを示唆しています。

                   

                   

                  にもかかわらず、マスメディアは希望の党の綱領を無批判に垂れ流すばかりです。おそらく安倍よりはましだと判断しているのでしょう。果たしてその判断は正しいのでしょうか。しかし、報道機関の義務として少なくとも以下のことは問いただすべきです。

                   

                   

                  1:綱領には「立憲主義と民主主義に立脚」とあるが、安保法制を違憲立法と認め、国会で覆すことを目指すのかどうか。

                   

                  2:「国民の知る権利を守るため情報公開を徹底」とあるが、豊洲移転について密室で決めたことや、都民ファースト所属議員に自由な発言すら認めていない方針などと、矛盾していないのか。

                   

                  3:「平和主義のもと、現実的な外交・安全保障政策」とあるが、具体的には何を意味するのか。例えば米国や北朝鮮に対してはどういう姿勢で臨むのか。

                   

                  4:「世界で深刻化する社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す」とあるが、それならなぜ、関東大震災での朝鮮人虐殺に対する追悼文を送ることを「わざわざ」やめたのか、などなど。

                   

                   

                  政治家の命は信頼です。ある政治家が信頼できるかどうかの判断材料を提供するのがマスメディアの仕事のはずです。信頼に価値を置かない社会では、暴力と金に物を言わせて人や物事を動かすしかありません。

                   

                   

                  それにしても、自分がどこの党の人間なのか未だハッキリせず、ビラも撒けず、演説も出来ない人間に、いったいだれが投票するというのでしょうか。

                   

                   

                  「希望の党」が勝利すれば、たとえ自民党が大幅に議席を減らしても、憲法改正では自民党と手を組むのは目に見えています。公明党が反対しても、自民党と希望の党に維新というヤクザ連中を加えて改憲に向かうでしょう。小池百合子という政治屋は「ハーメルンの笛吹き」であり、「希望の党」の本当の名は「バベルの塔」なのです。

                   

                  ピーテル・ブリューゲルの『バベルの塔』

                   

                   

                   

                  もしこのまま安倍自民党と「希望の党」という極右の2大政党制に収斂していけば、既に弱体化した立憲民主主義体制は終了していくでしょう。小池百合子は憲法改定について「9条にとどまらない」と発言しています。これは緊急事態条項の追加や広く人権条項を改定することも考えているということです。そうであれば、安倍自民党も大歓迎でしょう。

                   

                   

                  現段階で「希望の党」に18%も支持が集まる状況を見ていると、結局、国や政治家が民主的かどうかなどということは、多くの国民にとってはどうでもいいことなのかもしれませんね。普通に物や金があって、あちこちでイベントが開かれ、テレビを見て携帯をいじる自由がありさえすれば、ハッピーなのかもしれません。私ごときが出る幕はもうないようです。それにしても、日本人は、いつからこんなに流行りモノに弱い国民になったのでしょうか?

                   

                  | 政治 | 15:33 | comments(0) | - |
                  北朝鮮の問題で安倍首相が主体的に決断できる可能性は1%もない。
                  0

                    毎日新聞によると、インド訪問から帰国した安倍晋三首相は15日午前9時25分ごろ、首相官邸で記者団の取材に応じ、北朝鮮のミサイル発射を受け、国連安全保障理事会の緊急会合の開催を求める意向を表明した。その上で「北朝鮮の危険な挑発に対して国際社会の団結が求められている。北朝鮮がこの道をさらに進めば、明るい未来はない」と語ったとのことです。

                     

                     

                     

                    社会保障の財源がないんでしょ。それに昨日書いたように、教育機関への公的支出の割合は日本はOECD34カ国中最低でした。こんなお金は一体どこから出てくるのでしょうか。日本のこどもたちのためには、汗をかかないのでしょうか。しかも、よりによって、インドに原発を輸出するなんて、正気の沙汰ではありません。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    北朝鮮の問題でアへ首相が主体的に決断できる可能性は1%もない、と言いました。にもかかわらず、自分がイニシアティブをとれるかのようなパフォーマンスは、滑稽というか、あまりにも馬鹿げているので、同じことを言わざるを得ません。今、アへ首相が「主体的に」発言できるとしたら、次のような中身になるはずです。

                     

                     

                     

                    「北朝鮮に対して、アメリカがこれ以上軍事力を誇示して威嚇すれば、その前戦基地である日本も不測の戦争に巻き込まれるおそれがある。追い詰められたネズミはネコに襲いかかるかもしれない。同じように追い詰められて、日本は76年前、無謀な戦争に突き進んだ。その歴史的教訓を忘れて、アメリカと一緒になってこれ以上北朝鮮に対して圧力を加えるわけにはいかない。トランプ大統領は、すぐさま北朝鮮を訪問して対話をすべきだ。武力に対して武力を持って対峙すれば、破局があるのみだ。日本国民はそれを許さない。日本とアメリカがこの道をさらに進めば、明るい未来はない」と。

                     

                     

                     

                    まあしかし、アへ首相がこんなことを言う可能性は100%ないでしょう。それだけの英知も勇気も国民を思う気持もないのですから。

                     

                     

                     

                    いや、それどころか、ネトウヨやバカな軍事評論家や国際政治学者だけでなく、国民の中に反戦や非暴力を主張する発言を封じ込める空気ができているような気がします。戦争はバカな指導者だけでできるものではありません。バカな指導者を支持するバカな国民がいて初めて可能になるのです。

                     

                     

                     

                    このままチキンレースを続ければいかなる結末が待ち受けているのか、誰もそれを考えていません。いや、アメリカの軍需産業は考えているかもしれません。テレビに出ているコメンテーターに聞いてみればいいのです。「あなたはどのような結末を予想しているのですか。北朝鮮が核開発をやめて、自ら話し合いのテーブルに着くでしょうか」と。

                     

                     

                     

                    最後に歴史的事実を挙げておきます。

                     

                     

                     

                    太平洋戦争で、まともな「戦争」といえるのは、開戦後半年のミッドウェー海戦まででした。この戦いで、日本海軍は大敗北を喫して制海権を取られたのです。後は「米軍による日本軍の一方的虐殺」でした。そして1944年8月にグアム・テニアン島が陥落した時点で、日本の主要部分はすべて戦略爆撃(B29)の射程内に入ったので、敗戦は時間の問題でした。つまり1944年8月以降の日本本土での非戦闘員の大量殺戮(名古屋・東京・大阪空襲、広島・長崎、沖縄戦)は、すべて避けることができたのです。

                     

                     

                     

                    さて、「一億玉砕」をスローガンに、決着のついている戦争を終結させる決断もできず、多くの命を湯水のように使い果たしながら破局へと突き進んでいった勢力は、この国から一掃されたのでしょうか。答えはNOです。アへ首相はそういった勢力の末裔なのです。

                     

                     

                     

                    前にも引用しましたが、よければお読みください。

                     

                    『二つの島をつなぐ』

                    http://www.segmirai.jp/essay_library/essay051.html

                     

                    | 政治 | 12:38 | comments(0) | - |
                    「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
                    0

                      伊丹万作は映画監督の故伊丹十三氏の父です。1946年9月に46歳で亡くなりました。彼が最後に書いた「戦争責任者の問題」から引用します。

                       

                       

                      引用開始

                       

                      「だまされるということ自体が一つの悪である。だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持っている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪である。



                      そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

                       


                      このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力では打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力で掴み得なかった事実と全くその本質を等しくするものである。

                       


                      そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

                       


                      それは少なくとも、個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放置であり人間性への裏切りである。悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。」

                       

                      引用終わり


                       

                       

                      じぇ、じぇ、じぇとか言いながら全く無用のJアラートを発令し、アラート思う間もなく国民に避難訓練を強要し、必死で森友・加計問題から国民の目をそらそうとしている政権に私たちはだまされてはなりません。

                       

                       

                       

                      安倍政権の取り巻き連中が依拠している言葉は、官僚も含めて、バカの一つおぼえとしての「リアリズム」すなわち「現実主義」です。つまり自分たちに都合のいい現実だけを「現実」と考え、それ以外の現実は無視するという手法です。

                       

                       

                       

                      「オレは現実を知っているがお前は知らない。学者やジャーナリストや一部の新聞(朝日や毎日のことで、読売や産経は入りません)は現実を知らずにただわめいているだけだ」と主張し、相手を恫喝して黙らせるのが彼らのワンパターンの弁論術です。かの橋下徹をはじめとするヤクザ議員の集団、日本維新の会の面々、さらに現実と妄想の区別すらつかないネトウヨの皆さんが得意とする戦法です。

                       

                       

                       

                      前回のブログでも書きましたが、彼らは「リアリズムで安全保障問題を論じる」と言います。しかし、「原発が攻撃されたら」という話は出てきません。「リアリズムで安全保障問題を論じる」人たちにとっては、原発はタブーなので、見て見ぬふりをします。

                       

                       

                       

                      これができるのは知的レベルの低さもさることながら、道徳的な退廃が原因です。『自分たちに都合のいい現実だけを「現実」と考え、それ以外の現実は無視するという手法』と言ったのはこのことを念頭に置いていたのです。

                       

                       

                       

                      もちろん、彼らが無視している「現実」は他にもあります。この国の統治機構に関するものですが、それはまた改めて書きます。要するに、彼らのリアリズムとは、米軍基地が攻撃されることはあっても、原発にだけはミサイルが当たらないで「ほしい」といういじらしい願望というか信仰というか、こうなると、もはや原発カルト教です。

                       

                       

                       

                      実は、歴史をひもとくまでもなく、リアリストを自称する者こそが戦争と国家の破滅を招き寄せてきたのです。私たちは、彼らの言葉にだまされてはなりません。

                       

                       

                       

                       自称リアリストは、日本の原発を攻撃すれば被害は全世界だけでなく北朝鮮自身にも及ぶので、原発は狙わないだろう、狙わないでほしい、狙わないでね、という主観的な願望の世界に生きています。一方で、独裁者が死ぬ時、世界を道づれにしようという悪魔的な想念に捉えられる可能性など考えたこともないのです。主観的な願望は真の文学的想像力とは似て非なるものです。

                       

                       

                       

                       そして、戦争回避の言説は情緒的かつ偽善的、理想主義的な現実逃避に過ぎないと、弱い頭で断じます。その一方で、戦争に備えることはリアルで論理的な思考の結実であり、開戦の決断は歴史を検証した上での、国益を守るための「冷徹」で「孤独な」「大人の義務」だと考え、ドーダ俺はすごいだろう、とのぼせ上がっています。

                       

                       

                       

                       ですから、まかり間違っても、日米安保が一義的にはアメリカの核攻撃から日本を守るための体制であることに言及したりしません。日米安保を堅持し、アングロサクソンについていけば、きっと日本を守ってくれるだろうとけなげにも信じているのです。どこがリアリストなのでしょう。

                       

                       

                       

                      またぞろ、「きっと」日本を守ってくれる「だろう」という願望の世界です。クリスマスになれば、「きっと」サンタクロースさんが素敵なプレゼントを持ってきてくれる「だろう」と同じレベルです。やれやれ。

                       

                       

                       

                      でも、さすがに従順でお人好しの国民でも、以下の事実には気づいていると思います。北朝鮮をめぐる「緊迫した」状況は、すべてアメリカと北朝鮮が主導しているもので、アメリカの植民地の長であるアヘ政権には主体性を発揮する余地は1%もないのだということ。これは安倍政権にとっては支持率を上げ、やまかけ蕎麦、じゃなかったモリカケ問題を忘れさせる絶好のチャンスだということ。

                       

                       

                       

                      ところで皆さんは覚えていますか。「戦争法案」を強行採決した時、アヘ首相は次のように言いました。「(この法案によって)我が国が他国の戦争に巻き込まれることは絶対にありません」と。もう、めちゃ巻き込まれてますけど・・・。

                       

                      | 政治 | 21:46 | comments(0) | - |
                      気分はほとんど開戦前夜
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                        どこまで日本人は従順でバカでお人好しなのだろう、と言うと「おまえは日本人じゃないのか」という反論が返ってきそうですが、もちろん日本人です。でも、従順でバカでお人好しではありません。

                         

                         

                        以下の画像を見て下さい。北朝鮮からミサイルが飛んできた時の避難訓練の様子です。

                         

                         

                         

                        「竹やりでB29」の世界です。ミサイルに対して「みんなで一緒に」「体育館に避難」ってどうよ、どころではなく、日本人のバカさ加減を世界に向かって発信しているわけで、正視に耐えられません。

                         

                         

                        恥ずかしいを通り越して、あほらしい。おそらくJアラートの発令は人間の尊厳を奪う好機だと政府は考えているのでしょう。この画像と同じことが、各地の小学校でも行われたのでしょうか。

                         

                         

                        大人の言う通りに行動すれば、バカになるのが今の日本社会です。子供たちにはそうなってほしくないので、旧世代の責任として私はブログを書いています。

                         

                         

                        さて、官邸のホームページによると、29日午前、北朝鮮から弾道ミサイルが発射されたそうです。安倍首相は「我が国に北朝鮮が弾道ミサイルを発射」と言明しました。はあ?「我が国に」って、日本を標的にしていたの?

                         

                         

                         

                        でも実際にミサイルはどの国にも属さない高度550kmの宇宙空間を通過し、公海上に落下しました。政府によると「襟裳岬の東約1180kmの海に落ちた」という表現になるわけですが。ちなみに、7,000をこえる衛星が「我が国上空の宇宙空間」を通過していることも知っておきましょう。

                         

                         

                        以下の画像が実際にミサイルが飛んだとされる「我が国上空」の空間です。

                         

                         

                         

                        北朝鮮はミサイルを発射するにあたって、ロシアにも韓国にも配慮していたことが分かっています。それが証拠に韓国では、地下鉄が止まることもなく、いつもと変わらない朝だったそうです。

                         

                         

                        これに対して、戦争プロパガンダで支持率浮揚に必死の安倍首相は何と言ったか。

                         

                         

                        「発射直後から北朝鮮ミサイルの動きは完全に把握していた。国民の生命と安全を守る万全な態勢を取っている。」また「わが国を飛び越えてミサイルが発射されたのは、これまでにない重大な脅威だ」と強調。その上で、国連安全保障理事会の緊急会合を開催するよう要請する意向を明らかにした。(官邸ホームページによる)

                         

                         

                        出ました!「完全アンダーコントロール」。「北朝鮮ミサイルの動きは完全に把握していた」のなら、なぜJアラートを発令する必要があったのか。

                         

                         

                        そして、あろうことか「日米韓三カ国、中国、ロシアや国際社会とともに強い圧力をかけ、彼らの政策を変えなければならない」と言って、北朝鮮を挑発しました。マスコミも追従して視聴率稼ぎに必死です。

                         

                         

                         

                        事実と異なることを過大に告知し、国民の恐怖を煽る手法はオオカミ少年どころか、放っておくと本当にオオカミを呼び寄せることになります。この虚言癖の妄想男こそが日本の安全保障にとって最も危険だということに気づかなければなりません。

                         

                         

                        この状況で、例の幇間(ほうかん)、じゃなかった、国際政治学者の三浦瑠璃ちゃんは次のように述べています。「北朝鮮を止めるには、もっと劇的な抑止策が必要だ。北朝鮮への制裁に効果がないことははっきりした。日本と韓国はそろそろアメリカ依存をやめて独自の抑止力を持つべきだ」と。(ニューズウイークジャパンの記事より)

                         

                         

                        なるほどね。でも「米国の脅しが効かないから」と言うのであれば、一体どれだけの軍事力を持てば屈服させられると言うのでしょうか?あとは核武装しかありませんね。この点で虚言癖の妄想男と考えが一致したのでしょう。やれやれ。

                         

                         

                        ネトウヨやちょっと知的でバカな国際政治学者は「リアリズムで安全保障問題を論じる」と言いますが、例えば「原発が攻撃されたら」という話は出てきません。米軍基地が攻撃されることはあっても、原発にだけはミサイルが当たらないと信じているのです。こうなると、もはや原発カルト宗教です。

                         

                         

                        彼らは、原発を攻撃されたら終わりだと分かっているので、戦闘機や艦艇だけで日本が守れるかのような「リアリズムに見せかけた主観的な感情論」を得々と語ります。

                         

                         

                        そして、戦争回避の言説は情緒的かつ偽善的な現実逃避に過ぎないと断じます。その一方で、戦争に備えることはリアルで論理的な思考の結実であり、開戦の決断は歴史を検証した上での、国益を守るための冷徹で孤独な大人の態度であるなどというようなことを仲間内で言い合っているのです。

                         

                         

                        つまり、彼らは日米安保が、一義的にはアメリカの核攻撃から日本を守るための体制であることを喝破する知性も勇気も持ち合わせていないのです。気楽な稼業というわけです。

                         

                         

                        さて言いたいことは山ほどあるのですが、最後に北朝鮮のミサイルよりはるかに危険なモノに注意を促して終わりにしたいと思います。特に大分県の皆さんは心して読んで下さい。

                         

                         

                        朝日新聞や東京新聞によると、

                         

                        「二十九日午後六時三十四分、米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)所属の新型輸送機オスプレイ一機が大分県国東(くにさき)市の民間専用の大分空港に緊急着陸した。一時煙と炎のようなものが上がったが、けが人の情報は入っていない。米軍は着陸十分前、空港管制塔に「エンジントラブルで緊急着陸する」と連絡した。

                         

                         

                         五日にオーストラリア沖で起きたオスプレイ墜落事故で自粛要請の声が上がる中、米軍は安全性を確認したとの声明を発表し飛行を再開している。」とのことです。詳細は下記記事へ。

                         

                        http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017083002000112.html

                         

                        | 政治 | 22:32 | comments(0) | - |
                        戦争で死んだ人間を差別するな −72回目の敗戦記念日に寄せて。
                        0

                          戦争はある日突然起こるのではありません。一部の人間とそれに呼応する者たちが意図して起こすのです。クラウゼヴィッツがすでに指摘しています。「近代の戦争に偶発はなく、すべて営利行為である」と。

                           

                           

                          営利行為である以上、国内経済や世界経済と密接な関係があります。さらに、戦争を遂行するために、長い時間をかけて下準備がなされます。メディアと教育を通じて。もちろん彼らはその結果として引き起こされる破局を想像できません。人間的な想像力を欠いているからです。

                           

                           

                          今回は「下準備」について思うところを書いてみます。まず国内で人権が蹂躙され、差別的発言が公然と撒き散らされるようになります。それは、社会的弱者や特定の外国人、人種や宗教を異にする者が標的にされます。

                           

                           

                          作家の百田尚樹をはじめとして、具体例には事欠きませんが、「人工透析患者は死ね」と言った元アナウンサーの長谷川豊は日本維新の会の公認候補として次の衆院議員選挙に立候補することを発表しています。(本人は誤解だとしていますが、実際は、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」というタイトルのブログを投稿しています。)

                          http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/06/yutaka-hasegawa_n_14630432.html

                           

                           

                          こういう事例に対して、自分には関係ないと考え、抗議の声を上げなければ、私たちは差別する側に組み込まれるのだということを忘れてはなりません。

                           

                           

                          戦争はそれと意識させないようにして、私たちの心に忍び寄ってきます。私が大分市春日町にあるY田ゼミ塾長氏を批判してきた動機もこれです。元々批判に値するほどの人物でないことは分かっていましたが、中国人や韓国人に対して罵詈雑言を投げつけ、差別的言辞を吐く人間が、若者の前に立つ資格があるのかと問いかけずにはいられないのです。戦争は私たちの心が準備するからです。彼が熱烈な安倍信者であることもつけ加えておきます。

                           

                           

                          最後に二つのよく似た事例を紹介します。権力のトップに立つ人間として安倍晋三氏とドナルド・トランプ米大統領は同じ心性を持つものの、国民の対応によってまったく違う結論が導かれるという例です。

                           

                           

                          米南部バージニア州シャーロッツビルで極右集会に抗議した女性が白人男性の自動車にはねられて死亡しました。他にも多数の負傷者が出た凄惨な事件です。

                           

                           

                          事件当日、トランプ氏は「色々な側」に問題があると述べる一方で、白人至上主義者やナオナチを名指しして非難せず、その後もこの事件について言及していませんでした。そのため事件後には、トランプ氏が滞在中のニューヨークのトランプ・タワー周辺など全米各地で、大統領がネオナチなどを非難しないことに抗議する集会が開かれたのです。

                           

                           

                          この事件を受けて、ドナルド・トランプ米大統領は事件から2日経った14日、ホワイトハウスで人種差別と暴力を非難する声明を読み上げました。大統領はこれまで、白人至上主義者を特定して非難しなかったため、共和党内からも批判されていたのです。

                           

                           

                          その中でトランプ氏は、人種差別団体クークラックスクラン(KKK)やネオナチや白人至上主義者は、米国人が大事にするものすべてにとって「唾棄すべき」者たちだと述べました。

                           

                           

                          一方で、昨年の7月26日、神奈川県相模原市にある障害者介護施設『津久井やまゆり園』で起こった戦後最悪の大量殺人事件では、安倍晋三氏は事件が起こってから一度も現地を訪れていませんし、献花もしていません。加害者の誤った優生思想についても、否定する声明を発していないのです。

                           

                           

                          「障害者なんていなくなればいい」と考える施設元職員の植松聖容疑者によって障害者19名が殺害され、26名が重軽傷を負うという凄惨な事件であったにもかかわらずです。このことはノルウェーのストルテンベルグ首相との対比ですでに書きました。よろしかったらお読み下さい。

                           

                           

                          『手段のためには目的を選ばない人間たち。』

                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=389

                           

                           

                          さて、私たちは「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和がある」という言葉をよく耳にします。8月15日に、あちこちでよく使われる言い回しです。しかし、本当にそうでしょうか。

                           

                           

                          戦争で殺された犠牲者には、広島、長崎の原爆犠牲者のみならず、東京大空襲や沖縄の地上戦で犠牲になった数十万の人が含まれています。これは政府の無策によって殺された「犠牲者」ですが、「尊い犠牲者」ではありません。「尊い犠牲者」とは「国を守るために」出征していった兵士のことだそうです。

                           

                           

                          しかし、その6割以上は、病気と飢えで死んでいったのです。戦略もなく兵站も確保せず、ただ若者に無駄な死を強要したのです。日本政府の愚かさを恨みながらも、それでもわが故郷を守ろうという思いで死んでいった若者の無念さに、私たちはどうしたら報いることができるのでしょうか。

                           

                           

                          その思いに応えようとして3年前に書いたのが『二つの島をつなぐ』です。長いですが、よかったらお読み下さい。http://www.segmirai.jp/essay_library/essay051.html

                           

                           

                           

                          戦争を準備する段階では、国民同士を監視・敵対させ、教育によって他民族に対する差別感情を植え付ける。戦争が終わってからも、戦争で死んだ人間を差別し続ける。そして、そういう体制を丸ごと肯定し、戦前回帰を志向する集団のトップに立っているのが、安倍晋三氏です。

                           

                           

                          72回目の原爆の日、 核兵器禁止条約への不参加を決めたことに対し、長崎の被爆者団体から「あなたはどこの国の総理ですか」「私たちをあなたは見捨てるのですか」と迫られて、安倍晋三氏は顔色一つ変えませんでした。もしかしたら、彼は人間ではなくショッカーなのかもしれませんね。

                           

                          | 政治 | 18:45 | comments(0) | - |
                          国際政治学者という幇間(ほうかん)
                          0

                            幇間(ほうかん)とは、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業をいいます。歴史的には男性の職業です。要するに政権の太鼓持ち、ネトウヨのことですね。

                             

                            彼、彼女らの本質については2年前にすでに書いています。

                             

                             

                            『理性の暴力』2015.09.23

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=61

                             

                             

                            「気分はほとんど戦前」の世の中で、どんな種類の人間が政権の露払いの役を買って出ているのか、この際はっきりしておきたいと思います。

                             

                             

                            今回は国際政治学者の三浦瑠麗ちゃんについて書きます。お盆なのでブログを書くのはよだきいなあと思ったのですが、こんな薄っぺらでお粗末な人間が若手論客としてメディアに重宝されていることに腹が立ったので書いておくことにします。腹を立てることは大事です。なぜなら、官僚や政治家の虚言、保身、道徳的退廃、さらには「学者」の歴史的事実の捏造、無知は明らかで、それに怒らない時点で政府に加担していることになるのですから。

                             

                             

                            さて、三浦瑠麗ちゃんの件に戻りましょう。12日の『東京新聞』(電子版)の記事で彼女は「大日本帝国が..人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、1943−45年のせいぜい2年間ほど」 と述べています。そもそも「全否定は過去見誤る」なんて、だれも全否定なんかしていませんよ。いわゆる東大話法です。

                             

                             

                             

                             

                            学者なら、もう少し歴史的事実に謙虚になってほしいものです。国家総動員法前でも1933年には小林多喜二が特高の拷問で殺されています。35年には宗教弾圧の第二次大本事件が起きています。安倍首相とのお食事会で何があったのかは知りませんが、国際政治「学者」の名をかたり、客観性と中立を装ってはいるものの、実際は安倍政権の太鼓持ちであることは明らかです。

                             

                             

                            以前「NEWS23」を見ていた時、彼女が「共謀罪」をテロ対策と結びつけて語っているのを見て仰天しました。テロ対策は必要と言いながら、共謀罪のどれがテロ対策になるのか、それには全く言及していなかったからです。

                             

                             

                            さらに、週刊新潮(6月22日号)の連載エッセイで、山口敬之の詩織さんへのレイプ疑惑について書いたものを見てみましょう。以前この件をネットで調べているときに見つけました。

                             

                             

                            いわく、被害女性・詩織さんの記者会見を見た「世間」は、「その衝撃に耐えられず」、ヒステリックな反応を示して、「事件そのものをそっちのけに、自分が元々憎んでいる敵への攻撃に走った」として、世間の反応を批判します。

                             

                             

                            「いわく、詩織さんを利用した政治勢力のでっちあげなんではないか、とか、山口氏は政権寄りのジャーナリストだから政権の悪なんだ、とか。」

                             

                             

                            実は前者の「でっちあげ」説こそが、何の根拠もないネトウヨレベルの憶測です。それに対して後者は、逮捕状まで出ていた犯罪がもみ消されたという異常な事実が確実にあり、それを指示したのが菅官房長官の秘書官を務めた警察官僚・中村格であり(このことは本人が認めています)、山口が政権寄りのジャーナリストだから起きた「政権の悪」ではないかという疑いは、政権に迎合する必要のない庶民なら誰でもが持つ当然の疑いです。

                             

                             

                            三浦瑠麗ちゃんは、ネトウヨの妄想と、庶民の真っ当な感覚を、全く等価に並べて相対化したのです。そしていつものごとく、右もヒステリックだけど、左もヒステリック。私だけが真ん中で、冷静に物事を見ているのよ!と上から目線を決め込んだのです。

                             

                             

                            「仮に捜査に不公正があったならば、責任の所在を明確にする必要がある」と、あたかも中立公正な立場を装っています。これだけメディアから情報が出ているにもかかわらず、それでも「政権の悪」を疑うのは事件の本質から外れているなどと言います。山口敬之のレイプ犯罪隠蔽事件から国民の目をそらそうとしているとしか思えません。いったい誰のために、何のために?「客観性」という学問の神様のためでしょうか、なんちゃって。

                             

                             

                            『2017年、人非人を国のトップに据えている日本』

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=380

                             

                             

                            いわゆる受験エリートは「本質」が見えないという、文字通りの「盲点」をかかえています。政治がらみのレイプ犯罪をめぐって、女性言論人にして国際政治学者の三浦瑠麗ちゃんの口からこの発言が出たことに注意すべきです。最初に言いました。幇間(ほうかん)とは、歴史的には男性の職業です、と。

                             

                            | 政治 | 11:57 | comments(0) | - |
                            「思想的確信犯」はいかにして生まれるのか?
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                              私たちはいったい何を信じて、何を守るために生きているのでしょうか。今さらこんな青臭い問いを発したところで、どうなるものでもないことくらい分かっているつもりです。私たちの社会は、こういった問いを揶揄、嘲笑し、「きも〜い」と言ってみたり「何それ?」ととぼけてスルーする社会になりました。

                               

                               

                               

                              『感情とは何か − 私たちは何を信じて生きるのか。』

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=86

                               

                               

                               

                              その結果、<目的のためには手段を選ばない>どころか、<手段のためには目的を選ばない>人間が大量に出てきたのです。自分たちの復古的な歴史観や、歪んだ価値観を国家目標にするために強行採決を繰り返し、改憲を目論んでいた人間が、雲行きが怪しくなった途端に、当初の目的をひっこめたり、別の目的をでっち上げたりしています。

                               

                               

                               

                              要するに、彼らには何らの目的も理想もなく、逆に特権的な地位や金にしがみつくために権力を利用しているだけなのです。

                               

                               

                               

                              簡単に言うと「権力を持っている人間が多少私腹を肥やすくらいのことをして何が悪いのか。おかげで自分たちも株高による利益を得ている。それが資本主義のメカニズムだ。安倍首相以外の人が首相になっても、今よりいい世の中になるとは思えない。」というのが資本主義と新自由主義の違いすらわからないバカなリバタリアンの発想です。

                               

                               

                               

                              彼らの目的はとにかく現体制の維持であり、権力の余得にありつくために、ゴキブリ並みの嗅覚をそなえているのが特徴です。とにかく、金、金、金、なのです。しかし、金は単なる紙切れであり、数字であり、記号に過ぎません。つまり、真っ当な目的と信用があってこそ価値を持つ単なる交換<手段>なのです。本来手段であったものが目的になれば、その社会は破滅に向かいます。

                               

                               

                               

                              目的と手段を取り違えた結果、福島第一原子力発電所の事故が起こりました。これは正真正銘の人災です。それを反省して、方向転換するかと思いきや、安倍政権は原発再稼働に舵を切り、新増設も視野に入れているようです。

                               

                               

                               

                              原子力発電所は、表向きは電気を作るのが目的でした。電気を作るだけなら他にも方法があったはずです。にもかかわらず、なぜ政府は原子力発電(核発電)を選択したのでしょうか。なぜアメリカはそれを許したのでしょうか。その時私たちはいったい何を信じて、何を守ろうとしたのでしょうか。

                               

                               

                               

                              よりよき社会を作るという共通の目的を失った結果、私たちの社会は至るところで手段が目的にすりかわっています。すなわち破滅に向かっているということです。私たちは薄氷の上で死の舞踏を踊っているだけの、刹那的で、楽観的で、享楽的な国民なのでしょうか。

                               

                               

                               

                              黙っているにも限度というものがあります。そこで、やむなくその事実を指摘すると、権力に異を唱える人間だと見なされ、罵詈雑言を浴びせられます。要するに、権力に批判的な人間を生理的に嫌悪し、許せないと感じ、敵だと見なす単細胞人間が増殖しているのです。

                               

                               

                               

                              なかでも、その中心となっているのが、「知的」だと見なされている IT 成金や官僚上がりの評論家の皆さんです。私は7月18日のブログの中で彼らの特徴を次のように述べました。

                               

                               

                               

                              『 IT 成金の皆さんが振り回しているのは、ネオリベ思想(市場原理主義と結果能力主義とコスパ至上主義)に他なりません。つまるところ優生学思想ならびに社会ダーウィニズムと同じもので、両者の間に違いはほとんどありません。

                               

                               

                               

                              この発想に骨の髄から冒されているのが、橋下徹、長谷川豊、ホリエモン、夏野剛、その他の経済評論家と称する皆さんです。人間を勝者と敗者に切り分け、自分だけは常に勝者の側だ、オレについてくれば負けないと吹聴する詐欺師たち。「今だけ、カネだけ、自分だけ」のネオリベ思想では、社会が直面する課題にもはや対処できないのは明らかなのですが。彼らの発言の底流にあるのは、まさにこういった思想に他なりません。』と。

                               

                               

                               

                              『 IT 成金の皆さんの貧困な想像力』

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=382

                               

                               

                               

                              IT 成金の皆さんの考え方や価値観が広まるのと並行して、世の中はますます息苦しくなり、殺伐としてきました。そして、ある種の「思想的確信犯」によるおぞましい事件を誘発する心理的な下地が形成されます。

                               

                               

                               

                              昨年の7月26日、神奈川県相模原市にある障害者介護施設『津久井やまゆり園』で起こった戦後最悪の大量殺人事件がそれです。「障害者なんていなくなればいい」と考える施設元職員の植松聖容疑者によって障害者19名が殺害され、26名が重軽傷を負うという凄惨な事件でした。

                               

                               

                               

                              私がこの事件で最も衝撃を受けたのは、彼の犯行を賛美し支持するツイートが大量に寄せられたことです。例えば次のようなものです。

                               

                               

                               

                              「日本に貢献しないくせに、無駄に金がかかるクズどもを駆除してくれる、あなたのような人が増えてくれればいいけど」(透析患者は死ねといった長谷川豊の発想と同じです)

                               

                               

                               

                              「お前最高だぜ!!!日本のゴミを掃除したお前には拍手してあげたいゼィ!偽善者どもは気にするな!お前は世紀の大仕事を成し遂げたんだ!!すばらしい!!」

                               

                               

                              「日本の国益のため、障害者の幸福のため尽力してくれてありがとう!君が本当の憂国の士だ!間引きという日本の伝統を取り戻し美しい国を!」

                               

                               

                               

                               

                              植松容疑者は事件の前、同年2月に、衆議院議長公邸を訪れ、衆議院議長の大島理森に宛てた手紙を職員に手渡しています。また同年2月に安倍晋三首相宛の手紙を自由民主党本部にも持参していました。彼の嗅覚も捨てたものではありません。思想的に同じ「におい」を発している人物が分かるのです。そこで、権力者を当てにして自分の行為を正当化しようとしたのです。濃淡の差はあれ、これは人格が空洞化したネトウヨの皆さんと同じ心性です。

                               

                               

                               

                              今回の事件は戦後最大の大量殺人事件であり、しかも障害者が標的にされています。私は、この事件に関し安倍首相のコメントが聞きたかったのですが、安倍首相は、事件が起こってから一度も現地を訪れていませんし、献花もしていません。加害者の誤った優生思想についても、否定する声明を発していないのです。首相には首相の考えがあるという意見もあるでしょう。

                               

                               

                               

                              しかし、一国のリーダーとして、この事件をスル―することが許されるのでしょうか。私にはどうしても忘れられない事件があります。それは2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロ政府庁舎爆破事件とウトヤ島銃乱射事件です。これは外国人排斥思想に染まった若者が同じ日に一人で起こした大量殺人事件です。政府庁舎爆破事件により8人、銃乱射事件により69人がそれぞれ死亡しており、両事件で77人が死亡。ノルウェー国内において第二次世界大戦以降の最悪の惨事とされています。

                               

                               

                               

                              24日には国王やストルテンベルグ首相をはじめとする政府首脳らが出席して、犠牲者を追悼するミサがおこなわれました。涙をこらえてスピーチを読み上げるストルテンベルグ首相の様子をノルウェーのメディアは繰り返し報道しています。

                               

                               

                               

                              ストルテンベルグ首相は、銃乱射のあったウトヤ島の生き残りであり、CNNの取材に答えた女性の一言をスピーチで引用します。それは「ひとりの男性がこれだけの憎悪を表すことができたのです。私たちが共にどれだけ大きな愛をみせることができるか、考えてみてください」というものでした。

                               

                               

                               

                              首相のスピーチに国民が感動するのは、それまでの誠実な言葉の積み重ねと行動に対して、国民が共感し心を寄せているからです。安倍首相がどんな美辞麗句を使い、謙虚さを強調しても、それに共感するのは、無知で下品な取り巻き連中とネトウヨの皆さんだけです。安倍首相のスピーチは、空語、空語、空語の連続です。そう感じるのは、おそらく、ねじ曲がった私の性格のせいでしょうね。

                               

                               

                               

                               

                              | 政治 | 21:16 | comments(0) | - |
                              7月の終わりに。
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                                早いもので、7月も今日で終わりです。ブログで『高校生のための英文読解』を始めようと思ったのですが、7月の最後の日だということで、心に浮かんでいるよしなしごとを簡単にまとめておこうと思います。

                                 

                                 

                                まず今の政権に国が守れるかという問題です。議員会館でさえ10年間入館記録を保存しているのに、「首相官邸」に誰がいつ入ったかさえ全く把握してない(記録さえ保存してないと主張している)政権に国が守れるでしょうか。断言してもいいですが、NOですね。「官邸の最高レベル」の私利私欲のために、文書を破棄・隠蔽するような人間たちに国が守れるはずもありません。

                                 

                                 

                                さらに、自衛隊トップの資質の問題です。北朝鮮がミサイルを発射するかもしれないとメディア上でも散々言われていた(実際に7月29日未明、弾道ミサイルは発射されました)にもかかわらず、どさくさにまぎれてコスプレ防衛相のイヤダ・トモピーこと稲田朋美氏はタイミングよく?辞任しました。

                                 

                                 

                                なんという危機管理のなさでしょうか。自ら空白を作っておきながら、かつては「国家のために血を流せ」と言っていたのです。こんな無能の人間を防衛相に任命したのは、どこの誰でしたっけ。

                                 

                                 

                                人間、頭が悪いのは仕方ありません。本人のせいではないとも言えます。しかし、それをカバーする胆力、洞察力、観察力、自己犠牲の精神、部下を掌握する力量、そのすべてを欠いている人間が防衛大臣だったとは、悲劇というべきか喜劇というべきか。

                                 

                                 

                                おそらく誤った歴史認識に基づくえこひいき以外の何ものでもなかったのです。整列した自衛官の前を、コスプレ防衛大臣がよちよち歩く姿を見て、「やってられないよ。アレが俺たちのトップかよ」と思った自衛官は少なくなかったと思います。国を守るのが仕事だと自らに言い聞かせていても、トップの姿を見れば士気は萎えます。

                                 

                                 

                                それもこれも「任命責任はワタチにあります」と仰っていた方の責任です。実際どのような責任を取ったのでしょうか。彼はこれまで責任を取ったこともなければ、これからも責任を取るつもりなどありません。「今だけ、口だけ、自分だけ」の人間ですから、責任などとれるはずもないのです。

                                 

                                 

                                南スーダンのジュバで戦闘行為があったことを隠蔽するように指示したのは、まさにこのお方だったのではないでしょうか。憲法違反の海外派兵に道を開き、自衛官の命を危険にさらしておきながら、知らぬ存ぜぬで押し通す厚顔無恥な政治家とは、まさにこのお方のことです。本来なら、最低でも内閣総辞職に値する行為です。

                                 

                                 

                                しかし、ことの重大性を認識できないお方ですから、そんな発想にはなりません。森友問題で「私や妻がかかわっていたら、総理大臣も国会議員もやめますよ」と啖呵を切っていたころが懐かしいですね。ここにきて露呈している国家の私物化、危機管理のなさは、行政のトップにいる人間の弛緩しきった歪んだ精神のなせるわざなのです。

                                 

                                 

                                潰れかけたレストランのオーナーが、スタッフを一部入れ替え、客に迎合する「謙虚な経営」に切り替えたとしても、お客さんは戻ってきません。安倍首相は周りに「お友達」がいなければ、小さなレストランの経営すら満足にできないでしょう。なぜなら、都議選で惨敗した夜、一流フレンチ・レストランでお友達と豪華ディナーに興じるという危機管理のなさでは、経営する側の苦労など分かるはずもないからです。要するに、しんちゃんが頼りにできるのはカネと権力とジイちゃんの代からの人脈、怪しげな宗教のお告げ、そして怖〜いママだけですね。

                                 

                                 

                                 

                                さて、8月はどんな月になるでしょうか。新装開店なった「しんちゃんレストラン」にお客さんは戻ってくるのでしょうか。楽しみですね。世論操作と同じく、そっち系のメディアは華々しく宣伝することでしょう。どこそこの一流シェフを迎えただの、高級ワインを取り揃えているなどと。

                                 

                                 

                                数カ月後、あれほど華やかな宣伝を繰り広げた「しんちゃんレストラン」も、目の肥えた客にそっぽを向かれ、人影もなく静まり返っていることでしょう。そして入口のドアには小さな張り紙が見えます。そこには次のように書かれています。

                                 

                                 

                                「当レストランは本日をもちまして閉店することになりました。これもひとえに、当レストランの提供する文化や味やこだわりが分からない大衆とそれを扇動した一部のメディアのせいだと考えております。これからは、少数の選ばれた芸能人、スポーツ選手、財界人、テレビのコメンテーター、ネトウヨ新聞社の重役、政治家の方などを主な客層として捲土重来を期す所存であります。一度は経営を投げ出したレストランですが、再び経営に乗り出し5年余りの月日が経ちました。三度経営に乗り出せるかどうかは、ひとえに上に述べた方々の支援次第であります。これまでの御愛顧、誠にありがとうございました。」

                                 

                                 

                                人々は秋風が吹き始めた街路を足早に歩いています。今ではその小さな張り紙に目をくれる人もなく、色褪せ、破れた張り紙は今にも風で飛ばされそうです。二人連れの女性が足を止め、その貼り紙を読んでいます。「へえ〜、こんなところにレストランなんてあったかしら?」

                                 

                                | 政治 | 15:20 | comments(0) | - |
                                IT成金の皆さんの貧困な想像力
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                                  2012年に第二次安倍政権が発足してからというもの、目立ちたいだけの、あるいは権力者に声をかけられただけで庇護されていると勘違いしているお調子者が、この国では入れ替わり立ち替わり出てきます。ことによるとローテーションがあるのかもしれません。またこいつか、と思われるとローテーションの存在がバレるので、最近ではケント・ギルバートがリリーフで使われています。

                                   

                                   

                                  それにしても、政界、実業界、芸能界、ジャーナリズムの世界を問わず、よくもこれだけアホ面を晒せるものだと、ほとほと感心します。彼らは皆、親亀の上に乗って威張っている子亀なので、親亀がコケないように必死で旗を振っています。そのいじらしさと言ったらありません。親亀と運命を共にしているので、そのうち親亀がコケて消えてしまうでしょう。

                                   

                                   

                                  権力という後ろ盾を失っても生き残るのは、小金をためている IT 成金の皆さんでしょう。IT 成金といえば、ホリエモンこと堀江貴文氏が思い浮かびます。彼は7月12日に生放送された NHK の情報番組「ごごナマ」に出演し、その時着用していたTシャツにヒトラーの肖像が書かれていたことで物議をかもしました。やれやれ、またこの人かとうんざりしましたが、見過ごすことのできない点があるのでこうしてブログを書いています。

                                   

                                  これがその T シャツです。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  阿部アナウンサーは同番組の最後で、視聴者から問い合わせがあったとして、「T シャツは堀江氏が持参した私服で、戦争反対を示す NO WAR という文字や反戦のマークが入っていました。しかし、『ヒトラーを想起させる』というご意見を頂きました。不快な思いを抱かれた方にはお詫び申し上げます」と謝罪のコメントを読み上げたのです。

                                   

                                   

                                  それに対して堀江氏は12日のツイッタ―で、「しかし NHK の影響力半端ねーな。ヒトラーがピースマークで NO WAR 叫んでるTシャツ何回も着てたけど初めて炎上してる笑。どっからどう見ても平和を祈念しているメッセージTシャツにしか見えないだろこれ笑。」と発言しています。

                                   

                                   

                                  私が引っ掛かったのは「どっからどう見ても」という自分の判断を絶対化する言葉です。これは彼の常套句です。息を吐くように「どっからどう見ても」を連発します。

                                   

                                   

                                  しかし、ユダヤ人600万人を虐殺し、障害者・同性愛者をも排斥虐殺し、優生思想の主導者として人類社会への犯罪行為を行った独裁国家の宰相・ヒトラーが平和のアイコンになると信じているなら、歴史的事実に対して目を閉ざしているばかりか知性というものが根本的に欠如しています。自分の身内や友人がガス室に送られて殺された経験を持つ人が、このTシャツを見てどう思うかという想像力がないのです。

                                   

                                   

                                   

                                  ヒトラーのアイコンと NO WAR という文字を並列させるのは、本人は風刺だと思っているのかもしれませんが、これこそまさにジョージ・オーウェルが『1984』で指摘したダブルスピークです。ダブルスピークとは、矛盾した二つのことを同時に言い表す表現をいいます。例えば「一般人をテロから守るための共謀罪」のように、表の意味を持つ単語で正反対の裏の意味(国家権力に異議を唱える者は誰であれ処罰できる法律)を表し、それを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法のことです。

                                   

                                   

                                  あるいは「他者とコミュニケーションをとることを装いながら、実際には全くコミュニケーションを目的としない語法」だとも言えます。菅官房長官は言うまでもなく、安倍首相の記者会見や国会での答弁は、歴代の首相に比べ、この「ダブルスピーク」のオンパレードです。「ダブルスピーク」ばかり聞かされると、それに慣れてきます。そして、国民も記者も思考停止に陥っていきます。

                                   

                                   

                                  さて、最後に一つだけつけ加えておきます。IT 成金の皆さんが振り回しているのは、ネオリベ思想(市場原理主義と結果能力主義とコスパ至上主義)に他なりません。つまるところ優生学思想ならびに社会ダーウィニズムと同じもので、両者の間に違いはほとんどありません。

                                   

                                   

                                  この発想に骨の髄から冒されているのが、橋下徹、長谷川豊、ホリエモン、夏野剛、その他の経済評論家と称する皆さんです。人間を勝者と敗者に切り分け、自分だけは常に勝者の側だ、オレについてくれば負けないと吹聴する詐欺師たち。「今だけ、カネだけ、自分だけ」のネオリベ思想では、社会が直面する課題にもはや対処できないのは明らかなのですが。

                                   

                                   

                                  彼らの発言の底流にあるのは、まさにこういった思想に他なりません。例えば、明白なウソをつくことで別人格になりすまし、一橋大学出身を強調して生徒を掻き集める塾講師もいます。しかもそれを許容範囲だと勝手に判断する大分市田尻の学習空間Lのなりすまし塾長 K 氏が、ホリエモンの『多動力』なるスカスカ本を読んで感動するのも納得できます。

                                   

                                   

                                  K 氏の7月8日のブログによれば「なんだかんだ堀江さん好きなんです・・・上の世代の方からは完全に嫌われてる印象ありますけど、ぼくには正しいこと言ってるようにしか思えない。」のだそうです。なるほどね。

                                   

                                  | 政治 | 15:53 | comments(0) | - |
                                  2017年、人非人を国のトップに据えている日本
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                                    人非人(にんぴにん)とは、人にして人にあらず。つまり人の道に外れたことをする人、人間らしい心のない人、犬畜生を意味する言葉です。2017年の日本は、文字通りそういう人間を国のトップに据えています。

                                     

                                     

                                    私たちは、この人非人を一刻も早く退場させなければなりません。彼はもう十分歴史に名を刻みました。前代未聞、空前絶後の卑怯者として。

                                     

                                     

                                    権力を持っている者を応援することなど、どんなバカでもできることです。ただ依存すればいいのです。自分の意志で立つ必要はありません。お呼びがかかるのを待って、それらしきところに出て行くだけでいいのですから。これは人間精神の退廃形態です。

                                     

                                     

                                    彼とその取り巻きは人間をモノのように考えています。人は、それぞれの境遇で呻吟し、絶望し、あるいは前途にかすかな希望の灯りを見つけ、それを頼りに生きようとする存在です。家族や友人との思い出を胸に秘めている、一個の実存です。

                                     

                                     

                                    安倍ジョンウンの子飼いのジャーナリスト、山口敬之は詩織さんをモノのように扱いました。薬物を服用させ、判断力を麻痺させて、むりやりホテルに連れ込みレイプしたのです。これほど醜く卑劣な犯行があるでしょうか。山口という鬼畜は詩織さんを一個の人格として扱わず、「丸太」のように扱ったのです。こんな人間が元TBSのジャーナリストというのですから、言葉がありません。

                                     

                                     

                                    この事件については、詩織さんと山口を乗せたタクシーの運転手が証言しています。ホテルの監視カメラにも証拠が残っています。詩織さんが告発した結果、高輪署が捜査して、数々の証拠をもとに、元TBSのジャーナリスト山口敬之の逮捕状を取りました。

                                     

                                     

                                    そして山口敬之が帰国するところを所轄の刑事が成田空港で待ち構え、いよいよ逮捕という時になって「上からの指示」で突如逮捕が中止されたのです。

                                     

                                     

                                    この判断を出したのは警視庁の中村格氏(当時・刑事部長)で、そのことを本人自ら認めています。逮捕を中止した理由は、逮捕する理由がないからということでした。中村氏は、菅官房長官の右腕と言われるエリート警察官僚です。こういった前例のないあまりに不自然な逮捕取りやめ劇と不起訴処分に官邸が関与していたことは明らかです。

                                     

                                    画像左が山口敬之、下は詩織さん。右が中村挌。

                                     

                                     

                                     

                                    おそらく、菅官房長官が中村格氏に指示を出したのです。安倍ジョンウンは直接指示を出していなかったのかも知れません。菅官房長官が「忖度」して、選挙直前に『総理』なるヨイショ本を出した、あるいは出させた山口敬之の逮捕を止めたのでしょう。

                                     

                                     

                                    いつも思うのですが「忖度する側」はもちろん、「忖度される側」も同じ穴のむじなです。山口敬之の逮捕中止劇が、「忖度される側」が望んだ結果だとすれば、これは法治国家の根幹を揺るがす大事件となるはずです。プライドのあるまともな政治家であれば、激怒するでしょう。そして、この事件に関係した人間をすべて更迭し、改めて捜査することを指示し、責任を取って辞職するはずです。

                                     

                                     

                                    しかし、安倍政権は何度も言うようにプライドもなければ見識もない犯罪者集団なのですから、こんなことは起こりようもありません。いつものように口先だけで「私が関与していたら、総理大臣も国会議員も辞めますヨ、それだけはモーチアゲテおきたい」と言うことでしょう。

                                     

                                     

                                    逮捕が中止された後、詩織さんは文字通り命をかけて、マスコミの前でこの事件の経緯を語り、再度告発に踏み切りました。マスコミもジャーナリストもこの事件を最大限に取り上げ、安倍政権を追い込まねばならないはずです。本来なら逮捕者が続出する事件です。しかし、TBSが絡んでいるからでしょうか、一向にその気配は感じられません。

                                     

                                     

                                    それどころか、自民党の河野太郎氏は、BSフジの「プライムニュース」に出演して、「司直の判断に任せるべきだ」と言いました。その司直が逮捕状を出し、それを「上」が妨害したのです。警察と官邸が重大な犯罪を行っているときに、こんな発言しかできないとは、ふざけた議員です。自分の発言がセカンドレイプになるなどとは思ってもいないのでしょう。彼も人間を「丸太」扱いする集団の一人です。

                                     

                                     

                                    人間を「丸太」扱いする集団に共謀罪の運用をゆだね、戦争法案を許していることを国民はもっと深刻に考えるべきです。

                                     

                                     

                                    いま私の手元に一冊の小説があります。その小説は次のように始まります。

                                     

                                     

                                    「目の前に首がある。私はどうやら刀を持っている。酷く痩せた男が両腕を縛られ、乾いた土の上に座らされている。干からびた肌をし、垢や土で黒く汚れている。その支那人を見るのを不快に感じ、目を逸らそうとしたができなかった。この支那人と私には、何の関係もなかった。この男がこれまでどのように生き、どのような思いでここにいるのかなどどうでもいいことだった。私と関係があるのはただ彼の首だけで、私の現在の問題の全ては、この首そのものにしかなかった。」

                                     

                                     

                                    「私」は上官たちの命令で、意識が遠のく中「支那人」の首めがけて刀を振り下ろします。そしてのたうちまわる「支那人」にとどめを刺した後、上官に次のように言われます。

                                     

                                     

                                    「この行為は、誰にも知られることはない。この死体は深く埋められる。お前の行為も私たちの行為も、誰にも知られることはない。なぜならこれは神話だから。私たちにはもう退路がない。私たちが戦争に勝てばこんな行為は揉み消せる。私たちが戦争に負けても、これらの行為は敵側によって大げさに語られていき、やがて実態を失う。実態から外れていけばもうそれは真実ではない。いずれ私たちの国の連中がその信憑性に異議を唱えるだろう。我が国に汚点などないと。証言記録など伝聞に過ぎぬ、写真など細工できると言いながら。我々のことなど何も理解していない、過去を直視することすらできぬ臆病者どもがそう叫び続けるだろう。彼らはわれわれの苦悩も体験も理解しようとせず、ただ取り憑かれたように綺麗ごとだけを並べ続けるだろう。敵も味方も真実よりその時代の都合で歴史を語る。消失にしろ強調にしろ、何もかもが実態からうやむやになっていく。つまり私たちは歴史から断絶している。この場は、この場にいる私たちは、過去と未来から断絶し、歴史と断絶し、ただこの時間と空間の中に孤独に存在しているだけだ。だから私たちはその孤独の中でしっかり結びつかなければならない。私たちは仲間だ。歴史から断絶された存在者同士の」

                                     

                                     

                                     

                                    私はこの一節を読みながら、これは今まさに日本で起きていることの寓話ではないかと思いました。人間を特に女性を「丸太」扱いし、他民族を蔑視する勢力が台頭し、それに支えられた政権が日本人の血塗られた精神史に新たな一ページを書き加えようとしているのです。

                                     

                                     

                                    上の文は中村文則氏の小説「A」から引用しました。文庫本にしてわずか11ページの短編です。

                                     

                                    | 政治 | 14:35 | comments(0) | - |
                                    女性をモノと考えている男たち、そして真夜中のギター
                                    0

                                      私にはまだやりたいことがたくさんあります。それゆえ政治の話題はいつもこれで最後にしようと思いながら、怒りの持って行き場がないために、ブログを書いてきました。私の拙いブログを読んで下さっている方には本当に申し訳ないと思います。

                                       

                                       

                                      今回のタイトルは、朝日新聞の政治部次長である高橋純子氏の文章「個人と世界と真夜中のギター」に触発されて付けました(7月3日の朝日新聞のコラム『政治断簡』)。というのも、この数カ月の間で、私の怒りが頂点に達した事件のことが書かれていたからです。

                                       

                                       

                                      それは幻冬舎から『総理』というタイトルのアへ・ジョンウンの礼賛本を出していた元TBSのジャーナリスト・山口敬之が詩織さんに薬を飲ませレイプした卑劣極まりない事件のことです。この事件の経緯については以下をお読みください。あなたがまともな感情の持ち主であれば、きっと耐えがたい痛みに襲われるはずです。

                                       

                                      http://lite-ra.com/2017/05/post-3146_3.html

                                       

                                       

                                      この男を励ますための飲み会が開かれたようですが、メンバーには主役の山口をはじめとして、青山繁晴、産経の阿比留瑠比、雑誌正論の元編集長の上島嘉郎、文藝評論家の小川榮太郎が名を連ねました。これに、山口敬之は詩織さんにはめられたのではないかと発言したヒョーロンカの池田信夫が加われば、これ以上卑劣かつ低知能の集団はないでしょう。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      高橋純子氏の文章「個人と世界と真夜中のギター」は以下の通りです。冒頭を少し省略しています。

                                       

                                       

                                      ― 白い花柄のワンピースが、西日に映えてまぶしい。

                                       6月2日、国会議事堂前の歩道に、彼女はすっくと立っていた。不自然なほどまっすぐに伸びた背筋に、そこはかとない緊張感が漂う。胸元に掲げられたプラカードには、「FIGHT TOGETHER WITH SHIORI」(詩織と一緒に闘う)

                                       「性犯罪の被害を受けたのに、相手が不起訴処分になった」として検察審査会に不服を申し立てたフリージャーナリスト・詩織さん。その記者会見を見て、じっとしていられず、SNSで呼びかけられた抗議に参加したという彼女は21歳、大学3年生。

                                       

                                       ――ひとりで来たの? 勇気がいったでしょう。

                                       「いや、友達誘う方が、逆に勇気いるんで」

                                       ――どうして来ようと?

                                       「私、去年、電車で痴漢に遭って。本当につらくて、仲のいい男友達に相談したら、『お前でも痴漢されるんだ』みたいに言われて。これって何なんだろう?って、女性差別の勉強を始めて、自分がもっと主体的に社会を動かさないといけないって思って」

                                       同じようなプラカードを手にした150人ほどが、ただ黙って立っている。シュプレヒコールもなにもない静けさの底に、ずっしりとした怒りがたたえられている。

                                       でもそれは、詩織さんという固有名詞を超えて、自らの尊厳が傷つけられた時の痛みの記憶、その古傷から漏れ出す怒り、なのかもしれない。

                                       一緒に闘う。

                                       あなたは、ひとりじゃない。

                                       私たちは時に「誰か」に、そう伝えたくなる。誰も聞いていないのに、真夜中のギターを弾いてみたりする。

                                           *

                                       「個人の尊厳 国民主権」

                                       先日、日本記者クラブで記者会見した前川喜平・前文部科学事務次官はこう揮毫(きごう)した。自分の信念、思想、良心は自分自身だけのものとして持たなければいけない、と。

                                       個人。良心。自民党改憲草案はこれをどう扱っているか。13条「すべて国民は、個人として尊重される」の「個人」は「人」に、19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」は「思想及び良心の自由は、保障する」に変えられている。なるほどね、そういうことね――。

                                       あったことがなかったことにされ、なかったことにはできないと良心に従い声をあげた個人が攻撃される国は美しい国ですかそうですか。

                                       あなたは、ひとりじゃない。

                                       私はギターをかき鳴らす。じゃがじゃがじゃがじゃがかき鳴らす。夜明けまで。世界がぱちりと目を覚ますまで。―

                                       

                                      もちろん、高橋純子氏は実際に真夜中にギターを弾いていたのかもしれません。が、それは政権にとってはうるさくてしょうがない「真夜中のギター」だったことでしょう。

                                       

                                      さて例によって、精神浄化のために、千賀かほるの「真夜中のギター」をアップしておきます。高校時代深夜放送を聴いてばかりいて、ろくに勉強しなかった頃のことを思い出す懐かしい曲です。

                                       

                                      | 政治 | 22:30 | comments(0) | - |
                                      安倍晋三と稲田朋美は保守を名乗る「パヨク」である。
                                      0

                                        今日は6月30日。あっという間に今年も半分が終わりました。ただひたすら劣化の道をたどる日本の政治と政治家。そのトップに君臨し続けているのが、アヘ・ジョンウンこと、安倍晋三とコスプレ・網タイツ防衛相として一躍世界中に名をはせたイヤダ・トモピーこと、稲田朋美です。

                                         

                                         

                                        この二人はサヨク、いや、ネトウヨが使う言葉で言えばパヨクです。パヨクとはパーのサヨクという意味なんでしょうね。だとすればこれほどこの言葉が似合う人物は、世界広しといえども、この二人を置いて他にいないでしょう。

                                         

                                         

                                        明確な憲法違反を何度も繰り返し、防衛大臣にあるまじき違法行為に及んでも、トモピーを次期総裁候補と持ち上げ、彼女をひたすら守り続けるのがアヘ・ジョンウンの生き方であり、趣味なのです。

                                         

                                         

                                        極めつきが昨日のブログでも書いた、27日、東京・板橋区で行われた都議選の自民党候補の応援で「防衛省・自衛隊・防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」との発言です。これは自衛隊を保守を名乗る「パヨク」(これは語義矛盾ですが、これほど実態を表す言葉は他に思いつきません)を守るための私兵だと考えていることを告白したもので、「誤解」でも何でもありません。

                                         

                                         

                                        自分の発言から都合の悪い部分「防衛省・自衛隊・防衛大臣」を削除して、「誤解」だと言い張っているだけです。こんな人物とその背後でうごめいている日本会議が、好き勝手に歴史を捏造し、でっちあげた歴史観がどれほどグロテスクなものか推して知るべしです。

                                         

                                         

                                        「ハゲ〜!お前なんで生きてるの!死んだら?」の豊田真由子ちゃんとレベル的にはいい勝負です。しかし、トモピーの発言は安倍チルドレンの真由子ちゃんの罵詈雑言に比べても、はるかに深刻かつ影響が大きいのです。こんな人間を閣僚に任命したアヘ・ジョンウンの責任は地球よりも重い。フツウならとっくに内閣はつぶれているはずです。でも、フツウじゃない人が彼を取り囲んでいるので、本来起こるべきことが起こりません。

                                         

                                         

                                        トモピーは自衛隊を名ばかり保守(実態は「パヨク」)の私兵と思い込んでいます。どうしたらそんな厚顔無恥な認識に至りつくことができるのでしょうか。自衛隊は自民党と保守を名乗る「パヨク」のための軍隊ではありません。

                                         


                                        この発想というか論理は、自衛隊を中国共産党一党のための軍隊、すなわち人民解放軍と同一視しています。忘れてならないのは、自衛隊は国民を守るための組織であり、人民解放軍は中国共産党一党を守るための軍隊であるということです。

                                         

                                         

                                        疑う人は天安門事件を思い出して下さい。人民解放軍は、中国人の若者が民主化を求めて天安門広場に集結したとき、共産党一党を守るために、国民の敵となって、若者を戦車でひき殺しました。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        トモピーは自衛隊と人民解放軍を一緒にしてしまったのです。自衛隊は自民党を守る私兵だと考えているからこそ、上記のような発言ができるのです。歴代の防衛大臣のだれ一人として、これほど自衛隊を侮辱する発言をした人物はいません。

                                         

                                         

                                        産経新聞や自称保守やネトウヨは、「アカ」「シナ」「サヨク」と呼んで目の敵にしている中国共産党とアヘ・ジョンウンやイヤダ・トモピーが類友になっていることに気づきもせず、依然として彼らを庇い賛美しています。私が彼らを保守を名乗る「パヨク」と名付けた所以です。

                                         

                                         

                                        ところで、自称保守「パヨク」を量産し続ける産経新聞によると、日本維新の会の松井一郎代表は30日、稲田朋美防衛相に対し「早く辞めるべきだ」と語ったそうです。アレレ、昨日は辞任の必要はないとトモピーを庇っていたのに、どうしたのでしょう。「潔く(辞任)するのかと思ったら全くしないから、言わせてもらった」のだそうです。はあ〜?もはやこの連中の使う日本語は理解不能です。

                                         

                                         

                                        さて、いよいよ暑い夏がやってきます。秋風が吹き始めるころまでには、この国の低知能の集団が台風とともに雲散霧消していることを願うばかりです。

                                         

                                        | 政治 | 23:55 | comments(0) | - |
                                        Give Peace a Chance ! 平和にチャンスを!
                                        0

                                          時間とは恐ろしいものです。人間であれ建物であれ、出会った時の印象を薄れさせ、時の経過とともにその本質を露呈させるのですから。私は第2次安倍政権が発足して以来、それにたかる「ハイエナ」も、消極的支持派も含めて批判してきました。

                                           

                                           

                                          他者を批判するのは結構疲れます。見返りがないどころか、自分が賢くなることもありません。にもかかわらず、こうしてブログを書き続けてきたのは、信念があるからではなく、生きにくい世の中を何とか生き延びるための工夫の一つだからです。それは三十年以上にわたり、潜在的失業者である塾教師という仕事を続ける中で身につけた精神の衛生学だと言ってもいいでしょう。

                                           

                                           

                                          他人を啓蒙しようする試みなど、そう続くものではありません。結局のところ「どーだ、オレはすごいだろう」というナルシシズムに裏打ちされた言動に耐えられるのは、よほどのおバカさんでない限り無理です。しかも、感情を劣化させたネトウヨだけではなく、自己愛を肥大化させた人間があまりにも目につくということが、私の気持ちを暗くさせます。

                                           

                                           

                                          私は、「オレは分かっているがオマエは分かっていない」という立場からはモノを言わないようにしています。常に、「自分が考えるくらいの事は、誰でも考えているだろう」ということを前提にしてモノを言っているつもりです。

                                           

                                           

                                          つまり「理想の審判者」を信じているのです。そうでなければ、ブログはおろか、人生そのものも投げ出していたかもしれません。このことは2年ほど前にすでに書いています。よろしければ、お読みください。

                                           

                                           

                                          『私たちは理想の審判者を信じることができるのか。』

                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=48

                                           

                                           

                                          そして、ようやくというべきか、時の経過とともに、マスメディアよりも無名の個人の批判が集積することで安倍政権の本質が否応なく露呈するところまで来ました。

                                           

                                           

                                          安倍ジョンウンは、病膏肓に入るというか、もはや真っ当な判断を下すことができないところまで追い込まれています。残されているのは、総理大臣の地位に「恋々としがみつき」、虚勢を張ることだけです。それを証明する事例には事欠かなくなりました。

                                           

                                           

                                           

                                          先日、神戸市の講演会で安倍首相は「全国に獣医学部を新設する」と表明しました。加計学園だけを通すために(京産大はカヤの外にはじき出されました)岩盤にドリルで穴をあけたことがもはや隠せなくなったと見るや、この発言です。

                                           

                                           

                                           

                                          しかも、日本テレビの「バンキシャ」が首相にインタビューをしたところ、「あまりにも批判が続くから、頭に来て言ったんだ」とコメントしたそうです。具体的な戦略や目的があったわけではなく、「頭に来た」という理由で全国に獣医学部の新設を決断したのです。

                                           

                                           

                                           

                                          昔からいましたね。将棋を指していて、自分が追い詰められ、不利になると将棋盤をひっくり返すような子供が。安倍首相は29連勝中の藤井四段の爪の垢でも飲んではどうか。

                                           

                                           

                                          さらに、唖然とするニュースが飛び込んできました。

                                           

                                           

                                          「稲田防衛相は27日、東京・板橋区で行われた都議選の自民党候補の応援で「防衛省・自衛隊・防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と述べて投票を依頼した。」とのニュースです。(日本テレビ系(NNN) 6/28(水) 5:55配信)

                                           

                                           

                                          これは憲法15条、公職選挙法136の2、自衛隊法61条に明確に違反する違法行為です。「近くに練馬駐屯地もございますので、大変応援をいただいていることに感謝をしておりますという趣旨で演説を行ったわけでありますが、その中で誤解を招きかねない発言があったことに関しまして、撤回をいたしたい」とのことです。

                                          撤回したことを理由に、違法行為をした防衛大臣を庇う総理大臣と官房長官。彼らに「法の支配」を云々(うんぬんと読みます)する資格はありません。

                                           

                                           

                                           

                                          政治家はよく「誤解を招きかねない発言であった」と言って発言を撤回します。これは「理解力がない有権者が誤解するといけないので、自分の発言は間違っていないけれど、一応撤回しておきます」という意味です。これほど国民を侮辱している発言もありません。まあ、侮辱されたと感じている国民が少ないのでしょうけど・・・。

                                           

                                           

                                           

                                          出世のために安倍ジョンウンの顔色をうかがっている防衛省の一部幹部はともかく、末端の自衛隊員は、安倍ジョンウンや稲田トモピーが所属する自民党という特定の政治集団から、私兵のような扱いをされて平気なのでしょうか。一見すると自衛隊に好意的な政治集団ですが、彼らの歴史観を見ればその意図は明らかです。

                                           

                                           

                                           

                                          そんなこんなですから、かの内閣府が次のような CM を4億円の税金を投じて垂れ流したとしても、驚きません。

                                           

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          ただ、安倍ジョンウン様の戦争ごっこと戦意高揚のために4億円を投じる民間企業があったら知りたいですね。美容整形高須クリニック、DHCくらいしか思いつきません。彼らは歴史に学ぶ能力を根底から欠いているので、「竹やりでB29を撃墜」の発想のままです。

                                           

                                           

                                           

                                          そもそも「弾道ミサイル避難訓練」に国民の命を守ろうという意図があるなら、なぜ弾道ミサイルの標的になる可能性が高い東京都心部や在日米軍基地周辺、原発周辺で行わないのでしょうか。加計問題の目くらましにしても、ここまで幼稚なやり方で危機感を煽れば、そのうち論理的な整合性を重んじる海外メディアからは相手にされなくなるでしょう。

                                           

                                           

                                           

                                          そんなことを考えていると、27日の朝日新聞の地方版で、大分市の大在小学校で来月7月14日にミサイルの飛来を想定した避難訓練をするとの記事を目にしました。県防災危機管理課によると広瀬勝貞知事は19日の県議会一般質問で「近く日程を決めて市町村と実施する」と述べたそうです。しかも同課は「ほかの自治体にも広めたい」と話しているそうです。コメントする気にもなりません。

                                           

                                           

                                           

                                          政府がやると言ったら、末端の地方自治体の首長も、教育委員会も、大在小学校の校長先生も、右へ倣えとばかりに、まじめで深刻な顔をして実施するのでしょうか。そもそも子供たちに何と説明するのでしょうか。私には理解できないことだらけです。いや、ひきつった笑いを浮かべることならできるかもしれません。そういうわけで、公職、特に教職に就かなかったのは私に先見の明があったと思わざるを得ません。

                                           

                                           

                                           

                                          最後に今回のタイトル、ジョン・レノンの「Give Peace a Chance」をアップしておきます。もちろん、青春時代によく聴いた曲です。

                                           

                                           

                                          | 政治 | 18:51 | comments(0) | - |
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