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 (JUGEMレビュー »)

まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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スベトラーナ・アレクシエービッチ
今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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この本は実は哲学的で難しいですね。最初から熟読するのではなく、折に触れてページをめくるような読み方がいいようです。ところどころに、ブログで紹介したような言葉があり、はっとさせられます。彼のアフォリズム集として読むのがおすすめです。
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堀部 安嗣
堀部氏のスケッチと自身で撮った写真集。これ見よがしの作家性を前面に押し出したところがない。簡素で謙虚だが、気品に満ちた佇まいは何度見ても見飽きることがない。ブログを書くために、もう一度最初から読み直してみたが、やはり素晴らしい。
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絶品の桜餅
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    学生時代は京都・奈良で暮らし、結婚してからは奈良に住んでいました。父が急逝して大分に帰るまで、関西には10年近く住んでいたことになります。
     

    つましい暮らしの中、時たま妻と古寺巡礼に出かけ、ついでに老舗の菓子舗を「巡礼」しました。松江や金沢、京都には本当に美味しい和菓子があります。洋風ケーキはどんなに美味しいと評判のものを食べても、それほど美味しいと思いませんでした。生クリームやトッピングで勝負しているからでしょうか。チョコレートも同様です。私の味覚が鈍いせいでしょう。練り物の限界が見えてしまうのです。
     

    そこにいくと和菓子は旬の素材に工夫をこらし、菓子職人の技術に数百年の伝統が宿っています。味も過剰にならず、しつこくなく、恬淡とした味わいがあります。どこもそうですが昔の城下町には、目立つことなく、ひっそりと息づいている老舗の菓子舗があるものです。その風情がいいですね。
     

    生き馬の目を射ぬく競争社会で体力と神経をすり減らすのではなく、適度に距離をとり、お互いを尊重し、刺激し合うような職人魂が生きている世界。スイスの時計職人の世界も同様です。
     

    日本社会にも、自分の人生をしっかり見つめ、金融資本主義の限界を見抜き、時間を豊かな果実に変える生き方をめざす若者が増えています。私たちの社会の将来はそういう若者にかかっています。そういう若者を支援するために、私は自分にできることをしようと思っています。
     

    画像は大分県臼杵市にある老舗の菓子舗「さかいや」謹製の桜餅です。自宅から車で15分のところにあります。買って帰って、妻とお茶をしました。


     

    私がこれまで食べた桜餅の中で最も美味しいかも知れません。美味しい桜餅をつくるのはとても難しい。まずい桜餅を食べたために、桜餅と決別した人は多いのではないでしょうか。私は、別に「さかいや」さんの回し者ではありません。食べ物であれ、本であれ、音楽や絵画であれ、本物は流行に左右されない不易の価値を持っています。その価値を伝えたいと思っているだけです。

    | 人生 | 13:15 | comments(0) | - |
    『鴨川食堂』という魂の救済場所
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      今日はいよいよ『鴨川食堂』の最終回です。前回はジーンとくる場面がたくさんありました。看板娘のこいし(忽那汐里)と父親(萩原健一)がおにぎりを食べながら話す場面では、思わず大粒の涙を流してしまいました。年のせいか、このドラマを見ると一回は泣いてしまいます。最近は土曜日の11:45分からの再放送も見ています。妻には「あなた、泣くために見てるの?」とからかわれます。
       

      忽那汐里演じるこいしと父親役の萩原健一のやり取りが絶妙で、このドラマのはまり役です。この役が二人を生かしています。よくよく考えてみると、こいし役の忽那汐里が好きなのか、忽那汐里演じるこいしが好きなのかわからなくなりました。たぶん後者なのでしょう。
       

      以前にも書きましたが、『鴨川食堂』はメタファー(比喩)なのです。もちろん現代社会に対する批判も含まれています。上から目線の偉そうな批判ではなく、ドラマのいくつかの場面を見る者の心に残し、それと気づかぬうちに見る者の感情を豊かにし、もう一つの世界を垣間見せるといった方法によって。
       

      「鴨川食堂」は、

      1:不特定多数の人間を相手にしていない。

      2:従って、膨大な資金を投入した広告宣伝の力に頼ったりしない。ある意味で閉ざされた世界で生きることが、幸せにつながる(感情を劣化させない)とわかっている。

      3:「思い出の食、探します」という謎めいた一行広告だけをたよりに、客はこの食堂を探すことになる。思いが強ければ必ずたどり着けるはずだと、父と娘は信じている。そのことで、相手を単なる消費者の一人だとは考えていないことを間接的に伝えている。

      4:そうやってたどり着いた客の話にじっくりと耳を傾け、決して威張らず、卑屈にもならず、あくまで一人の人間として対等に接する。

      5:「思い出」と「食」という人間にとって最も根源的なものを通じて、人はお互いに理解しあえると信じている。

      6:「お代は、あなた様の気持ちに見合った額をお振り込みください」というセリフは、物の価値をお金で測ることを当然だと考えている消費者に、「気持ち」というお金では測れないものをつけ加えることによって、別の価値観があることを伝えようとしている。つまり、自分たちはビジネスマンではない、と優しく宣言している、等々。
       

      とまあ、こんな小理屈は抜きにして、今夜の最終回を見ることにしましょう。このドラマが終われば、もう忽那汐里演じるこいしには会えなくなります。こいしがこいし、なんちゃって。それにしても寂しくなるなあ・・・。

      ※ 最終回を見終わりましたが、やっぱり前回がクライマックスでした。最終回はこのドラマに区切りをつけるためのものでイマイチでしたね。でも、こいしが幸せになれそうで、めでたしめでたしです。ほな、またのお越しをお待ちしております。

      | 人生 | 19:06 | comments(0) | - |
      小さな世界で生きる幸福 ― ドラマ 『鴨川食堂』
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        私は塾教師という職業柄、夜のテレビをみることはめったにありません。それでもたまに見る機会があると、うんざりします。パンとサーカスを与えておけば、国民は愚民化するというのは本当です。お笑いと芸能人のトーク、クイズ番組を始めとして何一つ面白いものはありません。余りに見え透いているのです。こんな番組を見て、ゲラゲラ笑ったり感心したりするようになれば、私の人生もそろそろ終わりだと自覚しています。


         

        それにしても、国会の質疑でSMAPの解散について質問する議員も議員なら、「解散せずによかった」と答える総理も総理です。この国の政治はいつの間にか幼稚園の学芸会のレベルにまで落ちたようです。国会議員の愚民化も着々と進行しているのです。国民は、犯罪者の寄り合い所帯である安倍内閣と芸能界の区別がついていないのかもしれません。


         

        そんな中、私がただ一つ楽しみにしているテレビドラマがあります。NHKBSプレミアム、毎週日曜 午後10:00から放送の『鴨川食堂』です。原作は柏井壽氏の「鴨川食堂」。演出は佐藤幹夫油谷誠至の両氏。もっとも、私が楽しみにしている理由の一つは看板娘・鴨川こいし役を演じる忽那汐里のファンだからです。


         

        (あらすじ)
        「思い出の食、捜します」―― その一行広告を頼りにたどり着ける看板ものれんもない「鴨川食堂」。
        京都の東本願寺近くにひっそりと建つその食堂へやってくるのは、悩みを抱えた現代の人々。仕事、家族、人生、恋、人間関係…。悩みは千差万別だが、看板娘・鴨川こいし(忽那汐里)は客の悩みを真摯(しんし)に受け止め、父・鴨川流(萩原健一)は元刑事の勘と洞察力を駆使し、客の本当に望む食は何かを突きとめ、一流の京料理人として腕をふるって食事を再現する。“こいし”と“流”の努力の結晶である「思い出の食」を口にすることで、客は、生きる勇気、人生の喜びを見つけて鴨川食堂を後にする…。(NHKオンラインより)


         

        昭和を思い出させる人情ものとして人気が出ているようですが、私は全く違う見方をしています。このドラマはとても新しい。私たちに生きるヒントを与えてくれます。当ブログで何度も言及してきた、感情の劣化をくい止めるにはどうすればいいのか、という問いに対する答えがここにあるからです。


         

        SNS全盛の時代にあって、私たちの意識はどこまでも拡散しています。その結果私たちは世界中の人とネットワークを通じて繋がっているという感覚を持つようになります。しかしそれはあくまで可能性であり、錯覚なのです。SNSを通じて政治の世界も変えられる、というのも錯覚でしょう。SNSこそは大衆を一つの方向に導く最強の武器なのですから。しかしその話はまた後日。


         

        例えば、車を運転していて故障車らしきものを発見したとします。そばには困った顔をした人が立っています。私たちはどうするでしょう。スマホのGPSで現在地を知らせてJASを呼ぶだろうと考えて、そのまま通り過ぎるのではないでしょうか。この時私たちは3つの可能性を排除しています。その人がスマホを待っていない可能性、GPSを使いこなせない可能性、JASに加入していない可能性です。一昔前なら、車を止めて駆け寄り、手助けした人もいたに違いありません。


         

        あるいは、病気の時にそばにいて食事を作り、心から心配してくれる人は、可能性としてのバーチャル空間の中にはいません。カフェの小さなテーブルをはさんで昔話に花を咲かせたり、相手の目の中に落胆や失望の色を読みとったり、思いを告白する人は、生身の身体をもった具体的な人間でなければなりません。


         

        何が言いたいのかと言うと、意識は拡散しても、人間は具体的な場所で具体的な人間を相手に生きるしかないということです。感情を劣化させないためには、このことを肝に銘じておく必要があります。ゲーテの「幸せになりたかったら、小さな世界で生きなさい」ということばは、この真実を表したものだと私は解釈しています。


         

        「鴨川食堂」には看板もありません。探すのに苦労します。しかし、その思いが強ければ、たどり着けるはずだという確信が鴨川親子にはあります。広告宣伝が万能な時代に、謎かけのような広告を出し、店を探す苦労をさせることによって相手の思いの確かさを確認する。これは、勝手気ままな消費者の期待には添えないことを宣言しているのです。消費者こそが主権者であり王様だという発想では、決してたどりつけない世界があることを、このドラマは教えてくれます。


         

        最後に、費用はどうすればよいか尋ねる客に、「代金は、あなた様の気持ちに見合った額をお振り込み下さい」と答える。つまり市場原理万能主義者とは対極にある価値をこのドラマは創出しているのです。



        以上述べてきたことは未来塾通信46:私はどんな塾教師をめざし、どんな塾教師になったかの中でも触れています。
        http://www.segmirai.jp/essay_library/essay046.html

         

        小難しい理屈は別にして、このドラマを見る最大の楽しみは、忽那汐里の可愛らしい笑顔にあるということを正直に告白しておきます(笑)

         

        | 人生 | 14:54 | comments(0) | - |
        新しい生き方のヒント−静かな革命。
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          『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)を読んだのは2年半前。原発事故後の世界をどう生きるか考えていたときに出会った本です。折に触れて周囲の人に勧めてきました。著者は渡辺格(いたる)さん。鳥取県八頭郡智頭町にあるパン屋「タルマーリー」の店主です。詳細はぜひ本をお読みください。

           



          上記の本の中の写真。岡山県真庭市にて。現在は鳥取県智頭町に移っています。苦労はあっても、生き生きとした表情の「静かなる革命戦士」の面々。






          ところで、昨年12月11日のブログ、「批判的知性はいかにして失われたか−教育産業の役割」の中で次のように述べました。「教育が受験教育に収斂し、その結果、自分の子どもが偏差値の線型の序列性のどこに位置しているかで、教育の成果が測られるようになった。そこで要求されるのは、受験に役立つ知識を整理・分類して番号を振り、確実に取り出せるようにその収納場所を覚えておく能力、すなわち高速事務処理能力と記憶力だ」と。

           



          しかし、この種の能力には致命的な欠点があります。あることについての知識を次から次に取り出すことができても、個人としての生き方に結びつく切実さに欠けているという点です。内発性を無視して、ただ受験を突破するために覚えた知識は、せいぜいテレビのクイズ番組で正解を出すのに役立つ程度です。この種の知識は、貯めれば貯めるほど私たちの精神を縛り、委縮させるのです。

           



          本を読んでいて引き込まれる瞬間は、著者の生き方がはっきりと焦点を結んでいるときです。生きるために必要とした知識であれば、こちらに伝わってきます。それは一個の人格が社会と格闘し、苦労する中で身に付けた知識だからです。『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』は、このことをはっきりと証明しています。学力ということばが、文字通り学ぶ力を意味するのであれば、渡辺格(いたる)さんは非常に高い学力の持ち主です。そしてその力を使って「静かな革命」を実践しています。以下は朝日新聞のインタビュー記事です(2016・1・7)。

           



          引用開始

           ― 31歳まで勤めていた有機野菜販売会社では「産地偽装」が当たり前でした。利益至上主義から離れ、手に職をつけようと飛び込んだパン工房では連日、15時間働きました。都会では、給料と引き換えに自分の時間を売り渡し、お金に縛られたまま一生を終えるのか。資本主義というシステムの袋小路で、ほかの選択肢も見つからないままもがいていました。 抜け出す手がかりを教えてくれたのが、パンの発酵に必要な菌でした。



           人工的に培養されたイースト菌は、本来なら腐って土にかえるものでも無理やり食べものにしてしまいます。添加物や農薬も使い、腐らない食べものが大量に生産されることで値段が下がり、作り手の技術や喜びも奪われる。効率化が負のサイクルを生んでしまうのです。


           
           腐らないと言えば、お金もそうです。株取引や投資などで、実体がないのに殖えていく。世の矛盾を生み出しているのは、自然の摂理と逆行する「腐らない経済」なのではないか。そう思うようになったんです。



           銀行から金を借りるのではなく、自然から菌を借り、天然の菌の見えざる手に委ねて生きてみよう。そう決めたのは2008年のこと。「菌本位制」と名づけ、働くことで身も心も豊かになる道を探り始めました。



           使うのは天然の菌だけ。菌は、人間の都合にかまわず腐敗したり、発酵したり。無肥料無農薬で育てた米ならうまく発酵するとわかり、成功するまでに3年かかりました。ただ、手間も暇もかかる分、試行錯誤を重ねて技術を高める自由がありました。

           


           
           天然の菌を使った風変わりなパン屋を始めて8年。千葉県いすみ市、岡山県真庭市を経て、昨年5月に鳥取県智頭町に移りました。使われなくなった保育園を改修したパン屋兼カフェには、韓国や台湾からもお客さんが来ます。


           
           地元で自然栽培された麦芽でビールを造り、その過程で出る澱(おり)から取った酵母でパンやピザを作り、地元の野菜を使った料理を出す。窯には山から切り出した薪をくべる。山が汚れれば水も汚れ、パンやビールの味も落ちるため、地域経済を回しながら自然環境も守る。そんな循環を作りつつあります。



           店ではスタッフ4人とアルバイトを雇い、夫婦でフル回転。それでも、冬の1カ月間は店を閉じます。家族と過ごしたり、じっくりモノを考えたり。いい商品を生み出すには休養も必要だからです。



           自分が満たされて働くことと、暮らしている地域が豊かになること。二つが重なり合うところに幸せがある。それを可能にするのは循環。自称「菌遊(きんゆう)系」がたどりついた答えは田舎にありました。―

           


           

          | 人生 | 13:38 | comments(0) | - |
          私たちは「執事」であることから逃れられないのか?
          0

            以下は『柴田元幸と9人の作家たち』(アルク:2004年初版)の中に収録されている、カズオ・イシグロへのインタビューです。前回のブログに書いた『日の名残り』について言及されています。彼がメタファー(隠喩)の名手であることが分かると思います。

             


            カズオ・イシグロ 昭和29年長崎に生まれる


             

             

            私たちの<生>は、何らかの形で組織や利益団体と分かちがたく結びついています。その中で私たちは「より良き執事」としてふるまうことを要求されます。しかし、そこに救いはあるのでしょうか。私たちの努力は報われるのでしょうか。
             

             

            インタビュー

             

            柴田:先日の池澤さん(作家の池澤夏樹氏のこと)との対談、若い読者との対談、とても面白く拝聴しました。記憶に残るフレーズがいくつも出てきましたが、そのうちの一つが、われわれの大半は、みな何らかの意味で執事ではないか、というものです。

             

            イシグロ:ええ、ちょっと聞くと侮辱に聞こえるかもしれませんね、我々はみな執事だなんていう言い方は(笑)。私が言おうとしていたのは、ある種の倫理的な、さらには政治的な次元ではそれが我々の大半にとって人生の現実ではないかということです。

             

            むろん例外はあります。一国の大統領や首相になったり、大きな権力を持つ地位についたりする人もいる。でも大半の人間は、これは私自身も含めて言っているのですが、要するに何をしているのかというと、自分の仕事をきちんと果たすように学んでいくのだと思います。それが自分の人生に望める最大のことだという場合も多いんじゃないでしょうか。何んらかの技術を身につけ、マスターする。そのささやかな貢献を、もっと何か大きな存在に―会社とか、あるいは一人の人物、上司に、または政治上の主義に、国家に―捧げるわけです。

             

             

            そして個人としてはあくまで、めいめいささやかな仕事に専念し、精一杯きちんとやろうと努める。そのささやかな仕事をきちんとできるんだということから、プライド、尊厳といった思いを得るのです。そしてそれを、上にいる人に捧げて、上にいる誰かがよい形で利用してくれることを願う。でも多くの場合、自分の貢献がどのように利用されるかについては、責任を放棄するわけです。
             

             

            柴田:ということは、執事としての我々は、自分の行いについて倫理的な責任はない?

             

            イシグロ:いえ、すべての執事がそうだとは言いませんが、私の執事について考えてみましょう。彼はいわば、絵に書いたような執事です。銀器をきちんと磨いたり、食事がきちんと供されるように気を配ったりすることに大きな誇りを持っています。ある意味では、専門家だと言っていい。でも本人にしてみれば、主人に対して疑問を呈するのは自分の職分ではありません。より大きな、政治の世界で主人がなす決断に対して疑問を呈したりはしないのです。彼には忠誠心があり、その姿勢は、「私は自分の仕事を精一杯やろう、私の貢献をどう使うかは私の雇い主次第だ、ご主人が最良とお思いになる形で使って下さればよいのだ」というものです。

             

            そして私たち一般の人間も、たいていはそれと同じ立場にあるんじゃないかということなんです。つまり、私たちの人生、私たちの努力が無駄に終わるか否かは、最終的には、そういった上の人間に左右されると思うのです。
             

             

            柴田:スティーブンスの場合、主人がやったことが倫理的に正しかったかどうかを気に病みますよね。つまり間接的には、自分自身も戦時中、倫理的に正しことをやったかどうかに関心を抱いているように思えますが。

             

            イシグロ:ええ、でも気に病むのは後になってからです。何年も経って、主人も死んで、執事としての人生の終わりに至ってからのことです。そこで初めて、もっと大きな問題について気に病むべきだったろうかと、自問しはじめるのです。もっと若く主人に仕えていたころは、非常に明快な原則を彼は持っていました。すなわち、主人の決断を疑うのは自分の職分ではない。自分の仕事は、とにかく自分の務めを果たすこと、よき執事たることである。もっと重要な問題を動かすのは、高い地位にある方々に任せておけばよい、そう思っていたわけです。

             

             

            やがて第二次大戦が終わって、イギリス社会も変わっていき、それにおそらくは自分の人生も終わりに近づいていくなかで、初めて彼も、過去を振り返るようになります。そして、自分の人生が無駄だったか、良いものだったかは、主人のダーリントン卿が立派で有益なふるまいをしていたかどうかに左右されるということが見えてくるのです。ずっと後になってようやく、自分の人生の倫理性が、自分が仕えた人物の倫理性と分かちがたく結びついていることを悟るわけです。―

            (このテーマは次回のブログに続く)

             

             

            | 人生 | 16:55 | comments(0) | - |
            私の散歩道
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              以下の画像は私が毎日散歩している散歩道です。自宅を出て10分も歩けば、この風景が広がっています。車止めがあって、地元の農家の方の軽トラ以外は通行できません。大分市の東部地区のそのまた周辺地区。お年寄りが多く、限界集落に近い場所です。

               

              安全・安心・便利とはいえませんが、私にとっては、等身大で生きるための保護膜のような存在です。緩衝地帯と言ってもいいかもしれません。知性とは異なる回路で自然を感じ取り、世界を読み取ることを可能にさせる、かけがえのない場所です。

               

              歩きながら地元の農家の方と交わす挨拶や、立ち話ほど私を癒してくれるものはありません。途中、誰とも話を交わさないこともあります。数年前、大雪が降って一面が銀世界になった時の風景は、息をのむほどに美しく、しんしんと冷える中、立ち尽くしていたこともあります。往復6キロの散歩道を、原発事故の4年前に書いた、未来塾通信26『いのちと身体が納得できる場所へ』から引用した文章とともに紹介したいと思います。



               

               

              私たちの世界にはいろいろなスケールの時間が併存している。インターネットの中を駆け巡る時間。里山にゆったりと流れる時間。宇宙が生まれ消滅していく大きなスケールの時間。



               


              本来、時間とは多種多様で多層的に流れているものだ。ところが、現代社会では、多かれ少なかれ情報化された市場経済社会の絶対時間とでも言うべきものがすべての人を拘束している。この拘束から逃れて、ある場所に積み重なった時間を発掘するには、考古学的な想像力を必要とする。



               

               

              誰の言葉だったか、「あらゆることが一度に起こらないために、時間は存在する」というフレーズが不意に頭に浮かんだ。あらゆることが一度に起これば、人は起こった出来事の因果関係をたどることができず、相互の関連性も見失う。ある出来事に意味が生じるためには、時間の経過が必要なのだ。そのときには気づかなかったことでも、時間が流れて初めて事の重大さに思い至ることもある。





               

               

              しかし、無時間の情報社会は、氾濫している情報の中から選択することだけを人に要求する。その情報が生まれ、消えていく歴史は問われない。今日の市場経済も又、現在の利益や効率だけを私たちに迫る。市場経済がいかに生まれ、いかに滅んでいくのかは、この経済にとって関心ごとではない。そんな中で、自分では的確な判断を下しているつもりでも、ほとんどの場合、他人の下した判断をなぞっていることに気づかされる。





               

               

              人はどのような歴史を経て、今どんな時代を生きているのかを知りたいのである。どうして今日の社会が作られたのか、なぜ私たちは現在のような生き方をしているのか。積み重なった時間、流れた時間、過去の時間である歴史もまた多層的に形成されているはずである。そしてその中での人々の生活が見えなくなれば、歴史は消失していく。そうなれば、私たちは情報都市の中を漂流するしかない。





               私たちが還って行きたい場所はどこか。自分の存在の確かさが見つけられる場所はどこか。人間の理性・知性、合理的な認識と判断、科学や技術の進歩、自由と平等といった近代的世界で輝いていた言葉は、急速に色あせてきたような気がする。

               

              頭で納得できても、いのちと身体が納得できない。知性や理性はある方角を指示しているが、いのちと身体は違う方角を向いている。質素でも、つつましやかでも、自分のいのちが納得し、身体が納得する、近代的な枠組みとは別の、歴史を感じ取ることのできるローカルな世界で生きてみたい。



              いよいよ終点です。この先は見事な棚田になっていて、行き止まりです。しばし休憩して、引き返すことにします。



               

               

              | 人生 | 10:45 | comments(0) | - |
              ことばの森へ・その2
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                ― ここで、もう一度質問します。皆さんは自分の職業と、どうやって出会うのですか。あるいは、どうすれば自分の職業と出会えると思いますか。市場から送られてくる情報や人脈に頼らず、自分の職業を発見するにはどうすればいいのでしょう。僕の答えは全ての人を納得させるものではないと思います。ただ、規格化されないオリジナルな生き方をしたいと思っている人には、ヒントになるかもしれません。

                 

                今の社会の分析は簡単に済ませました。忘れた人は思い出して下さい。要するに、単純労働の担い手は必要とされなくなっているということでしたね。そこから導かれる結論は2つです。

                 

                1、この分野ではだれにも負けないというものを持っていない人は、仕事を得にくいということ。

                2、これまで当然だとされてきた考えを受け入れるだけで、自ら動こうとする意志と気力のない人は、淘汰されるということ。

                 

                ある職業に就くことは、その分野の専門用語を身につけることを意味します。例えば医師になりたいとします。医学の専門用語を大量に覚えなければ、医師としての仕事はつとまりません。ことばを覚えるということは二つ以上のものの差異を識別するということです。「ことばとは差異に根ざした表現である」とソシュールも言っています。ある病気と他の病気の差異は、その病気につけられた名前を覚えることからスタートします。映像の助けを借りても同じです。映像を見て判断するのもことばによっているのですから。

                そこでもし、みなさんの中の誰かが、何かのきっかけで医学用語に出会ったとします。幸運をもたらす偶然は、悲しい出来事の中にもあると言いました。身近な人が難病にかかって不幸にも亡くなったとします。あなたはその難病の名前を忘れないでしょう。それがきっかけで、医学に興味を持ち、次から次に難病の症状、現在の治療法、その名前を全て覚えたとします。いや、覚えなくてもいいのです。ノートにできるだけ書き出すだけでもいい。そしてそのことばを眺めます。そのことばから、苦しんでいた母親や父親、妹や兄の表情を思い出します。その時、難しかった医学の専門用語があなたのものになるのです。そして気がつくと、あなたの前には、医師になる道が開けています。これは奇跡でもなんでもありません。ことばは、そういう力を持っているのです。適性とはその分野のことばを覚えることができるということなのです。

                 

                もうひとつ例をあげてみましょう。皆さんは未成年者ですが、夕食の時、お父さんが飲んでいた焼酎を一口こっそり飲んだとします。それがS君だとします。S君はその美味しさに衝撃を受けます。こんな美味しいものがあるのかと。その衝撃はS君が大学生になっても残っています。コンパで入ったある居酒屋で、再びあの味に出会います。それ以来、S君は趣味で焼酎のラベルを集めはじめます。居酒屋に入ると決まってそこの主人と焼酎談議を始めるのです。そして焼酎文化の奥深さに魅了されます。部屋に帰って集めたラベルを見ていると、その味とともに、飲んだ場所や、その時交わした会話の内容までもがよみがえってきました。

                その時
                S君は、よし、一度メーカーを訪ねてみようと思い立つのです。そして地図を頼りに、全国の焼酎メーカーを訪ねます。大きな会社もあれば、家族経営の会社もあります。その土地の気候や風景も記憶します。気がついてみると、いつの間にか焼酎については誰よりも詳しくなっています。こうしてある日、S君は焼酎専門の居酒屋を開こうと決心します。そこで出す料理も研究しはじめます。銀行と交渉しながら、彼のノートには焼酎と料理に関することばが、ぎっしりと書き込まれていきます。様々な人と出会い、助け、助けられながら、客の笑い声が絶えず、彼の居酒屋は繁盛します。充実した日々を送っていても、S君の勉強意欲は衰えることを知りません。今度はワインを研究するためにイタリアやドイツ、南フランスを旅するようになります。S君の幸福な人生は、焼酎のラベルの収集から始まり、彼のノートの中にぎっしり書き込まれたことばによって花開いたのです。

                 

                皆さんはこの二つの例を夢物語だと思うでしょうか。動物と違って人間は言葉を使うことができます。ことばがあるからこそ、僕たちは過去を振り返り、未来への展望を持つことができます。僕たちが生きるということの本質には、ことばがあるのです。ことばのセンスを磨き続け、ことばに敏感になって、常にことばのアンテナをはりめぐらして生きていくことで、人生はいくらでも豊かになっていきます。僕が、その仕事をしていて幸福だと思える職業についてほしい、と言ったことの意味は、こういうことだったのです。―

                | 人生 | 12:57 | comments(0) | - |
                ことばの森へ・その1
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                  前回に引き続き、職業選択の話をしてみます。

                  世の中には様々な仕事があり、どうすればその仕事につけるかという話は、その種の本を読んだり、ネットで検索したりすれば大方のことは分かります。しかし、あくまで大方です。

                   

                  現に仕事に従事している人から話を聞くことも、インタビュー記事を読むこともできるでしょう。しかし、聞いたり読んだりすることと、実際にその仕事に従事することは別のことです。大きな隔たりがあります。夢を抱いて仕事に就いたものの、こんなはずではなかったと思うことも多いと思います。逆に日々の仕事をこなしていくうちに、面白さが分かり、やりがいを感じてくることもあるでしょう。人はあらゆる職業を経験することはできません。時間は限られていますし、身体は一つしかありませんから。

                   

                  では、職業選択のミスマッチを避ける方法はあるのでしょうか。もちろん仕事である以上、一から十まで楽しいということはおそらくありません。しかし、その仕事にともなう不快な経験や苦労があったとしても、それでも総体としてこの仕事をしていてよかったと思えるような選択はできると思います。そして、多くの場合、ほとんどの人がやりがいを感じて充実した日々を送れる方法はあると思います。しかも、学歴(出身校)はほとんど関係ありません。役に立つこともあるという程度です。以下は塾のこどもたちに話したことをそのまま再現したものです。

                   

                  ― 塾に来て勉強するのは何のためでしょう。少しでもいい学校に入って、いい就職をするためですか。でも、「いい」学校や就職って何だろうか。そもそも誰が「いい」と判断するのですか。「いい」って、だれにとって「いい」んでしょうか。何だそんな話かと思いますか。今さらそんなこと言われなくても、社会が判断するにきまってるだろう、と思う人もいるでしょうね。実はその社会自体がどんどん変化しているので、この疑問はとても重要で本質的なことなんですが、今はそのことはひとまず置いておきます。

                   

                  僕がこんな話をするのは、実は以前テレビで見た忘れられないシーンがあるからです。それがいつまでも心に残っています。東京の深夜2時。24時間営業の弁当店で働いている青年の顔が忘れられないのです。客はいません。惣菜が並んだガラスケースだけが明るく照らされています。そこに調理帽とマスクをつけた青年がぽつんと立っていました。

                  僕が大学生だった頃のアルバイトには、きつい半面、どこかそれを糧にできる雰囲気がありました。みんなが寝ている時に働くのだから、楽な仕事ではありませんね。でも、そうしたアルバイト学生を「がんばれよ」と励ます雰囲気が社会にあったのです。夜の向こうには人生を切り開いていくチャンスがいくらでも転がっているというような。

                  しかし、状況は変わりました。アベノミクスというカンフル剤を打ったために、数字上は景気が良くなっているように見えます。しかし、持つ者と持たない者の格差は開くばかりです。
                  生活保護受給者の数は今年の1月の調査では、217万人に達しています。若い世代の雇用機会も厳しい状況が続いています。

                   

                  その深夜の弁当店で働く青年の目はうつろで、暗い虚空を見つめていました。調理帽とマスクの間からのぞいた彼の眼差し。「いい経験してるね」と励ませるような雰囲気ではありません。彼の疲労しきった表情から、「絶望」の二文字が浮かんできました。「もう折れかかっています」とつぶやいているようでした。

                   

                  世の中は劇的に変わりました。全世界の商品がクリック一つで自宅に届くのです。労働者の多くは必要とされなくなりました。正社員も削減されています。原発によって社会がカタストロフィーにいたる可能性を残したまま、富は産業の根幹を握る一部の人達へと集中しています。深刻な問題があっても、だれも責任を取らないまま、僕たちは徐々に貧困と破滅への坂を滑り落ちているのです。

                   

                  コンピュータ社会の進化で、僕たちは登録番号で認識される単なる記号となっています。そして生活スタイルはますます規格化されています。受け身でぼんやり暮らしていると、用意されたシステムの中で、自分が鋳型にはめられた使い捨ての商品になっていることすら気づかずに人生が終わってしまう可能性もあります。

                   

                  そんな中でも、ほとんどの人は、いわゆる学校を経由して、その先に就職を考えています。とりあえず、学校や大学に入ることが先決で、卒業間近まではあまり考えない。経済状況によって、就職の門は広くなったり狭くなったりするので、それに合わせて考えるということでしょう。自分の適性について深く考えることもせず、目の前に用意された階段を上るしかない、と思っているのでしょうね。僕は以前、適性とはその人そのもののことだと話しました。自分のことなんてわかるわけがない。だから、そんなとらえどころのないものにこだわっている場合ではない、とりあえず就職するしかないというわけです。それはそのとおりです。今から話す僕の話は、学校に行きながらも、それとは別の回路で自分の職業について考えてみたいと思っている人向けです。役立つかどうかは皆さん次第です。(つづく)

                  | 人生 | 12:46 | comments(0) | - |
                  職業選択と人間の幸福について
                  0

                    人はいったい「職業」というものを、どのようにして決めるのでしょうか。「自分の適性を考えて、それに合ったものを選択する」という答えは、答えになっているようでなっていません。ある職業を選択した結果、後から振り返って、この仕事は自分に合っていたと言えるだけのような気がします。つまり「適性」なるものが始めからわかっていて、それに合わせて職業を選択するというのは、どこか無理があるようです。

                     

                    考えてみれば、その人の「適性」とは、その人そのもののことです。どんなペースで働きたいか、自分の感性に合っているか、その仕事をしている時に幸福か、といったことは、その人の人間性に関わることです。それがあらかじめ公式のように分かっているはずはありません。なぜなら人間は周囲との関係を絶えず自分の中に繰りこみながら、時間とともに自らを形作って行く存在だからです。

                     

                    正直なところ、職業は偶然に大きく左右されて決まると言っていいのではないでしょうか。そして、その偶然は思わぬ人との出会いや、幸運な出来事、いや、不幸な出来事の中にもあります。

                     

                    ですから、私は塾のこどもたちに「職業」や「適性」について話をすることはありません。彼らはまさにその「適性」を形作り、探し求めている途上にあるからです。職業選択について聞かれることもあります。その時は、自分がどうして塾の教師になったかを包み隠さず話します。そして、上で述べた「適性」についても、自分の考えを述べます。そして、職業を今ある狭い範囲に限定する必要はないと話します。

                     

                    「今ある職業が10年後もあるかどうかは分からない。仮にあったとしても、中身は大きく変わっている可能性が高い。企業も同じでしょう。ただ僕は、できればその仕事をしている時に、君たちが幸福であると感じられる職業に就いてもらいたいと思う。そんなのんきな、当てにならないことで職業を決めていいのか、選択できるパイは限られている、人生は競争だ、世の中は厳しいんだ、と考えている人もいるでしょうね。でも、「ピアノには鍵盤が88しかないのだから、もう新しい曲をつくることはできない」という人はいるでしょうか。88しかない鍵盤から、人間はこれからも無限の音楽を生みだしていくと思います。職業である以上、自分をあるいは家族を養っていかなければなりません。しかし、家族のありようもどんどん変化していきます。経済的な基盤も重要ですが、実はもっと重要なことがあります。それは自分が幸福になるということです。」

                     

                    デビュー当時のビートルズについて、かつて「ニューヨーク・タイムズ」は次のように書きました。

                    They produced a sound that was fresh, energetic and unmistakably their own.

                    (彼らの作り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなく彼ら自身のものだった)

                    | 人生 | 12:38 | comments(0) | - |
                    悲しみは消えない、小さくなるだけである。
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                      8月24日、地区の夏祭りのことをブログに書きました。そのお祭りの最中、私には忘れられないシーンがありました。地区の公民館で早めの夕食を取った後、神輿と山車、お伴の一行は最後の行程に向けて出発しました。残すところ3時間余り。距離にして約5km。疲労のため足取りも重くなっています。

                       

                      そのシーンに出会ったのは、出発して10分余りたったころです。神輿を担いでいた二人が、神輿から少し離れて、遠くの人に両手を大きく振っています。まるで手旗信号を送っているかのようです。二人とも地元で消防団に入り、お祭りのときは必ず神輿を担ぎ、地域を支えています。私の地区では神輿は主に消防団の人が中心になって担ぎます。

                       

                      その二人が、稲が青々と茂った田んぼのむこうに向かって、手を振っているのです。そこに一人の男性が立っています。Kさんです。神輿の担ぎ手の中にKさんがいないので、そのことを尋ねると、つい一カ月ほど前、奥さんを亡くしたのだということがわかりました。二人はKさんに向かって手を振っていたのです。Kさんもそれに応えるように手を振っています。こどものころから地域の中で生きてきた者同士の、ことばにならない交信です。

                       

                       

                      その後二か所の御旅所を経由して、いよいよ神社へと向かうはずでした。ところが、神輿だけ山車から離れて、迂回します。疲労もピークに達しているのに、誰も文句を言う人はいません。神輿は静々と歩き、予想通りKさんの家の前に来ました。Kさんと娘さん、小さなお孫さん、そしておばあちゃんが、袋入りのかき氷を20人分ほど準備して待っていてくれたのです。

                       

                       

                      途中Kさんと連絡を取った人はいません。以心伝心というのでしょうか、神輿はごく自然にKさんの家をめざし、まるで約束でもしていたかのように落ち合ったのです。先ほどの二人はKさんに声をかけ、IさんはKさんの肩を抱きかかえるようにしていました。私は、奥さんのことを今日知った、本当に残念だと伝えました。

                       

                       

                      人は人生の中で、思いもかけないことに遭遇し、悲しみのどん底にたたき落とされることもあります。中でも、こどもに先立たれたり、伴侶をなくしたりすることほど悲しいことはありません。大きな岩のような悲しみが、残された者のこころを押し潰します。いつも見慣れたはずの周囲の風景も違って見えます。呼吸するのも苦しいほどです。そんな時、私たちはどうやって自分を維持し、精神の危機を乗り越えればよいのでしょうか。

                       

                       

                      小動物が岩陰に身をひそめるようにして暴風雨が過ぎ去るのを待っているように、運命の試練をやり過ごすしかありません。ただただ時間が過ぎ去るのを待つ。時間がすべての傷を癒してくれることを信じるほかありません。

                       

                       

                      時間は、岩ほどもあった悲しみを少しずつ削り、一人ではとても背負いきれないと思っていたものを徐々に軽くしてくれます。一年、二年と経つうちに、岩は小さくなり、十年もするとこぶしほどの大きさになります。そうなると、バッグの中に入れてどこにでも持っていけます。

                       

                      そして、さらに幾つかの春秋を経て、ついには小石ほどの大きさになります。そうなればポケットの中に入れられます。時にはその存在を忘れてしまうこともあるでしょう。しかし、それは断じて消えることはありません。何かの折に、ポケットに手を突っ込んで、小石の存在に気づきます。そして自分の人生を豊かにし、支えてくれたのはこの小石だったと気づくのです。

                       

                       

                      夏の終わりに目にした光景は、私にいろいろなことを考えさせました。以前「私とは、私の記憶である」とブログで書きましたが、愛する人の記憶は、その人が死んでから一層鮮やかに私たちの中で生き始めるようです。まるで、私たちの記憶の中で第二の人生を生きているかのように。

                      | 人生 | 00:35 | comments(0) | - |
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